|
ポチを探して
------<オープニング>--------------------------------------
「ペットを探してもらいたいんですよ」
ソファにゆったりと腰掛ける青年。銀髪との目が興味深そうに事務所内を見渡して、
「探偵ってそういう仕事ですよね?失せもの尋ね人何でも当たるとか」
「それは占い師の方では。…いやまあ、探し物や尋ね人は確かに承ってますが…ペットですか?」
足の長さが自慢なのかそれともソファが低いと言うジェスチャーなのか悠々と足を組んだ、マーカスと名乗った青年に更に嫌な顔をする草間武彦。
「ペット用品にありますよね。普通の紐じゃなくて、伸びるリードって。真似して作ってみたんですがね。どうも失敗作らしくて、伸びきったまま戻らなくなってしまって。だから、探して貰いたいと言っても彼とは繋がってはいます。行動範囲が少々広いですが」
武彦の、ペットを扱いたくない、という表情には気付かないのかそのまま話し始める男。ついその調子に釣り込まれて身を乗り出す。
「どの位?」
「私を中心に半径1キロというところですか」
「――は?」
青年は、にこにこと笑いながら手を差し出す。その手首に嵌っている鈍い銀のブレスレットが彼の言う『リード』の持ち手らしい。
「紐を手繰ればいいんでしょうけど、上手く行かなくて。かと言って私が紐を追いかけるとその分ポチが移動してしまうので…」
――やっぱり。
がくりと肩を落とす武彦。どうやらこの『飼い主』も普通と違うらしい。単に大法螺吹きという可能性もないではないが。
「姿は、そうですねえ。…茶トラの、猫に良く似ていますよ。ぱっと見気付かないでしょうね。しいて言えば足が6本付いてる位かな」
「いや…ちょっと待った」
武彦が相手の言葉を遮り、なんなんだ、その生き物は、と小声で呟く。
「え?だから、ポチですってば。私のペットですよ」
対する相手はあくまでにこやかに。
「あ。そうそう、早いうちに見つけ出さないと大変なことになるかもしれません」
「…というと?」
「彼の大好物がそこらに有りますのでね。これです」
ごそりと大きな紙袋を脇から取り出してテーブルの上に置く。ぷっくりと膨らんだ白い紙袋の中にぎっしり詰まっているものは、黒々とした…カツラ。いくつか取り出してみると全てストレートのロングヘアで。
「1日数人でお腹一杯になると思いますので、ついでにフォローもお願いします」
「大好物って…まさか」
ええ、と涼しげな顔を見せる男。
「髪の毛です」
「そんな他人事のように」
「ちょっと動きが素早いですけど、噛みませんし可愛いですよ。…えーと。後は…ああ、そうそう。マタタビで酔います」
あれは可愛いですよね〜、とややうっとりした表情で天井を見上げる男。
「猫みたいですね」
「ええ。そっくりだと思います」
足の数多すぎるけど。
「数日あればリードは直ると思いますが、なるべく早くお願いします」
にっこり、と楽しげな笑いを薄い唇に広げたマーカスは、事務所に居座るつもりなのかでんと構えたまま立ち上がる気配すら見せなかった。
------------------------------------------------------------
「……」
でんと構えている飼い主のマーカスを時折ちらちらと見ながら、ペット探しの手伝いをしてくれるメンバーに連絡を入れ、下準備をし…来るのを待つ間他の事務処理を続けているシュライン・エマ。
銀髪の青年は時折手首の銀の輪を細い指で神経質そうに弄りながら、んー、と困ったような声を上げてそれからふぅっ、と肩を竦め何かを諦めたような素振りを見せる。そして軽く手を上げ、
「すみませんが、お茶をもう一杯いただけますか」
まるでどこかの喫茶店にでもいるかのような気さくな調子で零に声をかけた。渋い顔をしている武彦には構わず、はーい、とすぐに返事をした零がマーカスの分だけでなく全員分のお茶を湯呑みに入れ運んで回る。
やがて時計をちらと見ながら書類を片付けると、そろそろ他の者が集まるだろうと自分の席を立った。
「お仕事は終わりですか?」
「いいえ。今度は調査員ですから」
