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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


恋文



------<オープニング>--------------------------------------

「あなたのせい。 あなたのせい。 あなたのせい。 あなたのせい」
繰り返し繰り返し、クレヨンの赤で書き殴られている言葉の羅列は、
それだけで最早ある種の呪として完成されているように思われる。
少なくとも草間武彦は、一目見て頭痛に襲われた。
一枚の画用紙一杯に書き殴られている子供のような字。
そして、その画用紙にべったりと散っている、
クレヨンの赤よりも尚一層赤い血の雫。
「最早、何か嫌だ」
武彦は、その画用紙を見下ろしげんなりとした表情で呻く。
これは、30分程前に訪れた客が置いていったものだった。

「半年位前かだ、ま…毎日、届くんです」
疲れ切った表情で、30代半ばと思われる男性が呻く。
武彦は、銜えていた煙草を灰皿に押し付け眉を顰めた。
「それは、それはまめな奴ですね。 で、こんな嫌がらせをしてくる人間に心当たりは?」
「あ……ありません」
「では、警察へどうぞ」
依頼主の答えに殊更冷たい風情で、切り捨てて武彦は少し首を傾げた。
「何にもやましい事がないのなら、
高い金を払って探偵に調査依頼をする事ぁ、ないでしょう? 警察に頼みなさい」
それから表情を緩め、頭を掻きながらぼやくように呟く。
「依頼して頂くというのは、大変有り難いんですけどね、
全てをお話頂かないと、分かるもんも分からないでしょう?
探偵には守秘義務が御座います。 
こちらでお話しされた事は絶対に外には漏れないとお約束させて頂きますんで」
そう言いながらチラリと、依頼主に視線を流せば、
ガタガタと身体を振るわせて、それからか細い声で呟いた。
「あ…あります」
「何がです?」
「心あたり」
「それは、誰でどんな心当たりなんですか?」
武彦の問い掛けに、一瞬依頼主は躊躇を見せ、それから勢い込むようにして告げた。
「で…でも、もう、相手は死んでいる筈なんです!
「………えー」
その瞬間、物凄い勢いで武彦の目が死んだ。
「え…、えーって…」
「また、アレですか? 怪奇っぽい依頼ですか?」
「いや、それはまだ分からないんですけど、こういう感じの事は、
此処に来れば大丈夫って聞いたものだから」
「大丈夫って、ねぇ?」
「はぁ…」
「俺、怪奇探偵って呼ばれる為に探偵やってる訳じゃないし」
「そう呼ばれてるんですか?」
「はい。 何か、怪奇探偵って、俺が怪奇なの?位の勢いで」
「へぇ…」
「多分、俺のお袋とかも、息子がそんな風に呼ばれてるって知ったら、辛いと思うんですよ。 
探偵ですら、胡散臭いのにその上怪奇探偵て!って感じじゃ無いですか? 真っ当じゃないでしょう?」
「まぁ……ねぇ」
「あと、その画用紙」
「あ、はい」
「禍々しい!」
「え、まぁ、そうだからこそ、此方に依頼する事に決めたんですけど…」
「見ただけで鬱入る位、禍々しいですよ、それ」
「私も、郵便受けを開けて、是が入っているのを見る度に、辛くて辛くて…」
武彦は、すこぶる真面目な顔で告げた。
「明らかにヤバイ匂いのする仕事ですね。 こうなっては是非、この依頼はお断りしたいと……」
「お願いしますぅぅ!」
きっぱりと断りかけた武彦に突如、縋り付くように依頼主は腰にまとわりついた。
「怖いんですよ!」
「俺だって怖いですよ」
平然とそう言い放つ武彦に、男は諦めずに言い募る。
「こ、こここ、この、画用紙に付いてる血、ほ、ほんもんなんです!」
「本物?」
「人間の血なんですよ!」
「一年間、毎日送られてくるのに?」
「そ、それも同じ人間の!」
違う人間のならば、余計に怖いが、
これだけの量の血を毎日流して平気だとすると、余程血の気の多い奴と考えるか…、
まぁ、「怪奇現象」と嫌々ながらも捉えるべきか。                                                                                                                                                                                                                  
武彦は依頼主の、見上げてくる縋るような眼にもう一度溜息を吐くと
「分かりました。 詳しくお話下さい」と、答えた。

