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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


『第一話 スノーホワイト ― 人間に恋をした雪娘の物語 ― 』

 しんしんと雪が降る世界の中で彼女は公園のブランコに座って一面の銀世界を見つめていました。
 身も凍るような寒さの中でだけど彼女がとても小さく見えるようなのは決して寒さのせいではないのは彼女の心に咲く花を見る事ができるその人にはわかっていました。
 その人の名は白。人の心に咲く花を見る事ができる樹木の医者。
「こんにちは」
 突然、声をかけてきた白に彼女は怯えたような表情をしました。その怯えは突然に見知らぬ者に声をかけられた怯えではなく、何か人に言えぬ失敗などをしてしまった子どもがそれが知られてしまうのが怖くって隠れていたのだけど、しかし親に見つかってしまったかのようなそんな感じ。
 そんな彼女に白は周りの世界を染める色と同じような銀色の髪の下にある顔にやさしい表情を浮かべました。
 やわらかに細められた青い色の瞳に彼女は何かを感じたようで、その怯えを少しだけ和らげたのです。だけど白がした事といえば・・・
「これは?」
 彼女は白から渡された花を見つめながら抑揚のない声を出しました。白はやさしく微笑んで言葉を紡ぎます。
「その花はスノードロップと言うのですよ。花言葉は【希望】。冷たい雪に優しくした花。故に雪の世界でも咲ける花。世界で一番強い想いは優しさなのだと想います。だからどうか希望を捨てないで。そう、世界の扉は開くから」
 彼女は白に渡されたスノードロップを見つめながら呟きました。
「希望…やさしさ……だけど、私は………」
 辛そうに口をつぐんだ彼女。そして彼女が手の中のスノードロップから顔をあげると、だけどもうそこには白はいませんでした。
 もう一度彼女は「スノードロップ」と呟き、
 ――――そして世界に舞う雪がいよいよ激しくなり、異界の東京はより深い雪に沈んでいきます。


 この銀世界でスノードロップと言えども咲く事はできるのだろうか?


 この物語は12月24日の東京が始まりなのです。
 しんしんと白い雪が降る夜に東京に一人の雪の精が舞い降りました。
「ああ、なんて今夜は世界が愛に溢れているのでしょう」
 雪の精は東京の夜に溢れる愛にうっとりと眼を細めて楽しそうにワルツを踊りながら歌うと、戯れに雪人形を創りました。
 純粋な雪の結晶を集めた雪人形を。
 そうして雪の精は朝日が昇る頃、ひとつの雪人形を東京の街に残して、雪の世界に帰って行きました。
 だけど雪の精は知らなかったのです。戯れに造ったその人形に命が宿っていたのを。
 雪人形は朝日が昇ると同時に瞼を開きました。銀色の髪に、剃刀色の瞳。雪のように白い肌。白のワンピースドレスに白のロングコートに白のブーツ。
 初めて見る世界に彼女は喜び、母親が自分を創ったように小さな雪だるまや雪うさぎを作りました。
 そんな彼女の前で新聞配達をしていた男が雪に滑って転び、そしてその光景にきょとんとした彼女はくすくすと笑い、その出会いは当然のように恋へと変わりました。
「名前は?」
「………小雪。小雪です」
「小雪か」
 雪のように白い君にぴったりの名前だね、と彼は優しく微笑みました。
 男は新聞配達の青年で、御堂秋人と言う名前でした。
 だけど季節は無常にも過ぎていきます。東京の街は冬から春に………。
「大丈夫? 最近、顔色がすごく悪い」
「あ、うん。平気だから」
 平気な訳はありません。彼女は雪人形なのですから。

 別れたくない。彼と別れたくない……

 小雪は心の奥底からそう想い、だから東京を永遠の雪の世界にしてしまいました。永遠に彼と一緒にいられるように。


 そう、ここはとある作家が書いたその物語に縛られた世界なのです。
 この物語に縛られた東京に住む人々は苦しんでいます。
 そして本当は彼女も…。
 私、白亜は泣きながら東京に雪を降らせる彼女を救いたいと想います。
 ああ、だけど深い雪に閉ざされて彼女も彼も不幸にしかならないこの物語に縛られた世界で私も、そして物語を書き換える力を持つカウナーツさんもどうする事もできません。

「だからお願いします。この物語のラストをあなたのイマジネーションと能力で書き換えてください。あなたがイマジネーションした物語をカウナーツさんが書きます。それとあなたの能力が加わればこの物語は変わるのです。どうか、この物語をハッピーエンドにしてください」

 ******
「くすくす。バカな娘。自分とカウナーツがこの【悪夢のように暗鬱なる世界】でどうしてあえて一欠けらの真実を渡されているのかまだわからないのだね。くすくす。さあ、おいで。そのために私は扉を用意したのだから。だけどね、これだけはお聞き。物語を書き換えようとするのならば、自分が書き換えられる事を拒む物語の修正能力に襲われる覚悟をするのだよ。覚悟ができたのなら、扉を開けてやっておいで。私の知らぬ私の物語の新たなる登場人物たち。くすくすくす」


