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<東京怪談ノベル(シングル)>


さくらうた

さくら さくら 早咲きませう
さくら さくら 早散りませう

さくら さくらと さくらに戯れ
さくら さくらと さくらに唄う

さくら さくら あら遊びませう
さくら さくら あら惑いませう

さくら さくら ──── さくら 。

**********

 西ノ浜奈杖は別に人が嫌いなわけではない。むしろ、大変好いていると言っても良い。
 友人知人は数多おり、見知らぬ人の輪にも臆することなく入ってゆける。初対面の相手とも忽ち打ち解けてしまうし、緊迫した場面だってのほほん無邪気な笑顔で和ませる。社交上手は処世術、というつもりはさらさら無くて、単に、そういう天性の気質なのだろう。
 また、旅という名の放浪癖とて、触れ合いを厭うての逃避行ではない。
 旅先で一期一会の人々と笑顔で言葉を交わし、別れ際には喜びと切なさを胸に手を振り合う。素晴らしい景観を見ては歓声を上げ、その地でしか味わえぬ特産には心行くまで舌鼓を打つ。時には知人と同道して、忘れ得ぬ思い出を共有することだってあるのだ。
 だから、西ノ浜奈杖は別に孤独を愛しているわけではない。むしろ、人を愛していると言っても良い。
 ────の、だけれども。

 たった独りで酔いに興じてみたい夜も、偶にはあったりするわけで。
 そう例えばこんな、コンペイ糖を空に散らしたかの星月夜には。


「……ああ、綺麗だなあ」
 ”ふらり、ふらり” 猩々然とした足取りで、奈杖は川沿いの道を歩いていた。
 街灯も無く辺りは闇一色である。春も深まりきらぬ日の宵口、未だ夜の帳はさっと降りるのだ。
 ”ふらり、ふらり” 好物の缶コーヒーを片手に奈杖はゆったりのんびりと行く。
 両側には高低様々な木々の並び。時折「ほぅ」と奈杖が零す感嘆の溜息、何も聞こえぬ静かな道。
「……本当に、綺麗だなあ」
 ”ふらり、ふわり” コーヒーを呷って上向けば、”それ”はさらに視界を一杯に塞ぐ。
 夜闇に影となった並木の天蓋が、数多の白を降らせ続けていて。
 ”ふわり、ふわり” 舞うように落ちていくその花弁を、奈杖は缶に口をつけたまま目で追った。
「……きれいだなあ」

 乱反射を起こす水面。空に煌く星々。降り頻る淡雪。
 連想するのは、無数の小さな美しき光。
 それは、桜の──咲き終わりの、さくらのはなびらだった。

” ふ わ り 、 ふ わ り ”


『もう桜も終いですわあ。今夜辺りが最後の見頃かもしらんねえ』
 予約も入れずに飛び込んだとある宿。街自体がさびれた田舎町であったから、当然そこも空き部屋を多く持て余していたらしい。老齢にさしかかった女将は奈杖をにこやかに迎え、心尽くしの夕食を振舞ってくれた。
 桜並木の話は、その時聞いたものだ。
『近くに川がありましてね、そこの土手にようさん桜が植わっとるんですよお。よかったら見て来ますぅ?』
 ほほほ、なんて顔中皺くちゃにして笑う彼女に半ば無理矢理背中を押され、気付いた時にはもうその川へと向かうことになっていた。いってらっしゃいねえ、の声を受け街へと出れば、夜もまだ浅いというのにもうどこにも人影が見当たらない。自動販売機でホットコーヒーを一缶買った奈杖は、何だか狐に化かされたような気分で川を目指した。

 そして。とても静かで、穏やかな夜の中。
 旅人は音もなく舞い躍る桜吹雪と出会った。


” は ら り 、 は ら り ”

 柔らかな風に、帽子の端から覗く髪が揺れている。緩やかな風に、枝を離れた花弁が舞っている。
 桜の木は様々だった。道行く人々を抱きしめようと、両腕を大きく広げた木。天へ届けとばかりに高くその手を伸ばし、祈りを捧げているような木。節くれだった幹、直ぐなる枝。葉の多いもの、まだ花を霞の如く残しているもの。
 見る人は奈杖のみ。この夜桜は、今ただ、自分だけの瞳に映っているのだ。
 奈杖はふと立ち止まり、地へと視線を落とす。桜色がびっしりと、モザイクのように敷き詰められている。
 女将の言っていた通り終わりが近いらしいこの桜。今夜中に散り終えてしまおうと静心無く花を降らすこの桜。
「……さくら、さくら」
 奈杖は唱歌を口ずさむ。少々行儀の悪い花見だが、たった一人の夜桜見物。ここれはひとつ、無礼講としてほしい。
 桜に戯れ、桜に唄う。夜だからこその密やかさ。
 さくらよさくら、どうぞ今宵は。
「……さくら」
 ふふ、と微笑い声が、梢を微かに揺らした──ように見えた。

**********

 見渡せば さくら 葉ざくら 織り交ぜて
 春の衣を 深く染め かたみとなさん 散りさくら
 霞の間には 山ざくら 雲と見えるは 八重ざくら
 八重九重と 咲き匂う 花の色こそ さくら色
 心に咲くや 此之花咲耶

 さくやさくらとさくらのさくや
 きのはなさくとそのなもさくら
 さくら、さくら さくら、さくら
 さかいさくらがさくさくらくらきよさらにさけさくら
 さくらさくらくらさくらくささくらくさくららくさくささくら
 らくらさくらくささくらくさくららくさくささくさくらさくら
 さくら 。

