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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


ワイナリー板東

 0、オープニング

『「アクマ」! 皆、叫ぶ! ワイナリー板東』
 怪しげな広告であった。全面ワイン色に白抜き文字が映え渡る。
 隅に小さく添えられた住所は『山梨県勝沼』とあった。
 碇・麗香は三下・忠雄を見もしない。広告をペラリと手渡しただけである。
「へ、編集長ぉ……また、こんな怪しいチラシ、どこで手に入れたんですかぁ」
「封書で送られてきたのよ。調べたら、『ワイン酒造組合 』にも登録してあるし、実在するのは確かだから行って来て」
 命令は簡潔なほど良い。例え、三下の目に涙が光っても。
「嫌ですうぅ! 『アクマ』って何ですかあぁ! 皆、叫ぶんですよおぉ?」
「だから、それを調べて来るのよ!」
 つい、叫んでしまう『アクマ』とは一体! どうなる、三下!


 1、甲州路

 中央道を経由して約一三〇キロメートル。東京から山梨県勝沼までは、おおよそ二時間の道のりとなる。運転手と三下を含めた乗員八人に対し、用意されたバスは一六人乗りであった。しかも、後部三席を回転させたサロン仕様である。
 たった二シートしか隔てていないのだが、最前列にいる三下からはこの後部座席がとても遠くに思えた。
「ですから、『ワイナリー板東』は創業六五年の──」
 三下は恨ましげに、テーブルの上で立ち並ぶ一ダースほどのワインボトルを見つめた。赤、白、ロゼの液体が、キラキラと揺れ輝いている。どの瓶も開封されており、かなりの量が減っていた。
 これは全て三下が予習と称して持ち込んだものだ。だが、そもそも、それが間違いだった。集まったのは、ワイナリー見学を楽しみにやってきた、いずれもアルコールに強い者達である。テイスティングと言う飲み方に、留まるはずはなかったのだ。
「良いんです。どうせ僕の説明なんて、路面を走るタイヤの騒音と同じなんですうぅ!」
 誰も聞いていない。三下はメソメソとシートにしなだれかかった。
「バジルも良いけど、これも美味しいわね」
 ロックフォールとクルミのカナッペに、シュライン・エマは舌鼓を打った。その笑顔を受けながら、斎悠也は新しいコルクを引き抜く。
「そんなに喜んでいただけるなら、もっと作ってくれば良かったですね」
 クリームチーズとスモークサーモン、グリーンアスパラガス、トマトとバジル。彩りも鮮やかなこれらのカナッペは、全て斎悠也が持参したお手製のおつまみだ。
 人数分たっぷり用意したつもりなのだが、酒とつまみの相乗効果か、バスケットの中身は軽快に減ってゆく。現地へたどり着く前に、全て無くなってしまいそうだった。
「これから向かうワイナリーには、地下蔵があるそうです」
 悠也は「どうぞ」と言って、向かいに腰掛けているプラチナブロンド──ウィン・ルクセンブルクのグラスに赤い液体を注ぎ入れた。
 ウィンはニコリと笑って礼を述べ、それを口に含む。
「地下蔵ですって? それじゃあ、ヴィンテージ物のワインにもお目にかかれるのかしら」
「交渉次第では、譲っていただけるそうですよ」
 悠也がネットで調べた情報では、古い物で五〇年ほど前のワインがあるらしい。価格はオーナーとの話し合いになるようだ。
 残念ながら、今回の目的である件の正体へは辿り着けなかったのだが、ウィンはむしろ、ワインがあればそれで良いようだ。悠也の話を聞いて、青い目を輝かせた。