【第一幕 綾瀬まあや】

 満月の優しい明かりが豊かな夜、竹林を渡る風が静かな音色を奏でていく。
 伝統的な日本家屋の古い木造の家である我が家の縁側に座る私を夜空にある月は優しく照らしてくれていた。
 その月明かりを浴びながら私は今宵、完成したばかりの人形に最後の仕上げとして命を吹き込む。
 正座して座る私の前でちょこんと平安時代の貴族の姫かのような雅な人形が一体座っている。それが私が作り上げ、そして今から命を吹き込む人形だ。
 満月の明かり。
 古の日本の神話で語られる月の神は、かつてこの世界に住む人を…命を生み出し、育んだという。ならばその明かりにもその力の欠片もあろうものなのか?
 その人形は立ち上がり、右手に持つ扇を開くと、縁側を舞台に艶やかな舞を披露し始めた。演目はこの人形を作ろうと想ったきっかけである能の【桜老翁記】だ。
 竹林を渡る静かな風が奏者となって奏でる音色はその幽玄雅な舞いにひどくあっていた。また月の明かりも絶妙。まさしくその人形は桜の精の結晶を寄せ集めて作られたというその物語に出てくる姫の化身に相応しき舞を私に披露してくれる。
 だが私はその舞を踊る人形を動かす私の能力という見えぬ糸をすーっと引いた。生きているかのように軽やかな動きを見せていた人形は、まるで糸が切れたようにその場にちょこんと座り込む。それは虫がどこか遠慮したようにその鳴き声をトーンダウンさせたのと同時であった。
「あら、もう終わりなの?」
 さぁーっと通り抜けた風に今までよりも一際大きく音色を奏でた竹林の奥から出てきた影がひとつ。
 しかしその影の人物が夜空にあった月の明かりに照りだされる事はなかった。なぜならその月もまた雲に隠されてしまったからだ。
 涼やかな竹林の音の中で夜の闇の帳の向こうから現れたのは果たして……
「こんばんは、羽月君」
 闇の中から視認できる位置までやってきたのは漆黒の髪と紫暗の瞳が印象的な少女。その髪に縁取られた硝子細工かのような顔に彼女は笑みを浮かべる。
 縁側の床板の上にちょこんと座った人形を伸ばした両手で抱き上げた私は黒の前髪の奥にある蒼い瞳をその彼女に向けて、わずかに頭を下げた。笑みを浮かべて。
 私は藤野羽月。普段は無口無表情な我なれど、しかし唯一心を許した者にはこんな風に笑みを見せることもある。だがしかし心を許したと言ってもこの人は少々…いや、たいそう……
「こんばんは、綾瀬さん。それにしても……せっかく今宵は月が綺麗だったというのに」
 その私の言いように、彼女、綾瀬まあやはおどけたように軽く肩をすくめた。
「あら、月が雲に隠れたのはあたしのせい?」
「ええ。貴女は闇のお人だから」
 気だるげに彼女は右手の人差し指で前髪を掻きあげながら肩をすくめた。
 そして縁側まで歩いていき、そこに腰を下ろして、両手を私に向ける。
 私は心得ているようにその手に人形を抱かせた。
「綺麗な人形。今回は何をテーマに作ったのかしら?」
 うっとりとしたように彼女は紫暗の瞳を細めてそう感想を述べる。
「『桜老翁記』に出てくる姫です」
「ああ、桜の精の結晶を集めて作られた姫ね」
 そこで綾瀬さんはどこか意味ありげに笑った。
 その笑みを見て、私はわずかながらに目を細めた。そして小さくため息を吐く。
「やはり、何かあったのですね? 面倒事が。だから私の下に貴女は来た」
 その言葉に彼女は心外そうな表情をしてみせた。しかし、主演女優賞ものの演技とは程遠いひどくわざとらしいその表情。私はもう一度ため息を吐き、綾瀬さんはくっくっくと笑う。
 涼やかなる竹林の音。それは静謐な夜を物語るに相応しい調べなれど、ふいにそれが止んだ。
 私は15という歳の割には醒めた瞳だと言われる蒼い瞳で綾瀬さんを見るものだが、こちらはこちらで開き直ったようににたにたと笑っているだけ。邪気の無い純粋無垢な笑み。だからこそ、見る者の心にどこか居心地悪さを抱かせる笑み。
 自然界には音が満ちている。完全なるしじまは無い。だが、その在りえぬはずの無音の世界が出来上がった。深い深いしじま。すべての音は藤野家の庭に先刻下りた闇よりも昏い闇の帳にすべて吸い込まれてしまいそうだ。そしてそれは決して気のせいではないのだろう。
 なぜならその自然界にはありえぬ深いしじまは藤野家の庭に夜の闇から浮き上がるようにして突然その大きな扉が現れた瞬間に生まれたのだから。
 そのしじまはこの瞬間のためか? 扉が開いていくと同時に蝶番が詠う歌。それはまるで死霊が奏でる鎮魂歌かのように私の耳には届いた。
 そしてその開いていく扉の蝶番が奏でる音に合わせてだぼだぼの服を着た門番がしゃべる。
「物語を紡げる御方を探しております。もしもよろしければ、この扉より来て下さい」
 綾瀬さんは手に持つ人形を縁側に丁寧に座らせると、立ち上がった。そして腰まである髪とスカートの裾を軽やかに翻らせてワルツを踊るように振り返ると、片方の手を腰にあてて傾げた顔にひどく悪戯っぽい表情を浮かべて、私に言う。
「あたしは行くわ。面白そうだから。あなたはどうする?」
 どうするも……こうするも………
(これは完全に確信犯なのではないのか?)
 私はため息を吐き、そして部屋の奥から縁側にとことことと歩いてきた人形、烙赦を両腕で抱いて立ち上がった。
「やれやれ。動かねばならぬ、か。それにしてもやはり、貴女は難儀なお人だ」
 彼女はにこりと笑った。


