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ブロンド・メイデン
俺の好みはパツキンの女だ。濃ゆい化粧もバッチリ似合う、出るべきトコは出ててくびれてるべきところはくびれてる女。最近この国でも、ビデオを借りたり雑誌をめくったりするだけで、俺は好みの女とすぐ会うことが出来る。だから、いまの日本社会はサイコーなのさ。そう思うことに何の間違いがあるっていうんだ。
もしかしたら俺が人外で、妖で、そもそも鼬の姿をした風であることが問題なのか。
多分そうなんだろう。
なのに、俺がいま追っかけてるのが――
「こんにちは、鈴森さん」
「ヤだなー、名前で呼んでくれって何回言わせんのさァ」
「……ごめんなさい。こんにちは、夜刀さん」
黒曜石みたいに黒い髪の、大和撫子ってのはどういうこった。
俺がいまつらい片想いをしている相手は、とある便利屋の事務所にいる。受付を担当しているらしい。
「彼女が気に入りましたか」
受付のあの子を陰でこっそり見つめていると、知らん野郎がいつの間にか俺の背後にまわっていて、ニヤニヤしていた。
いや――ニヤニヤって言うのは間違いだった。やつの笑みは充分上品だったし、静かなものだった。
ともかく俺は驚いた。俺の胸のうちだけにしまっておいてある密やかな恋だったはずなのに、何でこの野郎は見抜いていやがるんだ。
「まさか! 有り得ねッて! つか、何でわかった?」
「俗っぽい言いかたをしてしまえば、バレバレなのですよ。ここのところ毎日私の事務所に特に用もないのにやってきては、柱の陰で彼女ばかり見ているではありませんか。彼女も勿論気づいているはずです」
「なァにィ! つか、おまえ誰だ?」
「応接室でお話ししましょうか」
妙に小奇麗な男は、俺を引っ張った。柱の影から出た俺が見たのは、可笑しそうに微笑んでいる彼女。
おお……天使。
「彼女、差し上げましょうか、貴方に」
はァ?
だだっ広い応接室に入るなり、男は言った。俺は「はァ?」の声すら出なかった。マヌケな「はァ?」の表情で、男を見るしかなかった。
「なに? どゆコト?」
「彼女は、貴方に差し上げることができる『もの』だということですよ」
「答えになってねェよ」
何だってんだ……カマをかけてるのはそっちだろ。どうして、自分でやっといて自分で苦笑いなんかしやがる。わからねェ野郎だ……不思議な、やつだ。
けれど俺の疑問は、男が話し始めた『彼女の事情』を聞くうちに、はるか彼方にすっ飛んだ。
俺が惚れてる大和撫子には、俺が抱えている秘密とタメ張る秘密が隠されていた。
それでも、
けれど、
俺は――
彼女が、俺のものになってくれるなら。
「……わかったよ」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「わかりました。持ち主の設定を変更してきましょう。但し、設定はもう二度と変えられないものでしてね。持ち主には、責任が伴う。きちんと最後まで面倒をみてあげて下さい」
「望むところさ」
俺は、後悔なんてしない……したことなんかない……そういう風に生きてるんだ。
ひょっとしたら、俺が必死になってそう思いこんでいるだけなのかもしれない。
けれど俺は、俺がそう思い込んでいる限り、後悔なんかしないんだ。
黒髪の彼女は、俺のものになった。
彼女は、人間のようだった。笑うし、泣くし、俺の面倒をみてくれる。彼女が俺のものになってから1週間後には、どっちがどっちの面倒をみるってハナシになってたかわからなくなっちまったほどだった。
それでも、彼女は、人間じゃない。俺のような妖でもない。
彼女は、人形だった。あの不思議な野郎が言ってた通り、彼女は『もの』なんだ。
仕組みとかそういうのは、俺には正直サッパリわからん。彼女は、人間がブチ切れて叫ぶときとか、ワラ人形に釘刺すときにブッ放つような、負の力を正の力に変換し、さらにはそれを生の力に変えて動いているらしい。