依頼主は、昔、ある女を裏切った。
依頼主は、実は実家がある食品会社を経営しており、なかなかに裕福な身の上であったのだが、
それ故自由の少ない身であり、学生の時に既に幾つかの見合い話が決まっているような状態だったという。
だが、依頼主にはその時心に決めた女がいて、二人は手に手を取って駆け落ち同然で逃げ出したそうだ。
身元もはっきりしない若い二人が稼ぐ手段は殆どなく、暮らしは加速度的に貧しくなっていった。
初めの内こそ、甘い事ばかりを言い合っていられたが、その内依頼主は元の何不自由ない暮らしが恋しくなり、
そんな時期に依頼主の行方を探し当てた実家が「×月×日に組んであるお見合いの席に、
大人しく出席するならば今回の事は不問に付す」と連絡を取ってきた。
依頼主は、これ幸いとお見合いの日に実家に戻り、女はそれを知って、男を取り戻そうとしたのだろう。
殆ど半狂乱の状態で後を追い、途中で交通事故にあって死んだ。
腹の中には、妊娠三ヶ月を越えた依頼主と女の子供がいたという。

「そ、その後、勿論お見合いの話は壊れ、私は自分の行った行為を恥じ、
女への罪悪感を抱き、実家を出ました。 
ある企業に就職し、一人で孤独に、でも平凡に時を重ねてきました」
男は、頭を抱えながら言う。
「そして、会社で私は、愛おしいと思える女性に出会い、結婚の約束を交わしました」
「それからなんですか? この、画用紙が届くようになったのは?」
「…はい。 そのせいで、なかなか結婚に踏み出せず、その女性にも悪い事をしているとは思うのですが…」
確かに、こんなものが毎日届く状況では、結婚なんて出来たもんではない。
「友人に大学病院に勤めている人間がいたので、何枚か検査して貰ったら、
人間、それも同じ人間の血だと真っ青になりながら教えられました」
武彦は、恐怖に固まった表情で言う。
「画用紙に付着していた血はね、探偵さん。 
DNA検査の結果、私と、その死んでしまった女の間の子供の血と判明されたんですよ」




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「あなたのせいだ」

キキキキキキ

耳障りな声が、耳をつんざく。
まるで、ガラスを爪を立てて引っ掻いた時に起こるような、不快な音。
依頼主を指差して、子供が笑った。

キキキキキキキキ

金蝉は眉根に深い、深い皺を刻んだ。
「最悪だ」
来るんじゃなかった。
胸中で一言そう呟き、傍らに立つ翼を見下ろせば似たような表情を見せて呻く。
「哀れだ」
冗談じゃない。
武彦にノせられて、こんな場面にノコノコ立ち会う事になってる俺達のが哀れだぜ。
そんな事を言おうものなら、冷たい非難の視線に晒されるのを承知していたので、金蝉は黙ってくわえている煙草をふかした。


事務所で、お互い顰め面を見せ合い、盛大に煙草の煙を吐き出し合った。
零の迷惑そうな視線も何のその。
もうもうと立ちこめる煙の中で武彦は、「じゃ、宜しく」と告げ、確か金蝉はきっぱり「テメェが受けた依頼をわざわざ俺に回すんじゃねぇよ」と毒づいた筈なのだ。
常識的な観点から見て、この金禅の答えは「お断りした」と受け取られて然るべき台詞ではあったと思うのだが……。


「何故、俺はここに?」
ふと、遠い目をして呟いた金蝉の目の前を一台の車が通り過ぎた。
ついで甲高い女の悲鳴が響き渡る。
声の方向に意識を向ければ、女が車に跳ねられていた。
これで、三度目だ。
同じ女が、数分ごとに車に跳ねられ宙に舞う光景が、何度も何度も繰り返し目の前で繰り広げられている。
跳ねられた女は、そのまま地面に叩き付けらる。
そして、体からジワジワと血を流し、半分潰れた顔を上げて、恨めしげな視線を依頼主に投げかけ、消えた。
1分程後には、再び女は急いで道路を渡ろうとし、車に跳ねられるのだ。
金蝉と、翼、そして依頼主は歩道に設置されたガードレールの側に立ち、その光景から視線を逸らす事の出来ぬまま、キキキキキと道路を挟んで向かい側にある歩道で、腹を抱えて笑っている少年の声を聞いていた。
何台も、何台も車は走っているのに、その世界は全くの無音で、少年の笑い声だけが、高く、高く無音の世界に響き渡る。
悪夢だ。
「ゆ…許してくれ、許してくれ、許してくれ…」
頭を抱えてうずくまり、虚ろにそう呟き続ける依頼主を見下ろして、金蝉は再び呟く。
「何故、俺はここに?」
まぁ、有り体に言えばお互いが煙を吐き出し合った結果、今回は俺の方が煙に巻かれてしまったとい言う事なのだろう。
面白くはない結果だが、こうなっている以上過去を振り返っても女々しいだけだ。
そう、無理矢理自分を納得させる金蝉を「金蝉…」と、翼が、至って冷静な口調で呼ぶ。
「何だ?」
「ここは、彼女の『事故現場』か?」
「そうだな」
「お前が、『招いた』からか?」
「ああ。 つまり、これは、お招きに預かって光栄ですって事だよ」
二人が呑気とすら言える会話を繰り広げる間に、また女が跳ねられた。