【第二幕 白亜】

 扉をくぐるとそこは、奇怪な事にもどこかの部屋に繋がっていた。
 その部屋はどこを見回しても本だらけ。いくつもの本の塔ができあがっており、迂闊に歩いて振動を起こせば雪崩が起きて本に埋もれてしまいそうだ。
「すごい本の数でしょう?」
 ふふんとどこか得意げに笑いながら彼女が言う。
「やはり、確信犯だったのですね?」
「だから羽月君って好きよ」
 悪意の無い笑み。だけどその腹の中はいったい何色だろうか? 私の脳裏にはありありとその色の名前が浮かぶ。
 私の手にある人形が瞼を開く。緋色の瞳に本の塔を映したその人形は、軽やかな動きで私の手から肩へと舞い飛んだ。そしてその左肩が指定席だと言わんばかりに慣れた感じでそこにちょこんと腰を下ろして、わずかながらにずれた烏帽子を両手で直す。
 手が空いた私は、本の塔のひとつ、その頂上にある本を一冊手に取って、開いてみた。私の肩に乗る人形、烙赦も私が開くその本のページを覗き込むのだが、継いで小首を傾げさせた。緋色の瞳を瞬かせる。実はそこにはただ余白のページがあるだけで、物語は書き綴られてはいないのだ。随分と不思議な本。
 私は綾瀬さんを見た。彼女はどうやら前からここを…これから起こる事を知っているようだから、きっとこの本がこういう本である理由も知っているはず。だけど彼女はただにたにたと笑うばかりで何も言わない。
 そして私もその彼女から視線を逸らし、手に取った本を、塔を崩してしまわぬように慎重に置くだけで、口は開かなかった。
 ―――別に彼女に訊く事が嫌な訳であったり、気分を害して怒っている訳でもない。また私が普段から無用な口は利かないからでもなく、その理由は実に簡単で、偏に綾瀬まあやという人なりを私はよく知っているからである。
 彼女が説明をしようとしないのは言ってもしょうがない事なのか、それとも彼女が説明せずともその内わかる事なのか、いずれにしろそのどちらかなのだ。だから私は彼女に何も訊かなかった。ただ私の肩に座る烙赦はその緋色の瞳で綾瀬さんをじっと見つめながら銀色の髪を揺らしてちょこんと小首を傾げたが。
 そしてその烙赦に応えるかのようにふわりと私の前にひとりの少女が現れた。半透明のとても儚い感じのする…どこかかげろうを見る者に連想させる少女。
「こんにちは、白亜。今回は助っ人を呼んで来た。闇のあたしには今回の物語はひどくイマジネーションし辛い。だから今回のあたしは彼のバックアップ。それでいい?」
 白亜、と、綾瀬さんに呼ばれたかげろうのような少女はこくりと頷いた。
 私は自分の前にある空間に浮かぶ少女を見据える。その私の雰囲気に少女は少し呑まれたのか、小さく開けた口ではっと息を呑む。しかし烙赦がそんな彼女を気遣うように緋色の瞳を細めたので、それに救われたかのように白亜さんはぽつりぽつりと幼い子どものように語った。今回の物語を。これから私にどうしてもらいたいのかを。そしてそれに対して起こるこの物語に縛られた街での弊害…ルールを。
 そして説明し終えて唇を閉ざす白亜さん。
 そこで初めて私は、口を開いた。
「ふむ。……雪で閉ざした結末をどうにかせよと貴女は仰る訳か。……だが、これが彼女の願いなら良いのではないか、これで? 雪に閉ざされた世界だから彼女と彼は一緒にいられる」
 私の肩で烙赦も頷いた。
 白亜さんはその言葉に体を小さく震わせる。
 そして助けを求めるような感じで綾瀬さんを見るものだが、しかし彼女は助け舟を出さなかった。ただにこりと目を細めて笑うのみ。まるでこの私の口から紡がれる言葉の続きを彼女は知っているようだ。やれやれ。
 ―――そんな想いに包まれながら私は口を開いた。
「しかし一緒にいられるという事と、幸せであるという事とが必ずしも均等であるとは限らない。雪娘は彼と一緒にいられるからこそ苦しんでいる。それが幸せの代償とは言え、確かにそれではあまりにも彼女が悲しすぎるか」そこで、私はどこか遠くの物を見るかのように目を細めて小さくくすっと笑った。「雪娘、か。懐かしい寓話だ。従姉妹が大好きで私によく読んでくれた。ふっ、だが今はここでこのような事を言っていても詮無き事か? ならば、私がイマジネーションしよう。この二人の物語の結末を」
 私は瞼を閉じ、物語をイマジネーションする。そして再び私が瞼を開いた時、私の前に広がる空間には私がイマジネーションした物語が紡がれている。そしてそれは私の前にいる白亜さんの両の手の平の上に集まり、それは蝶へと姿を変えた。その蝶が羽ばたいていく先は絶えず何かを書き綴る音色が聞こえてくる本の塔の向こう。
「これで良いのだな?」
「はい。これでラストはカウナーツさんによって書き換えられます。だけどそこに到達するまでの物語は…」
 何かを言い募ろうとして、しかし申し訳無さそうに口をつぐんでしまったその理由は容易に想像できた。それは偏にこの世界の法則が過酷であるから。彼女は数知れない人たちを見送ってきたのだろう。だけどその誰もが無事に物語を完全に書き換えられた訳ではないという。それがあの扉の門番の名前が【冥府】である由縁。
 私は手を伸ばす。白亜さんの頭に。半透明の彼女。しかしその感触も温もりも確かにあった。私はそれを感じた。私は彼女に微笑む。
「大丈夫。私はここに必ず戻ってくる。物語を書き換えて」
 私はそう彼女にゆびきりげんまんをして、契りを交わした。


【小休止】

「冥府。また連れてきてくれたのだね。私の知らぬ私の物語の登場人物たちを」
 ひらひらと蝶が飛んでくる。
 その蝶は虚空で弾けて消えて、そしてその蝶が弾けて消えた空間ではイマジネーションされた物語のラストが書き綴られている。
「ふんふん。なるほど。これが書き換えられた物語のラストかい。面白いね。だけどね、どんなに面白い物語のラストでも、そこに到達するまでの物語を書き綴れなければ台無しだよ? さて、おまえに果たしてそこまでの物語を書き綴れるかね。ほら、物語の修正能力が働いた。これからおまえがその行動で書き綴ってくれる物語。楽しみにしてるよ、私の知らぬ私の物語の新しい登場人物、藤野羽月」


【第三幕 かの雪女】


 わたしは試してみたかったのだ、あの男の愛を。


 わたしは雪女。かつてわたしは深い雪に一年のほぼ半分を閉ざされている村で、ひとりの人間の男と夫婦となって、家庭を築き上げた。
 それはとても心楽しく、落ち着く場所で、そして幸せな場所であった。
 旦那となった男をわたしは心の奥底から愛していた。


 ただただわたしは人間の女の真似事をして、その男を愛した。


 だけどわたしの胸の中にはいつもこんな疑問があった。
 ―――ある雪の深い晩に、突然尋ねてきて、わたしをあなたの嫁にしてください、と言ったこのわたしを快く嫁にしてくれたこの男は果たしてどれほどまでにわたしを愛してくれているのだろうか? と。


