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<東京怪談ノベル(シングル)>


馴染みの店で頼まれた事


 古書の匂いは嫌いではない。
 独特の饐えたような乾いたような何とも言えないあの匂いと、それらが置かれた狭い空間。
 様々な人の想いが凝った埃っぽい空気。静かに割って店内を歩く。
 玉石混淆知識の詰まる、棚のひとつひとつを吟味するのは楽しみだ。


 …城ヶ崎由代の馴染みの古書店は神田の古書店街にある。
 細まった街路奥の目立たぬ場所にその店はある。
 表は一般の古本等しか置いておらず、ぱっと見閑古鳥が鳴いている。
 が。
 それはあくまで表の顔で。
 …店主は見知った者のみを『地下』へと案内する事もある。
 その『地下』は、西洋魔術に関する、信頼の置ける古書がずらりと並びひしめいている場所で。
 つまり、店主が見定めた信頼出来る相手にだけ開けている、その筋の専門店とも言えるのだ。


 由代はそんな『地下』へと誘われる客のひとりである。
 店主にすれば良いお客さん…の部類に入るだろう。
 彼は、魔術書の解読と著述を本業とする魔術師なのだから。
 お得意様と言って差し支えない。


 で、彼が東京に出て来た時には掘り出し物を求めて古書店街の他の店もちらりと覗いたりしつつ、結局一番時間を割くのはこの古書店。やはりここの『地下』に勝る蔵書はそうそう無い。
 …まぁ、ひとつの店で用が済むのは楽で良い。
 めぼしいところを探し、開いて見ては満足そうに頷く。開いて見ていた古めかしい皮紙の本を、一冊と言わず手に取っている。
 何か見付けたのか、数冊買う気らしい。
 …そう、いつもこんな感じで。
 これらの本の購入後、店を出た由代は近場にある美味い店で蕎麦を食して自宅に帰る。
 それが彼のお決まりのコースなのだが…。


「…城ヶ崎さん、ちょっとお願いがあるんだがね?」


 珍しく、ちょっと違ったものを感じさせる店主の声が背中に掛けられて。
 …どうも今日に限っては、そう簡単にお決まりのコースへは向かえない様子。


■■■


「…はい?」
 受け答えたのが悪かったのか。
 店主は一冊の古書を持って由代の背後に立っていた。
「ああ、聞こえていたか。良かった」
「…なんでしょう?」
「いやな、最近妙な奴がうろついていて困っているんだ。何処でうちの店を知ったのか…『地下』にまで勝手に入ってきてな、更にはこれをどうしても買いたいとしつこい」
 持っていた古書を由代に掲げて見せる。…それも勿論魔術書で。
 由代は目を瞬かせた。
 …それを僕に言って何だと言うのか。
「どう見てもてんで素人だから断ったんだが、魔術を使う素養だけはあるようだ」
 由代はいよいよ訝しげな顔をする。
 話の流れがどうも面倒そうだ。
「…城ヶ崎さんにならわかってもらえると思うが下手に騒がれると迷惑でね。『説得』してもらえないか?」
 静かに様々な叡智を所蔵するこの店、確かに騒ぎは相応しく無い。
 由代も思う。
 が。
「………………僕が、ですか」
「ああ」
「…何故僕に頼むんです」
 そこが問題。
「信用が置けると思ったからに決まってるだろう?」
「あのですね」
 由代は眉間に皺を寄せる。…思った通りにやっぱり面倒事。
 見るからに迷惑そうな態度を見せるが、わかっているだろうに店主は知らん顔。好々爺然としたままで、にこにこと由代を見つめている。
「あんたは本物中の本物だ。…ああ言った手合いに一番説得力があるのはあんたみたいな人なんだよ。城ヶ崎さん」
「…」
 由代は黙り込む。
 そんな事、関り合わぬが得策だ。
 が、どうもこの店主、由代が請けてくれると信じ込んでいる気配がある。
 確かに妙な輩が騒いで、結果この店が表向きにも広く知られたりして有象無象が雪崩れ込んで来たりしたら…客としても困る事は困るが…。
 …だからってこれは関り合いたくない面倒事に変わりは無い。
 と、どう断ろうか困った由代が渋い顔をしている中。


「あのぉ…店主さんはこちらに…」


 …そんな声を掛けつつ、この『地下』に『勝手に』入ってきた男がひとり。
 その顔を見た途端の店主の複雑そうな表情に、由代はこちらが今話した当の相手かと即座に察した。


 これはある意味、逃げ場、無し。


■■■


「あの、この間の本の話なんですが…」
「アレは売れないと何度も言ったじゃないですか。本当に危ないモンなんですよ」
「それでもここは古本屋でしょう。…ここは本を売っているところですよね、違いましたか?」
 金なら店主の御希望に沿えるよう努力しますよ。
「…そう言う問題じゃ無いんですよ」


 …『地下』に入ってくるなり交渉を始める男――招かれざる客に、店主は困ったように由代を見る。
 はぁ、と由代は溜息を吐いた。
 こうなれば見過ごす訳にも行かないか。


 心を決めた由代はおもむろに指先を掲げる。


 店主は瞳に安堵の色を見せ、招かれざる客人はきょとんとしてそんな由代を見ている。


 掲げた指先がするするとなぞるのは天使の名前、その対応する固有数の位置。
 虚空の中に『視』た魔方陣。既に頭に叩き込んであるそれを『視』ながらひとつひとつ静かになぞる。
 …動く指先が、ぼやけた光の尾を引いているように見えたのは錯覚だったか。
 招かれざる客人はそんな由代を凝視している。
 …何をしているか察したか。


