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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


『想い出は遠き過去の海底へ』

【T】

「あら、あんた面白いものを連れてるね」
 アンティークショップ・レンのドアを潜って聞いた第一声が店主である蓮のそんな言葉だ。いらっしゃいも何もない。暇そうにカウンターで頬杖をついて二十を出迎えた。しかしその視線は二十が召還した燎に向けられていて二十のことなど見ていない。そもそもこの店を潜った理由が燎が行きたいと云ったことにあるのだから仕方がないことかもしれないと思って二十は蓮に視線を向ける。
「ちょうど良かった。あいつの相手をしてやっておくれよ」
 細い指が指し示す先には小物が並ぶショーケースがあった。
「その辺にライターがあるだろう。真ん中が凹んでいるやつだよ」
 カウンターの向こう側からぶっきらぼうに指示する蓮に云われるがままに二十は歩を進める。
『あなたが記憶を捨てに行ってくれるの?』
 不意に声が響く。主はショーケースに陳列された真鍮製のワンハンドオイルライターだった。その中心はまるで銃弾がめり込んだかのように凹んでいる。
『待っていたのよ、ずっと。あなたみたいな人が訪れるのを待っていたの』
 ライターは云う。その声は純粋に嬉しそうな響きでもって二十に届いた。
 事情を説明してくれといった風に蓮を振り返ると、彼女は説明する気などさらさらないといった体で云う。
「話はそいつから聞いておくれ。あたしにはそんな暇ないんだよ」
 いかにも暇そうにしている蓮のどこに暇がないのだろうと思いながら、二十はライターに向き直る。
 すぐ傍で燎が云った。
『主殿、きちんとお話を聞いてあげて下さい』
「どうして?」
『彼女に呼ばれました』
「あぁ、だから来たかったんだね」
『はい。ですからどうか、きちんとお話を聞いてあげて下さい』
 珍しく頑なな燎の口調に二十は、ライターをショーケースから出してもらえるかどうか蓮に問う。すると彼女は気怠るそうにカウンターから出てくると乱暴とも見える手つきでショーケースを開け、ライターを二十の掌の上にを落すと再びカウンターの奥へと戻っていった。手触りからして古いライターだということがわかった。
『ただの物に戻りたいの。そのためには記憶を捨てなければならないのよ。お願い、記憶を捨てる手伝いをして頂戴』
 真摯な声でライターが云う。
「それは簡単だよ。―――燎、このライターの記憶を燃やし尽くしてあげて」
『そんなの嫌よっ!』
 さらりと云った二十の言葉を叫ぶようにライターは拒絶する。
『そうです、主殿。それはあまりにも可哀想です。きちんとお話を聞いてあげて下さい。それからどうするかを考えましょう。何も急ぐ必要などどこにもないのですから』
 二十はあからさまに溜息をつく。
「珍しく反抗するね。どうしたの?」
『同じ炎属性ですから、主殿よりもライターの気持ちがわかるのです』
 揃いも揃ってなんなんだと思いながら、二十はライターを片手に手近な椅子に腰を下ろす。
「話してみてよ。燎がちゃんと聞いてくれるから」
 なんだか振り回されていると思いながら無責任に二十が云うと、ライターは二十の掌の上でぽつりぽつりと自分が持つ記憶の話を紡ぎ始めた。
 ライターが新品同然で購入されたのは大戦中のことだったと云う。購入したのは女性だ。その女性が片腕を無くして帰還した海兵が再び戦地に赴く際贈ったのだそうである。
『二人の名前と祈りの言葉が彫ってあるでしょう?』
 よく見ると、弾丸がめり込んで凹んだ辺りに異国の文字で名前とおぼしきものが刻まれていた。
『彼女が特注で彫らせたものなの。彼が無事に戻ってくるようにって』
『どうしてそんな記憶を捨てたいのですか?』
 燎が問う。
『哀しいからよ。哀しくて、辛すぎるから……。記憶を捨てて、まだ新品で何も記憶なんてなかった頃に戻りたいの』
 不意に落ちた沈黙。静寂が店内を満たして、鼓膜が痛むほどに静まりかえる。それを破ったのは二十だった。
「帰って来なかったんだね。その海兵さんは」
 言葉にライターは沈黙したままだった。燎も何も云わない。二十の言葉は答えも与えられず宙を彷徨うことになった。
 ただ哀しい気配だけが静寂のなかに染み出していくようだった。
 大戦中のことならば、きっとその女性ももう生きてはいないのだろう。ライターは主を失い、流れに流れてここに辿り着いたに違いない。思って二十は云った。
「どこに捨てに行きたいの?」
『海へ……』
 ライターが小さな声で答える。
 それを合図に二十は立ち上がった。そしてカウンターでつまらそうにしている蓮に云う。
「このライター、お借りしてもいいですか?」
 蓮は片手を挙げて、勝手にしな、と云った。
 どこまでもやる気のない店主だと思って、二十はライターを手に店を後にした。

