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<東京怪談ノベル(シングル)>


遺されたのはその想いだけ


 唯一、神の玉座の右に侍る事が許された最高位の天使が居た。
 神と共に生まれたと言っても良い程、根源に近い天使。
 天使の中でも最高の気品と美しさを兼ね備え、六枚の翼を広げ誇り高く戦う姿は天の英雄と称された。


 その天使は他の誰よりも神の寵愛を受けていた。
 その天使も、他の誰よりも深く神を愛していた。


 ………………他ならぬ神がただひとりを愛する事など叶わぬ筈なのに。
 心から、それだけを望む者が居た。


 薔薇の紋章を刻まれた十字架がその証。
 神はそれを最愛の天使の首に掛けた。
 互いに変わらぬ愛を誓い。
 静かに祝福の接吻を。


 ………………天の楽園での平穏なる時、愛に満ちた彼らの蜜月は永遠に続くと思われた。


■■■


 破綻はいずれ起きるもの。
 無理は何処かに現れる。


 ………………誰も望まぬ終焉は、残酷にも気紛れに訪れる。


 神の愛し子、人間や。
 神の意志を遂行する天使たち。


 その筈が。


 神を忘れて笑い合う。
 神を忘れて騙し合う。
 神を忘れて愛し合う。
 神を忘れて殺し合う。
 神を忘れて傷付け合う。
 神を忘れて大地を焼き払う。


 …人も天使も大差無い。
 それを抑え、治めるが神の務め。
 神の愛さえ届いていれば、その心がこれ程までに荒廃しようか。
 …天の英雄と称された天使は決して、神は自分だけのものにはならぬと深い部分ではずっと諦めて来た。
 だが。
 こんな者たちと自分は平等に扱われなければならない存在か?
 疑念が浮かぶ。


 ………………こんな連中をも神が愛すると言うのか!


 天の英雄と称され、薔薇を刻まれた十字架、それを首に掛けた天使は憤る。
 最早我慢がならない。
 …それは、嫉妬と言う罪でもあったか。


 狂おしいまでに想い続けたその相手。
 求められるままにただ、その御許で働き続けた最高位の天使。
 その天使はいつぞや神より賜った薔薇を刻まれた十字架、それが剣に変化する事を知っていた。
 ただの剣では無く――唯一、神を殺す事が叶う剣に変化する、と。
 その天使は神の命を託されていた。
 それ程までに愛されていた。
 断罪されるならただひとりにだけと。
 愛を誓ったその時に神はすべてを決めていた。


 …その天使は神のおわす間に荒々しく踏み込んだ。
 常にはあらぬその態度。
 猛々しさは戦いの際の天の英雄そのままで。
 神は何故に彼らを黙って見ている。人も天使も、諌める事無く野放しにしておくのかと。
 その天使は神に詰め寄った。


 そして。
 十字架を変化させたその剣の切っ先を神に突き付ける。
 今のままで置くと言うならば。
 きみを殺す。


 その天使は恐れる事無く神に向け叩き付ける。


 対する神の返答は。
 一筋の涙。
 そして。


 …最愛の天使の前で泣き崩れる神の姿。
 その天使は目を見張る。


 私を殺してくれ。
 最早自分は世界を愛せなくなった。
 人も天使も愛せない。
 彼らの暴虐は留まるところを知らぬ。最早私には何も出来ない。


 ………………神は神である事に疲れ最愛の天使に殺されたいと願っていた。


 その天使は剣を神に向け躊躇いなく振り下ろす。
 神の望みを叶える為。
 否、その時にはもう既に。
 …その天使が神に抱いてしまった激しい独占欲の為、だったかもしれない。


 その天使は神の泣く姿など、一度足りと見た事は無かった。
 神の声を聞くなり、その天使が持つ剣は自然と動いていた。


 神を斬り裂き殺す為に。
 大罪であると知りながら。
 抵抗もなく剣の切っ先は、神の身に吸い込まれていた。


 手応えは存外にずしりと重く。
 それは罪の重さと同等であったのかもしれない。


 が、命の灯火消える寸前の神は微笑んでいる。
 せめて最愛の者の手に掛けられたいと。
 …今、神の望んだその通りになったのだから。



 ――――――すまない
 これで私はずっと、お前だけを愛する事が出来る



 最期に儚く響いた声は、その天使にどう届いたものだっただろうか。
 じっと見ているその眼前で神が消滅したその時、他の誰よりも神に愛されていたその天使は。
 果たして、何を思ったか。


 …神は死んだ。
 唯一の、至上の存在が。


 神殺しの大罪と。
 …神を忘れていた者たちから糾弾され追われる事すべて承知。


 それでも。
 その天使に後悔などは無い。
 殺す事で初めて独占出来た最愛の相手。
 神はその天使以外の誰も見る事はない。
 もう、他の誰に心を砕く事もない。
 他の誰よりも神を愛しているその天使は恍惚とその事実に酔い痴れる。
 神は自分だけのもの、と。
 純粋過ぎるが故に歪んだ想い。


 …最早その天使、天の楽園に住まう事叶わず。


 否、住まう必然など最早存在しない。


 何故なら――神はそこには居ないのだから。


■■■


 …自ら堕天し地に下り立った、最高位の天使であった存在はひとり佇む。
 どれ程他の事を考えようと試みても、決して頭から離れない神の事。


 手には入った。永遠に。
 だが。
 もう二度と触れる事も語り合う事も叶わない。
 …覚悟はしていた筈だった。
 けれど、考えと感情は必ずしも合うとは限らない。
 手には入った。永遠に。
 だが同時に。
 …最愛のひとのそこにあるぬくもりは、永遠に喪った。


 堕天したこの身、過去の名など名乗れよう筈もない。
 …天の英雄は地に堕ちた。
 それだけでは無い、神に愛された彼自身のその名も。
 自分の手から疾うに離れている。
 もがれた六枚の翼と同様に。


 この身に遺されたのはその想いだけ。
 後は、抜け殻同然で。


 ならばこそ。


 自身の生きている限り、二度と喪う事が無いだろうその想いを。
 地上での仮初の名にこめた。


 ………………その胸に、神に賜った原種の薔薇を抱く熾天使。
 シュラブローズ・セラフィン、と。


【了】