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wait for you
彼女はただじっと、駅のホームの一番隅に立っている。
停車し、人々を乗せ、再び発車して──僅か五分の間に何度となく繰り返されるその光景を、彼女は厭くことなくじっと見つめ続け、そして。
そして彼女は、小さくため息をつくと消えてしまうのだ。
まるで、そこには何もなかったかのように。
「だからなんで俺のところにそういう話を持ってくるんだお前は」
苦々しげに呟く事務所の主、草間武彦にじろりと一瞥されたのは、つい今しがた草間興信所を訪れ飲み物と軽食を要求し、さらにはデザートを求めて勝手に冷蔵庫を漁った挙げ句にアイスを見つけてきた女──兎沙見・華煉(うさみ・かれん)という。
「なんでって普通の興信所に持っていける話じゃないだろコレは」
「誤解があるな。ここはごくごく普通の興信所だ」
「主張するのは自由だよな。それが理解されるかどうかは全く別の次元の問題として。まあ泣くなって。生きてればいいコトあるんじゃねえの? 知らないけどさ──いじけてないで話聞けよ」
華煉が語ったのは、朝のラッシュの中五分だけ目撃される女の霊の話だった。
駅のホームの一番隅で、電車が来るのをじっと見ているその霊は、停車した電車に乗るでもなく、ただじっと毎日繰り返されているであろう光景を見詰めているのだという。
ただそれだけならば大した害はない。この興信所や華煉の元に女の霊の調査が依頼されることもなかっただろう。だが、被害はあった。それも見過ごせぬ類のものが。
霊を目撃するのは決まって一人だけ。
その人物が必ず、何らかの事故に巻き込まれているというのだ。
「確認が取れている一番最初の目撃者は通勤途中に転んで足捻挫したとかその程度だったらしいな。んで次の目撃者は駅の階段から落っこちた。次が駅から会社までの道中に歩道に突っ込んできた車に跳ねられてる」
「被害が徐々に大きいものになっている訳か……」
「そゆことだな。アタシが何とかカタつけようと思ったんだが、霊だのはどーも性に合わない上にいろいろ立て込んでんだよ。ってことでまあよろしく頼むわ」
ファイルの束をぺしりとデスクの上に投げ置き、草間の肩を慰めるようにぽんぽんと叩く華煉。
「高くつくぞ」
草間は悔し紛れに呟いてみるが、対する華煉はふふんと鼻で笑って見せた。
「構わねーよ。払うのは依頼人だからな」
++ ささやかなる日常 ++
書きかけの報告書の山。事件の関係ファイル。雑誌の山。それらが雑然と積み重なったデスクの上を一瞥すると、コーヒーカップを片手にしたシュライン・エマ(─)は小さく息をついた。
コーヒーが飲みたいというから煎れてやったものの、デスクの上にはカップを置くだけのスペースすら無きに等しい。
「見事に置き場所がないわね」
「デスクの持ち主を放り出すって画期的な案があるんだけどどう?」
来客用のソファに腰掛け、シュラインに一瞬で却下されそうな提案をしたのは村上・涼(むらかみ・りょう)だった。『仕事ちょーだい仕事!』と血走った目で事務所を訪れ草間から依頼内容のファイルを奪い取ったことから推測するに、また就職活動中に何やらあったのだろう。
対する草間はといえば、涼の物言いに対して不満そうな顔をしてみせたものの、反論を口にすることはなかった。おそらく──反論したところで涼が態度を変えることも詫びることもないことをよく承知しているのだろう。
「んー、被害っていうのはこの駅限定で起きてる訳ね……」
「そうね。でも事故が起こっているとはいえ、原因がこの霊にあると断定するのはまだ早い気がするし……事故自体は別の誰かの仕業で、狙われている人に注意しているということも考えられるわね」
「うーん。それなら『霊を見たから』事故ったって決め付けれたわけでもないんじゃないの? まあ見たから気もそぞろになってってゆー理由も……わ、わかってるわよ希望的観測よだから分かってるっていってんでしょ殴るわよ」
「まだ何も言ってない」
「だから殴るっていってるでしょ」
ぼそりと呟かれた草間の言葉は、不幸にも涼の耳に届いていたらしい。
草間は事務所一番奥にあるデスクのさらに後ろ、小さな窓を開けて煙草に火をつけた。
「幽霊絡みじゃなければ、あの女がどうにかしてるだろう」
「華煉さんのこと?」
問い掛けるシュラインに小さく頷いてみせる。
「あんな性格だが腕はいい」
「オッサンそれ今度当人の目の前で言ってみなさいよ」
「脱線してるわよ、話が」
茶々を入れる涼と、あやうくそれに乗せられそうになった草間を制したのはやはりシュラインだ。
「とにかく、噂の霊の身元も知りたいし──霊が見られだした頃から、それまで同じ車両に乗り込んでいたのに最近見ない人の有無も確認したいわね……ラッシュ時だからあまり覚えていないだろうけれど、一応ね」
「ちょっとまって」
ぴ、と片手を上げて涼がおそるおそる口を開く。
「どうかした?」
「それって、現場に行くってことよね?」