「それは楽しみだわ」
 悠也はニコリと笑い返す。
「ヴィンテージ物って、美味しいのかしら……。買って行ってあげたい気もするけれど」
 万年貧乏の某探偵には、高値のワインより愛飲の煙草一ダースの方が喜ばれそうだ。シュラインはグラスの中を覗き込んで、溜息をつく。
 その横で、真名神慶悟がフンと鼻を鳴らした。
「俺には縁が無さそうだな」
 ヴィンテージと聞いた所で、資本となるものがない。浴びるように飲むタダ酒。これが一番旨いのだ。財布の中身を一切気にしなくて良い。
 慶悟は、グラスの中で揺れる液体を見つめた。バスの振動で、ブルブルグルグル揺れたり回ったりする赤。渦を巻いたかと思えば、解けてタプンと波立つ。映り込んだ自らの顔も湾曲し、またはくねり、不思議な百面相を繰り返した。
 シュラインは、微かに笑う慶悟の横顔にいぶかしむ。
「……大丈夫? 真名神君。何だか様子が変よ?」
「あぁ」と呟く慶悟。
 まさか、『アクマ』とは広告の周囲にいる者がかかる、『危ない呪い』の一種だったのだろうか。そもそも呪いに危なくないものがあるのかどうか、得てして深い疑問が残るが、誰もそんな恐ろしい推測を引っさげて来てはいない。
 それに『あのキャッチ』から、危険を読み取れと言う方が『おかしい』。
 きっとオチは、『あ! クマ!』などの、寒い『ダジャレ』に違いない。誰もがそう思っている。なものだから、件の話題など出やしない。これは春の行楽シーズンにアトラスの経費で行く、楽しいバスツアーなのだ。美味しいワインがあれば、それで良い勢いであった。
 だが、一人だけ、そうは考えていない者がいた。
「それにしても『アクマ』か。あの表現を見る限りでは、客が叫ぶ立場にあるようだが……さっぱり解らん」
 一同「え」と言った表情で慶悟を見る。
 浄業院是戒(じょうごういんぜかい)でさえも、心配そうな眼差しで慶悟を見た。
「真名神殿。酒が過ぎたのではないか?」
「序の口だ。たかが、ワイン四本で酔う俺じゃない」
 顔色の変わらない慶悟から、酔っているか否かの判断は付きにくい。しかし、慶悟には『酔うとおもむろに壊れて、面白くなる機能が極秘裏に搭載』されている。しかも、それは真顔のまま行われるのだ。過去を振り返れば、『陰陽道について』を延々と語った前科があった。
「……トランス入っちゃったのかしら」
 ポツリとシュラインが呟いた。
 その声は慶悟に届かない。
 どうやらグラスの中の、タプンタプングルグルですっかり酔いが頂点に達してしまったようだ。
「行けば全て解るか……。月を掌中に収めてみよとの難題は、杯に月を浮かべて飲み干せば良い。今回の碇の難題も然り──」
 フッ──
「ワイングラスの中を覘けば、『アクマ』はそこにいるのさ」
 ──酔ってるわね。
 ──ええ……酔ってますね。
 ──面白いわね、真名神さんって。
 ──真名神殿。しっかりされよ。
 グイッと、アルコールを飲み干す慶悟。至ってその横顔はクールである。皆は、慶悟の前からそっとボトルを遠ざけた。
 それをシートの影から見ていた三下は一人涙ぐむ。完全に村八分であった。
「良いんです。良いんです。どうせ、僕なんて腐ったミカンなんです」
 さめざめと泣き崩れるその肩を、黒いフリッパーが慰める。
「ああっ……貴方だけですっ、僕の味方はぁああ」
 ぬいぐるみを装い一席に収まっていたぺんぎん・文太は、手にしたグラスで、しっかり薄ピンク色の美味しいお酒を飲んでいた。ほんのり赤い頬。幸福そうである。
 こうして三下は助っ人なのかどうか、いまいち不明な同行者達と共に勝沼を目指した。