 そう、彼とわたしの出会いとはそう言う出会い。ただしそれは人の女のふりをしたわたしと彼の出会い。本当の二人の出会いは……


 それはある雪がしんしんと降る夜だった。
 その日の晩はひどく雪が深く、寒かった。
 わたしは温かいごはんと味噌汁、それに焼いた魚に煮物を用意して、夫を待っていた。それはとても幸せで、そしてほんの少し心淋しい時間。
 そうしてようやっと帰ってきた旦那。
 わたしはその彼の頭や肩につもる雪を払いながら、こう言うのだ、
「お帰りなさい、あなた」
「ああ、ただいま」
 夫はいつもそうやって優しく微笑んでくれる。そしてその笑みにいつもわたしの左胸にほんのりと灯る光はその温かさを増させるのだ。


 ああ、愛しい男。本当にあの時に殺してしまわなくってよかった。
 ―――わたしはあの夜にあなたの父親を殺した雪女。だけどわたしはあなたを見た瞬間にあなたをとても愛おしいと想ってしまった。だから制約と誓約による雪女の魔法をあなたと成約した。


『いいかい? わたしの事は誰にも言ってはダメだよ?』


 と。
 そうしてその誓約が守られているから、わたしはこの夫の側にいられて、この夫をただひたすら愛する事が出来る。
 無償の愛。ただ愛せるだけでいい。この男がどうして身も知らぬ…突然尋ねてきたわたしを妻にしてくれたのかだなんてどうでもいい。そう、ただこの男の側にいられればわたしは何もいらぬ。
 ―――そう、そう想っていたのに………


「こういう雪の深い夜は思い出す。父上が死んでしまった日の夜を」


 息が止まった。
 ―――やめて。言わないで。それ以上は何も言わないで。心がそう悲鳴をあげる。だけどそう想う一方で、


「なんです、それは? お父上様が亡くなられた夜に何かがあったのですか?」


 そう訊いてしまったのは知りたかったから……。
 ―――この男の本当の想いを。
 そして今でも自分の父親を殺したわたしを憎んでいるのかを。


「ああ、こういう雪が深い夜の晩に俺の父親は殺された」


 殺された……その言葉にわたしは震える。
 ―――罪の意識ではない。人間が平気で動物を殺すように、わたしもわたしと同族ではない人間を殺す事に何の感情も抱かない。だけどそのわたしの心が震えたのは、そう言ったその人の言葉がぞっとするほどに冷たかったから。身も知らぬ者の声のように感じられたから。


 そう、だからわたしは訊かずにはおれなかった。


「その殺した者を恨んでいるのですね?」


「ああ」
 ―――そう言ったその人の顔に表情は無かった。


「だけど今は……」
 ―――今は何?


「貴女がいる。俺はそれでいいと想う。たとえ貴女が親父を……」
 ―――その人の言葉の後半はわたしには聞こえてはいなかった。貴女がいる。俺はそれでいいと想う…その言葉がわたしがずっとずっとずっと心の奥底のまたその奥底にある箱に鍵をかけて閉じ込めておいた感情を引きずり出したから。
 もうそうなったら奔流のように迸るその想いを口にせずにはいられなかった。


 私はこの男が好き。心の奥底から好き。
 ―――だけどこの男は、わたしを本当に好きでいてくれているのか?
 わたしが自分の父親を殺した雪女だとわかってもそう言ってくれるだろうか?


 知りたい。知りたい。知りたい。知りたい。知りたい。知りたい。知りたい。知りたい。知りたい。


「わたしがあなたの父親を殺したその雪女だとしても、あなたはそう言ってくれますか?」
 ―――これで誓約と制約による成約は破棄され、わたしは雪の国に強制的に連れ戻される。だけどそれでもいい。ただあなたがそれでもわたしを愛してくれると、言ってくれたのなら、わたしはその言葉を胸に未来永劫あなたを想って生きていける。だけど……


「なっ。ぎゃぁーーーーー」
 ―――雪女としての本性………本当のわたしの姿を見せた瞬間、その男は悲鳴をあげて、わたしの前から立ち去った。
 そしてわたしは独り。


「くぅ…くっくっくっく、ふははははははははは」
 ―――もはや信じるものか。愛など信じるものか。人間の男など信じるものか。信じたわたしが馬鹿だった。何を夢見てしまったのだろうか? 所詮はこんなもの。ああ、所詮はこんなものさ。どうせ、わたしなど……。人間とは口先だけの下等な生き物よ。


 わたしはひとり、涙を流しながら、飯事をしていた灯火の消えた家から冷たい雪に永遠に閉ざされた世界に連れ戻された。
 それから時は過ぎ去る。
 そして、わたしは知ってしまった。
 新たなる人間の男と、誰かが作った雪娘の恋物語を。


 それは嫉妬という黒い感情を私に抱かせた。清らかな水にほんの一滴でも墨汁を垂らせば、その水が黒くなるように、わたしの心はその感情に満たされる。


 ああ、わたしは堕ちよう。どこまでも。その人間の男を殺すことも、またはその雪娘を殺すことも厭わない。自分が掴めなかった幸せを誰にも掴ませてやるものか。


【第四幕 小雪】

「あなたは二人出会えた事を、出会い一緒にいられる事をこのまま辛き時間にするおつもりか?」
 私は人の心が奏でる音楽からその人の居場所を感じられる綾瀬さんの能力によって出会った小雪さんに開口一番にそう言った。
 そう、私にはかつてこれと同じような事があった。
 私にも一緒にいたいモノがいた。だから私はソレと一緒にいたいがためにソレを力で押さえつけて、そして無くした。
 それが業であったというのならそれは素直に認めよう。受け入れよう。ただそれでも想う。もしも時が戻るのなら私は二度と同じ間違いはせぬから、時よ、戻れ、と。
 これが大人になるという事であろうか?
 歳を重ねる事についていく知恵。
 あの時はこするべきだった、あの時はこう言うべきだった、と、その時には想いも付かぬ事であったそれに関する想いが時を重ねるごとに様々に思い浮かぶ。人は失敗を重ねて成長する。ならば私もあれを傷つけて、あれを失いそれだけ成長したという事。だがそれに一抹の哀しさや寂しさを感じるのもまた事実。知らずにすめば良かったその痛み…成長。だがその傷を心に背負ったからこそ次はしないと心に誓い、また同じようになった時には自分がどうするべきかわかる。


