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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『永遠の狭間に響く唄声』

【T】

 院内は特有の臭いで満ちていた。潔癖なほどに漂う消毒の臭い。リノリウムの白い床は磨きぬかれ、多くの採光を得るために大きく開いた窓から差し込む陽光を反射させている。
 セレスティはそんな病院の廊下をある一室を目指して歩いていた。ステッキの先が床を打つ度に鈍い音がする。革靴の音さえも硬質さを失って響く。擦れ違う看護士や患者、見舞い客とおぼしき人々がうっとりとした視線を向けるのがわかったが、そんなことは常なので気にならない。銀の髪に青の瞳、白い肌は日本という場所においてひどく目立った。悪い目立ち方ではない。人を魅了する。そんな目立ち方だった。
 手には病院へ向かう道すがら寄った花屋で購入したアレンジメント。セレスティが向かう先は病室である。そこにいるのは明らかに病人で、草間興信所の所長である草間武彦から聞いた情報から女性だということはわかっていたのでなるべくそれを意識して選んだアレンジメントだった。淡い色彩の花々が控えめでありながらも、美しく籠を飾っている。口数の少ない店員の造ったものだったが、悪くない趣味だと思った。
 エレベーターに乗り込み草間武彦に聞いていた病室を目指して五階のボタンを押す。同乗する人々が盗み見るようにセレスティの整った容貌を見ているのがわかった。途中で一人降り、二人降り、目的の階に辿り着いた時にはセレスティ一人になっていた。
 五階は内科病棟。
 病室のナンバーはわかっている。廊下に掲げられたプレートを頼りにゆったりと進む。
 今回の依頼内容は行方不明になったピアニストの男を探してほしいとのことだった。声を失った女性が彼の帰りを待ち続けているそうである。手短に聞いた話からは女性がどんな状態であるのかはわからなかったが、草間の表情から決して良好な状態ではないことがわかった。珍しく鎮痛な面持ちをしていたことを思い出す。
 目的の病室の前に辿り着き、優雅な仕草でドアをノックすると男性の声で応えがあった。草間の云っていた兄だという人物だろう。擦れ違い様に小さく頭を下げて看護士が出て行く。
「草間興信所から派遣されて参りました」
 ベッドサイドのスツールから立ち上がった男性はセレスティの容貌に刹那驚きの表情を見せたが、ベッドに横たわる妹の姿に視線を移した途端それは瞬く間に溶解した。アレンジメントを手渡し、手短に自己紹介をする。男性はそれを受け取り、
「妹のためにどうかあのピアニストを捜してやって下さい。宜しくお願いします」
と云って深々と頭を下げた。
「お話を聞かせて頂けますか?」
 セレスティが云うと男性ははっと我に返ったように顔を上げると、部屋の片隅に設えられた簡素な応接セット指し示した。
「何もご用意していなくて申し訳ないのですが……」
 小さく頸を横に振ることでセレスティはそれに応え、恐縮しきりの男性は時折ベッドに横たわった女性に視線を向けるようにしながら簡潔に事情を説明し始めた。
 ピアニストの失踪は突然のことだったという。ステージのある夜、いつもならリハーサルの一時間前には姿を現す律儀な男だったというのにその夜に限ってはリハーサルに現れることもなければ、ステージにさえも間に現れなかったのだそうだ。その日のステージはキャンセルになった。ピアニストが訪れないことで唄い手である女性が唄えなくなってしまったからだ。勿論連絡を取ろうとしたとも云った。しかし携帯は解約された後で、住んでいたアパートも引き払われた後だった。彼を知る人々総てに連絡を取ったが、誰も彼の行方を知らされていないということがわかっただけだった。警察にも届けを出したそうだったが、状況からして事件や事故に巻き込まれた可能性が少ないと思われたのか有力な情報は得られていないという。
「ですから、最後の頼みの綱として草間興信所さんにお願いしたのです」
 男性はベッドに力なく横たわる女性に視線を向けて云う。
 彼女は今にも消えてしまいそうな果敢無さでそこに横たわっていた。点滴の管が細い腕に伸びている。開かれた窓の向こうに広がる青空よりもずっと遠くを見るような視線を向けている。
 その姿に、待っているのだろうと思った。
 ずっと、自分を置いて去った一人をただひたすらに待っているのだ。
「妹さんはどうしてその男性でなければいけないのでしょう?ピアニストなら他にもたくさんいらっしゃるのではありませんか?」
「えぇ、ピアニストは他にもたくさんいます。けれど妹が唄う理由は彼がいたからです。彼でなければ駄目なんです」
「どうしてですか?」
 男性は僅かな躊躇いを見せた後、小さな声で云う。
「彼女はずっと自分の内側に引き篭もったままの生活をしていました。しかし彼はそんな妹を外へと連れ出してくれたのです。二人の間に何があったのかまではわかりません。しかし妹にとって彼が一筋の輝かしい光であったことは確かです。彼に出会う前の妹は、まるでひっそりと消えてしまうことを望むように闇の沈黙のなかに身を浸していました。それが彼と出逢ったことで唄うことを知り、彼と共にステージに立つようになってから本当に輝かしい生き方を見つけたようでした。それが彼が突然姿を消したものですから、今ではあの状態です。以前よりも悪い。医者もお手上げだと云っています」
「しかし彼とて永遠に彼女の傍にいられるわけではないでしょう。彼女だってそれをご存知だったのではありませんか?」
「それはわかっていたと思います。でも、どこかで自分を置いて行くようなことは決してないと信じていたのだと思います。それに今回の失踪はあまりに突然でした。目の前で死んでしまったわけでもない。どこかで生きているというのに、どこにいるのかもわからない。置き去りにされたのだと妹は思い込んでしまっています」
 男性が言葉を切ると、瞬く間に静寂が病室を満たす。女性の細い呼吸の音だけがささやかに響く。
「わかりました。お捜ししましょう。しかし一つだけ条件があります」
 男性は心配そうな顔をする。
「たいしたことではありませんピアニストの男性が見つかったら、彼をここにお連れするのではなく彼女に彼に会いに行って頂きたいのです。安全は保障します」
 セレスティの言葉に安心したように男性は笑った。そして縋るような目をして、再び深々と頭を下げて云った。
「どうか、妹のために捜してやって下さい。お願いします」