我関せずとばかりにそっぽを向いている武彦に代わり、対面になるようにソファに座り。
「もうじき他の調査員も来ると思いますが、その前にいくつか質問宜しいですか」
「ええ、構いませんよ」
どうぞ、とにこにこ笑いながらマーカスが手を広げる。
「猫に似ていると聞きましたけど、ポチの鳴き声も…猫と一緒なんですか?」
そうですねえ、とマーカスが軽く何かを思い出すように首を捻り、軽く頷き。
「同じですね。別に吼えたりしませんしヒトの言葉も喋りません。喉を鳴らしたり鳴いたり甘えたりはしますが」
まるで膝の上にその猫が丸くなっているかのように、何もない空間を無意識にだろう、撫でるマーカス。その位置からして、言ったように普通の猫サイズを特に超えてはいなさそうだった。
「あと、首輪の類は?」
「そうでした。言うのを忘れていましたが、コレと同じ材質の銀の輪を嵌めています。顎の下に赤いリボンが付くように飾り付けて」
手首に付いている銀の輪を指で突付きながらマーカスが言い、それも特徴のひとつとしてメモを取った。
「さて…全員揃った所で始めましょうか」
今回は動き回ることが前提と見たか、皆身軽な格好で来ている。楽しげにその様子を見守っているマーカスは口出しせずににこにことしているだけで。
「――さっきから気になってるんだけど…なに?その視線は…」
その中で、緋玻がぽつりと呟く。はっと視線を外した3人がにこにこと笑い、
「綺麗な黒髪だなーって思っただけだよ。気にしない気にしない」
ぱたぱたと楽しげに手を振る光夜。
「食べでありそうだし」
続けてぼそりと口の中で呟く。――が、しっかりと耳に届いていたらしくひきつった笑みを向けた緋玻にこれまた満面の笑みで光夜が笑みを返した。
「…とまあ冗談はともかく、オレ、紐追っかけてみようと思ってるんだけど、他の皆は何処行くんだ?」
――紐?
確かにリードで繋がっているとは聞いているが、はっきりと目に見えるのは腕にある銀の輪だけ。だが、光夜は自信満々で。
「追いかけて行けばいいんだよなっ?簡単だよ」
にかっ、と歯を見せて笑いながら、何かが見えているかのように外へと視線を送る。成る程ね、と呟いた茉莉奈や緋玻も何かは感じ取っているらしい。光夜とは視点が違うからはっきり見えているわけではないようだが。
「紐を追うお手伝いなら出来ますけど?」
そう言って立ち上がりかけたマーカスを、皆が押し留めて椅子に座りなおさせる。
「にいちゃんが動いてどうすんだよ。紐がどんどん伸びてくだけじゃないか。…だから、この事務所から出てくるなよ?な?なっ?」
光夜が慌てたように押さえつけ、そして。
「地図、これでいいですか?」
「そうね。じゃあ、大体の範囲に丸を付けて、この中でまず行きそうな場所を見てみるとしましょ」
光夜に任せればいいかとすぐに手を離して地図とにらめっこを始める3人。にこにこと押さえられるままになっているマーカスの位置から何となく恨めしげに見る光夜の視線が、僅かに痛かった。
「――あ、いいこと思いついた。ねえ草間さん」
「却下だ」
自分の机から間髪入れずに言葉を返す武彦にえ〜〜〜〜〜、と唇を尖らせながら、
「いいじゃん、ちょっとくらいはさぁ。ひと房とかてっぺんだけとか後頭部とか剃り込みしたみたいにとか」
それでも言葉を続けるうちに楽しくなったのか悪戯っぽい笑みをにんまりと浮かべながら、
「髪切るお金浮くし、目立つ人になれるしいいこと尽くめだよ?」
「――そう言うことを言うのはどの口かしらね」
むにっ。
妙に静かな声と共に掴まれたのは両頬。そのままにゅぅ、っと伸ばされて行く。
「いでででででででっっ」
じたばたと暴れる光夜に構わず、手を離そうとしないシュラインの薄い笑みは、凍りつきそうな瞳と相まって周囲の動きを止めてしまうほどだった。
少し柔らかさを増した光夜の頬は放って置いて地図を調べている2人の傍へ戻る。カツラを借りてかぽっと被っている茉莉奈が顔を上げ、範囲内と思しき円の中数箇所にマーカーで印を付けたことを告げた。
「私が知ってるのはだいたいこの辺かなぁ」