 2、ワイナリー板東着

 空は青い。山も青い。
 一行を乗せた車は、勝沼インターを降り国道二〇号線を、さらに西へと移動した。車窓から見える葡萄畑は、まだ裸の土が見えている。もう一、二週間もすれば葡萄農家も忙しくなるだろう。
 広告にあった住所を頼りに、一行は目的地であるワイナリーの駐車場へとたどり着いた。広大な葡萄畑を挟んで、かなり遠くに白と赤茶色の建物が見えている。
「やはり乗り物は戴けんなぁ」
 バスを降りるなり、是戒は首を鳴らした。
 グイグイと肩を揉みつつ苦い笑いを浮かべている。歩けと言われれば、どこまででも歩いていけるだろう。だが、人工的な揺れと狭い空間は、いくら便利でも窮屈で落ち着かないようだ。
 地に足が付き、ホッと一安心と言ったところであろう。
「板東さんは、あの白い建物にいるそうです」
 携帯を折り畳みながら、三下は一行を振り返った。
 その時である。何かが眼前を凄い勢いで駆け抜けた。
 もしや『アクマ』か!
 三下は慌てて目で追いかけた。
「ハイッ?」 
 走り去って行ったのは、三体の式神達であった。慶悟が放ったのだ。
「ここからが本番だ」
 慶悟はニヤリと笑う。
「ほ、本番って何がですか?」
 三下はおずおずと慶悟の顔を見つめた。少し様子がおかしい。バスの中からなのだが。
『アクマ』とは、人間に取り憑く悪霊だったのか!
 慶悟は言った。
「旨いワインを探す。それにつまみもな」
 完全に壊れていた。
「『アクマ』はどうするんですかっ」
 三下の眼鏡から光る雫があふれ出す。慶悟は穏やかな微笑を浮かべ、そっと護符をはらつかせた。そして、現れた式神を顎で指し言った。
「これを貸してやろう」
 頑張れ、と言う意味である。シュラインはホッツリ呟いた。
「アクマはどうでも良いのね」
「そうみたいですね」
 バスのステップを降りかけて、悠也はふと立ち止まった。
「そろそろ出しても良いでしょうか」
 その声にシュラインが顔を向ける。悠也が召還したのは、水干と巫女姿の幼い子供達であった。名を『悠』と『也』と言い、悠也の幼い頃の姿を模した式神達であった。
「悠でーす☆」
「也でーす♪」
「こんにちは〜!」
 二人はぺこんと頭を下げると、満面に笑顔を浮かべた。そして、一行の最後尾にいるずんぐりとした黒い物体を見つけて、わあわあとはしゃいだ声を上げる。
「ペンギンさんですー☆」
「可愛いです〜♪」
 え。
 と、振り返る一同。
 やぁ、と手を挙げ、文太はペタペタと通り過ぎてゆく。
「……ぬいぐるみじゃなかったのね」
 ウィンはそれを呆然と見送った。同じようにきょとんとしていた是戒だが、次の瞬間には豪快に笑い出した。
「ハッハッハッ! まぁ、害は無い。楽しく行こうではないか」
「そうね。確かに害は無いし……」
 むしろ、左右に揺れながら歩く後ろ姿は可愛いと、シュラインはひっそり思った。
 駐車場を抜けると私道に出た。緩やかな上り坂を伴って、葡萄畑がその向こうに広がっている。シュラインは、電柱に寄りかかっている捨て看板へ目をやった。
『痴漢、出るぞ。危険! 変態に注意!』
「……すごい看板だな」
 慶悟は言って、シュラインを見た。シュラインは目を細め、眼鏡を顔の前に持ってきて文面を見つめている。おかしなくらい真顔だ。
 悠也もつられて、看板へ目をやった。
「何かあるのですか?」
『アクマ! 皆、叫ぶ!』と言う、どう見ても冗談めいているあのキャッチフレーズ。
 変『態』が変『熊』になっているような、くだらないオチかもしれない。あとからオーナーに、「駐車場からここへ来る途中の
看板の中にいたでしょう? クマ」などとのたまわれる前に、正体を掴んでおくのだ。
 しかし、『変態』は『変態』で『変熊』では無かった。歩き出しながら、シュラインは悠也に「何でもないの」と小さく言った。
 こんな些細な出来事であったが、その意図が分からない三下は、慶悟に続くシュラインの奇行に恐れおののいた。
 犠牲者が増えてゆく……。
 このチラシが厄災を連れてくるのかもしれない。破り捨てるべきか。
「ああうう」
 三下は悶絶した。
 だが、それだけでは終わらなかった。次は、畑に刺さっているアクリル板だ。シュラインはしゃがみ込み、それを見つめた。
「葡萄の絵ね」
 ウィンがそこに加わる。
「ええ。葡萄の絵だわ」
 もしかすると、こういったプレートやマスコットキャラクターが、例の『あれ』なのでは無かろうか。
 美女が二人、同じ思いで土に埋もれたプレートを眺めた。『ピオーネ』──単なる葡萄の種類が書かれているだけである。
 奇行者が増えた。
 恐るべし『アクマ』の呪い!
 三下は逃げ出したくなった。 