 そう、それは代償なのだろう。痛みと罪の。


 私は言う。小雪さんに。あの時の私と今同じ事をしている彼女に。
「このまま行けば私と同じようにあなたも失うぞ、大切な人を。それはお嫌でしょう? ならば我らと共に来て彼にすべてを打ち明け、そして考えましょう。二人一緒にいられる別の方法を。今、私の体を打ち、体に染み込んで、私の心を冷えさせるこの雪は本当に哀しすぎる。だけど貴女が心から彼と一緒にいられることに喜びのみを感じられるようになれば、この雪もまた心には温かくなるのではないのでしょうか? 貴女にも身に覚えがあるでしょう。そういう心の感覚が?」
 私のその言葉に彼女は顔を両手で覆って、泣き出した。
 そしてしんしんと降っていた雪は止み、空には明るい太陽が輝き出す。
 世界はあるべき姿を取り戻し、そして彼女はその明るい日の陽射しに顔色を悪くし始め、苦しそうに己が身を抱きしめた。痛みを掻き消そうとするかのように己が身を掻き毟る。
 私はそんな彼女の前に立ち、彼女を照らす陽射し除けとなる。だがそれでいかほどに彼女が溶ける事を妨げる事に役に立つだろうか?
 己が無力さに私は下唇を噛んだ。
 その私にふわりと微笑む美貌。そして音色がひとつ。それは美しきリュートの音色。その旋律が奏でられ始めた瞬間に、小雪さんの顔色がほんの少し良くなる。
 私は綾瀬さんを見た。彼女はリュートを奏でながらにこりとクールに微笑む。しかしそういう表情を浮かべる時こそ実は彼女はものすごく無理をしている時でもあったりする。だから私は小雪さんに訊いた。
「御堂秋人さんが今、おられる場所はわかりますか?」
 と。