「これはな、つまり現世への『恋文』って訳だ」


武彦から依頼を託され、早速依頼者の自宅であるアパートを訪ねた金禅達は、滅多にお目に掛かれないような派手な美形二人の訪問に戦く依頼者を無視して、ズカズカと勝手に部屋に上がり込んだ。
「少し、見せて貰う」
言葉少なにそう告げた金蝉の、然し唯ならぬ威圧感に呑まれたのであろう。
コクコクと頷いて見せた依頼主を一瞥して、金蝉達は勝手に色々な部屋を見回り、そして一旦落ち着いて話をする為にリビングへと案内して貰った。
金蝉がドカリとソファーに腰を下ろすその隣りに、ストンと翼が軽い仕草で腰掛ける。
並ぶと余計に圧倒的な空気を醸し出す二人を前に、必要以上に恐縮しながら依頼主は「あ、あの、どんな感じなんでしょうか?」と、要を得ない質問を口にした。
金蝉は、そんな依頼主を無表情に眺め、全ての原因である画用紙を指差し、つまらなそうに前述の言葉を述べる。
依頼主は神妙な表情で聞いているが、翼がヒョイと眉を上げ「なかなか、詩人な言い回しじゃないか、金蝉」とからかった。
「恋文。 お前の口からそんな言葉が出るなんて、愉快だね」
心から愉しげに言う翼に「うるせぇ」とだけ不機嫌に答え、ヒラヒラとその画用紙を指で摘んで振った。
「どうする?」
「え?」
「鍵はこれだ。 入り口になる場所も、見付けた。 会うか?」
「だ、誰にです」
「お前に恋文を送る者にだ」
金禅の言葉に、ブルリと体を震わせ、依頼主は聞く。
「出来る…んですか? そんな事」
「出来る」
「ほ、放っておいたら、どうなるんでしょう?」
金蝉は、冷たく言い放った。
「十中八九、呑み込まれるな」
「何処にです?」
「穴に」
「穴?」
「さっき、言っただろ。 入り口を見付けたって。 入り口は、出口でもある。 その出口から、この恋文は送られている。 一般に聞く怪異現象とは黄泉からの現世への干渉であり、これは死者の恨みの感情によって穿かれた穴より行われる。 その穴から手だけが出たり、顔だけを出したり…とまぁ、そういう怪談は聞いた事があるだろ? 今回は、その穴より『手紙』という物質変換されたものが送られてきている訳だ」
そこで一旦言葉を切り、許可もとらないまま煙草を懐から引っぱり出すと、一本銜えて火を付ける。
フーッと溜息混じりの煙を吐き出すと、面倒臭そうに言葉を続けた。
「これは、結構ヤベェ。 手紙とは物質である以上、『触れる』事が出来るな?」
「あ……はい」
「つまり霊体の身でありながら、直接的に肉体に危害を及ぼす力を持っているって事だ」
「…え…と…」
戸惑っているような依頼主に、翼がかみ砕いて金禅の言葉を伝える。
「『触れられる』ものを作りだし、現世に干渉を出来る訳なのだから、君を直接傷付ける事が可能だって事さ。 これ以上放置して霊体に力を蓄えさせると、どんどん恨みの穴は大きくなり、そしていずれ君は取り込まれるか、穴から出てくる黄泉の住人の筈の『何者か』に殺されるだろう。 まぁ、そこに達する前に、酷くなる霊象に精神的にヤられてしまう方が早いと僕は予想するけどね」
いきなり、非現実的な言葉の羅列に戸惑っているのだろう。
キョトンと、呑み込めていない事丸分かりな表情の依頼主に、金蝉は苛立ったように一言で、今起こっている事態を理解させた。
「つまり、放っておくと死ぬぞ? それも、お前だけでなく、お前の新しい恋人もな」
端的な言葉は、然し千の言葉よりも切実に今、自分が瀕している危機を悟らせる。
「ど……どうすればいいんでしょう?」
「死にたくないか?」
金蝉が答えが明白な問い掛けを依頼主に行う。
「し、死にたくないですっ!」
勢い込んでそう答える依頼主に、凍り付くような視線を据えて囁いた。
「どれ程、今の恋人が大事だ?」
「と…とても、大事です」
「死んだ女より大事か?」
「……はい」
「産まれなかった子供よりもか」
「はい」
翼が、少し不快げに片眉を上げるのを、金蝉はチラリと横目で射て、それから「未練はないな」と駄目押しした。
「ないです。 微塵も」
きっぱりと言い放つ依頼主に「フン」と鼻を鳴らし、心持ち満足げに頷くと金蝉は立ち上がった。
「いいだろう。 なかなか、美しい決心だ」
そして、依頼主の胸に片手を当てる。
「救ってやる。 覚悟を決めろ」
「な……何なんでしょう?」
戸惑ったような表情を見せる依頼主に、空いている方の手で素早く印を結び短く呪を唱えると、つまらなそうに告げた。