【U】

 
 アンティークショップ・レンを出て、大通りに出る。そして二十は最寄りの駅から海へ向かう電車に乗ったローカル線だったせいもあって乗客は少ない。二人掛けの席を独占して、二十はライターに詳細を話してくれるよう小さな声で云った。流石にライター相手に話していたらおかしな目で見られると思ったからだ。
 ライターは従順にその言葉に従った。燎も黙ったままライターの言葉に耳を傾けている。
 大戦が始まるずっと以前から二人は恋人同士だったのだという。結婚を前提に付き合っていたそうだったが、彼が入隊して出征することが決まったことにより結婚が先延ばしにされたのだという。普通なら結婚してから出征していくのではないかと二十が思うと、それを見抜いたかのようにライターが云った。
『彼は自分が生きて戻れないことを知っていました。そして長く戦地に留まらなくてはいけないことも知っていたんです。だから自分と離れている間に彼女が別の恋人を見つけても仕方がないと思っていました。彼女の幸せだけが彼の望むものでしたから……』
 二十にはその心理がわからなかった。最愛の人が別の人間と幸せになる。それを自分の幸せとして受け止めることなどきっと自分にはできないと思ったからだ。
『主殿、ちゃんと話を聞いてあげて下さい』
 燎に云われて、二十は再びライターの言葉に耳を傾ける。
 彼は自分が思っていたよりも早く戦地から戻ることができた。しかし五体満足な姿ではなく、片腕を失って帰還したのだ。片腕の兵士はお荷物になるばかりで、戦地に留まっていても仕方がなかったから強制的に帰還させされられたのだという。彼女はそれでも彼が帰ってきたことを喜んで迎えた。やっと結婚できると思ったのだろう。しかしその幸福は長く続かなかった。戦争中はよくある話だ。彼らが身を置く国の戦況は決して良いものではなかった。日に日に悪化していくのは火を見るより明らかだったのである。
 そして再び彼は戦地に赴くことになった。幼い少年たちでさえも軍人として出征させられるようになっていた頃のことだ。肩腕がなくとも戦闘要員になればそれで良かったのだろう。その知らせに彼女は哀しんだ。今度こそきっと戻ってこないと思ったのだ。結婚も未だに果たせていない。彼女は彼を失った後、自分は誰とも結婚しないつもりでいた。だから一縷の望みに縋るようにして片腕の人間でも簡単に扱うことのできるワンハンドライターを購入し、それに無事帰還することができるようにという祈りの言葉と自分の名前、そして彼の名前を刻み込ませて出征していく彼に贈ったのだそうだ。
 彼はそのライターを常に軍服の左胸のポケットに入れていたそうだ。ライターはいつもそこで、心臓に一番近い部分で彼の気持ちを感じていたという。ただひたすらに彼女の安全と幸福だけを願っていたそうだ。自分が死んでも彼女が幸福であるようにと、それだけを真摯に願い続けていたのだそうである。ライターの凹みは彼が被弾した時のものだそうである。彼女の祈りは通じたのだ。
 彼が出征した後、程無くして終戦を迎えた。彼の国は戦争に負け、敗戦国となっていた。けれど彼にとってそんなことは些末なことであった。自国が敗戦国であろうとも、国がどんな惨状にあろうとも、自分が彼女のライターに救われて生きていることだけで十分だった。今度こそ彼女と結婚することができると思ったからだ。
 しかし結局それが果たされることはなかった。
 ライターは不意に言葉を切る。
 同時に電車が目的地で停車した。まるで図っていたようだと思いながら、二十は電車を降りる。改札を出ると駅舎から真っ直ぐに伸びる道の先には海が見えた。微かに吹く風には潮の香りがする。
『ちゃんと聞いていましたか?』
 燎が云う。
「聞いてたよ」
 なんだかやけに固執すると思いながら二十はおざなりに答える。
 アスファルトの上を行く。ライターは沈黙したままだ。歩を進めるにつれて潮の香りが濃くなっていく。ライターは沈黙を守ったままで、どうすべきかと思い巡らせながら二十は砂浜へ爪先を落した。そして波打ち際まで歩を進めると不意にライターが云った。
『彼女は死んでいたの』
「えっ……」
 無意識のうちに言葉が漏れた。
『彼らの家のあったのは海辺の美しい都市だったわ。それが空襲を受けて、その際に彼女は瓦礫の下敷きになって死んでしまっていたのよ』
 波の音だけが辺りに響く。
 燎はライターの言葉に衝撃を受けたのか沈黙を守ったままだ。
『結局、二人は結婚することができなかった。ずっと互いに互いを想いあっていたのに、戦争が彼らを引き裂いてしまったのよ』
「それで、その後彼はどうしたの?」
 二十が問う。
 ライターは躊躇うように、辛さや哀しみをこらえるように言葉を続ける。
『自分を責め続けてたわ。自分が助かったのは彼女が死んだからだと云って、ずっと自分が生き残ったことを呪っていた。私はライターだけど、どちらの想いも誰よりもわかっていた。だからそんな風に自分を責める彼が可哀想で仕方がなかった。共に辛かったし、哀しかった。あんなに彼を想っていた彼女の死も哀しかったし、戦争が終わったのに彼女の死は自分のせいだとでもいうように自分を責め続ける彼の傍にいることも辛かったわ。どうしてあんなに愛し合っていたのに、引き裂かれなければならなかったのかしら……』
 その言葉に二十も燎も答えることはできなかった。
 ただ波の音だけが空気を震わせて、静寂が完全なものにならないようにしてくれているようだった。
『結局彼も彼女を追いかけるようにして自殺したわ。海に身を投げて死んだの。私を彼女の墓の上に残して』
『連れて行ってもらいたかったんですね』
 燎が云う。
『そうよ。連れて行ってもらいたかった。誰よりも傍にいたのは私なんだもの、一緒に海の底に沈みたかったわ。それなのに彼は私を置き去りにして
彼女との記憶だけを遺して、独りで彼女の傍に逝ってしまったの』
 二十はその言葉に両手にライターを乗せて、波打ち際にしゃがみこんだ。そして寄せては返す波のなかにライターを浸す。燎に咎められるかと思ったが、黙ったままだった。
 波が寄せては返すたびに静かにライターの記憶が海の底へと溶けていくような気がした。
 悲しみの辛さも切なさも何もかも、ライターが抱えていた記憶という記憶の総てが彼の眠る海の底へと沈んでいくようだった。
 どれくらいそうしていただろう。
『主殿。―――もう大丈夫でしょう』
 燎が云う。
『ライターにはもう何も残っていません。物です。全く記憶を持たない、物になってしまいました』
 その言葉に二十はゆっくりと立ち上がり、遠い水平線に視線を投げた。
 随分遠い昔、多くの人々が死んだのだと思った。
 そしてきっと彼らのような別れ方をした人々も少なくない筈だと思った。
「帰ろうか。これを返しに行かなくちゃ」
『そうですね。お借りしたものですから』
 燎の言葉を合図に二十は踵を返した。