【第五幕 御堂秋人】

「かー、ようやく雪が止んでもまだ降り積もっている雪はすげー雪だね。まだ21世紀も始まったばっかだってのに、こりゃああれだ、世も末だね」
 前の籠と後ろの荷台に新聞の束を明らかに重量オーバーで積んだ自転車を苦労しながら引く彼は白い息を吐きながらおどけたように言った。その目は深い雪を見つめながらも、そこに宿る光には周りの人間と違って絶望は無い。どこまでも真っ直ぐでしなやかな目。
 その彼の目が細められたのは、着物を着て両手に烏帽子をかぶった人形を持つ少年を映したからか。明らかにその少年はどこか普通の人間とは雰囲気が違っていた。何かしらのエキスパート、そんなどこか何かひとつを他人よりも超越してる者だけが放てる物を放っているように思えたのだ。
 それでもその少年に彼が手を上げたのは、
「よぉ」
 その彼の冴え冴えとした蒼い瞳がとても綺麗だったからか。結構、そうやって人を目で見抜く自分の心眼には自信を持っていたりする。
 しかし少年は抑揚の無い表情を変えなかった。だが、その少年の手に持つ人形が自分に手をあげた。ものすごく自然に。だから彼は目を丸くして驚いてしまう。
「な、なんだ、ありゃぁ?」
 彼、御堂秋人のその反応にも少年、藤野羽月はやはり表情を変えなかった。
「あ、あんたいったい何者だ? それにその人形ぉ……」
 ただ慌てるばかりの彼はそこよりもまた先へと言葉を続けようとするが、その彼の口はぴょんと羽月の手から彼の肩に飛び移ってきた烙赦に制される。
 そして羽月が口を開いた。
「それは今言っていても詮無き事。貴方に訊こう。貴方は小雪さんを心の奥底から愛していますか? 愛しているのなら私と共に行動を。しかし中途半端な気持ちなら、このまま私の横を過ぎ去るがよろしい」
 そう言った羽月の着物の胸元は次の瞬間には秋人に両手で鷲掴まれていた。彼は鼻の頭が羽月の鼻の頭にくっつく寸前ぐらいまで顔を近づけて、その距離で羽月の蒼い瞳を睨みつける。だが羽月はその秋人の視線から逃げずにそれを受け止めた。そのまま睨み合う事数十秒。そして秋人は小さく舌打ちすると、羽月の着物の胸元を鷲掴んでいた手を放し、倒れた自転車を起こして、スタンドを下ろした。自転車をしっかりと雪が積もったアスファルトの上に立たせると、もう一度羽月に向き直る。そして言った、すべてにおいて真摯でしなやかな光を燈す蒼い目を見つめながら。
「答えは見てのとおりだ。で、小雪がどうしたって? 彼女に何かあったのか?」
 その目を見れば、その人の人格がわかる。それは何も秋人だけの心情ではない。羽月も自分の顔を真っ直ぐに映すその秋人の瞳を見つめながらこくりと頷く。
「いいでしょう。御堂秋人さん。貴方にすべてを語ろう。真実と道を」
 そして羽月は秋人にすべてを話した。小雪が雪娘で、それで春になれば溶けてしまう運命を嫌った彼女が呪いをかけてこの街を雪に閉ざしてしまったことを。
 すべてを語り終えた羽月は口を閉ざし、秋人を見据える。羽月の視線の先にいる彼はただ小刻みに肩を揺らしていたが、おもむろに羽月の着物の胸元をまた両手で鷲掴み、吊り上げた。そして想いっきり羽月を睨みつける。
「ホラ、ふくんじゃねーぞ、ガキが。小雪が人間じゃねーっていうのかよぉ、おまえはァ?」
 だがもちろん、怒りの表情を浮かべる秋人に羽月が浮かべるのはどこまでも醒めきったような無表情だ。そしてそれに相応しい声でそれを紡ぐ。
「言ったはずだが? 中途半端な想いならば立ち去れと。その程度で揺らぐ想いならば、何ができよう? ならば互いを傷つけあわぬうちに貴方は身を引くべきだ」
 そう言った羽月に秋人は舌打ちをして、羽月の胸元を鷲掴む手を放した。
「ホラ、じゃねーのかよ。くそぅ」
 ばぁっ、と秋人が蹴り上げた雪が虚空を舞う。それらはまたアスファルトに落ちて、そこを覆った。
 そして彼は幼い子どもが癇癪を起こして地団駄を踏むように何度も何度も何度もアスファルトの上の雪を蹴った。ただ自分の中にある感情をぶつけるように。
 それを見つめながら羽月は口を開く。
「私は過去に銀の鳥を力で縛り付けた事がある。だが結局は…鳥は私の元から羽ばたき……最も愛すべき男の元へと行ってしまったのだ。私が力で抑えず、告白していれば何か変わったのかもしれない。だが出来ずに此処に在る。なあ、御堂秋人さん。貴方が小雪さんを愛しているのなら何を戸惑う? 変わらずに居れば万事がそのまま……。動けずに居るのは何が足枷か? 貴方が想いを遂げたいというのならその断ち切れぬ足枷は我が刀と我が人形が力を貸し、断ち切ろう。人はかくも弱き物。歩きたい道を踏み出せぬ時に後ろから背を押してもらう事は決して恥ずかしい事ではないのだから」
 ばさぁっと何度目かの宙を舞った雪がアスファルトを覆う真っ白な雪の上に落ちた。そして彼はばっと羽月の方を向いて、顔を覗き込む。
「おまえ、歳は幾つだ?」
「おまえ、ではなく藤野羽月。歳は15歳だ」
「はぁ、15歳? ほんとにかよ」
 秋人は大袈裟すぎるぐらいに驚き、そしてその後に頭を掻きながらとても優しい表情を浮かべた。
「15歳のガキに説教されて、励まされていたら世話無いな。ほんとによ、いつまで経ってもガキすぎて嫌になる」
 そう言ってにぃっと笑った秋人は羽月の頭の上に手を置くと、優しい兄が生意気な弟にするようにわしゃっと頭の毛を撫でた。
 そして彼はそのまま手を羽月の肩にまわして、抱き寄せた彼に言う。
「すまん。ちょっと混乱した。だけど俺が小雪を想う気持ちは本物だ。しかし如何せんこれからどうすればいいのかわからない。だから力を貸してくれ」
 頭を下げる秋人に、烙赦に乱れた髪型をセットされながら羽月は言う、
「無論だ。そのために私はここにいる」
 初めて秋人の顔を見つめて、微笑しながら。
 そして彼は言う、秋人に。
「だから貴方は先にお行きなさい」
 その言葉に秋人は慌てた。
「ちょ、ま、待て。羽月。おまえ、あれとやる気かよ?」
「他に道は無いのでね」
 羽月はにこりと笑いながらどこかから親指サイズの人形を五体出した。その人形は彼の周りにまかれ、そして立ち上がり、次の瞬間には白装束を着た貴族の若者たちとなる。それが羽月の能力【造魔の瞳】だ。彼は人形を媒体とし、望む【魔】を作り出せる。
そして彼らは肩に背負っていた弓を手に取り、それを引く。
 その矢が狙う先にはいつの間にか雪女がいた。
 冷たい空気が孕む緊張の濃度はどんどん濃くなっていく。
 雪女は羽月に気を払いながらもあくまでその目的が秋人であることがまるわかりであった。彼女の切れ長な瞳は絶えず巣の卵を狙うヘビかのようだ。
「ふむ。なるほど。物語の修正能力はこう働いたのか。これは嫉妬。秋人と小雪の両方に嫉妬するのか、あの雪女は。果たしてあの雪女にどのような物語があるのか? しかし今はそのような事を想っても詮無き事か」
 呟く羽月は【魔】たちに弓を限界まで引かせた。そして後ろの秋人に早口で囁く。
「よいか、秋人さん。私が合図したら貴方はこの道を真っ直ぐに走れ。その先に行った公園に小雪さんがいる」
「だ、だが羽月、おまえはぁ…」羽月は右手を中途半端にあげて、訴えるように言う秋人を黙らせる。そして羽月は落ち着いた声で言った。
「幸福になりたいと願うのならば周りを気遣う事無く己が想いのままに動きなさい。秋人さん、貴方が動いて初めて物語は動き出すのだから。さあ、行きますよ? 5・4・3・2」


「「1」」


 羽月と秋人は同タイミングで事を起こした。羽月は上げていた手を下ろし、それに連動して【魔】たちが一斉に矢を放ち、【魔】たちが放った矢の勢いで、舞い上がった雪煙。それが目隠しとなって、その隙に秋人が走り出した。
 そう、それだけの事を羽月は計算していたのだし、そしてそれは雪女にもわかっていたのかもしれなかったが、彼女は羽月の牽制によって動けなかった。すべてが彼の計算どおり……
 ……そう、事はそう進んでいるように見えたのだが、
「きゃー」
 女の子どもの悲鳴。矢をすべて空気中の水の分子を利用して創り上げた剣で薙ぎ払った雪女を見据えていた羽月はしかしその瞬間に弾かれたようにそちらを見た。そこには女の子どもがいて、そして羽月が作り出した美しいがしかし明らかにこの世の物ではないという事が丸分かりの【魔】五体と、空中に浮かぶ雪女を見て、幼い女の子が顔を蒼白にして悲鳴をあげたのだ。
 そして雪女はにやりと笑うと、無造作に手に持つ剣をその女の子に投げつけた。なんとそれは絶望的なまでに幾本もの氷の針に変わるではないか。もはや弓でそれらを撃ち落すのは無理だ。
「ちぃ」
 羽月の顔から冷静な表情が消えた。舌打ちしながら彼は五体すべての【魔】をその女の子の頭上に舞い上がらせる。盾とするために。
 そしてその羽月に向って雪女が肉食獣が草食獣に襲い掛かるように飛びかかり…


「くそぉ、羽月ぃーーー」
 駆け出していた秋人は女の子の悲鳴を聞いて振り返って、そして女の子のピンチと羽月のピンチを見てしまった。そして彼はごく無意識に方向転換して、そちらに走っていた。それが彼の性であり、故に彼は何も考えていなくって、そして彼は交差点に飛び出してしまって、普段はそこにはまったくと言っていいほど車なんて通らないのにしかしそういう時に限って車がやって来て、そして………けたましい急ブレーキの音があがって、事は実はその上がったブレーキの音の余韻が消え去る頃には呆気ないぐらいに終わっていて、そして秋人は………