「穴はお前の胸に空いている。 これ以上、その穴が大きくなり、霊の力が大きくなる前に、無理矢理開いて『向こう側』を此方に招く」


その瞬間、リビングが交差点へと変化した。


「手紙は、お前の胸に空いた穴から届けられていた。 素材は、結婚が決まった事によって一層強まった死んだ女達への罪悪感、後悔、それに呼ばれ悪意へと変質してしまったお前の餓鬼の魂。 『あなたのせい』とお前を責めていたのは、自分自身だ」
金蝉は、うずくまった男を見下ろして語り続ける。
「あの手紙は、お前からの恋文だよ。 忘れてはならないという、己自身の強迫観念が書いた手紙」


キキキキキキキキ
あなたのせいだ。
あなたのせいだ。


ヒステリックな、甲高い子供の声が空間を揺らす。


「ま……毎晩、夢を見るんです。 この夢を」
「いつから?」
「け……結婚を決めた日から」
「あの餓鬼も夢に出るのか?」
「…はい。 そして、言うんです」
「あなたのせいだ」
子供が笑う。
「彼女も言うのです」
再び跳ねられた女が、初めて血塗れの潰れた顔を上げて笑った。
「あなたのせいよ」
そして、また、消える。
再び車に跳ねられる為に。
依頼主は、「うぅぅっ」と小さく呻き、「お、俺のせいなんです。 そうなんです。 彼女の死は、俺が全面的に悪いのです」と嘆く。