【V】
 
 
 再びアンティークショップ・レンに辿り着いた時にはすっかり日は沈んでいた。薄闇のなか仄かに明るい店内に入ると、昼間と変わらず暇そうにしている蓮がカウンターに突っ伏しただらしない格好で片手を挙げて二十を迎える。
「ご苦労さん」
 云う蓮に近づきライターを返そうと思って、ふと躊躇った。
 掌の上の歪んだライター。
 それに視線を落す。
 手放したくないと思った。
「あの、これを譲ってもらえませんか?」
 発作的に云った。
 蓮は、いいよ、とおざなりに答える。
「お代は?」
 二十が云うと蓮は目を細めるようにしてライターを眺め、
「タダでいいよ。どうせ傷物で、元々売り物になんてならないんだから」
と投げやりに云った。
「ありがとうございます」
 小さく頭を下げて、二十はライターを片手に店を後にした。
 そして暫く歩いてぽつりと云う。
「……くだらない、ね。燎」
『主殿もそのうちわかるようになりますよ』
 燎の言葉に掌のライターに視線を落す。
 燎にはライターの気持ちがわかったのだろうかと思ったが、訊ねるようなことはしなかった。
 いつか自分で知ることができればいいと、珍しくそう思ったからだ。
 どうして自分がこれを譲り受けたいと思ったのか本当のところはわからない。
 ただ少しだけ、今まで抱えてきた哀しい記憶ではなく幸せな記憶を持たせてやってもいいような気がした。
 それだけのことだ。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2795/風見二十/男性/13/万屋(現在、時計屋居候中)】

【NPC/碧摩蓮】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純です。
初めてご参加頂いたというにも拘らずキャラクター名を間違え、誤字を見落とすということで不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。
今後このようなことが絶対にないよう十分注意するように致します。
この度のご参加とご指摘、本当にありがとうございました。