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枝垂れ桜(しだれざくら)の伝説
●桜の噂
桜にまつわる伝説は全国各地で様々に伝えられている。
東京郊外の住宅地にある、この枝垂れ桜も人々の間でこっそりと伝えられる噂があった。
月夜の晩。ふりそそぐ月の光に照らされて、桜がぼんやりと輝くのだという。
その時きまって、桜の下に女性の姿がみられるらしい。
目撃者の話では女性は黒いシスター服に身を包む、髪の長い若い娘で、桜の傍によるとフッと姿を消してしまうそうだ。決定的な証拠がまだないため、単なる見間違いではとささやく人も多い。
「で、その決定的証拠を撮りに行こうと思うの」
開口一番に告げた瀬名・雫の言葉にネットカフェに集まったメンバーは眉をひそめた。
「お花見に行くって聞いたんだけど……」
「うん、行くよ。だって幽霊がでるのは桜の木の下だもん、ばっちりよね♪」
「……まさか、その桜で花見を……?」
「もちろん♪ オカルト愛好家の花見にとって、これほどぴったり来る場所はないと思うんだけどなぁ……」
噂話といっても無気味なことには違いはない。仲間達の明瞭な返事が返らないまま、雫は話を進めていった。
「丁度、明後日の土曜日の天気は晴れらしいからお花見にはぴったりだよね。夕方頃に集合して、皆で見にいこうよ!」
■花見日和
淡い桃色の花びらが教会の入り口に舞い散っていた。
「今年も……この季節になったんですね」
桜の木からこぼれる春の光を浴びながら、隠岐・智恵美(おき・ちえみ)は目を細めて、雲ひとつない空を眺めた。今日は一日中晴天が続くという、絶好の花見日和だ。
「それでは、後は宜しくお願いいたしますね」
後ろに佇んでいた息子にそう声をかけると、智恵美は駅のある商店街へと向かっていった。
教会の礼拝で耳に下した噂の真実を確かめようと……
●商店街の春
東京新宿駅から中央線でおよそ1時間。この辺りまでくると、都心のような高いビルも随分と減り、団地や一軒家らしい建物が立ち並ぶ。特にめだった施設がないためか、観光客らしき人影は殆ど見られず、帰省ラッシュ前のこの時間は駅前もずいぶんと穏やかだ。
待ち合わせまでまだ少し余裕があったため、皆木・晃(みなぎ・あき)は近くの商店街をのんびり見て回ることにした。
夕食の買い出しに来たのだろう、買い物袋を手にさげた女性の姿が目に映る。良い香りに誘われて、晃は一件のパン屋の前で足を止めた。
ガラス張りのショーウィンドウの向こうに、焼き立てのパンが店頭に並べられていた。たくさんのパンを毎日見ている晃ですら、パンを見ているだけで空腹感にかられるほどの、こんがりと狐色に焼かれたパンだ。
……花見のお土産によさそうですね……
そう思い、晃は入り口の赤い扉をゆっくりと開けた。途端に、香ばしい香りが晃の鼻をくすぐる。
出来上がったばかりの柔らかそうなパン達を眺め、晃はふと一番端にあったパンに視線を止めた。
塩漬けにされた桜の花びらが埋め込まれた白いパンだ。花びらのまわりだけうっすらと桃色に染められている。
「……さくらあんぱん……か。これならいいかな」
可愛らしいPOP広告に微笑みをもらしながら、晃は人数分のパンをトレイに乗せていった。
■日常の警告
「こっちこっちー!」
電車から降りた智恵美の耳に届いたのは雫の元気な声だった。
声の方を向くと、すでに参加者達は集まっており、軽い談義に花を咲かせていたようだ。
「遅れてすみません……」
「ううん、丁度良いよ。他の人が早すぎただけだからね。食べる?」
言いながら雫が差し出してきたチョコ菓子を一粒手にとり、智恵美は軽く肩をすくめた。
「さて、全員そろったことだし。桜の木まで出発進行!」
元気にかけ声をあげて歩き出す雫。離れないように一行はその後ろをついていった。