だから彼女は、天使か菩薩のような性格なんだ。彼女が泣くのは、感動巨編映画を観たときとか、ニュースで有名人の訃報が流れたときだった。俺は彼女のそばにいると、ひどく気持ちが落ち着いた。仕事とか街中でつまんねェことがあって腹立てても、彼女の手を握るだけで、嫌なことを綺麗さっぱりノー天気に忘れることが出来た。彼女は律儀に、俺からも負の感情の力ってやつを吸い取ってたってわけだ。もしかしたら、吸い取るか吸い取らないか、その判断は出来ないのかもしれなかった。
けれど、どんな大器だって、ガンガン中に入れてたら、いつかはこぼれるんだ。
彼女は、大器なんかじゃなかった。
普通の器だった。
俺は、お猪口くらいしかねェんじゃないかって、思った。
「おつかれさまです、夜刀さん」
「おつかれだよ、全くさ。でもやっぱり我が家はいいなァ」
「今日は早く帰ってきてくれたんですね。うれしい」
「なあ、あったかい飲みもん、何かない? 外、マジさァむくてもう」
「あっ、淹れますよ、お茶。緑茶にします?」
「うんにゃ、紅茶で。おまえの淹れる紅茶、美味いしさ……ほら、コレ」
「わあ、『ラ・セーヌ』のケーキ?!」
「ケーキにゃやっぱし紅茶でしょー」
「高かったんじゃないですか?」
「久し振りに兄貴と会ってさ、おねだりしちったァ」
「お兄さん、いつも大変ですねぇ」
「そう思う? 思うよなあ、ハハハ」
久し振りに、ふたりで出かけた。
夕メシの買い出しに。
総菜屋から、いい匂いがしてきてた。独りでいたときはよく通ってたあの総菜屋にも、もう随分と行ってない気がした。彼女が来てから、料理は彼女の手料理になってたんだ。
それが当たり前になって、前の日に彼女が何を作ってくれたかなんて……覚えてなかった。
黒髪の彼女は、撫子から鳥兜になった。
それは、あんまりにも急なハナシだった――
器からこぼれ落ちた力は、変換されることもなく、彼女を突き動かした。ネギが顔を出したスーパーの袋を落として、彼女はその辺を走ってたママチャリのオバチャンに突進した。
俺は、見たくなかった。
彼女のあの、くりくりした茶色の目が、ぐるんぐるん有り得ない回転をしているところなんて――彼女が、ひでえ口元で、ケケケとか笑っているところなんて――彼女が、ケケケと笑いながら殺してやるなんて叫んでるところなんて――彼女が、なんも関係ない人間を殴ったり蹴ったりしてるところなんて。
あの事務所に置かれたままで、俺が柱の影から見つめているだけだったら、見なくてすんだんだ。彼女はああなる前に取り換えられて、ずっと大和撫子のまんま。
逃げ出そうとする俺、
思い出した。
最近、カワイイ犬のCMにもご丁寧にキャプションついてるじゃねぇか。
いちど手に入れたら、最後まで面倒みなくちゃならないんだ――。
俺は暴れる彼女をなんとか路地裏に引きずりこんだ。
あの、かわいい声は聞こえなかった。いまいる路地裏に入り浸ってる連中が吐くような、薄汚ェ悪態をついていて――
俺は最後に抱きしめた。後悔なんかしてない。後悔なんかしたくないんだ。俺はぜったいに後悔なんかしていない。
「俺は、後悔なんかしてない。俺は今だって幸せなんだ。本当さ。すごく、幸せだったんだ――」
あとは、手首から現した自慢の鎌を、彼女の胸にさしこむことくらいしか出来なかった。
俺はなんで、あの便利屋に今も顔を出すんだろう。
後悔なんかしていないのに。
「こんにちは、鈴森さん」
「ヤだなー、名前で呼んでくれって何回言わせんのさァ」
「……ごめんなさい。こんにちは、夜刀さん」
デジャ=ヴュなんだと自分に言い聞かせて、俺は大和撫子を見る。
今微笑んでいるのは、彼女じゃない……
顔と仕組みとこころと据わっているところが同じだけの、別のものなんだ。
そうに、きまってる。
そう、思わせてくれよ。
<了>
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