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<東京怪談ノベル(シングル)>


六つ焔、憂さ晴らしの談、其の壱


 ごぉおぁうッ!

 のろりのろりと月がのぼる。あと僅かで満ちる月が。
 うら寂れた公園の茂みの中で、あくびにも似た雄叫びが上がる。
 公園の周囲には、建設途中のまま放置されたマンションが建ち並んでいた。ひとはそこを、廃墟、という。主を得るどころか、完全な身体を手に入れることさえままならなかった哀れな異形が林立しているのである。
 そしてこの異形の地は、その一見に相応しいと言うべきか、異形の者たちの住処でもあった。
 今しがたあくびにも似た雄叫びを上げたばかりの、赤毛の青年もまた、異形である。
 彼は、羅火、と名乗る。
 東京の夜の繁華街に繰り出せば、或いは、彼のような出で立ちの青年を見つけることは容易いかもしれない。しかし、彼は異形なのである。ヒトによって造り出された異形なのである。

 ごうっ! がふふぅ! がるぅ、ぅがぉううぅ!

 茂みの中から、深紅の竜が現れた。憤怒と憎悪に満ちたような恐るべき呼気と唸り声は、しかし――実のところ、単なるあくびのようなものだったのだ。
 問題なのは、あくびを上げるほどに暇を持て余しているとき、その竜が求めるのは『戦い』唯一つであるという事実だった。
「おうおう、良い月じゃ。良い夜じゃ……この姿、久方振りよ」
 竜が、ごろごろと雷鳴のような独り言を漏らした。
 ぢゃらりと、両腕を戒める手錠の鎖が鳴る。
 彼は、羅火。
 先ほどあくびにも似た雄叫びを上げた、赤毛の青年だった。彼は実に様々な姿を持った。今のような恐ろしい異形の竜の姿も持ち、他に意外なほど純真な姿も持っている。本来の姿は、今の姿であるはずだ。だが彼が「久方振り」にとったその姿が、果たして本来のものといえるだろうか――。
 しかしこの世に竜は在っても、この人造六面王をおいて他に、『異形』と冠するべき竜は無い。
 六面を冠する通り、この緋竜は五つも余分な頭を持っていた。それぞれが全く別の意思を持つようにてんで勝手に動いていたが、それも「そう見える」というだけの話だ。六つの頭すべてが羅火のものなのである。
「ぐぬぅ、間がもたぬ。ああ、誰か居らぬか」
 ずしん、と羅火が一歩を踏み出せば、茂みの中に隠れていた若い半鬼がほうほうのていで逃げ出していった。羅火の目覚めを感じるや、鬼は彼に見つからないようにと息を殺していたのだが、ついに恐怖に負けたらしい。
「待てい! 相手をせぬか! わしと戦れ!」
 羅火は声を荒げて半鬼を追ったが、馬頭鬼の血をひく半鬼のこと、素晴らしい勢いで羅火を引き離し、いまの羅火の図体では入るのがむずかしい廃墟の中へと飛び込んでいった。
「逃がしたか! ええい!」
 月の力が、封じられている彼の力を鼓舞する。
 そう、彼は力を封じられている。頭の中は憎悪と闘争心で満たされている彼を、あらゆる存在が野放しにはしなかった。彼の手首の骨もろとも腕に留められた手錠が、その証だ。
 それでも彼の力は、やり場がなければ彼自身をどうにかしてしまいそうなほどに、いつでも有り余っているのである。
 彼は怒号をひとつ上げると、手近にあった街灯にずしんと頭突きをした。
 砂山に突き刺された木の枝のように、容易く街灯は倒れた。街灯では、彼の相手にはならない。
「なんじゃ、手応えの無い……ぐぬぅぅ……誰か、居らぬか――」
 六つのあぎとをぎりぎりと食いしばり、爛々と光る金の視線をさまよわせながら、赤い竜は住処を少しだけ離れた。
 ぢゃらり、ぢゃらりと鎖が鳴る。