丁度帰宅ラッシュ時間を迎えていたため、駅は人でごった返していた。
「ま……まって……っ」
晃は上手く人の流れに乗れず、次第に一行から離れだしていた。必死に追いつこうとする彼の手をさり気なく智恵美が握る。
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
にこりとほほ笑む智恵美。桜の木への道順は事前に雫から聞いているため、もしはぐれたとして目的地へは迷うこと無く行くことが出来る。だからそんなに慌てる必要はない、と智恵美が言うと雫はどこかほっとした様子で歩く速度を緩めた。
「そんなに気を荒立てては、良くない輩も呼んでしまうかもしれませんからね」
「……そうなんですか……?」
「そうね、こういうのは雫さんのほうが良く知っているかしら……」
智恵美は視線を雫に向けながらぽつりと呟いた。
線路を渡る陸橋を通り抜けようとした時、不意に晃は歩みを止めて、駅の方をじっと眺めた。
「……何か?」
「……あの人……」
眉根をひそめて晃の視線をたどるも、その先には何も見当たらない。数秒、間をおいて、晃は再び歩み始める。
「晃さん……何か……いらっしゃいました?」
「いいえ。何でもありません」
にこりとほほ笑む晃。
「あ、でも帰りの電車……もうひとつの路線に乗って帰ったほうがいいと思いますよ」
さりげなく晃はそう告げた。
■枝垂れ桜
4月にはいったばかりの春の日の入りはまだ随分と早い。
西の空を赤く染めあげていた夕日はいつのまにか山の向こうへと姿を消していた。
「足もとに気を付けてね」
桜の木は小高い丘の上にあるため、細い階段を上がっていかなくてはならない。暗い足もとに注意しながら、一行は慎重に丘を登っていた。
階段をのぼり終えると途端、目にとびこんできたのは濃い桃色の花吹雪だった。連日の暖かい気候のおかげで桜は一気に花を開かせていたようだ。満開の枝垂れ桜の姿に一同は小さくため息をもらした。
「……きれい……」
あたりに照明らしきものはなかったが、ぼんやりと薄明るい満月の光に照らされて、桜は自らも輝いているようだった。確かに噂通りの美しさだ。
「ねえ、誰か懐中電灯持ってない? やっぱ照明あった方がいいよね」
ござを敷きながら言う雫に智恵美は苦笑しながら応えた。
「灯りが無い方が雰囲気が出て良いとおっしゃったのは雫さんですよ。荷物になるものなど持ってきてません」
「うー……だって、もうちょっと明るいと思ったんだもん……」
「……これでよければ……」
さり気なく晃は鞄の中から手元を照らすペンライトを取りだした。
「ありがとぉっ……ってこれじゃああんまり明るくならないねー……」
「もう少し月が昇れば充分明るくなると思いますよ」
ふと見上げれば、すでに月は山の上へ姿を現していた。今晩は雲ひとつないと予報されていたので、真円の満月がくっきりと夜空に浮かぶことだろう。
「今夜は月見と花見が一緒に出来るのですね……」
「これで噂の幽霊が見られれば文句無しかな♪」
雫はうきうきとカメラを用意し、スタンバイにとりかかる。
こんな日はめったに無いだろう。はらりはらりと舞い散る桜を眺め、智恵美は柔らかくほほ笑んだ。
シートを敷き、それぞれ持ってきた料理を並べ終えた頃。ふと、晃が桜の枝付近をじっと見つめているのに智恵美は気付いた。目を細めて薄くほほ笑んでいる様に智恵美は背中に寒いものが走った。
「……晃……さん?」
恐る恐る智恵美は晃の肩を叩く。ゆっくりと振り返り、晃は不思議そうに小首を傾げた。
「何か?」
「あ、いえ……あそこに何かあるのですか?」
「……」
問いには答えず晃は智恵美の背後をじっと見つめる。さすがの智恵美もつられて後ろを振り向いた……が、当然その先には何も見当たらない。
「なんでも……ないです。それより美味しいパンがあるんで一緒に食べませんか?」