駅周辺と大きな住宅街に、点々と記されたのは美容院の位置。ふんふん、と頷いてシュラインや緋玻も自分が知っている位置を印付け補って行く。
「後は…長い髪の人が多い場所って言うとどの辺かしら」
「――あっ」
小さく声を上げた茉莉奈に、2人の視線が向く。茉莉奈は2人に見せるようにマーカーで一部の地区をぐるぐるとペンで丸く囲い、
「この辺って…確か私立の女子高がなかった?校則厳しいって噂の」
――ああ。
シュラインと緋玻が納得したようにこくっと頷く。
「それじゃあ、其処も範囲に入れるとして…やっぱり広いわね。手分けしましょう」」
仕事の邪魔になるので滅多にやらないのだが、結わえていた髪を解いてさらさらと梳いたシュラインが地図を大まかに3等分する。やっぱり囮なのね、と呟いた緋玻は自分の艶のある黒髪をそっと手に取って見つめていた。
「基本は中心部から。細かく連絡は取り合うこと、それから…被害者が出ているかもしれないから、そういう情報を見聞きしたら全員に連絡しましょう。それと――ねえ、あんたもカツラ持って行く?」
「パース。オレは追っかけ専門ってことで。じゃっ」
早速と街中へ繰り出していった光夜に元気いいわねえ、と呟いて、残る3人は分担する位置を決めた。但し、深追いはしないこと、すぐに連絡を付けること、を話し合って。
「いい天気なのは救いね。…日向ぼっこしてるかしら」
普通の猫ならありえるだろう、外で日向ぼっこしながらぬくぬくと昼寝している様子を思い浮かべながら、3人は事務所の入り口で3手に別れた。
------------------------------------------------------------
バッグの中のマタタビスプレーを時折探って確認しながら、駅前の美容院周辺をさりげなく歩き回る。散々歩き回るのを予想すればもっと踵の低いパンプスでも良かったかな、そんなことを思いながら。
春先、それも入学式や新人が増えた事の関係だろうか、それとも春めいた季節になるとやってみたくなるのか、駅前数箇所にあるそこそこ大きな美容院は何処も人で埋まっていた。明るい色合いの服が咲き乱れているような、まさに春の風景を見てどこか微笑ましく感じてしまう。其処に、
「――通り魔――」
「春ってこれだから…」
すれ違ったこれまた春めいた姿の女性2人がしきりとある方向を見ながら通り過ぎていくのが分かり、ふと耳にしたその言葉に眉を潜めて2人を振り返った。
通り魔。
春先にはまた色々なものが増えるというがこれもひとつの風物詩なのだろうか。――だが、何か引っかかる。
それはカンでしかなかった。
2人が見つめていた方向へと足を向け、やや早足で歩を進める。
行った先では――パトカーが止まっていた。怖さよりも興味が先に立っている顔をした数人が固まって話をする中、パトカーの傍で警官相手に呆然としながらあちこちを指さしている女性の姿が見える。…首の下辺りでシャギーをかけたようにやや乱れを見せている髪を指先で摘んでは違和感があるようにつんつんと引張り。
「服や顔じゃなくて良かったんじゃないの?…髪だけなら」
「でもそれって顔を狙って髪を切られたって言う事も有り得るわよ」
怖いわねぇ、そう言う顔は好奇心に輝いている。そういう心の動きは仕方ないとは言え…と苦い笑いを浮かべながらその女性たちに近寄って行き、此方も好奇心をわざと顔に出して、
「あの…何かあったんですか?」
パトカーの方へと視線をちらちらと向けて見せた。
「あったのよぉ。あの子ね、さっき凄い悲鳴を上げてたのよ。髪をばっさり切り取られたんですって」
その言葉を聞いて思わず自分の髪を押さえつつ、その被害者の女性の足元に視線を落とす。――通常の髪切りならば、残骸が残っているのではないか、と。だが。
「…髪が落ちてない…」
「犯人が持ち去ったんじゃないかって、警察は言ってるわ。あたし達も色々聞かれたんだけどねぇ。被害者のあの子がいきなり背後から襲われて気付いたら髪が無かった、って言ってるから…」
あなたも気をつけたほうがいいわよ、とシュラインの黒髪にじろじろと無遠慮な視線を向けながら言う女性達に曖昧な笑みを返して小さく頭を下げ、その場から今度は別の方向へと移動した。『犯人』が何処へ行ったか見ていない以上、カンを頼りに動くしかない。
