コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


コドモの時間

 これ程までに似合わない組み合わせと言うのも珍しい、と、玲璽は目の前の二人をまじまじと穴が開く程に見詰めた。
 「おや、何か言いたそうじゃないかい」
 「べぇっつにぃ」
 玲璽が勤めるバーのママが、そんな態度のバーテンダーを笑う。そんな彼女の傍らには、何故か小学生ぐらいの子供。一瞥しただけでは女の子か男の子か分からないような、線の細い一人の少年が、玲璽の視線に怯えたようにママの帯の影に隠れた。そんな少年の顔を、上体を屈めて覗き込みながら玲璽がにやりと笑う。
 「しかし、あんたが実は子持ちだったとは意外だったな。見掛けに寄らずちゃんと女だったっ……うぐッ!?」
 少年がビクッと身体を竦ませて、その顛末を見守る。軽口を叩いた玲璽の腹に、一発拳を叩き込んだのは黒鳳だ。ぎろりとキツい目で、腹を両腕で抱えて蹲る玲璽を冷ややかに眺め降ろした。
 「失礼な事を言うな、レージ」
 「…ってぇ……なんだよ、どーせテメーも似たような事思った癖に……って、痛ぇ!」
 今度は、ママが踵で玲璽の足を踏んづけたらしい。その度に背後の少年は、ビクビクとして不安げに緑の瞳をうろつかせた。
 「ほらほら、この子が怯えてるじゃないか。それくらいにしときな、二人とも」
 「俺は何にもしてねぇっつーの」
 被害者だ、とぶつくさ口の中で文句を垂れながら、玲璽はカウンターの内側へと戻る。遣り掛けだったグラス磨きを再開しつつ、ママとその傍らの華奢な少年を見比べる。
 「ま、言われてみれば全然似てねぇもんなぁ。本当の親子なら、オフクロに似なくて正解だったなと言う所だが…おっと」
 玲璽が、どこからかすっ飛んできたスリッパを片手で華麗に受け止める。今度は攻撃をあっさり回避され、黒鳳は見るからに不機嫌顔だ。
 「避けるな、レージ。卑怯者」
 「避けいでか」
 「い・い・か・げ・ん・に・お・し」
 念を押すようなママの声が、さっきよりも幾分低いトーンになって来ている。顔は笑顔のままでも、それが本気で怒り出す兆候なのだ。その証拠に、少年はこれまでで一番激しく怯えているようだし、それを知っている二人も、素直に黙りこくった。それを見たママは、満足げにニッコリと笑って頷いた。
 「ともかく、これからおまえ達とも一緒なんだから、仲良くしておくれよ?」


 「よ、ボーズ。元気でやってるか?」
 数日後、玲璽が店へと出勤すると、例の少年がカウンター席の一つに腰掛けて何かの本を読んでいる。何だろうと少年の背後からそれを覗き込むと、それはナイスバディの際どい写真が満載の、オトナのオトコ向け大衆誌だったのである。
 「……。おまえ、見掛けに寄らずやっぱり男なんだなぁ…」
 「…絵のある本を見るのは好き、だから。…でも、これはあんまり…」
 「だろうな」
 可笑しげに玲璽が口元で笑うと、釣られたように少年の表情も僅かに解けた。
 「ボーズにはボーズに似合いの本ってのがあるだろ。今度、ババアに買って貰…」
 「陽菜、だ」
 そうつっけんどんに答えたのは勿論少年ではない。奥から出てきた黒鳳だ。
 「ぁん?」
 「だから、陽菜、だ。そいつの名前。そう呼べとのお達しだ」
 「へぇ。名前、付けて貰ったのか。ババアに」
 「ババアではない!」
 きぃっと怒る黒鳳を尻目に、玲璽は素知らぬ顔で少年――陽菜に声を掛ける。陽菜は、玲璽を見上げるとこくりと一つ頷き、口元が僅かに笑みの形になった。今度は玲璽がそれに釣られたか、小さく口端で笑い返した。
 「そか、いつまでもボーズじゃ収まり悪ぃもんな。じゃ、今日からおまえは『クロ』な」
 言葉の後半は、当然、黒鳳に向けられたものである。それに気付いて黒鳳も、片方の眉だけを高々と上げて抗議の意を示す。
 「なんだ、そのネコか何かを呼ぶような名は。本当にそれで俺を呼ぶつもりか!」
 「当たり前だ。『ヒナ』と来りゃ『クロ』。二文字同士でいい語呂だろ?」
 「だったらおまえは『バカ』と呼ぶか?」
 はん、とまさに馬鹿にしたような表情で黒鳳が玲璽をねめつけた。今度は玲璽が眉を上げて抗議をする番だ。
 「待て、俺の名前と何の関連もねぇじゃねぇか!ったく、これだから日本語の使えねぇ奴は…」
 「じゃ、おまえが教えてやりな」
 不意に話に割り込んできたママが、何でもない事のようにそう言って玲璽を長煙草の先で指し示す。と言うか、いつの間にここに居たのだろう…。
 「教えるって…何を」
 「日本語を。おまえ、日本人なんだから教えられるだろう?」
 決定。と一人で結論付け、ママは陽菜の肩を軽くぽむっと叩く。
 「いいかい、この【やっさしいお兄ちゃん】に教えて貰うんだよ。何、心配は要らない。こっちの【やっさしいお姉ちゃん】も一緒だから寂しくはないさね」
 「ちょっと待て、教えるって、陽菜に教えるんかよ!?つか、クロと一緒に!?」
 「文句があるのかい?」
 にこりと、にこやかだがどこか凶悪な笑みを浮かべるママだが、さすがに玲璽も今回は退かなかった。
 「文句ありありだね。なんで寄りによって一緒に教えなきゃなんねぇんだよ、つか、なんでそもそも俺が教えるんだっつうの。日本人なら、他にも居るだろっ!」
 だが、ママの方がやはり一枚も二枚三枚も上手らしい。
 「そうさねぇ。でももうそう決めたのさ、この私が」
 諦めな、と玲璽の抗議も一蹴して、自分はそのまま店を出て行ってしまった。後に取り残されたのは、憮然として納得行かない玲璽と、日本語は覚えて彼女の役に立ちたいが相手が玲璽と言う事でやっぱり納得行かない黒鳳、そして、そんな周りの大人達の喧騒に怯えて目を瞬かせる陽菜、この三人だけだった。


