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<東京怪談ノベル(シングル)>


花の咲く壁に



 ――緊張することはないよ。パーティーと言っても、ごく内輪だけの小さなものだから。
 あたしを諭すように、お父さんは話す。
 ――みなもはただそのパーティーに出席してくれればいいんだ。
「でも……小さなパーティーだって言っても……」
 あたしは口の中で幾つかの言葉を呟いた。
 ……パーティーはパーティーなのだから……あたしは踊れないし、教養だって……。
 ――そんなことは気にしなくていいんだ。
 お父さんはあたしの肩に手を乗せた。「ゆっくりと目を閉じて、深く息を吐いて……」
 ――そう。そうやって心を真っ白にして、あとは音楽に身を任せれば平気だよ。外のリズム、身体の内から聞こえてくるリズム、何でもいいから、委ねるんだ。
 お父さんの声は不思議だ。聞いていると、踊りなんて習ったことのないあたしでさえ、踊れる気がしてくる。
 ――教養だって、気にすることはないんだ。彼らが求めているのは、知識ある人間じゃない、素直さと謙虚さだよ。例えば、みなものようにね。
 声はとけて、やがて現実の渦へと呑まれていく。
 気が付けば、あたしはお父さんの頼みを聞いて、ある有名ホテルに来ていた。ここを貸しきってパーティーは行われるらしい。淡いビリジアンのレースのついたドレスを身に付け、絨毯を踏んだとき、あたしはここへ来たことを後悔した。
 ――出席者は皆、知り合いなんだ。
 お父さんはそう言って説明してくれた。だから内輪だけの小規模なパーティーなのだ、と。安心して良い、と。
 会場へと進む出席者の顔を見る限り、一度お父さんの交友関係を詳しく訊いてみるべきかもしれないと思う。
 会場に集まっていたのは、様々な年齢の人たちだったけど――ある共通点が見られる。
 重々しい挙措。微笑を浮かべる前に、一瞬目を細く吊り上げる癖。笑顔とは程遠い冷たさがあった。
 親しそうな仕草をすれば、逆に誰も近づけまいとする意志のようなものが見え隠れする。両極端なのだ。
 普通の人たちではない。人のようで、人らしさがない。
 心細くなる。お父さんはホテルの前までは着いて来てくれたけど、その後は用事があるとかで、時間が経たないと戻って来てくれない。
「お父さん……」
 独り言も弱々しく、受付へ向かう。一人戦々恐々としていると、一種の興奮状態に陥るらしかった――数分後にはあたしの頬と唇は薄紅色に染まり、薄着なせいか寒さを感じ始めた。名前を答えるときには、自分の声が震えているのに気付いた。
「海原さまの、お嬢様ですね。では、こちらへ」
 てっきり会場に通されるものだと思っていたのに――あたしが案内されたのは狭い個室だった。
(何をするの……?)
 事情を呑み込めないあたしの前で、係の人はあたしの身体を観察するように眺めた。その視線があまりに絡みつくものだから、ドギマギする。
(あたし、変な格好なのかな……)
 思い当たることはなかった。お父さんが用意してくれたドレスや靴は新品だった。お父さんはあたしのためにと、三着ほどドレスを揃えてくれて、どれがいいかと訊いてくれたのだった。シンプルなものや、レースのついているもの。ただ、どれも肌に溶け込むかと思うほど薄く、グリーン系の色をしていたのが気になったけど……。
「既に緑が入っていますから、丁度良いですね」
 係の人が取り出したのは、枝だった。先には淡いピンク色の花びらが重なり合い、八重桜に似ていた。
 係の人はあたしのドレスをめくり、直接腕を掴んだ。温度差で、あたしは自分の腕がどれだけ熱くなっているのかを知った。
「痛くはありませんから、安心してください」
 殆どアクセントのない喋り方だった。
 係の人は枝の根元に近い部分であたしの腕を数箇所つついてから、枝を強く握り締め、
「ここにしましょう」
 言うが早いか、あたしの腕の中へ枝を突き刺してきた。
「あ……」
 痛くはなかった。でも、明らかに自分の身体とは異なるもの――これは枝だけど――が入って来る感覚はあった。身体という器の中に、ゼリーを流し込まれたようだった。
 係の人が顔をあげて、あたしを見た。
「どんな感じがしますか」
「へ、変な感じがします……」
 そうとしか答えようがなかった。
「そうですか。私はやる方ばかりで、やられたことがないのでわからないんですよね」
 その声は少々残念そうに聞こえた。
 一本の枝がしっかりと腕に植えられると、あたしは大きく息を吐いた。枝の感覚を紛らわすために。
「まだです」
 もう一本の枝が、入ってくる。痛みの代わりに、意識しているせいだろう、先ほどのゼリーよりも少し固いものが肌に当たる感触があった。
 声は痛くないときにも出るものらしい。軽く声をあげていた。
「まだありますよ」
 淡々とした声が響く。あたしは数を数える。あと何本か、あとどのくらいで終わるのか、と。
 三本目を差し込んだ後、係の人は困惑の笑みを浮かべた。
「声を抑えてくださいね」
 初めてこの人の微笑を見た気がした。