【第六幕 藤野羽月】

 雪女が羽月に襲い掛かる。
 だが羽月は慌てない。実は伏兵として、まだ足下に人形を一体忍ばせているのだ。それを造魔の瞳によって彼は【魔】に変える。
 羽月の前に彼を守るように陣取る【魔】。それは弓を構え、矢を射る。
「どちらだ?」
 ―――そう呟いた羽月。しかしどちらだ? その言葉の意味は果たして?
 そして事態はさらにわからなくなる。
 肉食獣のように襲い掛かってきていた雪女はいとも簡単に【魔】が放った矢によって頭部を打ち抜かれて、絶命する。【魔】を道連れにして。
 だがしかしそれで羽月の顔から緊張が消えたわけではない。余計に今の彼には鋭い緊張の表情が浮かんでおり、そして……
 ……彼は、そちらを見た。「死ねぇー――ッ」と鋭い威嚇音かのようなヒステリックな声が響いた方角を。そこにいたのは……
「やはり、か」
 そう、そこにいたのはあの女の子だった。しかしほんの転瞬前までは涙を浮かべていたそのどんぐり眼は今は、赤く光り、そして針のような氷柱の雨を防いだ代わりに崩れ去った【魔】たちの残骸を浴びる彼女の手に持つ氷の剣が凄まじい勢いで羽月に伸びて、


 きぃーーーーーーッ


 甲高いブレーキ音が上がり、どがん、という嫌な音がした。
 そしてそのブレーキ音の余韻は凍え渡った空気のせいでどこまでも響き渡って、それに合わせて詠うように上げられたのは、
「ぎゃぁぁぁあああああーーーーーーーーッ」
 女の子…雪女の悲鳴であった。


「ふっ。切り札とは最後まで取っておくから意味があるのですよ」
 私は誇るでもなくただ冷静に額を弓で射抜かれ、そして腹部を彼女が自分に似せて作り上げた雪人形(もはや私の支配下にある)の貫き手によって貫かれた女の子…いや、雪女に言った。人形のではなく、本物の。
「知っていたのか、貴様。わたしが本物だと?」
 私は肩をすくめる。
「いや、あそこで宙に浮いて猿芝居をしていたのが人形だというのは最初からわかっていた。私は傀儡を使い、自分の分身として使役させる力を持つ【傀儡使い】なのだから。そう、その私を騙そうと言うのなら、貴女も私レベルにならなければ、ね」
 私は私の懐から矢を放った烙赦を懐から出し、肩に乗せる。そして視線を秋人さんに向ける。そこには秋人さんの他にもうひとりいた。
「転がる石が如く物語は動き出せば止まらずに進むか」
 烙赦が私の髪を引っ張る。
 私は、額を弓で射られながらも腹部を貫かれながらもまだ動く雪女に視線を転じた。
「急所を打たれてもまだ動く。やはり貴女はもはや雪の化生でもないのだな? 恨みの情念のばかりに鬼となったか」
 そう、私は過去幾度も見てきた。人や化生が鬼となるのを。化生と鬼は違う。化生とは、生き物だ。魂は清らかなる存在。しかし鬼はもはや存在そのモノが違うのだ。鬼となったモノは魂が汚れているから鬼となるわけで、そしてそうなったモノはもはや普通では死ねなくなるし、転生も叶わぬ身となる。そう、永遠に救われぬ哀れな魂。なれば私は……
「鬼よ、汝に問おう。今からあの二人には試練が与えられる。それは私がイマジネーションしたこの物語における二人が紡ぐラスト。それを見て、貴女は何を想うだろうか?」
 雪女の体は幼い少女から見目麗しい女、そして醜い鬼の姿となる。
 そしてその鬼は、私の言葉を聞き、血で染めたかのような瞳でそれを見た。


 物語は紡がれていく・・・。


「こ、小雪…」
 白い雪がどこまでも積もったアスファルトの上に倒れている小雪を秋人は泣きながら抱き抱えた。
 車に撥ね飛ばされるのは、交差点に飛び出した自分のはずであった。しかしその自分を突き飛ばし、身代わりに撥ねられてしまった、小雪。後悔が溢れだす。今ほど時間よ、戻れと祈った事は無い。秋人の視界は涙で歪む。
 明るい太陽の光は慈悲のつもりであろうか? 分厚い雲にその身を隠す。しかし小雪はそれをとても残念がる表情を浮かべた。
 そして今にも泣き出す寸前の幼い子どもかのような表情で必死にしゃくりを堪える秋人の頬に小雪は力の入らない手でそれでも優しく触れて、咲いた花のように微笑んだ。
「ごめんね、秋人。ずっと嘘をついていて。私ね、人間じゃないの。雪娘なの。ごめんね。だけどどうかお願い。お願いがあるの。すごく悪いのは私…あなたを騙していた私だけど、だけどどうかお願い、私を嫌いにならないで。お願い、私を嫌いにならないで。世界で一番誰よりも大好きなあなたに嫌いと言われてしまったら、そうしたら私はもう悲しすぎてどうすればいいのかわからないから。だからどうかお願い。私を嫌いに…」
 ―――誰が嫌いになどなれるものか?
 秋人は小雪を抱きしめた。ぎゅっと力の限りに。
「ごめん、小雪。どさくさに紛れて。だけど俺はずっとこうやっておまえを抱きしめたかった。ずっとずっとずっとこうやって抱きしめたかった。おまえが好きだから!!!」
 秋人は叫んだ。泣きながら叫んだ。
 その秋人の腕の中で、小雪は一滴の涙を流し、秋人の胸にその涙に濡れた顔を埋めた。
「お願い、秋人。私をあなたの温もりで溶かして。私は雪の結晶。もう直に太陽も、分厚い雲の向こうからまた顔を出し、この眼下の世界を眩しい光で照らす。だけど私は他の雪のようにその光で溶かされたくない。溶かされるのなら、あなたのこの優しい温もりで溶かされたい。どうかこの最後のわがままをきいてください。ごめんね、秋人。大好きなあなたにこんなお願いをしてしまって」
 秋人はただ首を横に振り、涙を堪えながら無理やりにぐしゃぐしゃの笑みを浮かべて、小雪を抱きしめた。
 そして小雪は幸せそうに微笑みながら、その温もりに溶けて……