 3、工場

 正面玄関は、まるでホテルのロビーのようだった。右手は売店になっており、ワイン棚が置いてある。他にも色々な土産物が売っているようだ。
 左は、全面ガラスで見通しの良いレストランである。テーブルには白いクロスがかけられ、高い天井にはシーリングファンの大きな羽根が、ゆっくりと回っていた。明るく清潔感があり、落ち着いてお茶でも飲みたい気分に駆られる空間だ。
 オーナーの板東は、中央案内フロントの前にいた。中肉中背の浅黒い肌をした男で、一行を見るなり深々と頭を下げた。人の良さそうな笑顔である。もちろん『アクマ』が憑いているようには見えない。三下がへどもど名刺を差し出すと、嬉しそうに両手で受け取った。
「ようこそ、お越しくださいました。お疲れで無ければ、早速工場の方へご案内致します。当社自慢のワインの数々を、どうぞご堪能ください」
 そう言って、板東は一人一人に、小さな銀色の皿のような物を手渡した。直径八センチ、深さが一センチほど。小さな取っ手のついた、テイスティング用の器であった。
「ワインカーブにさしかかりましたら、このタートヴァンで、ご自由に試飲なさってください。現在、当社で手がけておりますのは四六種類。赤、白、ロゼに辛口から甘口まで、多種多様に揃えてございます。きっと、お好みの一品が見つかると思います」
 一行は嬉々として板東のあとに従い、ガラス張りの工場へと移った。ワインは色によって製造過程が異なる。粉砕、圧縮、発酵、熟成、ろ過。または、冷却などを経て、赤、白のワインとなる。熟成から蒸留と言う行程へ移れば、ブランデー製品が誕生する。
 誰よりも熱心に、それらの機械を見つめているのはウィンであった。ウィンの実家はワインの本場、ドイツにある。そこでホテルとワイナリーを経営している為、日本のワイン作りにも大いに興味があるようだ。
「もろみワインが飲めるの?」
「ええ、お試しになりますか?」
「ぜひ、飲んでみたいわ!」
 微笑するウィンの後ろに連なる一行。
 次に板東が案内したのは、工場の出口──ワインカーブの入り口であった。テーブルの上に、白濁した液体の入った大きなボトルが置いてある。これが『もろみワイン』であった。酵母菌を加えてから数日しか発酵させておらず、ジュースにほんのりとアルコールが乗っている程度の若いワインだ。
 板東はそれを、タートヴァンに注いで回った。軽く香りを楽しんだあと、悠也は銀皿に口を付ける。
「……これは美味しいですね。お酒の苦手な方でも飲めるのではないでしょうか」
「はい。アルコール分は僅か、一パーセントから二パーセントでございますので」
「悠ちゃん、それ美味しそうです☆」
「飲みたいです♪」
 見上げてくる無邪気な顔に、悠也は小さく笑み返す。
「少しだけですよ」
 と、腰を落として、タートヴァンを悠に手渡した。コクリと飲んだのを見届けてから、今度は也へ。二人は顔を見合わせたあと、顔全部で笑った。
「美味しいです☆」
「甘いですー♪」
「あまり量が過ぎると、小さなお子さまは酔っぱらってしまいますから、気を付けてくださいね」
 そう添える板東に、悠と也は「はいです!」と声を揃えた。
 和気藹々とする場だが、割と一生懸命な者もいる。
 文太であった。
 果たしてここは、動物の立ち入りを許しているのだろうか。文太は気を遣い、板東の死角をぬって『アクマ』を探した。
「色々と苦労があるのね」
 シュラインは、それを横目に見て見ぬフリをする。
 ここまでのオーナーの話ぶりは、至って普通であった。妙なギャグや冗談は出てこない。もしかすると、『アクマ』は『寒いあれ』では無いのだろうか。首を傾げるシュラインに気づき、是戒は声を潜めて尋ねた。
「どうかなされたか?」
「あ、えぇ……些細な事なのだけれど。『あの事』で、ちょっと考え事を」
「ふむ。宣伝に使用する所を見ると、危険は無さそうではあるが……それらしい『生き物』は見あたらぬのう」
「それじゃあ、是戒さんも、やっぱり?」
 二人は口をつぐんだ。皆まで言わずとも、頭に浮かんだ毛むくじゃらは一緒であった。どう考えても、『ダジャレ』としか思えないのだ。
「これは儂とした事が、少々考えを改めなければならぬな。全く別の物かもしれん」
「そうね。着ぐるみとか、毛皮とか」
 二人は再び考え込む。
 と、突然、慶悟が言った。
「いや、向こうにある」
「見つけたの? 真名神君」
「旨いワインをな」
 ヒラリと身を翻す。普段の三倍ほどホクホクとした顔で、慶悟はワインカーブへと続く薄暗い石の階段へと消えた。
 ウィンは板東とワイン談義に興じている。文太はその目を盗んで、慶悟の後に続いた。トテトテと消える小さな背中を、三下が慌てて追いかける。
 皆、まとまりが無く、結構好き勝手であった。
「あああ、どこへ行くんですかああぁ! 僕を置いて行かないでくださあぁい!」
 腰が退けているのは、まだ『アクマ』に対する恐怖があるからだろうか。それとも慶悟のいつもとは違う様子が恐いのだろうか。三下は凄腕の陰陽師が酔って浮かれているとは、微塵にも思っていなかった。

