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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


さくらの記憶



『もしもあなたに逢いたい人がいるのなら、「待ち橋」を訪れてみるとよいかもしれません』
 その一文を目にして瞼の裏に浮かんだのは、あの人の優しい笑顔だった。
 

 橘巳影は、食い入るようにパソコンの画面を見詰めていた。
 それは、たまたま覗いたゴーストネットOFFの掲示板に投稿された情報だった。
『私が通う高校の近くに…』
 そんな出だしで始まるその記事によると、春の夕暮れ刻だけ、死者と逢うことが出来る橋があるらしい。
 この掲示板の投稿情報には嘘やでたらめも多い。何もかもを鵜呑みにすることはできないと、巳影も知っている。
 けれど無駄足になる可能性の方が高いと分かっているのに、行きたい、逢いたい、そんな気持ちが胸の奥の方から湧き上がってくる。
 その記事にはいくつかレスポンスもついており、ざっと目を走らせると、やはり逢えなかったという書き込みばかりだったが、投稿者に対する罵詈雑言は見当たらない。
『逢えなかったけれど、桜がとても綺麗で行ってよかった』
 どんな人に会いたかったのかそのエピソードと共に、必ず書き添えられている言葉。
 それらの中に埋もれるようにして一言、「有難う」とだけ書き込まれたレスがあった。たった一言、そっけなく、「有難う」とだけ。
 その言葉にポンと後押しをされたような気がした。少なくともこの言葉を残した人間は、有難うと書き残したくなるような出来事があったのだ。
 可能性があるなら、と巳影は思う。それに目を瞑ってしまいたくない。
 巳影は記事の最後に書き込まれた「待ち橋」の住所を手帳に書き込んだ。
 折しも季節は春。あの人と別れたのも春だった。
 ──待ち橋の桜は自分の願いをかなえてくれるだろうか。
 
 
 都心から電車で約一時間半。県境に位置する市の、さらにその端に「待ち橋」はあった。
 駅前の交番で道順を尋ねると、歳若い警官は地図を開きながら丁寧に教えてくれたが、夕方はあまり人がいないから気を付けなさいと、やんわりと注意を促された。
 陽は既に西に傾き始めている。
 人でにぎわう商店街を足早に抜け、閑静な住宅街を通りすぎる。
「森林公園の入り口が見えたら左折して、一番初めの交差点を右曲がって……」
 教えられたとおりに進めば進むほど、人影は少なくなり、道は狭くなっていった。
 舗装のされていない、土がむき出しの道。狭い道の両側には竹薮が茂り、薄暗い緑のトンネルを作っている。さやさやと風に揺れる葉擦れの音が耳に優しい。
 巳影は徐々に歩みを早める。
(ここを抜ければ……「待ち橋」)
 脳裏に、まだ見たこともない橋と昔日の「あの人」の姿を描きながら、巳影は光溢れる出口に立つ。
「あ……」
 初めに目に入ったのは、桜の木だった。
 川の両岸を埋めるように並ぶ桜の木々。
 満開の薄紅の花が赤光を浴びて、燃え上がるように輝いていた。風が吹くたびに花弁が舞い落ち、夕焼けの空を映した水面を飾る。
 赤い夕暮れの中で、花の白がまぶしい。


 こんな光景を、かつて見たことがある。
 巳影はそっと目を瞑る。
 こんな桜を、遠い昔、自分がまだ橘巳影ではなく、別の名前、別の性別、別の人生を歩んでいた頃に見たことがあった……。
 
 

 幕末の動乱のきっかけは、嘉永六年のペリー来航だったといっても過言ではないだろう。
 黒船はそれまで皆の心に沈殿していた幕府への不満や不安を表面化させた。
 江戸幕府開闢二百五十年。鎖国政策の終焉と共に、幕府は終末へと向って走り始めたのだった。桜田門外の変に始まり、坂下門外の変、寺田屋騒動、生麦事件……様々な事件が続けざまに起こった。
 

 そんな整然とした歴史的背景を知ったのは、この世に……橘巳影になってからだった。
 幕末の世を生きていた当時は、ただ、時代が変わろうとしているのだと、漠然と大きな時代のうねりを肌で感じるのみだった。
 東で誰が斬られた、西では誰が襲われた。
 晩年、京に上りその治安を守っていた自分の耳に届いた様々な事件。
 あの時代、歴史に残らぬ小さな諍いが毎日のようにあちらこちらで起こっていた。人が死ぬなど日常茶飯事。人を斬るのも日常茶飯事。
 そんな世の中を自分はただがむしゃらに突き進んだ。自分がしていることは正しいと、人のため世のためになると、誰かを守ることになるのだと、信じて疑わなかった。
 