「あなたのせいだ!」


子供が、依頼主を指差し愉しげにそう叫ぶと、ゆっくりと車道を渡りこちらへ近付いてきた。
何度も、何度も跳ねられ、地に伏す女の側に立ち、首を傾げて問うてくる。
「そうだよね? お兄ちゃん達も、そう思うよね?」
金蝉は、懐から銃を取り出し、ゆっくりと構える。
翼は、眉を顰め金蝉に声を掛けた。
「何とかならないのか?」
「何とか? どういう意味だ」
「あの子供はあの依頼者のせいで悪意へと変えられてしまった哀れな存在なのだろう? 産まれる事すら叶わなかったのに、その上こんな風に具現化されてしまうだなんて可哀想過ぎる」
「そうだ。 だから、引導を渡してやろうって話じゃねぇか」
「然し、それでは余りにも不憫だ。 あの存在が、例え産まれる前に命を失ってしまった者であろうとも、依頼者の『息子』であったのならば…」
「ならば?」
「……悲しい別れをさせるのは、止して欲しい」
「……はっ! おめでてーなぁ」
金蝉は、そう言い放ち、不機嫌そうな声で言う。
「相手は、何の聞き分けもねぇ餓鬼だ。 親父が思い込み続けてる『自分の責任だ』という意識に乗っ取られ、親父を責める為だけに生まれ出たいわば、あの男の自責の念そのものだ。 消してやれば良いんだよ。 跡形もなくな」
「………金蝉」
翼が、咎めるような、責めるような、聞き分けのない子供を諫めるような視線で金蝉を見上げる。
「本当にそう思うのか?」
噛んで含めるように、そう言う翼から眼を逸らし、「チッ」と、金蝉は盛大に舌を鳴らした。
これ以上、変に事態をややこしくするより、あの餓鬼の額に弾丸一発で蹴りをつけられるのなら、是非ともそうしたい。
そうしたいのは山々だが。
じっとキラキラ光る目に見据えられ、金蝉は益々眉間の皺を深くする。
それでも銃を下げると、「大サービスだ。 翼、嫌だろうが、どんだけ胸糞悪かろうが、とにかくその男引っ張って立たせて、あの餓鬼と向かい合わせろ」と、つまらなそうに言った。
「…じゃあ?」
「ああ。 面倒臭いが通じ合わせてやる」
金蝉の言葉に、翼はパッと花のように顔を輝かせると、「流石、金蝉」等と心にも無い言葉を言い、依頼主に駆け寄る。
そして、その肩を掴んでガクガクと揺さぶった。
「おい! 君っ! 自分の息子とも向かい合えないのか、情けないっ! 自分が、どれだけ酷い事をあの子に行っているのか分かってるのか!」
翼は男がゆっくりと顔を上げるのを確かめ、尚も力強く言い募る。
「君は自分勝手だ。 自分で自分を責めて、色んな人を傷付けている。 現に君の今の想い人だって、迷惑を被ってるじゃないか。 いいか? あの子を、あんな風に変えたのは君だ。 それは間違いない。 この悪夢の原因は、君だ。 然し、事故の原因は君のせいじゃない。 君のせいなものか。 そんな力は君にはない。 逃げ帰った甘チャンの君が、彼女を殺せたりするものか。 思い上がるな! いいか? 本当に、罪の意識があるのなら、あの子を、お前の子供を救ってやれ。 お前にしか出来ないんだ。 父親のお前にしかっ!」
言葉に催眠の力を込めているのだろう。
男は魅入られたかのように、異様な光を宿した眼で翼を見据えながら震える声で問い返した。
「と…届くんでしょうか? 俺の言葉」
「…安心しろ。 俺が届けてやる」
複雑な印を結びながら、無造作に金蝉が答えた。
「つまり、テメェのケツ位テメェ自身で拭くんだな」
片手に数珠を掛けて拝む金禅の薄く、形の良い唇から、低く、空間を柔らかに揺らすような経の詠唱が漏れる。

ピィィィィンと、空間が糸を張るかのように引き締まるのを確認し、「……いいよ。 喋って」と、金蝉の読経を邪魔せぬよう、低い声で翼が依頼主を促した。
「が、画用紙を送ってきたのは、お前だね?」
依頼主が恐る恐る問い掛けると、子供は「キキキキッ」と嗤って答える。
「そうだよ! あなたに思い出させてあげる為に送ったんだ」
「あの血…は?」
「僕の血さ! 貴方に教えてあげたんだ。 あの手紙が、どういう意味の手紙なのか。 知ってたでしょ?」
そういいながら、ペロリと着ている服を捲り上げる。 そのお腹、臍のあたりにはポッカリと穴が空き、子供がグッと腹を押すと、穴からトロトロと血が流れ落ちた。
依頼主が「ヒッ」と小さく呻いて眼を逸らし、翼が悲しげな表情を見せたのが金蝉の視線の端に引っ掛かった。
「お母さんと繋がっていた場所。 生まれる前に断ち切られてしまったからね、血が止まらないんだ」
そして、またキキキと嗤った。
「……す…すまなかった」
依頼主の詫びの言葉に子供が、依頼主を無邪気とも言えるような目で見た。
「お…お前には、悪い事をした」
依頼主の言葉に、子供がニコニコと笑う。
「……嘘吐き」
「え?」
「そんな事、微塵も思ってない癖に」
「思ってる。 だから俺はずっと……」
「じゃあ、何で別の人と結婚するの?」


キキキキキキキキ


「裏切り者。 あなたは、ずっと、ずっと、ずっと母さんを好きでなきゃいけないんだ。 だって、あなたが殺したのだから」
ああ、是は、依頼主自身の言葉だ。
読経を続けながら、金蝉は思う。
自分の子供を悪霊に変えてまで、この男は自分を責めたいのだろうか。
ずっと責め続けていたのだろうか。

恋文。

女も、この子供も、もしかするとこんな事はしたくないのかも知れない。
この男のために、悪霊へと存在を変質させられて、辛いのだろう。
苦しいのだろう。
あの「あなたのせいだ」という恋文の、本当の意味は何なのだろう?