「――それらしい被害が1件。もう警察が来てるから結構前のことみたいよ。通り魔ってことになってるわ」
警察が居る目の前でまさかカツラも渡せず、カツカツと足早にその場を去りながら他の場所に居る3人へ連絡を入れる。他の3人は今のところ情報は無いらしい。光夜に至っては紐が縦横無尽に駆け巡っているせいでなかなか先へ進めないらしく、それが不満なのか声はあまり芳しいものではなかった。
「――ちょっと良いですか」
きょろきょろと辺りを見回しているシュラインの背後から声がかかる。
「何ですか?」
振り返った其処に居たのは、先程見かけたのとは違う警官の姿。
「この辺りで不審人物を見かけませんでしたか」
「…不審人物?」
不思議そうに聞き返したシュラインに、ええ、と警官が頷き、
「若い女性ばかりを狙った髪切りがいるらしいので。貴女も気をつけてくださいね」
「あの」
「なんですか」
「…それってどの辺で起きているのか、分かります?」
警官がうぅん、と小さく声を上げる。
「この近辺としか言いようがないですね。…この辺りに用が無ければ、大通りの側に行った方がいいですよ」
『犯人』が目的の『猫』だったとしたら、不審人物には該当しないから例え傍を通った所で見逃されてしまうだろう。困ったわね、と思いながらも警官に礼を言ってその場を足早に離れて行きながら、他の3人に連絡を入れる。
シュラインの居る位置の近辺を重点的に、ということで紐を追いかけている光夜以外の茉莉奈と緋玻がそれぞれ場所を移動していく。
------------------------------------------------------------
『居た!いましたよぉ、猫がっ』
第一報は茉莉奈からだった。走りながら電話をしているせいか声が途切れ途切れで場所は良く分からない。
『ああん、怖かったぁぁ…ありがとう、緋玻さん』
『こっちも危なかったけれどね…』
「あら、合流してたの?」
『襲われそうになったのを助けてもらったんです。今は姿隠しちゃったけど』
場所を教えて、とシュラインが告げ、位置を調べながら移動していく。
2人はそれ程遠い場所にはいなかった。やはり被害が現れたすぐ近くでのことだったらしく、やや乱れた髪の緋玻とばさばさになった茉莉奈が軽くブラッシングをして整えている所へシュラインが合流した。
「どう?…大丈夫だったみたいね」
「なんとか食べられずには済んだけど、逃げられちゃった…」
「深追いして被害に遭っても仕方ないわ。――そう言えばあの子はどこまで辿れたのかしら」
緋玻が携帯を取り出し、光夜に連絡を入れようとボタンを押した――すると。
何処からともなく、特撮ヒーロー物のメロディが陽気に聞こえて来る。
「…あれかな?」
「そうみたいね」
「間違いないわね」
くすくすと笑う3人、そして本人が出たらしく緋玻が電話を耳に当てた。
「…そう、じゃあこっちは牽制しつつ待ってるわ。――中々手が出しづらくて、ね」
ぱちんと携帯を折りたたんで2人へと向き直り、
「すぐ近くにいるみたいよ」
そう告げる。
後は、本体を見つけるだけ、と顔を見合わせながら。
「居た…あそこ」
光夜に見えている筈の『紐』の姿が、シュライン達の目にも見える。その紐の先にいるのは一匹の猫。
それなりに満足したのだろうか、尻尾をゆらゆらと揺らしながら塀の上で丸くなる茶トラの姿が見えた。
にゃぁぅ。
大きさにして、大人の猫程だろうか。ぬくぬくと日に当たっている様子は、端から見ても眠気を誘う。
ふあぁ、と大きく欠伸をしたその猫は、ごろごろと喉を鳴らしながら身体をもぞもぞと動かし、また寝に入っていく。
ごくありふれた、日常風景に見える。
―――塀の両脇から少しはみ出ている多すぎる足さえなければ。
「…モノレールみたい」
塀を抱えるように置いてある足を見て、緋玻がぽつりとそんなことを呟いた。
「よおぉおっし、発見っ!」
突然。
がさっ!と茂みを掻き分けた中から飛び出した光夜がその勢いで下から飛びつき、猫を掬い上げようと動いた――が。
にゃっ!?