「ラッシュ時の聞き込みなら当然そうなるわよね。被害者以外に毎日同じ車両に乗りつづけている人を涼が知ってるなら別だけど」
「パス。現場は絶対パス」
「あら、一番最初に吹っ飛んでいくかと思ったけど」
からかうような響きを含んだ声がシュラインのものでなかったら、涼とて黙ってはいない。実際この興信所での一番の権力者が草間武彦でないことは本人も、そして日々ここを訪れる調査員たちも承知しているのだ。
「だってもし幽霊見えちゃって怪我したらどーするのよ。自分が怪我しちゃ意味ないし痛いのは痛いから嫌だってば」
ふむ──とシュラインはしばし顎に白い指先を置いて考え込むような姿勢を取る。
だがそれも僅かな時間のことだった。
「じゃあ現場は私が行くわ──ただし」
「う……なんか嫌な予感……」
それまでシュラインのデスクの上に広げられていた新聞の束を、彼女は涼の前にあるテーブルの上へと移動させた。
二つに折られた新聞の束は、かなりの厚みだ。有に数週間分はあるだろう。
「霊が目撃され始めた頃からの新聞を集めてあるから。死亡記録のチェックよろしくね」
「これ全部……?」
「嫌なら現場」
「やりますやらせていただきますはい」
にこやかに興信所を後にするシュラインをひきつった笑顔で見送った後に、涼が新聞の束の半分を問答無用で草間に押し付けたことは言うまでもない。
++ いつか来るその時まで ++
「だから私言ったのよ現場には絶対に行かないって。やっぱり平穏無事な生活したいなら危険なところには近づいちゃ駄目よねー生き抜くための知恵よこれ」
得意げな顔をしてえへん、と胸を張った涼の視線の先には、だらしなくネクタイを緩めた佐久間・啓(さくま・けい)の姿があった。なんでも通勤途中で件の幽霊と遭遇したらしい。
シュラインはふむ、と首を傾げる。
「前は交通事故だったかしら? 今までの法則だと被害は大きくなる筈だけれど、見たところ無事みたいね」
「抱き着いて俺の無事を喜ぶとかって展開はないのかね……」
「ないわね」
「ありえないありえない」
「無理でしょうね」
涼とシュライン、そして偶然現場に居合わせて啓を助けたという藤井・百合枝(ふじい・ゆりえ)が口々に首を横に振る。
「でも、結局どちらなのかしら?」
草間のデスクのすぐ隣に立ち、ウィン・ルクセンブルク(─)が誰にでもなく問い掛けると、シュラインが顔を上げる。
「どちらって?」
「霊が事故を引き起こしているのか、事故に遭う人に霊が見えているのか──」
「どちらにせよ、霊が無関係ってコトはないだろうしな。女の幽霊とやらについて何か分かってんのか?」
興信所の主がいないのをいいことに、華煉はにやにやと人の悪い笑みを浮かべながら草間のデスクの中をひっかきまわしている。どうやら涼もその作業に興味を覚えたらしく、あまりよくない類の好奇心に目を輝かせつつ華煉の背後へと回り込んだ。
だが二人とも、本題を忘れているようで実は忘れてはいないらしい。
「一応あの駅での死亡記録を調べてみたってゆーか、アタリつけてみたんだけど」
ソファ前のテーブルに山積みにされた新聞。その一番上の一枚にウィンがしげしげと目を通す。
「駅のホームから転落……か。詳しい身元は分かってるの?」
「ああ、ソレおっさんに調べさせた」
「これな」
机の中を漁っていた華煉が薄いブルーの封筒を放り出す。それは狙い澄ましたかのようにテーブルの上にふわりと着地した。
流石に当事者とあっては興味を抱かずにおれないのか、意外にもその封筒に真っ先に手を伸ばしたのは啓だ。中を覗けば写真と書類が数枚。
黒い髪を肩よりも少し長めに伸ばした、清楚な雰囲気を漂わせた女の写真。
「……間違いないわね」
「ああ」
僅かに啓の方へと身を乗り出して、写真に視線を落としていた百合枝が呟く。そこに写された人物が、二人が駅で遭遇した幽霊と同じ人物であることはほぼ間違いないように思われた。
「どーせなら生きてるウチい誘ってくれりゃよかったんだがなー」
「ホームから落ちかけてるのに、随分余裕があるわね」
「落ちなかったからな」
「納得したわ」
呆れたのか諦めたのか、はたまた言葉の通りに納得したのか──百合枝の表情から察するにあまりいい方向にとられていないのだけは確かだ。だがそもそも、それを気にするような啓ではない。
「誰を待っているのかしら──」
ぽつりと漏れた声はシュラインのものだった。
「私はその幽霊を実際に見たけれど、やってくる電車の車両に乗り込むでもなく、じっと──悲しそうに見ているだけだったわ。電車が発車するたびに、小さく溜息をついて──」
「辛気臭い女だとは思ったがな」
余計な茶々を入れた啓を、百合枝がじろりと睨み付ける。それを片手で制した啓がウィンと華煉へと視線を向けた。
二人は顔を見合わせた後に、華煉が面倒くさそうにそっぽを向いた。どうやらウィンに説明をしろということらしい。
「被害者に話を聞いてきたわ──あなた以外のね。何か共通点があるのか知りたかったの」
「苦労させられたぜー。なにせ話を聞いてもさっぱりだったしな」