 植物になったあたしは、会場の壁に飾られることになっていた。
「足を、ここに入れるんです」
 係の人の掌が壁に触れる――壁が大きく歪んだ。
 中へとあたしの足が入る。巨大なプリンに身体を沈めていくようだった。ズブズブと足が壁に入っていくのを見ていると、底なし沼のようにも思える。沈んでしまえば、もう二度と戻れない沼だ。
「ウォールフラワーですよ」
 係の人は、そんなことを言った。ピッタリの表現かもしれなかった。
 左右に視線を移動させれば、他のウォールフラワーの姿も見ることが出来る。
 会場がざわめき始めた。
 ゴウ、ゴウ、ゴウ。
 確かな音だ。人の姿よりも、声の数の方が多い。ゴウ、ゴウ、ゴウと繰り返す。
 音の群れなのだ。
 群れは長音と単音を発しだし、渦を作りだした。
 ツーーート、ツーーート、ツーーート……音が混じりあい、あたしの耳に、言葉が宿り始める。
 踊れ、踊れ、踊れ。
 壁――底なし沼から、足が這い出ていく。あたしの足なのに、滴り落ちる水(それは沼のものに違いないのだ)を眺めても自分のものだという気はしなかった。あたしの身体は、意思とは無関係に動き、リズムを刻み始める。
 お父さんの声が聞こえてくる。
 ――ゆっくりと目を閉じて、深く息を吐いて……。
 足先は普段よりもずっと軽かった。腕は羽のようにこの時を包み込んだ。
 まるで怖くなかった。あたしは、感じる音のままに動いているだけなのだから。
 踊れ、踊れ、踊れ。
 絨毯の上に、花びらが一枚一枚落ちていく。
 幾人かのウォールフラワーが、花びらで絨毯の上に道をつくっていく。
 踊れ、踊れ、踊れ。

 ――みなも、みなも。
 優しい声がする。聞き覚えがあって、あたしを抱きかかえる声。
 ……お父さん?
 声に出そうとしたつもりが、出来なかった。力を全て吸い取られたようだ。起き上がるどころか、指先ひとつ動かせなかった。
 耳が拾う音を繋ぎ合わせると、ここは車の中らしかった。家に帰る途中らしい。
(いつの間に、終わったの……)
 頭の中ではたくさんの糸が絡み合って、答えは出そうになかった。
(夢、じゃないよね――)
 横たわったまま動けない身体をぼんやりと眺めた。髪先に花びらが絡まっているのが見えた。

 ツーーート、ツーーート、ツーーート。
 まだ聞こえる、音がある。




終。