**********

「……あれ?」
 ……と。顔を上げた奈杖は妙なことに気がついた。
 向いているこの方向は出口への道。
「……あれれ?」
 肩越しに振り向いたその方向は、入口への道。
 奈杖は何度も来し方行く末を見比べた。そして益々頭を捻った。
 目に映る風景が、まるで同じ。どちらを向いても、同じ桜の並木道。
「いや、それは当然だけど」
 道も同じく桜色。天も同じく桜色。何時の間にやら夜空も見えない。
「え、え、?」
 見れば見るほど我が位置失う。最早どちらがどちらかも、分からず惑う、くるくる迷う。

 ────これは如何にや、さくらに惑う。
 ────君は誰ぞや、さくらに惑え。

「!」
 その時奈杖は我が目を疑い、瞠目した。
 今まで葉桜であった木々が、みるみる花を甦らせていく。
 競い合うように花は咲き乱れ、呆気に取られている内に早。
「……うそぉ…」
 開いた口が塞がらない。奈杖を閉じ込めたその道は、今や満開の桜並木。

くらくらさくらくらささくらさくらくささくらくさくららくさ
さくらくさくらくささくらさくくらくささくらさらくさくらら

 どこを見てもさくら。何を見てもさくら。
 咲くさくら、散るさくら。薄紅色のさくら、白く煌くさくら。

さらくらさくらささくさささくらくさくららくさらくさくさく
さくさくらくささくらさらささくらさくくらくささくらさくさ

 やがて、その唄が聞こえだす。奈杖の耳に、そのさくらうたが聴こえだす。

さくら さくら 早咲きませう  さくら さくら 早散りませう
さくら さくら あら遊びませう  さくら さくら あら惑いませう

 まるでさんざめく少女達のように、さくらたちはうたを唄っていた。時々くすくすと混じる微笑は驚いている奈杖をからかってのことだろうか。そしてぽかんと口を開けたままの奈杖に、方々のさくらが愛らしい声で話し掛ける。

 ────今宵居合せてしまった旅人よ。どうですか、わたしたちは美しいでしょう?
「は、はい?」
 ────だってあれほど見つめて下さって。ああそれとも、こちらの方がお好みかしら?

 するとさくらは瞬く間に濃い緑の葉を芽吹かせていく。花がぼたぼた惜しげもなく落ち、地面はもう、土の色さえ見えない桜色の絨毯。爪先は薄紅色の中に埋まり、帽子の上にどっさり積もったはなびらが奈杖の頭に重力を掛ける。
「お、重い……」
 ばさばさとさくらをはたき落としていく奈杖の様に、またさくらがくすくす笑う。それがちょっと恥ずかしくて、奈杖は照れ隠しにと缶に口をつけ傾けた──ら。
「…! う、うわあっ!」
 唇へと零れて来たのはこれまたさくら。コーヒーであったはずの中身が何故かさくら。振れば振るほどさくらは流れ、明らかに缶の容量を越えてさくらは溢れて。
「……もしかして…?」
 危ない予感に捕らわれた奈杖はトレードマークである帽子を思い切って取り去った。その中から、髪の間から、果たしてさくらは滝の如くたぎり落ち、払えど払えど止めど無く、無限にさくらが湧き出て来たので。

 ────奈杖はついに、眩暈を起こして倒れた。

「も、もうダメ……」

 ばたんっ。きゅう。



**********

「…………」
 ゆっくりと、瞼を上げていく。
 徐々に戻ってくる意識。そうか気を失っていたのかと奈杖は合点する。
「……あれ?」
 ひゅう、と暖かな風が頬を撫で、前髪を揺らし、地に横たわる奈杖の上を無遠慮に過ぎていった。
 頭の下、そして投げ出した手に触れているのは、ひいやりとした土の冷たさ。仰向けの瞳に映った光景は、幾重にも重なる黒い葉の影。あれは木の葉、緑の葉。その隣りにあるのは花。そしてはらはらと散っているのは、その花弁。
「……夢、だったのかな?」
 奈杖は我知らず呟き、一二度瞬きをした。
 最早歌声は聞こえない。満開の桜も姿を消している。

 そこには、ただ静けさがあるのみ。
 そして、元通り咲き終わりの桜の木々が並ぶのみ。

 奈杖はゆっくりと体を起こす。近くに転がっていた帽子を拾い上げ、埃を叩いて元の位置に収める。
 桜並木の果てと果て、そこには確かに切れ目が認められる。ああよかった、惑いと迷いから抜け出せたのだ。そう考えてからはたと気付き、奈杖はふっと口許を緩めた。
「よかったも何も、あれは夢だったんだ」
 うんうんそう思うことにしよう。頷いて自らを納得させた奈杖は再び歩き出す。元のように良い気分で夜桜を仰ぎながら、さくらさくらと鼻歌混じりに並木道を行く。
「……ん?」
 そうして数歩進んだ時、爪先が何かをカンッ、と蹴り上げた。
 いったい何が落ちていたのかと屈みこんでまじまじ見つめてみれば、それは酒瓶ならぬあのコーヒーの缶だったので。
「…………」
 恐る恐るそれを摘み上げる。────軽い。空だ。
 ごくりと唾を飲み込むと、奈杖は意を決してそれを引っ繰り返した。

 ────すると、その中から、はらり。
 ────さくらのはなびらが一枚、地に舞い落ちた。

 奈杖は暫く押し黙り、やがてぽつりと──さくらに目を遣りながら呟いた。
「……さくらに化かされた、のか、な?」



 一人楽しむ星月夜。一人眺むる夜桜並木。
 盛りと眠りと境の桜。此岸と彼岸の境の桜。
 さくらに戯れ、さくらに唄う。
 さくら、さくら。

 ──── さくら 。

 了