「共通点は一つだけ。そして多分これは、あなたにも当てはまっている筈よ」
「へ?」
啓は思わず自分で自分を指差して、左右を見回す。だがウィンの揺るぎ無い視線はまっすぐに啓へと注がれていた。
「俺?」
「被害者には共通の知人が一人だけいたの。阿木正隆──この名前に聞き覚えは?」
「……ウチの新人」
「もしかしてその人、最近になって通勤手段を変えてない?」
思い出したようなシュラインの問い。
「そんなこと言ってたなそういえば。当分電車には乗らないとかで、わざわざバイク買うんだがどう選んでいいのかさっぱり分からないとかどーとか」
「その阿木さんに、会ってみましょうか」
女の写真にふと視線を落とし、シュラインが言った。
幽霊は明日も、あのホームで誰かを待つのだ。
待ち続けている『誰か』が現れるその時まで。
++ 言葉はもう届かない ++
物静かな人物だった。
啓が幽霊の出ると噂される駅のホームを待ち合わせ場所に指定すると、阿木は一瞬電話の向こうで息を呑んだが、すぐに了承したのだという。
いつもの通りにごった帰す駅のホーム。あの日。あの女の幽霊を見た時のことを啓は密かに思い出していた。そう──辛気臭い女だと、そう思った。だがそれと同時に、女がどこか寂しげな眼差しをしていたことを。
やってくるであろう電車を待つ人波から少し離れ、ウィンは霊が現れるのだという場所をじっと見つめていた。彼女は毎日あの場所に立ち、やってくる電車をため息とともに見送りながら何を思っていたのだろう? 何を、待っていたのか。
その答えが、今分かる気がした。
「通勤電車が一緒なだけの関係でした──信じてはもらえないかもしれませんが」
そう言う阿木の手には、小さな花束。慌しく行き来する人々の中で、彼の姿だけがぽっかりと周囲から浮いているようだ。
「けれど、彼女にとっては違うのかもしれないわ」
「これから変わっていった可能性は否定しません」
シュラインの言葉が終わるか終わらないかのうちに、阿木が答える。
「彼女が死ぬ少し前に、やっと──挨拶を交わすことができただけでした。僕は彼女がホームから落ちた現場を目の当たりにしてから、ずっとこの駅を避けていたので。幽霊の噂を聞いてもしかしたらとは思っていましたが──本当に」
そこで阿木が言葉を区切る。
「本当に、彼女なんですね?」
「多分──」
駅の時計がいつもの──幽霊が現れるとされる時刻を指し示した。停車する電車。ホームに溢れる人波──その向こうに。
彼女が、いた。
啓と百合枝が顔を見合わせた。そこにいるのは確かに、あの時二人がみた霊に間違いはない。
僅か五分。
彼女はいつもの通りにその五分間を、停車し発車していく電車を、そこから溢れる人々の姿を、乗り込んでゆく人々の姿をひとしきり眺めた末に、消えてしまう筈だった──いつもならば。
だが、彼女の目は確かに捉えた。
たった一人──彼女が待ち望んだその相手を。
「ずっと、ここにいたのね」
呟くような涼の言葉に、シュラインが頷く。
阿木はゆっくりと歩き出した。寂しげだった霊の眼差しに、その瞳に、僅かではあるが別の色が混ざりこむのがウィンには見て取れた。
(もう少し、早かったら──)
例えばこれが、彼女の生前の出来事であれば微笑ましい光景として見守ることができただろう。だが、これは──。
「おはよう」
かけられた言葉は、ただそれだけ。
けれど女は微笑み、頷いた。
『おはようございます──最近見かけないから、心配していたんですよ』
電車の発車を知らせるアナウンスがホームへと響く。音を立てて閉まろうとするドアへと向かうでもなく、阿木はただ女を見つめた。
電車が走り出す。その風に阿木の手にしていた小さな花束が花びらを散らしながら空へと放り出される。
走り去った電車。その後には。
もはや彼女の姿はない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0381 / 村上・涼 / 女性 / 22歳 / 学生】
【1588 / ウィン・ルクセンブルク / 女性 / 25歳 / 実業家兼大学生】
【1873 / 藤井・百合枝 / 女性 / 25歳 / 派遣社員】
【1643 / 佐久間・啓 / 男性 / 32歳 / スポーツ新聞記者】
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■ ライター通信 ■
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こんにちわ。久我忍です。
4月も終わるというのに、私の部屋では未だコタツが現役で稼動しております。『さあかたづけよう!』と思うと何故か寒くなったりするのは、どこぞで誰かが私の部屋を奇麗にさせまいと呪いをかけているのに違いないとか、どこぞの組織の陰謀に違いないとかくだらないことを日々考えつつも、そこそこ元気にすごしている毎日です。
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