【U】


 たった一人が一人の人間に及ぼす影響はどれほどのものなのだろうか。閉ざしていた心を開かせ、去ったということで以前にも増して深く心を閉ざさせてしまう。果たして本当に一人の人間が人に対してそんなにも影響できるのであろうか。ピアニストとシンガー。二人はどこまで深く繋がっていたのだろうか。
 思いながらセレスティはパソコンの画面を眺める。立ち上げたメーラーには受信されたばかりのメールが二通。どちらも秘書からのものだ。二人の秘書にそれぞれ別の内容の調査を指示した。
 依頼者からは事前に聞いたピアニストの名前と行き着けの楽器店、それまで女性と唄っていたバーの名前を聞いていた。それらを頼りに一人には楽器店でピアニストが楽譜が購入していたことはないか、もう一人にはバーの出演者リストを調べるよう指示したのだ。どちらにも男性の顔写真を渡してある。男性の写真は思いのほか簡単に手に入った。女性と共に出演していたバーがホームページを開設していて、演奏風景の写真が掲載されていたのである。決して鮮明な写真とはいえなかったが、解像度を上げることでなんとか顔が判別できるようになった。勿論依頼者の確認してもらいピアニスト本人であることは証明されている。
 楽譜の購入状況を調査していた秘書は残念ながら有力な手がかりはなかったと記していた。ジャズピアニストであるから楽譜は必要としなかったのではないかと云うことである。もう一人のほうは顔写真が功を奏したのか、店主が馴染みで客で彼のファンである数人を今夜店に集めてくれるように取り計らったという報告をしてきた。時刻と住所が記されている。そしてセレスティ本人が赴くかもしれない旨は告げてあるとのことだった。
 有能な秘書たちだ。必要なこと以外は記されていない簡潔な文章がそれを表している。
 椅子の背凭れに躰を預け、女性の想いが一体どんなものであるのだろうかと思った。
 彼女にとっての彼の存在の重さ。それは決して軽いものではないのだろう。少なくともそれまで総てを拒絶するように生きていた彼女を外に連れ出すことに成功したピアニストは、彼女が望んでいたことを理解してやれたのではないかと思う。彼女が口を閉ざしてしまっている今、彼女が何を抱え、何を理解されたがっていたのかはわからない。しかし他の誰にも成し得なかったことを彼は成し得たことだけは確かだ。
 人は独りでは生きていかれない。
 彼女は孤独に怯えながらも、孤独に身を浸すことで永久の喪失を無意識のうちに遠ざけていたのかもしれない。出逢わなければ別離はない。別離がもたらすものを知らずに済むのだ。しかし果たしてそれが本当に幸福だというのだろうか。幸福の基準は人それぞれだ。
 思ってセレスティは思考を切り替える。
 今はピアニストを捜すことだけ、それだけに集中しよう。
 今日の予定を確かめ、秘書が指定してきた時間を空けるべく調整する。容易いことだ。自分の代わりなどいくらでもいるのである。財閥総帥という地位は時に、ただの役職名に成り下がる。