「あなた」のせいで死んでしまったという事を恨むのではなく、「あなた」のせいで死んで後もこうやって苦しめ続けられる事を恨んでいるのかもしれない。

現世を恋うて送って来られた、あの恋文。
然し、今思う。
相手を恋うて送るのが恋文ならば、あの手紙が恋うたのは、父親しか与える事に出来ない安らかな眠りだったのではないか?
もういいよと、己を許す事が依頼主の安らぎ、ひいては罪悪感に呼び寄せられ悪霊へと変じた子供の安らぎに通じるのならば、『あなたのせい』という言葉は、そうやって自分を責める事で死んでしまった二人に許しを乞う、依頼主の詫び状でもあるのかもしれない。
安らぎたいから自分を責める。
自分を責めるから安らげない。
この悪循環が、今目の前に広がる悪夢を生んだのか。


恋うて、乞うて、恋うて、だから恋文。




どうでもいい。





金蝉は、諦念にも似た気持ちで胸中で囁く。
どうしたって、悲劇だ。
悲劇は、悲劇でしか幕引けない。
だから、哀れみなどしない。
そんな不利益な事を俺はしない。
ただ、望み通り眠らせてやるだけだ。


「お、俺が、こ……殺したんじゃ……」
「ないって言うの? 僕と、母さんは誰のせいで死んだの? あなただよね? あなたでしょ? ねぇ、ねぇ、ねぇ?」
「っ!」
救いを求めるかのように、翼と金禅に視線を送る依頼主を眺め、ふうと溜息を吐くと金蝉は読経を止めおもむろに言い放った。
「言えば良い」
「な…んて」
縋る視線のまま、依頼主が戸惑うかのように問う。
「俺は確認しただろう? 簡単な事だ。 お前は、子供に微塵も未練がない筈だ」
翼が、何を言うのか察したのだろう。
金蝉の袖を引く。
「金蝉…」
その声に耳を貸さず、金蝉は言った。
「言えば良い。 お前など、もういらないと」
「…そ…んな」
「そうだろう? お前の母も、お前自身も、最早愛していないと言ってやれ。 失せろ、うぜぇ、キモイってか、邪魔。 どうだ? 言えよ。 覚悟を決めろと言った筈だ。 己を救いたいのなら、今の女が大事なら、その餓鬼は不要の存在だ。 お前の罪悪感ごと、浚っていって貰え」
金蝉の中で、微妙に度し難い怒りに似た感情が沸き上がり始めていた。
「この世に『永遠』なんてものはねぇんだよ。人の思いもまた然りだ。 死んじまったら終わる。 そして、変わる。 テメェの心変わりは、なんら恥じるべきものじゃねぇ。 不変のものなんざつまらねぇだろうが。 俺はごめんだね」
「こ、金蝉さん…」
「いいか? いらねぇんだよ。 テメェにとって、その餓鬼はな」
「お兄ちゃん」
子供がうっすら笑って、金蝉を指差した。
「それって、僕の事? それとも……」