いきなりの声の大きさに驚いたか、飛び上がった猫がバランスを崩し、手近なモノ、つまり光夜の頭にでんっと飛びついてしっかりと顔を覆うように抱きしめた。落ちるのが怖いのか爪を立てながら。
「うあっっ!?何コレ、何だコレっっ!?いて、いてててててっっ」
むにぃっと両手で思い切り掴んで引き離そうとする光夜と、その力に却って引き離されまいとしっかとしがみ付く『猫』。
突然のことに呆然とする3人がいることにも気付かず――と言うより見えていないようで。
「…あ…」
小さく声を上げた茉莉奈が指摘するまでもなく、あんぐりと口を開けた猫が何やら仕返しのように光夜の頭へ――正確には髪へなのだろうが、噛み付こうとするのが見えた。
「っ、この…っ!」
前足の付け根をそれぞれ引き剥がしたその瞬間。
ぶちぶちぶちッ。
「痛え――――っっ!?」
叫び様にぽいっとその塊を何処かに投げつけて額を押さえた。
「きゃ…っ、わ、わ…っっ」
額を押さえる光夜の向こうで、投げた『猫』をなんとかキャッチした茉莉奈がじたばたと暴れるそれを腕の中に押さえつけていた。
ぎにゃーーーーー!
うにゃ、にゃにゃ、にゃーーーーー!
ぺしぺしぺしぺしっ!
――大容量ねこぱんちに茉莉奈が怯む様子は無い。良く見れば爪を立てていないのだから、当たり前だろうが、顔にしがみ付かれた光夜が乱れた髪を手ぐしで掻き上げながらなにやら複雑な表情を浮かべている。
「お、大人しくしようよ、ね?」
話し掛ける茉莉奈にちらっと視線は向けるものの、じたばたくねくねと暴れる様子に変化は無い。しかも横腹から突き出ている2本の足を上手く使ってするすると腕からすり抜けようとするからまるでウナギのように掴み所がなくなってしまう。
「きゃーっ、何とかしてーっっ」
必死で格闘している茉莉奈だが、その外から掴む訳にもいかず茉莉奈ごと網にかけることも出来ず、おろおろと『紐』を掴んだままその周りを回り続ける光夜。そこに、
「どいて」
ぷしゅっ、とポチの鼻面目がけてシュラインが香水のようなものを振りまいた。
瞬間。
くたん、と背骨がないかのように猫が柔らかく茉莉奈の腕の中で身体を反り返らせた。
「えっ、え、え?」
慌てて3人を見る茉莉奈。
な〜ぁぅ。
その足元でも妙な声を上げた黒猫が、ふらふらと動き、身体を押し付け、そしてごろんとひっくり返る。
「…マタタビよ」
小さな容器を振りながらシュラインが言い。そして緋玻も持ち歩いていたらしい粉をくにゃくにゃと茉莉奈の腕の中で踊っている猫の顔に近づける。――ますます酔いが深くなるポチ。
なうぅぅん…
うるうる、つぶらな瞳で見上げる『猫』。
…茉莉奈の腕に、6本の足でがしがしとしがみついて。あぐあぐと痛みの無い力で手を噛みながら、時々誰か分からない相手に向ってねこぱんちを繰り出している。後ろ足の2本は普通の猫と同じく蹴り足らしく、脇腹から出ている足と前足の4本が『手』のような役割になっているようだった。
「6本ってやっぱり虫?」
「そんなこと言ったら8本は蜘蛛になっちゃうわ。糸吐かれても困るし」
「糸吐いたら面白いのになぁ」
「うぅ…マールも下で襲ってるし…」
嘆く茉莉奈の足元でぺしぺしと茉莉奈の足を攻撃している黒猫をシュラインがひょいっと抱え上げ。
「はい。交換しましょ」
ぽってり重い茶トラと黒猫を交換し、楽しそうにうにゃうにゃと呟き続けている猫を抱きしめた。
------------------------------------------------------------
「本当に猫そっくりなんですね。…動いたり、お腹見せればばれちゃうけど」
光夜が持ってきた猫じゃらしに飛びついている『猫』達の動きに目を細める零。茉莉奈のマールと一緒になってぱたぱた揺れるそれに目を輝かせながらじゃれ付く様子は常の猫と変わらない。終いにはマールと猫じゃらしの奪い合いになりごろごろと事務所内を転げ回る。
その様子をくすくす笑いながら見つめている皆と、毛が飛ぶとかなんとかぶつぶつ呟きながらも嫌いではないのか猫の動きに何度も目を向ける武彦。
そして、手首の輪をかちゃかちゃ弄っていたマーカスがふぅっと息を吐いて小さく笑みを浮かべ、かちりと今までにない音を立てた腕輪を猫へと向ける――と、
にゃう?