 4、ワインカーブと『アクマ』に続く道

 工場の整然とした設備群とはうって変わって、地下のワインカーブはひんやりとした石室だった。両サイドに棚があり、びっしりとワインが寝かされている。天井は低く、オレンジ色の淡い照明が、真新しいラベルを浮かび上がらせていた。
「こちらに置いてありますワインは、ここ五年未満の商品でございます。樽の上のボトルが、全て試飲用となっておりますので」
 板東の説明通り、通路の中央には転々と使用済みの古樽が立ち並んでいた。四,五本づつ、ワインボトルが上に乗っている。
 コックをひねって、と言う雰囲気のある試飲では無いが、量が飲めるのは確かであった。
 慶悟は先頭に立って、一杯目のワインをタートヴァンに注ぎ入れた。
「これも、碇の難題をこなす取材の為だ」
「取材の為には見えないのだけど」
「人助けさ」
「……どうかしら」
 フッと笑う腐れ縁の二人。慶悟がすでに七本近いワインを、腑に収めているのをシュラインは知っている。飲んだ杯の数だけ、懐が軽くなる心配も無い。人を助けていると言うより、慶悟の方が救われているようだ。楽しそうだった。
「悠ちゃん、赤いの飲みたいです☆」
「美味しそうです♪」
「先ほどのワインのように甘くはありませんよ」
 小さな二人の式達にせがまれ、悠也は銀器に酒を注いだ。悠と也は一口飲むなり、キュッと目を瞑ったり、舌を出したりしてはしゃぐ。
「変なお味します〜☆」
「甘くないです〜♪」
「赤よりも、白の方がまだ飲みやすいかもしれないわね」
 ウィンはそう言って、二人を見下ろした。
「はいです。悠ちゃん、白いのください☆」
「甘いのがいいです〜♪」
 悠也とウィンは顔を見合わせて苦笑する。
 皆、ワインを楽しんでいた。
 文太はそれを樽の影から見守っていた。『アクマワイン』の存在は無いようだ。しっかりと安全を確認してから、是戒の元へ歩み寄った。
「む?」
 ワインを注いでいた是戒の袂から、文太の黒い手がニョキッと生えた。バスの中で使っていたグラスを持っている。
 是戒はキョロリと周囲を見渡したあと、そこへ薄黄色の液体をたっぷりと注いだ。幸福そうに目を細める文太を眺め、是戒は双眸を崩す。
「『もののけ』なれど、旨いモノはやはり旨いか」
 単なるペンギンでは無い事など、とおに是戒は見抜いていた。文太はくちばしを開き、声を出さずに鳴く。
「件の正体が分からぬ故、用心するのだぞ」
 文太はコックリと頷いた。
 ボトルの中身は、次々と一行の腹に消えてゆく。
 果たして、アクマとは何なのか。気にする者はあまりいない。三下だけがびくびくと後からついてくる。
 しかし。
 U字の通路を折り返した時、それは突然現れた。
『皆、叫ぶ! ←』
「出たああああぁあ!」
 絶叫する三下。まだ、何も出ていない。シュラインが冷静に三下を宥めた。
「落ち着いて、三下君。あれはただの『紙』よ」
 シュラインは振り返り、板東にそれを尋ねようとした。だが、いつのまにか彼の姿は消えていた。
 はめられたのか!
「やややや、やっぱり! アクマ! アクマの生贄に僕僕僕」
 三下はへたりと腰を抜かした。
「やっと姿を現したか、アクマめ。ここにいる『アクマ』とどっちが強いか。飲み比べで勝負だ」
 そんな勝負で良いのだろうか。皆、顔を見合わせるが、慶悟は気にせずサクサク歩いて行く。
 矢印はワインカーブの外を指していた。一行はワインをタートヴァンに注ぎ足し、のんびりとそれに倣った。緊張感は、まるで無い。三下だけが、ブルブルと震えている。
「これ、美味しいわ。帰りに買って行こうかしら。って、三下君、何怯えてるのよ〜」
 と、ウィンは三下の肩を叩いた。
 降りてきたものとは別の階段を上ると、そこには殺風景で一直線な通路があった。右手は白い壁、左手は一面のガラス窓だ。陽光が差し込み、広大な葡萄畑が見えた。暗い所から明るい所へ出たせいか、目が慣れない。皆、一様に目を細めた。