【V】

 日が傾き辺りが夜に沈みつつある頃、セレスティはその店へと足を踏み入れた。裏路地に小さな看板を出しただけの小さなジャズバーはテナントビルの地下にあった。場末感が漂い、質素でありながらも設えられたテーブルやカウンターが漂わせる古めかしさが狭い店内の雰囲気を心地良いものにしている。きっと知る人ぞ知るといったような類の店なのだろう。カウンター席が六つ、四人掛けのテーブルが二つだけ、店の大部分を占めるのはステージの上のところどころ塗装の剥げた古いスタインウェイのグランドピアノだった。良いピアノだと思ってセレスティはカウンターの向こうに立つ上品な初老の男に声をかけた。
「昼に私の秘書が伺ったと思うのですが、セレスティ・カーニンガムです」
 店内には数人の客の姿がある。皆中年も半ばに差し掛かった者ばかりだ。
「お待ちしておりました。お話はあちらの皆様からお聞き下さい」
 ゆったりとした仕草は執事のそれを思わせるほど優雅だった。
 四人掛けのテーブル席には五人の男性。男性が三人と女性が二人。セレスティは彼らに丁寧な挨拶をして、ここを訪れた目的を手短に話した。
「彼のことを捜しているのね」
 短い髪の女性が云う。装いからして裕福な暮らしをしていることがわかった。
「あいつがいなくなってしまってからこの店はつまらなくなったよ酒は相変わらず美味いけどな。やっぱりあいつのピアノとあの子の唄がないと物足りない」
 髪の薄くなった男性が云う。
「でも、あれだろ。まだどこかでピアノを弾いてるって」
「私も聞いたわ。噂の範囲だけどね」
 髪を肩のあたりで切りそろえた先ほどの女性より少し若い洒落た装いの女性が云う。
「噂でも結構です。店の名前とかはわかりますか?」
「バーとかじゃないわよ。楽器店なの。教室も開いている店よ。講師として働いてるみたい」
「場所を教えて頂けますか?」
「えぇ、名前だけでもすぐわかると思うけど」
 そう云うと女性はハンドバッグから手帳を取り出し、走り書きのようにして店の名前と簡単な地図を書いてくれた。
「これからこの店を訪ねても営業時間には間に合うでしょうか?」
「急いでるのね」
 教えてくれた女性が云う。
「えぇ。ここで唄っていた彼女が彼を待っているんです」
「あの二人は本当にお似合いの二人だった。恋人同士なのかと思っていたよ。どちらも口数の少なかったからその辺の話を聞いたことはなかったけどね」
 ずっと黙っていた男性が云う。決して嫌味ではない香水の香りが漂う。
「ありがとうございます。このお礼は……」
「彼らを連れて来て下さらない?」
 短い髪の女性が云う。
「事が上手く運べばという条件がつきますが、それでも宜しいですか?」
 五人はそれぞれに小さく頷いた。
 そしてセレスティはカウンターの向こうで静かにグラスを磨いていたオーナーに礼を云い、店を出ると外で待たせていた車に乗って、女性から手渡されたメモを差し出してそこへ向かうように指示した。
「かしこまりました」
 運転手が云う。
 そして滑らかに車を発進させた。運転手は目的の場所を知っていたようで、混み合う道を避けてスムーズに進む。
「あの、もしピアニストが見つかったあかつきにはわたくしめにも彼の演奏を聴かせて頂けないでしょうか?」
 赤信号で停車すると躊躇いがちに運転手が云う。
「君も知っているのか?」
「えぇ。実はジャズを聴くのが趣味でして……。中でも彼のピアノはとても素晴らしいものです」
 口数が少なく、職務に忠実な運転手からこのような申し出を受けるのは初めてだった。だからセレスティは微笑み、
「かまわないよ。君にはいつもお世話になっていますからね」
「ありがとうございます」