何かに引張られるかのようにポチが腹を上に向けたままずるずると床を滑り、そしてマーカスの足元へと行くとぴたりと止まり、そしてしたんっと身体をひっくり返して体勢を整える。
「応急処置はこんな感じでしょうか」
言いながら、足元に来たポチを抱き上げるマーカス。
「全く、心配ばかりかけるんだから。ほら帰るよポチ」
なう〜
甘えた声でごろごろと喉を鳴らしつつ、ぺたぺたとよじ登っていたそれが青年の腕に抱えられて丸くなった。腕の中に抱えられると安心するのか、頭をすりすりと擦りつけて小さく鳴く。
「お世話になりました。このお礼は改めて」
余ったカツラの入った紙袋を手に、にこりと笑った青年が事務所を出て行った。
------------------------------------------------------------
「ちょっと…これ、見た?」
春の特集を組んでいる女性誌をぽんと事務所の机に置いたシュラインが呆れたような、納得したような複雑な笑みを浮かべて、暇潰しと次の依頼探しを兼ねて遊びに来ていた皆へ開くよう言う。
「えーと…『特集―話題のカリスマ美容師、マーカス・クレイマンさん』」
顔を横から突っ込む光夜に構わず見出しを読み上げた茉莉奈がええっ、と小さく声を上げ。
「ぶ」
煙草の煙にむせた武彦がけほけほと咳をし、零が興味深そうにその記事を覗き込んだ。
「まあ。あの時の人ですね」
膝の上にふっさりとした毛並みの猫を――ポチでは無かったが――乗せ、柔らかな笑顔でいる青年。
「美容師の資格持ってたんだ」
「と言う事は…もしかして、あのペットって」
皆が顔を見合わせる。
「…ゴミ処理用…?」
雑誌記者はさかんに美容院の綺麗さを褒め称えていたが、それも尤もな話だろう。
そしてその更に数日後、丁寧な言葉を綴った手紙、そして小切手と共に送られてきた『優先予約・無料チケット』と手書きで書かれた数枚綴りの紙には、いくつもの肉球スタンプが押されていた。それぞれのスタンプの下には、名前らしい『ポチ』『カメ』『ハナ』の文字が楽しげに踊っていた。
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ/女性/ 26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1270/御崎・光夜 /男性/ 12/小学生(陰陽師) 】
【1421/楠木・茉莉奈 /女性/ 16/高校生(魔女っ子) 】
【2240/田中・緋玻 /女性/900/翻訳家 】
NPC
草間武彦
零
マーカス・クレイマン
ポチ
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
お待たせしました。「ポチを探して」をお届けします。
春の陽気に誘われて、つい迷子になってしまった『猫』のポチ。飼い主もペットも一筋縄では行かなさそうですが…。
ひとまずは無事に元の住処へと戻って行くことが出来たようです。
残り2匹も名前だけは出て来ていますが、一匹は白のチンチラ(風)、もう一匹はシャム猫に良く似ています。彼の店の従業員も皆銀髪に青い目、という不思議な世界みたいですが、腕も会話のスキルも良いので評判は良いようです。
とまあ、使うことの無かった設定を書き出してみました。もしかしたらまた別の話で使うことがあるかもしれませんが…。
ともあれ、今回の参加ありがとうございました。
また、別の機会にお会い出来ることを楽しみにしています。
間垣久実
|
|
|