 由代は、何もないそこにシジル――召喚の為の魔術的な印形、絵文字――を描く。


 その姿は指揮者の如く。
 事実、由代は『魔の指揮者』と呼ばれる事もある。


 …これはそれ程難しいものじゃない。
 僕が過去に得た事のある位階の魔術師であるならば。


 シジルによって、場に存在する幽冥なる霊魔の類を起こす。
 場の作用もあったか。…ここは西洋魔術の知が詰まった地の底で。
 普段は眠っているとは言え、不浄の存在は呼び起こすならそれなりに多い。
 そもそもここは魔都・東京だ。
 神田と言う場所もまた、江戸の昔は特に火事で知られ恐れられた場所。
 ………………ひとつひとつの『力』は弱くとも、やたらめったら『数』は居る。


 由代が指先を下ろしたその時、その場所には凄まじい妖気…瘴気が満ち満ちていた。
 霊感のまったく無い者であってさえ、恐るべき何かがそこに居ると悪寒を感じるような。
 ましてや、何の勉強もしていないずぶの素人にしろ、素養だけならありそうだと言うのなら。
 これだけでも相当効く筈だ。


 場に満ちる瘴気だけでさえ、慣れていなければ凄まじかろう。
 その証拠に、男はがたがたと震えだしている様子。


 …こんな手合いに『本物』を見せるも勿体無いが。
『本物』の恐ろしさは教えておくべきであろう。
『本物』の恐ろしさを知ったその上で、改めて魔術の研究をし始めようと言うのなら。
 それはその時点で僕たち魔術師の末席に座る事になる。
 そうなったなら、今単なる興味本意で求めているだろうその本も、いずれ、相応しいだろう知識を得たその時に、普通に店主は売ってくれる筈だ。


 ………………但し、興味本意で『こちらの世界』に手を出そうと言う輩の場合、そこまで至る程覚悟がある者は…非常に稀である。


 で、今この男を見ていて、その覚悟が見えるかと言うと…。
 正直、皆無。
 ………………これはただ、手っ取り早く欲望を成就させようと言う理由でこの本を求めているようにしか見えない。
 ならば『これ』がどれ程危ないモノかは誰かが教えてやる必要がある。
 …それが僕である必要は特には無いのだけれど。
 居合わせてしまった以上、仕方無い。


「…キミはこれらに畏れ屈する事なく相対する事が出来るか?」


 言い聞かせるように由代は声を発する。
 …ただ、招かれざる客人の耳には最早その言葉が入っているかどうかもわからない。


「興味本意で使おうとすればいつでも施術者に牙を剥く」


 異様なる声を上げる霊魔の類。
 …感覚を持たぬ者ならばそれらは視えるものでも聞こえるものでもないが。
 ただ、それでもその異様なる声は畏怖すべき圧力染みた空気として感じられるものでもある。
 負の気配が動くと言えば良いのか。
 …果たして、招かれざる客人はどちらと判ずるのであろうか。
 霊魔として視えるか、負の気配として感じるか。


「これらを操る術、探求する事が出来るか? 畏れるだけならすぐに呑まれる。壊れるのは施術者の精神。それを護るのは己自身の自我が何より大切だ。真理に至る為得た知識は使うべき法則、実践すべき手段に過ぎない。それらはすべて副次的な事。…何より大切なのは己自身を律し、高める事」


 ただ、闇雲に恐れる輩が真理を探求出来る訳がない。
 そして真理の探求者でなければ真っ当に魔術は使えない。
 由代は今起こした霊魔を招かれざる客の側へと密かに移動させ囲ませる。
 今、相当なプレッシャーがかかっている筈だ。


「…分不相応と言うモノはある。気を付けた方が良い」


 最後、由代はさらりと告げると、一時にその場に起こした霊魔を消し去った。
 当然ながら綺麗さっぱり、瘴気もプレッシャーも何もかも、消えている。
 元通り。
 …鮮やか過ぎるその手並みに、男はただ、瞠目した。
 疑う余地は無い。
 今の『魔術』は、由代が為したもの…と。


 そんな由代の見せた『魔術』とその科白に、男は何を思ったか。
 青褪めた顔のまま、何も言わず振り返る事もせず、躓き転びそうになりながらも慌てて地上へと駆け上がって行っていた。


 …そして招かれざる客が消えてから。
 店主と由代、どちらからとも無く息を吐く音がする。
 一拍置いてから、ありゃあもう来るまいて、有難うよ城ヶ崎さん、と由代に感謝しきりの店主。


 その態度に、由代は暫し無言のままで考えた。
 で、取り敢えずそんな店主をちょいちょいと呼び付け、掲げて見せたのは先程選び取った古書数点。
 ちらりと店主を見、微笑む。


「…値引きしてもらえますかね、これ」


■■■


 …と、『説得』の報酬がてらちょっと値切って古書数冊を購入後。
 店を出て。
 暫し歩いて。
 また別の店。
 …とは言え今度は古書店ではない。
 蕎麦屋である。


 そう、いつも通りの締めとばかりに由代は蕎麦を食べている。
 …これもまた馴染みの蕎麦屋での話。


 ………………さて、これでやっと、自宅に帰ってゆっくり戦利品に挑めるな。


【了】