キキキキキキキキ


子供が嗤う。
「自分の事?」


「っ! 精神浸食っ!」
翼が焦ったように叫ぶ声が、金蝉の脳を緩く揺らす。
然し、その声をまるで、遠い国の言葉のように理解出来ぬまま、金蝉は子供から視線を離せず問い返した。
「どういう意味だ?」
「守れなかった。 ね?」
「……勝手に、覗くな」
「パパとママが殺されちゃったのに、あーあー、なんて子供なの?」
「うぜぇ、やめろ」
「キキキキキ。 お兄ちゃんが、いらない子なんでしょ?」
「うるせぇ」
「いらないのは僕じゃない。 無力で、震える事しか出来てなかったお兄ちゃんだ」
「っ!」
金蝉の顔が歪み、そして素早く銃の照準を子供に合わせた。
「消すぞ?」
「キキキキキ。 いらない子の分際で、僕を消すの?」
子供の唇が、殊更ゆっくりとした速度で動き、まるでスローモーションのように声が鈍く歪んで脳に響いてきた。
「違うよぉぉぉ。 消えるのはぁぁ、お兄ちゃん達だぁぁぁぁぁ」
子供の唇が醜く捲れ上がる。
「お兄ちゃんの体は僕のもの。 後ろの、お姉ちゃんの体は母さんのもの。 そうさ。 これから家族三人で、暮らすんだ。 だから、頂戴? その体、結構イケてるから満足してあげる。 出来るよね? お兄ちゃんは、方法を知ってるよね?」
ぐるぐると子供の言葉が頭の中を巡って吐き気がする。
金蝉は、俯き、ギリギリと歯を食いしばった。
「消してやる」
呻くように、呟く。
「消してやる」
守れなかった?
そうだ。
無力だった。
いらない子なのだろう、俺は。
「消えろ。 俺の体が欲しいだと? ケッ、身の程知らずが」
金蝉は呻く。
「ぶっ殺してやる」
ギラギラと、視線だけでも人の心臓を止められるような強い、強い視線で子供を射た。
「ぶっ殺してやる。 いらねぇんだよ、お前は」
「違うよ。 いらないのはお兄ちゃんだ」
子供が、金蝉の傷に爪を立てるように言った。
「どうして僕が死んじゃって、お兄ちゃんが生きてるの? いらない子の癖に。 思ったでしょ? 何度だって思った筈だ。 どうして産まれてきたのかって? 思った筈だ。 だから、僕が産まれてあげる。 お兄ちゃんの体に」
子供が、笑いながら近付いてくる。
金蝉の目の前まで来て、子供はキュッと腰に抱きついた。
「お兄ちゃんの心は、固くて脆いね。 中に入れば穴だらけだ。 頂戴? いらない子のお兄ちゃんを奪って、僕が産まれよう。 そして……」
グルリと、依頼主に視線を向けてニタリと子供が嗤った。
「ずっと一緒だよ? あなたを責め続けてあげる。 お母さんと一緒にね」
  

それは思いの外、乾いた音をたてた。
こんな音だったっけと金蝉は心の片隅で首を傾げる。
愛用の銃から飛び出した弾丸は、あやまたず子供の肩を撃ち抜いていた。
「死ね」
冷たく囁いて、もう一度銃を撃つ。
今度は、子供の足。
痛みはないのか、ポテンと倒れた子供が不思議そうに金蝉を見上げている。
再び、銃を撃とうとした金蝉の体に、何か軽くて柔らかい存在がぶつかってくるのを感じた。
「やめるんだ!」
翼が、金蝉の体を力一杯抱き締めていた。
「やめろ、やめろ、やめろっ!」
「離せ。 もう、駄目だ。 こいつは、駄目だ。 消すしかねぇよ」
金蝉がそう言えば、ブンブンと翼は首を振って、必死な眼で見上げてきた。
「哀れだ」
「同情もいい加減に…」
「君が、哀れだ」
澄み切った眼が、金蝉の胸に突き刺さる。
「傷付けるな、自分を。 あの子への、君の言葉は、全部自分への言葉に聞こえた。 ご両親は、君を愛していた。 間違いないよ、金蝉。 いらない子なものか。 世界中の誰が、君にそんな事を言ったって、僕が否定してあげる。 君は、最高だ。 最高の男だ。 僕が言うんだ、間違いない。 だから、自分を傷付けないで」
そして、翼は金蝉から離れ次に、ゆっくりと子供の体を抱き締める。
「いらない子はいないよ。 君も、大事な、大事な子だよ」 
そんな翼の様子を、金蝉は呆然と眺めていた。
何だ、アレは?
場違いで、しかも陳腐な例えが脳裏に浮かぶ。