話題をそらすかのように晃は鞄から紙袋を取り出す。
「そうですね……」
少し休憩をしたいと思っていたし、丁度よいか、と呟きつつ。枝垂れ桜の写真撮影大会を始めた仲間達を眺めながら、2人はござに座ってのんびりお茶を一服しはじめた。
■導きが指し示す先
「どう? 撮れた?」
ポラロイドの写真を何度も覗き込み、雫は撮影している仲間に問いかけた。だが、そうそう思っているようなものが撮れるはずもない。
「やっぱりこんなに人がいちゃ幽霊も恥ずかしくて出てこられないんじゃないか?」
誰かの声が上がる。もっともな意見だ。
この丘は近所では少しばかり有名なのか、時計の針が7時を越える辺りから丘を登って花見に来る人が増えはじめている。もっとも一番人数を占めているのがゴーストネット関係者なのだが、霊が現れるどころかカメラ撮影もしづらい雰囲気になってきた。
写真撮影をしている面々を少し離れた場所から眺めていた智恵美と晃も、元気な声をあげて駆け回る子供の姿に眉をひそめた。
「桜を見られるのはいいけど……ちょっと落ちつかないですね」
「そうですね……」
都心から離れているため、人は少ないだろうと予測したが、それは甘い考えだったようだ。
仕方が無い、と小さく肩をすくめ、智恵美はゆっくりと深呼吸をして精神統一を始めた。彼女をとりまく気の流れが渦巻くように変化し、それはひとつの力となって現れる。
瞳に力を集中させて、智恵美はゆっくりと桜の近辺を見つめた。今、彼女の目には桜を取り巻く力の姿が見えている。その出所を追うように視線を動かすと、さらに小高い場所へと伸びていた。
「……あの上に何かあるようですね」
智恵美の言葉に晃も顔を向ける。あ……と小さい声をもらす彼に智恵美は静かに告げた。
「やはり晃さんには見えるようですね」
「……行ってみます?」
ちらり、と晃は雫達に視線を向ける。どうやらカメラ撮影に夢中になっていて2人の行動に気付いてないようだ。
「まずは確かめたほうがよいでしょうしね。それに……除霊したがっている人もおられるようですし……」
先程、共に食事を食べている際、智恵美はさりげなく彼らに問いたという。霊を見付けたらどうするのか、と……
雫達をはじめ、殆どのものは貴重な心霊スポットをいじるつもりはないと答えたが、中には安心して花見が出来るように除霊すべきだという意見が上がったのだ。霊の意志を尊重するのを前提に考えていた智恵美はこっそりと霊に会うべきだ、と晃に告げる。
「それに、大勢で押しかけては恥ずかしがってしまいますしね」
「そうだね……」
雫達に気付かれないよう2人はそっと席を離れて夜の闇へ向かっていった。
■朽ち果てた教会で
丘の上にあったものは小さな墓地だった。闇に紛れて全貌は解らないが、墓地の奥に壊れた建物の残骸が見える。ゴミが無造作に捨てられ、なに者かに強引に折られた十字架がごろごろと転がっている様に、智恵美は小さく十字を切った。
「主よ……この地を荒らした哀れな者達をどうぞお許し下さい……」
「ひどい、落書きまでしてある……」
墓石になぐり書きされたスプレー文字を見つけ、晃は眉をひそめた。
「もしかしてあの桜のシスターは……」
と、人影に気付き、晃は顔をあげた。建物の入り口あたりにランタンを手にしたシスターの姿が見える。明かりに照らされた顔は雪のように白く、精気を全く感じられない。人である気配すら怪しく思えた。
彼女へすたすたと歩みよる晃を智恵美はあわてて引き戻した。
「……なにか?」
きょとんとした顔で晃は目を瞬かせる。口元を引きつらせながら智恵美は数歩離れた場所から声をかけるようにとさとした。
「この世ならざる者との話をしたいなら、驚かせないようにするのが大切でしょう?」
「……相手もこちらに気付いてるから大丈夫ですよ」