 「よし、野郎ども。準備はいいか?」
 半ば自棄になった玲璽が、テーブルに向かい合って座った黒鳳と陽菜を前に仁王立ちをする。ここは店の奥、ママや黒鳳をはじめ、取り巻き達の居住スペースにもなっている部屋の一室である。
 あのあと、玲璽は誰かにこの面倒臭い言いつけを押し付けようと、他の取り巻き達に言って回ったのだが、その誰もが口を揃えて『御大の意向には逆らえん』の一言で取り付く島もなかったのだ。そんなにあの道楽ババアが恐いかよ、と毒づく玲璽であったが、その自分も結局はママの言う事に従っている辺りは、都合よく棚上げしたらしい。
 「言っておくが、俺は勉強の教え方なんぞ知らねぇからな。何しろ、俺自身、勉強なんて大嫌いだったからな」
 「勉強しなくてはならない時期に、レージはムリムチャムボウをし捲ってブイブイ言わせてたからだろ」
 「……おまえ、なんでそう言うヘンな日本語ばっか覚えてんだよ…」
 がくりと肩を落としながらも、玲璽は持参した書店の紙袋から、二冊の冊子を取り出し、二人の前に置く。それは、可愛いアヒルちゃんの絵柄が付いた【はじめてのひらがな・カタカナ】とのタイトルの、その名の通り、初めて文字を覚える幼児用のテキストだったのだ。
 「ほれ、これでどうだ」
 「……ビッミョーに、バカにされてるような気がするのは気のせいか…?」
 じろりと黒鳳が玲璽を睨むが、そうか?と素知らぬ顔でキツい視線をやり過ごす。陽菜はと言えば、テキストの中に描かれている、アヒルやヒヨコの可愛いイラストにご満悦のようだ。
 「ほら、見てみろ。陽菜のこの素直な顔をさ」
 「一緒にするな、一緒に」
 むっとして唇をへの字に曲げるが、悔しいかな、ぱらぱらと捲ってみたテキストの中身を、黒鳳は全てを理解する事が出来ない。会話は不自由なく出来るが、読み書きはまだ殆ど出来ないのだ。ちろりと向かいの陽菜を盗み見れば、鉛筆片手に嬉々としてお手本のひらがな文字をなぞっている。その線はゆっくりとしてたどたどしいが、それでも正確にお手本の薄い印刷を塗り潰していた。
 「ほほー、既にクロは陽菜に置いてけぼりにされてっか?」
 同じように陽菜の手元を覗き込んだ玲璽が、次に黒鳳の手元を見、そう言って揶揄う。はっと黒鳳が自分の書いたひらがなと陽菜の書いたひらがなを見比べてみると、お手本を上からなぞっているだけなのに、何故か黒鳳のはあらぬ方向にぐねぐねと線が曲がってたりする、奇っ怪な暗号になっていたのだ。
 「おま、なんで線を上からなぞるだけなのに、そんな風に歪むんだ?あれか?性格の悪さが線に滲み出てるとか…」
 「煩い、文字なんてのは、読めればいいだろ、読めれば!」
 噛み付いた黒鳳に、玲璽はわざとらしく肩を竦めて両手の平を上に向け、アメリカ人的な呆れた仕種をしてみせる。
 「読めれば、な。そもそも、クロのは読めねぇっつうの」
 読めるか?と話の矛先は陽菜へと向けられる。テキスト上のヒヨコのアドバイスに従って、一人黙々と課題をこなしていた陽菜が、驚いたように目を瞬かせて玲璽の顔を見上げた。
 「だからよ、陽菜。このキッタネー字、読めるかって聞いてんだ」
 「汚いは余計だ。読めるだろう?読めない筈がない」
 二人揃って、陽菜へと詰め寄る。その迫力に、無意識でか椅子に据わったまま腰が退けている様子の陽菜が、突き出された黒鳳のテキストを、首を伸ばして覗き込んだ。
 「……えと、…『りんご』『みかん』『いちご』……」
 「ほら、読めるじゃないか」
 自慢げに玲璽と対峙して胸を張る黒鳳だが、
 「そんなの、読めて当たり前だろ。さっきまで陽菜が自分で書いてたのと同じページなんだからよ」
 的確な玲璽の突っ込みに、さすがの黒鳳もうっと返答に詰まった。にやり、と玲璽が勝ち誇った笑みを浮かべる。
 「さ、四の五の言ってねぇで、さっさと課題を済ませやがれ、野郎ども」