 運転手の言葉と共に車は再び走り出す。そして程無くして目的の店の前に到着した。有名な楽器店だった。掲げられた大きな看板には今も煌々と明かり点されている。
「すぐ済むと思います」
「お待ちしております。お気をつけて」
 ドアを開けてくれた運転手の言葉を背に受けて、セレスティは自動ドアを潜って店内に入った。そしてカウンターで閉店準備の書類を書いていたとおぼしき女性に声をかけた。
「こちらにこの男性がいらっしゃると聞いて来たのですが、ご存知ですか?」
 予め持ってきていた写真を提示すると女性は、
「えぇ、当店で講師として働いております。まだ残っていると思いますが、お呼びしましょうか?」
と極めて丁寧な口調で云った。頷くセレスティに、電話の受話器を取る。そして内線を繋いだのか、手短に捜していたピアニストの名前を云うと短いやり取りの後受話器を置いた。
「あちらにお掛けになって少々お待ち下さい」
 商談用とおぼしき簡素なテーブルセットを片手で指し示しながら、そういって深々と頭を下げる。
 セレスティは云われるがままにそこに腰を落ち着け、楽器と楽譜に埋め尽くされた店内を眺めるでもなく眺める。さまざまな楽器が発明されたものだ。以前は木製や金属製のものばかりであったように思うが、今は電子楽器も多い。ピアノばかりではなくヴァイオリンにさえもそんなものがあるようだった。
「お待たせしました」
 云う声と共に現れたのは背の高い、穏やかな顔つきをした青年だった。白いシャツの上に黒のジャケットを羽織っているシンプルな格好が様になっている。
「僕に用事があるとのことですが、どういった……?」
「シンガーの女性をご存知ですね。君が専属でピアニストを務めていた彼女です」
 云った途端青年の顔が強張る。
「彼女が待っています」
「……独りでは駄目でしたか?」
 縋るように青年が問う。
「それはどういった意味でしょうか?」
「僕が突然去っても独りで生きていけるのではないかと、ある種の賭けだったんです。唄っている時の彼女は、引き篭もっていた頃のような暗さは微塵も感じられないほど生き生きしていました。だからもう僕がいなくても生きていけるのではないかと思ったんです。彼女のためにも、僕のためにも、一度離れなければならないと思ったんです。だから何も云わずに姿を消したんです」
「彼女は今口を閉ざし、病院のベッドの上です。医師も匙を投げています。もし今彼女を救える人がいるのだとしたら、それは君以外の誰でもありません。私は彼女のお兄さんに頼まれて君を捜していました」
 青年が小さく溜息をつく。それは呆れているといったようなものではなく、ただ切ない気持ちにやり場のなさを感じているようなものだ。
「僕たちは一緒にいるだけで幸せでした。でも彼女には僕しかいない。たとえ結婚しても、もし僕が彼女より先に死ぬことになったら彼女は独りぼっちになってしまうんです。それを考えると簡単にプロポーズなどできませんでした。だから彼女が独りでもやっていけるのかどうか、確かめてみようと思ったんです。……それが、そんなことになっていただなんて……」
「会って下さいますか?」
「はい」
「場所はどうなさいます?」
「あのバーで。―――彼女は外出できるような状態なのでしょうか?」
「大丈夫です。あなたが見つかり次第お兄さんが外出許可を取ってくれることになっています」
「それでは彼女の準備が整ったら連絡をいただけますか?」
 そう云って青年は住所と電話番号の記された名刺を差し出した。
「わかりました。君が彼女のことを捨てたわけではないのだとわかって安心しました」
 セレスティの言葉に青年が笑う。
「捨てられるわけがありませんよ。彼女は僕にとって大切な唯一の女性なんです」
 恥ずかしげもなく云う青年が微笑ましかった。