 深夜だ。
 ヒトの通りがないのは頷けるが、あやかし、霊、異形のいずれの姿をも見かけないとは、静かな夜である。
 見捨てられた界隈、しかしアスファルトで舗装された現代の街並みを、赤い六面の竜が往く。
 ぎらりぎらりと闘気に満ちた視線を巡らすも、やはり、闇の中に手ごたえのありそうな相手を見出すことは出来なかった。羅火は荒々しくも弱々しい、長い溜息をついた。息に炎がちろりと混じり、めくれあがったアスファルトを灼いた。
「久々の暇だというに……戦り合う相手が居らぬとは……つまらん……むなしい……腹が立つ!」
 ぅがぁっ、と剥いた牙は、偶然そばに生えていた哀れな街路樹に向けられた。その樹はそれなりの太さの幹を持っており、龍も一瞬なから咬みごたえを感じた。犬も、鶏の骨ではなく豚の骨をやれば、堅くて喜ぶ。竜には、より堅い幹が良い。
 竜が幹にがきごきと野獣のように幹に牙を突き立ててから数秒後には、街路樹が胴を食い千切られて、がさりばさりと倒れていた。
 ごふぅ、と羅火は溜息をついた。息に混じっていた炎が、街路樹の屍骸を灼いた。
 ちらりと一瞬忌々しくなり、彼は手錠の鎖に咬みついた。この世のものではないきな臭さと硬さに、彼はぺっと唾を吐き、いらいらした手つきでその辺りの樹を撫で始めた。
 否、爪を研ぎ始めた。
 樹皮は剥がれ、ささくれ立ち、見る見るうちに幹は無惨な姿になった。こんどの樹には、まったく手応えのようなものを感じない。羅火は怒声を上げると、頭突きをお見舞いした。傷ついた樹は、さきの樹や街灯のように、呆気なく倒れた。

 ふと、小さな唸り声が上がった。

「うぬ?」
 首を傾げた羅火の目の前に立ちはだかるのは――
 猫だ。
 ふーっ、しーっ、と敵意を剥き出しにし、毛を逆立てている。いかに己を強く大きく見せようとしても、体躯や御面相の時点で羅火にかなうはずもない。
「戦るか、若いの」
 にいっ、
 笑って羅火は一歩を踏み出す。
 ずしん。
 猫はゆっくりと後ろに下がったが、威嚇の姿勢は崩さなかった。それ以上近寄るな、とその金の眼は怒鳴っていた。
「……おう」
 猫の背後を見やった羅火は、歩みをとめた。茂みの中に、震えている5つの毛玉がある。羅火は、猛る猫を若いと言った。茂みの中で震えるものは、まだ若い。若すぎる仔猫たちだ。
「護る為の力か。これは、戦り合えばつまらぬ怪我をする」
 雷鳴のような笑い声が、羅火の喉の奥で上がった。
 羅火の一息で、この猫は燃え上がるだろう。
 羅火の鱗一枚すら、この猫は剥がせないだろう。
 羅火が拳をふるえば、猫はその風圧だけで四散しかねない。
 それでも羅火は、それ以上猫に近寄らなかった。
「若いの、わしは待ってやる。長く生きろ。尾が二又になるまで、わしは待つ。ぬしには、力が有るようじゃ。わしはぬしと戦ってみたい――」
 ふたたび、雷鳴。
「そのときまで、護るものが在れば良いがの。……おう、仔らもまとめて6匹、いちどきにかかってくるも一興よ」
 月が、不意に西から来た雲に隠された。
 金の瞳がいくつもいくつも、廃墟の片隅で光った。
 樹が揺れ、倒れ、殺されていった。
 若い猫の瞳に、炎がうつる――

 ぐぉふっ、ぐるるる、うごぉう!

「ぐぬぅ、間がもたぬ。ああ、誰か居らぬか」
 ヒトにより造られし六面王が、廃墟の周囲をさまよい歩く。生きとし生けるものどころか、在るものすべてに勝負を挑み、そして常に勝利しながら闊歩する。戦いに敗れたもの(物であり者だ)が、羅火の背後に横たわり、彼の尾に打ち据えられる――赤い尾にまでも、彼は頭を持っていた。
 異形が行く。
 異形たちは、息を殺す。
 月が、彼の力を抱えたままひととき消えるまでの間――
 ヒトの造りし六面王<羅火>の、往く先に立ちはだかることなかれと。
 彼が待つことがあり、約束を違えぬ者であると、知る者は若い猫の他に無い。少なくとも、今宵は。


 ごぉおぁうッ!




<了>