 
 そんな自分の傍らに常にいた彼。頭ひとつ分高いところから、まるで子供を見守るような優しい眼差しで自分を見つめては、楽しそうに笑っていた。
 
 
 巳影はそっと橋の袂に立つ。
 そこにも桜が一本ひっそりと立っていた。
 風が吹くたびに儚げに花びらが散る。
 その姿を見詰めながら、守りたかったものはなんだろう、と思う。
 当時の自分は何を守りたかったのだろう。
 公方様か、会津公か、国か、民か、志か、それとも──。
 当時はすべてを背負っているような気がしていた。すべてを守っている気がした。
(けれど)
 翻意した自分。その結果、彼を、仲間を傷つけることになってしまった。
 どうしても捨てることのできなかった思い。曲げることが出来なかった意志。
 彼に別れを告げたのもこんな桜の花が咲き乱れる中だった。
 ──再会を果たしたのも。
 
 
 咲き乱れる桜の下に、彼は介錯人として現れた。
 腹部を横一文字にかき斬った自分。その首元に落ちる涙の温かさを、今でも覚えている。
 泣く必要はないのだと、お前は悪くないのだと、告げることも出来なかった。
 赤く染まった視界。その中で燦然と咲く桜の花。
 自分が最期に見たのは……白い桜の花だった。




「待ち橋」は死者と逢える橋だという。
 死者というなら、今や彼も死者だろう。
 彼に逢いたいと心から思う。逢って、言いたいことがある。
 たった一言で構わない。告げなければならない言葉がある。


 巳影は視線を足元へと落とし、ゆっくりとした足取りで「待ち橋」を渡り始める。
 彼の名を心の中で繰り返し呟きながら。
 
 
 視線の先に。
 まず、足が見えた。白い足袋が夕闇の中に浮かび上がる。
 胸が高鳴るのを感じながら、巳影は徐々に視線を上げる。
 袴、脇差、羽織……。
 

 そこには。
 記憶に残るままの姿で、彼が立っていた。
 彼は橋の欄干に腕を預け、眼下に広がる風景を眺めていた。
 涙が溢れそうになるのを、巳影はぐっと堪え、彼の名を小さく呼ぶ。
 今の姿……「橘巳影」の姿では、彼には自分が何者か分からないだろう。
 かつての盟友だなどと思いもよらないに違いない。
 けれど話しかけずにはいられなかった。
 今の自分が告げてもどうしようもないことだとしても、言わずにはいられなかった。
 辛い役目を負わせてすまないと。「お前」は悪くないのだと。

「御免。だけど楽しかった、お前と走れて」

 あの幕末という時代の過渡期に、共に在れたことを何よりも感謝している。
 共に走れたことを誇りに思っている。ただ、それを伝えたかった。
 

 巳影の言葉に彼は。
 彼の反応は。


 それを目にして巳影の双眸からは堪えきれず涙が溢れた。視界が滲み、彼の表情も滲む。
 それでも彼がその面に浮かべていた表情が揺らぐことはなかった。

「……馬鹿っ……」

 呟くように告げて、巳影はその場から逃げ出した。
 後ろを振り返らず、着物の裾を乱しながら、一目散に「待ち橋」から遠ざかる。
 走って、脇目もふらず走って、橋が見えなくなる場所にたどり着くと……蹲った。

「どうして……」

 どうして微笑むのだ、と思う。
 彼は笑っていた。
 懐かしげに、愛しげに、巳影を見て笑った。
 昔と同じように。


 胸に競りあがる切なさに、巳影は小さくしゃくりあげる。
 ──頬を流れる涙は、止まることを知らなかった。
 














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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 2842 / 橘巳影 / 女性 / 22歳 / 花屋従業員


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■         ライター通信          ■
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初めまして、津島ちひろと申します。
このたびはゴーストネットOFF「たそがれ」に参加頂きまして、誠に有難うございました。
今回はテーマがテーマゆえに、ウェブゲームでありながらお三方ともほぼ完全個別シナリオとなりました。申し訳ありません。
皆様のプレイングと格闘しつつ、とても楽しい時間が過ごせました。
少しでも気に入ってくださる部分があるととても嬉しいです。
有難うございました。


橘巳影さま
幕末の資料をあさりつつ、某組織の人々を念頭に置きながら書かせて頂きました。
イメージと大きく離れていなければよいのですが……。
日本史関係は個人的にとても好きなので、作品に取り込めてとても楽しかったです。
機会がありましたらまた宜しくお願いいたします。
今回は本当に有難うございました。