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<東京怪談ノベル(シングル)>


六つ焔、憂さ晴らしの談、其の弐


 ヒト如きが踏み入れてはならぬ領域は、何処にでもある。
 ここ東京にもある。
 ヒトが往ってはならぬ地ゆえに、知るヒトは無い。
 ヒトならざるもののみが知る。
 しかしながら、知らぬものも、知らぬ間に覗き見ることがあった。知らず異形の領域に踏み込んでいたヒトが、命からがら娑婆へ戻ったとき、そこで見聞きしたものを触れ回る。そうして、伝説が生まれていくのだ。
 月の無い空が見下ろすその廃墟は、伝説が生まれる場所のうちのひとつ。数ある源泉のひとつにすぎぬ。
 今日もまた、知らぬ間に領域に踏み込んでいた者が、恐ろしい戦いを目の当たりにした。


 雑草が伸び放題に繁茂する公園にて、呻き声が上がった。
 ここは公園であって公園ではない。この国がかつて景気が良かった頃、手当たり次第に伸ばした腕が造りかけた公園なのだ。完成する前に景気は悪くなり、公園と、その周りに建ち並ぶマンションは見捨てられた。マンションにも公園にもなれなかった異形の地は、今や異形とヒトから称されるものたちの住処と化している。
 廃墟、とヒトは言うだろう。
 廃墟に囲まれた茂みの中で声を上げたのは、たてがみのような赤毛の青年だった。開かれる瞳は金であり、瞳孔は縦に裂け、ぎらりぎらりと殺伐とした光を湛えていた。
「なんじゃ……今宵は、新月か」
 彼は見かけのわりに老いた口を利き、首を締めつけるようにしている鎖をいじりまわしながら、むくりと起き上がった。背丈は左程のものでもない。ただ、放っている闘気や殺気の類は、並大抵の大きさではなかった。
 ぢゃらり、と鎖が揺れた。
 彼は、自身の髪のように赤い手錠に、両手を戒められていた。長い鎖が垂れ下がり、彼が歩けばぢゃらりと鳴った。
「あああ――」
 彼はその手錠をまるで意識していないかのように、ぐんと伸びをした。
「誰か居らぬか? わしと戦れ!」
 ごぉおぁうッ!
 ヒトのものではない咆哮に、公園で休んでいた都会の鳥たちが目を覚まし、飛び立った。
 ここに留まってはならぬと、本能が彼らを発たせたのだ。
 姿を見せない月に吼えた青年は、しかし、実のところ若くはない。彼は異形。齢400を越えながら、青年の姿をもっている時点で、ヒトとしては異なことだ。
 骨ごと手首を戒める手錠をものともしない、彼は異形にして竜。
 ヒトに造られし六面王、羅火である。


「苦情が出ている。おまえの遠吠えは喧しいと」
 ねぐらを出たところで、コンクリートブロックに腰掛けた男が羅火に言った。
 男は長い仕込杖を携えて、煙草を吸っていた。言うなり彼は、煙草をうち棄て、そっぽを向いた。若くはないようだが、左程歳を取っているようでもない。しかし、この界隈では外見ほど分析の役に立たないものはなかった。羅火も、自分の目などは端から信用していなかった。
「苦情は直接言いに来いと、伝えておけ」
 羅火はするどい犬歯を見せて笑った。
 男が忌々しそうに顔をしかめ、羅火を睨みつける。その目は、禍々しい緋色であった。
「苦情を出しているのは、その辺りのがきどもだけではないぞ。おれもだ」
「ならば、話は早いの」
 ぢゃらりと鎖を鳴らして、羅火はゆっくりと身構えた。
「わしと戦れ。遠吠えも聞こえぬ離れにまで、吹き飛ばして見せるがよいわ」
 望むところだと、男は『言った』。
 無言で腰を上げ、仕込杖という長刀を、片手で鞘から打ち払ったのである。

 ぎりん、
 ぢゃリん、
 がキん!