 そして数時間が経過した。
 学ぶと言う行為自体は好きなのか、陽菜は楽しげに、与えられたテキストを速いペースでこなしていった。それは実は、黒鳳も同じで、なんのかんの言いながらクリアしていくペースは陽菜と変わらない速さだったのだ。
 が。
 「だっかっらっ、何でもっと丁寧に字を書けねぇんだよ、テメーは!」
 「これ以上丁寧に書けと言うのか!?」
 そう反論する黒鳳だが、その文字はお世辞にも丁寧に書いたとは思えないような下手さ加減である。尤も、黒鳳自身は本当に丁寧に書いているつもりなので、これは最早才能の域に達しているのかもしれない。
 「どこが丁寧に書いてるって言うんだ、こんなミミズが炎天下でのたうってるみてぇな字でよ。なぁ、陽菜?」
 「…えっ?……あっ、そ、その…はい……」
 急に話を振られ、陽菜が弱々しい声で答える。勉強自体は楽しいが、なにせ一緒に居るのが、店内でも有名な犬猿の中の玲璽と黒鳳。喧嘩してなくても、一緒に居るだけでビリビリと伝わってくる、電撃のような緊張感に、この歳で胃に穴が開きそうな思いの陽菜である。ただでさえ小柄な身体を小さく縮め、今にも消えてなくなってしまいそうな存在感の陽菜に、それを見た黒鳳は、目を眇めて少年を見下ろした。
 「おまえは何をそんなに怯えてるんだ、情けない」
 「そりゃー、この【やっさしいお姉ちゃん】が恐いからだろうが」
 ママの物言いを真似て玲璽が声を立てて笑う。いつもいつも顔を見れば喧嘩ばかりの黒鳳と玲璽だが、今日は自分が講師と言う事で、多少なりとも優越感を感じているらしいのだ。そしてまた、黒鳳もそれを分かっているが、だが恩人の役に立つ為、と必死で沸き立つ怒りを納めて真面目に勉強しているのだ。そんな黒鳳が、テーブルの下で握り拳を硬く固めている事は誰も気付いていない。
 「つか、確かに陽菜はビビり過ぎだな。大丈夫、こんな凶暴な女でも、おまえを獲って食ったりはしねぇから」
 「……う、うん」
 「まぁ、体力だけが取り得みてぇな奴だから、たまーには手が出る事もあるだろうが、さすがにおまえには手ぇ出さねぇだろ。自分よりも細っこい奴を殴ったなんて、恥ずかしくって顔向けできねぇもんなぁ」
 「…………」
 この沈黙は、陽菜と黒鳳と両方の、である。勿論、その内情は正反対と言える程に違う。黒鳳は、言いたい放題の玲璽への怒りからだし、陽菜はそんな黒鳳の放つ不穏なオーラに怯えているせいだ。
 「なぁ、全く、あの暴力を振るう時の手の速さと同じぐらい、字も書ければいいんだけどなぁ」
 「…さっきから聞いていれば…レージ、貴様!」
 「…ッ!……ぅ………」
 ついに堪りかねて黒鳳が上げた怒鳴り声に反応したのは、勿論玲璽ではなく陽菜だ。びくびくと身体を震わせ、時間の経った綿菓子みたいに今にも融けてなくなってしまいそうだ。そんな陽菜の様子が癇に障ったか、黒鳳は手を伸ばすと、陽菜の柔らかな頬をうにっと摘まんで引っ張る。陽菜の顔が痛みに歪み、眦に薄い涙が浮いた。
 「い、………」(←痛い、と言いたいらしい)
 「いい加減にしろ、陽菜。そんなんでこれからもあの方の傍にい続けるつもりか」
 「いい加減にすんのは、そりゃおまえだ、クロ。陽菜に当たってどーすんだよ、気の短いヤツだな、全く」