天使のようだ。

翼の真っ白な肌は、ますます透き通り、白い光を放っているかのように見える。
金色の髪も、柔らかな光を発し、全身が聖なる光に包まれ始めていた。
魅了の力だろうか?
然し、この言葉は、この光は、余りにも優しすぎて、神々しすぎて、金蝉は打たれるような心地になりながら眺め続ける。
「言ってやってくれないか?」
依頼主に向かって翼が言う。
「愛していると。 この子に。 それで救われる。 君も、この子も、彼女も」
跳ねられ続ける女を痛ましげに眺め、翼が呟いた。
「いらないなんて、悲しい事を言わないでおこう。 君の子だ。 屹度、愛していただろう?」
「え?」
「生まれていたならば、間違いなく愛していただろう?」
依頼主は、コクリと頷いた。
「……はい」
「愛していたんだよ」
腕の中にいる子供に、翼は言い聞かせる。
「お父さんは君の事を。 大丈夫だよ。 もう、お父さんは君がいなくても大丈夫なんだ。 お終いにしよう。 苦しかったね? 独りで、此処で、お母さんの為に頑張っていたんだね? お父さんの胸の中に閉じ込められて、頑張っていたんだね? エライね。 君はエライよ」
子供が、翼に聞いた。
「……愛されてるって、どういう事?」
翼は、優しい笑みを浮かべて言った。
「寂しくないって事さ」
子供が、依頼主に視線を向ける。
「……もう…大丈夫?」
「ああ」
依頼主が答えた。
「一人で平気?」
「ああ」
「あのね……」
「ん?」
「………僕の事、嫌い?」
依頼主は、這うようにして二人に近付き、震える手で子供の頬に触れた。
「嫌いじゃないよ。 大丈夫だよ。 本当だ。 お前は俺の子供だ。 どれだけ時が経って、どれだけ俺の過ごす環境が変わろうとも、俺の子供だよ。 だから、もう、終わりにしよう。 な?」
そして、懺悔するかのように、眼を閉じ、俯く。
「あなたのせいだって、僕はまだ思ってる」
子供が、そう呟く。
「つまり、あなたは、まだ自分を許せてないし、一生、その罪悪感は消えないよ」
「覚悟してる。 でも、もう、こんな事にはならない」
「本当?」
「ああ、心の穴は塞ぐよ。 その存在はお前達ではないけれど、でも、お前も、お前の母さんの事も忘れない」
「もう、僕はこんな事しなくて良いんだね?」
「いいよ」
そして、こつんと額を子供に合わせて依頼主は言った。
「ごめんな。 愛してるよ」
「うふふ」と、くすぐったそうに子供微笑み、そして答えた。
「さよなら。 お父さん」
跳ねられ続けた女が、スクリと立ち、それから金蝉と翼に頭を下げた。



こういう救い方が、あるのか。
金蝉は、面白くないような、然し、安堵するような、不思議な不思議な気持ちになった。



「結局……」
「ん?」
「今回はお前に助けられっぱなしだったな」
夕日差す道を二人は並んで歩いていた。
翼が、驚いたような顔で金蝉を見上げる。
「ま…さか、金蝉にそんな事を言われる日が来ようとは、夢にも思わなかったよ」
「どういう意味だ」
「今回も、『事態をややこしくしやがって』とか何とか、嫌味を言われるのを覚悟してたって事さ」
フフンと笑いながらそう告げる翼を不快げに見下ろし、それから金蝉はクシャクシャとその柔らかな髪をかき混ぜた。
「っ! な、何をするんだ!」
「生意気なんだよ」
「フン! その言葉、そっくり君に返そう」
喚く翼の声を、何処か心地よく聞きながら、金蝉は自分もこの少女に救われたのだと悟った。



それから一週間後、一枚の画用紙が金蝉と翼、それぞれの元へと届いた。

その画用紙には真っ青なクレヨンで一言。


「ありがとう」


と、子供の字で書いてあったという。



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■   登場人物  ■
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【整理番号 2916/ PC名 桜塚・金蝉 (さくらづか・こんぜん)/ 性別 男/ 年齢 21/ 職業 陰陽師】

【整理番号 2863/ PC名 蒼王・翼 (そうおう・つばさ)/ 性別 女/ 年齢 16/ 職業 F1レーサー兼闇の狩人】




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■         ライター通信          ■
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初めまして、momiziと申します。 と、どちらからお目通し下さっているのか分からないので、とりあえず初めましての御挨拶。 この度は、ご依頼の方を受けていただきまして、真に有り難う御座いました。 と、いうか、もうご依頼頂いた瞬間浮き足だってしまって、本当に少し宙に浮いたんじゃないか?と思える程の無重力体験をしてしまいました。 初仕事という事で、色々試行錯誤した結果、納期ギリギリという正に、私の人生を体現している結果になってしまったのですが、翼篇と合わせて楽しんで頂けたら、私は是以上ない程幸せです。 楽しい時間を本当に有り難う御座いました。