『皆、叫ぶ! ←』
 貼り紙は、非常口から表の葡萄畑へ続いている。三下は震えながら、是戒の背中にへばりついた。
「行きましょう」
 悠也は開け放たれた非常口の外へ、足を踏み出した。直ぐに左矢印が現れる。工場に沿っているようだ。歩き始めると突然、文太が立ち止まった。
 風を読んでいるような、そんな仕草だ。何か臭うらしい。
「……予感が当たってる気がするのだけど」
「ええ。私も同じ事を考えていた所よ」
 シュラインとウィンは文太を見つめ、頷き合った。
 矢印はさらに左へ折れ、ちょうど工場の裏手に面する場所へやってきた。一行はそこで赤い煉瓦作りの建物の前にいる、『アクマ』の正体に出くわした。傍らに、板東もいる。ショックの余り、明後日に向かって走り出す文太。三下が興奮して叫んだ。
「あぁあ! 熊! 熊ですよ、皆さん! 熊!」
 やっぱり、熊でした。
 ワイナリーに、そんなモノが居るとは思っていない。誰もが皆、叫ぶのだ。子供のように嬉しそうな板東の顔。しかし、三下以外、驚く者はいない。予想通りであった。是戒は「ハッハ」と笑い出す。
「間違い無かったか」
 頑丈なオリに入れられているのは、体長六〇センチほどのツキノワグマの子供であった。吊り下げられたプレートに『月子』と書いてある。
「『須田』に住む親戚の家に迷い込んだ小熊なんですが、母親が裏山で死んでおりましてね……みなしごになってしまったようなんですよ」
 それを引き取り育てているのだ、と板東は言った。飼育する上での市の認可も受けているらしく、その旨の説明書きも添えてあった。
「当社は今年で六五周年を迎えました。なにか良い宣伝方法は無いものかと考えておりましたが、私が大の『アトラス』ファンでございまして」
 雑誌に取り上げられれば、宣伝効果は抜群と言うわけだ。板東は、手の込んだ事をして申し訳無かったと頭を下げた。
「こんな事だろうと思っていたのよね」
 と、ウィンは事も無げに微笑する。悠也はマジマジと黒い毛の塊を見下ろした。
「『熊』、だったんですね」
「小さいです〜☆」
「モコモコしてます〜♪」
「他に何だと思いました?」
 ウキウキと尋ねる板東に、悠也はしれっと「何かの方言かと」と言った。黙り勝ちである。
 一方、バスの中で解らないときっぱり言い放っていた慶悟は、熊を見ても何の反応を示さなかった。
「……熊か」
 ただ一言、そう言っただけである。スーツの裾を風が吹き抜けた。金色の髪が揺れる。陰陽師はポケットに両手を差し入れ、目を細めた。
 皆、次の言葉を待ってはみたが、慶悟はそれ以上何も発しなかった。
 アクマと言うより『夜の帝王』と言う言葉の似合う慶悟。ぽかぽかとした日差しと心地よい風が、酔いの果ての睡魔を誘う。話すのが面倒になっていたのは、慶悟だけの秘密であった。
 誰もが、「熊、あぁ、熊ね」そんな態度を取る中、モフリとしたそれに少女のような反応を見せた者がいた。
「……可愛い」
 シュラインだ。オリの前にしゃがみこみ、ガジガジと鉄柵をかじる小熊をじっと見つめている。
「月子ちゃんって言うのね。触ったら噛むかしら」
「噛まない保証はございませんから、お手は出さない方が無難かもしれません」
 少しがっかりする背中。三下はその横に並んで、アクマの正体を記事にしている。麗香が、こんなネタを採用するのだろうか。疑問に思う悠也であった。
「……そう言えば、ここのワイナリーには古葡萄酒があると言う噂を聞いてきたのですが……」
 板東は含んだ笑みを浮かべ、悠也を見た。
「おや。耳の良い方がいらっしゃいますね。ええ、ございますとも。この赤煉瓦の倉の地下に、眠っておりますよ」
 そうと聞いては黙ってられぬと、ウィンは目を輝かせた。
「それは試せないのかしら」
「残念ながら。ですが、味はどれも当社の自信作でございますので、あとはお話次第と言う事になりましょうか」
 板東はそう言って、ポケットから鍵束を取り出した。