 「誰のせいだと思ってんだ!大した才も無い癖に、威張りくさって!」
 「ぁア?てめ、人が大人しく教えてやってればイイ気になりやがって…俺は頼まれたから仕方なくやってンだろうがよ!」
 「教えて、だと?よく言う、ただ単にテキストをやらせるだけなら、サルでも出来る!」
 なんだとう!?と掴み掛かろうとする黒鳳と玲璽だが、その間に挟まった陽菜の目に、今にも零れ落ちそうなぐらいの涙が溜まっているのに気付いて、ぴたりと動きが止まった。うるうると潤んだ緑の瞳が、何かを訴えるように玲璽と黒鳳とを交互に見詰める。ぐすん、と鼻を啜った途端、玲璽がとうとう悲鳴を上げた。
 「だーーッ!やってらんねぇー!」
 「煩い、怒鳴るな!やってられんのは俺の方だ!」
 「……ぅ、っく………」
 今にも泣き出しそうに顔が歪む陽菜に、慌てて玲璽が取り繕う。
 「あっ、こら、泣くんじゃねぇ!わりぃ、俺が悪かったからっ!」
 「そうだ、レージが悪い」
 「おまえも悪いに決まってるだろ!」
 ビシ、と黒鳳に向けて立てた人差し指を突き立てつつ、玲璽は、自分が学生時代に散々迷惑掛け捲った教師達、彼らの苦労が、今になって身に染みて理解したのであった。
 「ほら、しゃんとしな、陽菜。おまえだってやりゃ『出来る』んだからよ」
 困った玲璽が、こっそりと言霊を飛ばした。ぴく、と陽菜の背筋が伸びて、言霊に弾かれて盛り上がった涙を収め、こくりと頷く。それを見て、ほっと安堵の息を吐き出した玲璽だったが、
 「レージ、言霊を使うとは卑怯な。不公平だろ」
 「なんじゃそりゃ。てめーも使って欲しかったのかよ」
 いつもいつもおまえは俺の言霊を避けてるじゃないか、と付け足して玲璽は黒鳳の方を睨んだ。
 「それは、おまえがロクな言霊を飛ばしてこないからだろ!いつもいつも『吹っ飛べ』だの『あっち行け』だの『消えろ』だの…」
 「あったり前だ。そもそも、それはクロが俺に何かっつうとすぐ攻撃を加えようとするからだろ」
 なぁ?と、止せばいいのに玲璽はまた陽菜に同意を求める。が、陽菜はと言えば、泣き出しそうな顔をしつつも、一人黙々とテキストの欄を埋めていた。それを見て思わず、大人二人の方が己の不真面目さを目の当たりにして言葉を飲み込み、一旦振り上げた拳を取り敢えずは降ろす。
 「…さ、続きだ、続き」
 「言われんでもやる」
 ぼそりとそう返して、黒鳳も鉛筆を持ち直し、テキストに取り掛かり始めた。

 …が、結果的にはそれもほんの一時。暫くすれば、また元の木阿弥で、ツッコむ玲璽に怒鳴り返す黒鳳、半べその陽菜と宥める玲璽……と言う悪循環の繰り返しであった。
 「おや、随分と疲れた顔をしてるじゃないか」
 いつの間にやら帰って来ていたママが、バーのカウンターでぐったりしている玲璽に笑って声を掛ける。視線だけでそちらを見た玲璽が、恨めしそうにママの笑い顔を見上げた。
 「……そりゃ疲れもするわ、ありゃ…」
 「随分苦労をしたようだね。おまえ、私の普段の苦労が分かっただろう?」
 ククク、と喉で笑うママの顔を見詰めつつ、道楽ババアが苦労?嘘付け、と毒づく玲璽なのであった。

 …勿論、心の中でだけで。