ほら、と晃は指差す。シスターは薄く微笑みながら、音もなく2人の元へと近付いてきていた。
ー ようやく話が出来る人が来て下さったようですね ー
シスターの声は直接2人の頭に響いてきた。たじろぎもせず、晃は彼女に話しかける。
「もしかして、あの桜の木にいたのは……ここを報せたかったためですか?」
数秒の間をおいて、シスターは小さく頷く。ランタンを墓地に掲げると、青白い炎が点々と石の上に灯り始めた。
ー 数か月前、ここにあった教会が心ない若者達に壊されてしまいました。彼らはこの地を集会所にし、ちょくちょくこの場所に集まってきました……そのためにこの地は荒れ、墓に眠っていた人々も目覚めてしまいはじめているのです…… ー
「私達にお手伝い出来ることはありますか?」
智恵美がそう言うと、炎がふわふわと漂いながら彼女の回りに集まってきた。
そっと掌を差し出すと炎はゆっくりと集まり、ひとつの塊となった。掌で踊る炎は不思議と熱くなく、触っているだけで心地よい暖かな気持ちが体中に広がっていった。
「……この方達の安住の地を……ということですね」
シスターはこくりと頷き、闇にゆっくりと溶けていく。
ー どうか神の子達に安らかな眠りを……そして、あなた方に父と子と精霊のお導きがあらんことを ー
ざぁ……と春の夜風が廃墟の丘を駆けていった。もはや気配すら掻ききえたシスターが佇んでいた教会跡地を眺め、晃はぽつりと言う。
「あの人はここをずっと守っていたんですね」
「ええ、きっと……」
■撮影大会の結果
「うーん……上手く撮れたのはこれ1枚だけかー……」
机の上にたくさん並ぶ写真群を眺め、雫は眉をひそめた。どれも夜桜の写真としては充分な出来映えだ。しかし、ゴーストネットオフとしてふさわしい「不可思議現象のある写真」はたった数枚しか見つけられなかった。その中でも「噂のシスター」が写る写真は残念ながら1枚もない。
「まあいいか、ぼんやりと光る桜が撮れたんだし、何もないよりましだよね」
雫は早速写真をスキャニングし、HPのTOPにすべく画像加工を施していく。
「それにしても……この炎はなんだろう……」
丘の上にぽつりと輝く蒼い炎に雫は眉をひそめる。その傍らに人影が見えるような……
「ま、いいか。誰か書き込みで教えてくれるよね♪」
困った時は頼れる仲間にお願いするのが一番。そう思いながら、雫は軽やかにキーボードを叩いていった。
「よし、完成。送信っと♪」
おわり
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2390/隠岐・智恵美/女性/46/教会のシスター
2950/皆木・ 晃 /男性/17/高校生
パン喫茶「銀の月」アルバイト店員
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■ ライター通信 ■
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お待たせ致しました。「枝垂れ桜の伝説」をお届けします。
本州のソメイヨシノはもう散っちゃったかな。少し寂しい限りです。
ソメイヨシノは一気に花を咲かせるので、満開時はまさに見物といえるでしょうね。
>皆木様
ご参加有難うございました。見えないものが見えるのは良い時もあれば、悪い時もありますからね。今回はまさにさりげなく、力が良い結果を生み出せていたと思いますよ。
桜が散れば、いよいよ本格的に活動的になれる季節が到来です。
もう少し経てば、怪談本番の季節もやってきます。
それまでは心地よい風の中に咲きほこる花々や、ちょっとした不思議物語をお楽しみください。
それではまた別の物語でお会いしましょう
文章:谷口舞
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