「そして奇跡は起こる。これがあなたのイマジネーションした物語のラストなのね、羽月君」
 いつの間にかそこにいた綾瀬さんはまるでこの世にあるすべての美しい物を見つめているかのように両目を細めて、そう呟いた。
 そう、その彼女の視線の先でそれは起こった。私がイマジネーションした物語のラスト、それは………


 その雪娘を心より愛する者が、その愛の温もりで雪娘を溶かした時、その雪娘は人の娘となれる。


「ああ、いいなー。いいなー。わたしの男もあんな男であったのならよかったのに。そうしたらわたしは・・・・」
 秋人さんと小雪さんを見つめながらそう嗚咽混じりに言う彼女の前に私は立った。
「そう想える事が何よりもの心の回復。鬼は確かにもはや転生できぬ魂なれど、それでもその鬼が自力でその汚れた魂を浄化させ始めれば、やがてはその魂は再び大いなる魂の輪に還れる。そしてこの私が貴女のそれに協力しよう。貴女はもう充分に苦しんだのだから。だから今は光の中で休み、そして来世では幸せになるといい」


 地においては天にあり、天にありては地にある。我が刀『非天』に斬れぬもの無し。今我は、汝の魂に巣くう悪しきモノだけをこの『非天』において斬ろう。
 ―――斬。


 そして私は『非天』を体内という鞘に収めた。哀しい魂は汚れを斬りおとし、そしてようやっと蛍火のような淡い光を放ちながら、分厚い雲の隙間から零れた太陽の一筋の光の柱の中を昇っていく。それはきっと紛れも無く主が哀れな魂のために下ろしてくれた階段だろう、と、この場に彼女がいたのならそう言ったのかもしれない。そしてそう想う私が確かにいた。
「ゆっくりと休むがよい。かの雪女よ」
 綾瀬さんは彼女はきっと男に裏切られる前に誰か人間を殺し、それの罪に対する罪悪感を必死に見ないふりしていて、そのフラストレーションによって鬼となったのだ、と言っていたが、私はただ彼女の安らかな眠りを祈った。


【ラスト】

 そして扉は閉まり、私はそこにひとりいる。夜の竹林に。
 通り渡る風は竹林を楽器にして涼やかな音色を奏で、そして私はひらひらと落ちてくる笹の葉の雨を烙赦と共に見上げていた。
 そして私はその落ちてくる笹の葉から手の平に視線を向ける。そこにあるのは小さなガラスの瓶。その中には【雪娘の涙】が入っていた。白亜さん自身もよく理解できていなようだったけど、しかしそれを私に手渡すのも彼女の役目の一つであったらしい。果たしてそれに一体何の意味があるのだろうか?


 ざぁーーーー。


 そして先ほどよりも強い一陣の風が吹く。
 笹の葉はいよいよ激しく降ってくる。そしてその笹の葉の雨に打たれながら私はそこに視線を向けた。そこにはよく見知った…しかしその人とは違う人がいた。世界が決して一つではない事を知った私は別段それには驚かなかった。
 そしてその人もただ静かに微笑むだけで何も言わずに、私に手の平を差し出した。そこに乗っているのは……
「それは・・・」
「これは虚構の世界に咲く【硝子の華】。羽月さん。あなたがこの【硝子の華のつぼみ】を咲かせる事ができたのなら、そうしたらこの【硝子の華】の香りがあの物語に縛られた異世界の東京の街に住む人々を夢から覚まさせるのです」
 私が手の平の上に置かれた【硝子の華のつぼみ】から視線をあげるとしかしもうそこにはその人はいなかった。
「・・・」
 私は疑問符の海に溺れている。
 そして私は自分でもよくわからないのだが、白亜さんからもらった【雪娘の涙】を【硝子の華のつぼみ】に無意識にかけていた。するとその【硝子の華のつぼみ】はほんの一瞬だけ頑なに閉じたつぼみを震わせた。
 私は大きくため息を吐いた。
「やれやれ。また私は動かねばならぬのか」



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 1856 / 藤野・羽月 / 男性 / 15歳 / 中学生/傀儡使い


 NPC / 綾瀬・まあや

 NPC / 白

 NPC / 白亜


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、藤野・羽月さま。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
ご依頼ありがとうございました。

まず最初に羽月さんのプレイングのカッコよさにやられました。^^
ですからあのカッコよさそのままを伝えるために言葉づかい、文体に気を払いながら書いたのですが、
どうだったでしょうか? この文章スタイルを羽月さんに相応しいと想っていただけてましたら幸いでございます。

そしてあれも書きたいこれも書きたいと色々と目移りしてしまった設定。
その全てを上手く扱えていれば良かったのですが、今回はこれが限界でありました。もう少し要所要所で上手く扱えていれば良かったのですが、
今回はラスト間際のバトルでしかその見せ場がありませんでした。
それを課題にもしも次がありましたら、今度は上手く書いてみたい…いや、書いてみせるので宜しければ書かせてやってくださいませね。^^

あ、それと烙赦の描写なのですが、一応今回は、羽月さんの無意識の願望みたいなものとかがストレートに出てしまうというような感じで書かせていただきました。
もしも次に書かせていただける時、その時に烙赦の扱い方についてご要望がありましたらどうぞ、プレイングに書いてくださいね。^^ 少しでも羽月さんと烙赦の関係をリアルに書き、世界観作りに協力したいと想いますので。
羽月さんと烙赦との関係、書き手としても、そしてこのPCさまのファンとしても本当にすごく気になります。^^

そして【硝子の華のつぼみ】、よろしければ咲かせてやってください。


それでは今日はこの辺で失礼させていただきますね。
本当にご依頼ありがとうございました。
失礼します。^^