 無言の三連撃も、羅火の身体を傷つけるには至らない。彼は赤い手錠で刃を受け止め、受け流す。刀が手錠にぶつかるたびに、ぴくりと羅火は眉根を寄せるが、それもつぎの刹那には消え、不敵な笑みに変わっているのだ。
「新月の夜は」
 ぴしゅッ、
「本調子ではないそうだな」
 ぎィん!
「望月の夜のわしを」
 ぶゅん、
「恐れたか!」
 ごぁおッ!
 羅火の技は、力任せ。大振りの拳を男はかわし、羅火の拳はコンクリートブロックを打ち砕いた。
 対する男の技は、技なのであった。羅火の背後にくるりとまわると、長刀を振り下ろした。刃は羅火の背をかすめた。羅火の力は腕だけに有るのではない。一瞬で2メートルほどの距離を跳躍し、獣のように四つ足で地に降り立った。
「忌々しい封印がいかにわしを戒めようと――わしを、ヒトにとどめることなど出来ぬのじゃ。ぬしがヒトかオニかは問わぬが、わしと戦り合うからには、覚悟は出来ているのじゃろうな?」
「今更言うのか」
「おう、確かにの」
 羅火が、喉の奥でごろごろと笑い声を転がした。
 あろうことか、対する男まで口元に笑みを浮かべたのである。
 遠吠えが五月蝿いという苦情は、気の利いたあてこすりにすぎなかったのだ。男も羅火と同じ――ただ、相手を求めていただけなのである。
 はあァ、と男が気合のような溜息をついた。溜息には、紅い炎が混じっていた。男の口の中にびっしりと植わった不揃いな牙を、羅火は見た。羅火は同時に安堵した。だが、相手がヒトではなかったことに安堵したのは、誰にも言いたくはない秘め事である。
 さあ、仕切り直しだ。

 焔の息が忌々しい。
 だが、炎くらい、羅火にも吐ける。
 羅火は変わらず、手錠で長刀の一撃を受け止めては、力任せに反撃した。
 がきッ、
 もう何十度目かの斬撃を受け止め、羅火は至近距離で蹴りを繰り出した。蹴りは男の脇腹にめり込み、ばきぼきとあばら骨をへし折って、肉を抉り、臓腑を外へと押し出した。げふうと血を吐きつつも、男は長刀を逆手に持ちかえ、羅火の胸に刃を滑りこませた。
「ち!」
 羅火の筋肉が瞬時にして強張り、体内に侵入する刃を押さえこむ。押さえるばかりか、ばきりと折った。
 ぢゃらり、
 鎖を鳴らして羅火は左脚を軸にした。
 回し蹴りが、臓腑と折れたあばら骨を剥き出しにした男を薙ぎ倒す。
 がるぅおァ!
 竜の咆哮をひとつ、羅火は腕を振り上げ、ゆうに5メートルは吹っ飛んだ男のもとへ跳躍する。
 が、しかし――
「ぐ、ぬ!」
 羅火の真新しいチャップスが男の頭を踏み砕くことは出来なかった。空中で不意バランスを崩した羅火は、男の手前に倒れこんだ。浅黒い首に食い込む鎖に手をかけて、羅火はひとしきり喘ぎ――ごろごろと、喉の奥で嗤ったのだ。
「なんじゃ、あの一撃でぬしは死ぬのか。そうか、そうか」
 咳を噛み殺した声で、満足そうに羅火は呟く。
 彼の手錠からは血が滴り落ちていた。
「……よく、それで、受ける、気に、なる、ものだ」
 羅火の手錠と血に目をやりながら、瀕死の男が呻いた。
 手錠は、骨をも貫通させた釘のようなもので、羅火の手首に留まっているのだ。この夜に実体化したものとは言えど、それをすすんで防御に使おうなどとは、骨に響く痛みを賛歌しているようなものだろう。
「慣れじゃ。付き合いが長いものでの」
 羅火は胸に突き立った刃を抜き取り、血濡れの男の傍らに放り投げた。
「愉しませてもらった。今宵は、良き夜じゃ」
「……そうか? おれは、そうは、思わない……」
「さもありなん! ははは!」
 見れば、笑っているうちに、羅火の血は止まり――胸の傷は塞がり、彼は通りへと足を向けている。上機嫌の竜が、ろくな明かりもない廃墟へと繰り出す。会うあてがあるかのように。
「さあ、誰ぞ居らぬか! わしと戦れ!」
 あては、あるのだ。
 新月の夜に、羅火に施された封印の力が増すことは、この界隈でよく知られていること。今しがた敗れた男のように、気まぐれに彼と戦う者も在るだろう。
 ごぉおぁうッ!
「……五月蝿い、静かに、しろ」
 竜の雄叫びに、這いつくばる敗者が文句をつけた。




<了>