【W】

 歩くのもやっとという状態の女性を伴って、セレスティはあのバーへと辿りついた。女性はシンプルな白のワンピースに淡いピンクの薄手のカーディガンを羽織っている。兄だという男性仕事の都合で来られないとのことだった。一目で高級外車だということがわかるセレスティの車に驚いた様子も見せず乗り込んだ女性は、店の前に到着すると先に下りてセレスティが差し出した手に従順に手を預けて車を降りる。
 ピアニストが見つかったという言葉が彼女に何がしかの変化をもたらしたのかもしれないとセレスティは思う。
 控えめな態度で後ろをついてくる運転手の存在を感じつつ女性を気遣いながらコンクリートの階段を下りて、バーの古びたオーク材のドアを開ける。涼やかなドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
 カウンターの向こうでオーナーが云う。そしてセレスティが連れている女性の姿を見え明らかに驚いた顔をした。以前情報をくれた馴染み客たちも同じ顔をしていた。ピアニストの青年が訪れた時も同じような顔をしたのではないだろうかと思いながら、グランドピアノに視線を向けると彼はそこが居場所であったかのようにそこにいた。
 その姿を見とめて女性の薄い唇から声が漏れる。
 青年の名前だった。
 青年は微笑みでそれを受け止めて、
「唄ってくれるね」
と云った。女性はゆったりとした足取りで青年に近づき、両腕を差し伸べる。青年はそれを拒むことなくそっと女性を抱きしめた。その手つきは壊れ物を扱うように丁寧で、やさしさに満ちていた。
 二人にはそれだけで十分だったのだろう。
 ピアノの傍らにはマイクスタンド。
「リクエストはありますか?」
 セレスティに向かって青年が問う。
「パティ・オースティンの『SAY YOU LOVE ME』をジャズアレンジで」
 セレスティが答える。
 すると青年はその意味を悟ったのか、僅かに顔を赤らめた。そして女性に確かめる。彼女は知っているわ、と静かに微笑んだ。
 その笑顔にセレスティはいつか彼女が独りになってもこの笑顔を見せることができるようになればいいと思う。
 二人はリズムを合わせるように目配せをして、小さな頷きと共に演奏を開始する。
 ピアノの最初の一音が空気を震わせる。
 馴染み客達の間から溜息が漏れるのがわかった。
 和音。
 そして滑らかな前奏。
 女性がそれにあわせるように深く息を吸い込む。
 そしてマイクスタンドを支えにするようにしながらも、細い声で唄を綴った。
 ピアノのヴォリュームが女性の声をひきたてるように絞られる。
 ―――愛していると云って。
 女性が唄う。
 男性が答えるようにピアノを奏でる。
 二人の演奏はまるで生まれるもっと以前から繋がっていた恋人のようだった。
 カウンター席の片隅に腰を落ち着けていた運転手が心地よさそうに二人の演奏に耳を傾けている。馴染み客もオーナーも、そしてセレスティも同様だった。
 細く透き通るような声とそれと馴染む伴奏。ピアノの絃が震える。女性の細い声はそれに共鳴するように上手く馴染む。こんなにも二つの音が馴染むことがあるのだろうかと思うほどに、よく馴染んだ。聴衆を幸福にさせる演奏だと思う。女性の僅かな我儘とそれに答える男性のやさしさ。温かな温度でそれが伝わってくる。
 ―――愛していると云って。
 女性が唄う。
 答えは男性の奏でるピアノの音にあることに彼女は気付いているだろう。
 思ってセレスティは演奏が終わってしまったことに僅かな心残りを覚えながら拍手を送った。
 場末の小さなバーのステージ。
 それは数少ない聴衆から送られる盛大な拍手によって幕を下ろした。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】


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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございます。沓澤です。
いつも丁寧なプレイングをお書き下さるので、楽しく執筆させて頂いております。
瞳の色を間違えるという大変な間違いをしてしまい申し訳ありませんでした。そしてご指摘ありがとうございます。お許し頂ければ幸いです。
もしよろしかったら入手困難かもしれませんが、作中に出てくる曲を聴いて頂ければと思います。とても素敵な曲です。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
今後また機会がありましたら宜しくお願い致します。