 5、帰路
 
「買ったのね、それ」
「手触りがすごく良いのよ」
「あら、本当。フワフワね」
 ワイン二本と、ツキノワグマの小さなぬいぐるみ。シュラインの買い物袋には、麗香と某探偵用の土産が収まっていた。ウィンが抱えているのは、少しくすんだワインボトルだ。煉瓦の倉で買い求めた物であった。
「悠ちゃん、ありがとうです☆」
「綺麗な色ですー♪」
 葡萄色のジャムを手にした悠と也は、はしゃぎながら悠也にぺこんと頭を下げた。
「皆さん、買い物は済んだようですね」
 悠也はボトルの入った袋を提げ、土産物屋の外に佇む女性陣に声をかけた。シュラインが頷く。
「ええ、もう皆、バスに向かったわ」
 駐車場へ続く緩やかな下り坂。かなり先に慶悟が歩いている。是戒は途中で立ち止まり、葡萄畑を眺めていた。傍らに文太が連れ添っているのが、微笑ましい。
 それぞれの土産物を抱え、三人はブラブラと駐車場へ戻った。是戒はバスへは乗らず、窓越しに慶悟と話をしている。
 どうにも、と是戒はやってきた三人に向かって頭を掻いた。
「バスは好かん。時に縛られる身で無し。儂は歩いて帰ろう」
 来る時より、一つ減った顔。
 僧の振る手に見送られ、バスは群れなすビル群を目指して、エンジンを唸らせた。

 6、甲州宿場街道にて

 暗い空だ。
 山並みは空よりも濃い墨色で、辺りを覆っている。道が峠にさしかかってからは、街灯も失せた。時々、ヘッドライトの眩しい光と共に、車が飛び去って行く。頭上の月と星だけが、是戒の供であった。
 甲州街道の大垂水。東京まではまだ大分ある。皆はもう家に辿り着いたであろうか。是戒は遠い空を見やった。
「何度、乗ってもあれには慣れんな……。やはり、儂にはこれが一番よ」
 踏みしめた草鞋がギュッと鳴る。今日も良い一日であった。
 名も無き地蔵を小さく拝んだあと、是戒は再び歩き出した。




                        終



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業】

【0838 / 浄業院・是戒 / じょうごういん・ぜかい(55)】
     男 / 真言宗・大阿闍梨位の密教僧 


【0086 / シュライン・エマ / しゅらいん・えま(26)】
     女 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

【0164 / 斎・悠也 / いつき・ゆうや(21)】
     男 / 大学生・バイトでホスト(主夫?) 
       
【0389 / 真名神・慶悟 / まながみ・けいご(20)】
     男 / 陰陽師

【1588 / ウィン・ルクセンブルク / うぃん・るくせんぶるく(25)】
     女 / 万年大学生

【2769 / ぺんぎん・文太 / ぺんぎん・ぶんた(333)】
     男 / 温泉ぺんぎん(放浪中)

   
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■          あとがき           ■
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 こんにちは。紺野です。
 こんなに早くお届け出来たのは、何ヶ月ぶりでしょうか(謎ガッツ)。
 このペースを保てるよう頑張ります。

 さて、『ワイナリー板東』ですが、
 ギャグオチと言う事で、皆さん、端から『熊』と踏んでのご参加でした(爆)。
 そして、熊よりワインに気持ちが(笑)。
 この度は、当依頼を解決していただき、まことにありがとうございました。

 苦情や、もうちょっとこうして欲しいなどのご意見、ご感想は、
 謹んで次回の参考にさせて頂きますので、
 どんな細かな内容でもお寄せくださいませ。

 今後の皆様のご活躍を心からお祈りしつつ、
 またお逢いできますよう……。


 私信> 是戒 様
  前回、今回と苦手な乗り物が登場してしまいましたが、
  宿場町の面影を残す甲州路──
  帰りの是戒さんに良く似合っているなと思いました(笑)。
 
 
                   紺野ふずき 拝