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<東京怪談ノベル(シングル)>


ネオロマンス



 北欧の冬は長く、そして厳しい。
 深すぎる雪と氷に覆われた地表は堅く凍りついており、生物がそこに根差すことをかたくなに拒否しているようでもある。全てを浄化し、裁く白い荒野は過ぎるほどに清冽であり、また容赦がない。
 血の強さを試されるため、大自然に戦いを挑む者たちの、弱者は朽ち、強者は勝利の楔を打ち込む。その地に住まう祝福を受けた者は栄え、その先の繁栄をも約束されることとなるだろう。
 すなわち、それは春の豊饒である。
「んん……相変わらず、移動中って退屈―――」
 飛行機から足を踏みだすと、真っ赤なコートに身を包んだ金髪の女――海原みたまは大きく伸びをした。
 鼻腔から体内に取り込まれて身を冷やすロシアの風が心地よい。それでも、以前に訪れたときより幾分か空気が温かくなっている。
「ズドラスツヴイーチェ。同じ場所に何度も足を運んだことなんて、今までなかったわよ」
 見慣れた景色に苦笑して、みたまは頬を擽る柔らかな髪を指先で掻いた。

 事の始まりは日本、九州にある古い神社からの申し出である。
 神主は四十がらみの小柄な男で、その神社の正当な跡継ぎではないと言う。もともとの神主の血筋は跡取り不在の為に絶えてしまい、そのせいで定期的な改修も行われぬまま平成に至ったらしい。
「工事のとき、柱の罅割れから出てきたものです。大変に擦りきれてしまって良くはわからないのですが」
 神主が示したのは、ともすればぱりぱりと破れて粉になってしまいそうな薄紙の書面である。
 所々が虫に喰われてしまったり、破れてしまったりできちんとした文脈を辿ることができなかったが、それでも少しずつ読み進めていくうちにみたまはきれいに整えた優しい眉を寄せて呟いた。
「――これは……」
「幕末のものと思われます。この神社のもともとの持ち主であった神主か、もしくはその由緑の者か」
「……山水晶にて象られたる艶容の髑髏……ね」
 この文書をしたためた何者かが、とある天皇陵に窃盗に入ったときのことが記されている。
 天皇の遺体と共に納められたたくさんの埴輪や宝物の殆どは朽ち果てていたが、その中で唯一、山水晶でできた精巧な髑髏だけが鈍い光を放っていた。これだけ巧みに精製された加工品ならば、きっと高く売れるだろう。そう考えた書き手は、当時ひそやかに行われていた大陸との密貿易にこの髑髏を便乗させようとしたらしい。
「この神社からは、そんな髑髏は出てきませんでした。ですが、もしもこれが事実だとすれば……」
 山水晶でできた髑髏。
 そう聞いて先ずみたまが思い出たのが、マヤのペリーズ遺跡から発掘されたヘッジススカルである。探検家のミッチェルヘッジスが発見したマヤ文明のオーパーツで、頭蓋を三つのパーツに分割する縫合線というくぼみが無い他は大きさ、形、共に実物の頭蓋と相違ないほど精巧に作られている。
 マヤの伝説では、ヘッジススカルを含め全部で十三個のクリスタルスカルがあると伝えられているが、今現在発見されているのはそのうちの三個に留まっていた。
 そして十三全てのクリスタルスカルが揃うとき、世界は滅亡すると言われている。
「もしもこの文書が本当に幕末の薩摩で書かれたものだとするなら……そして本当に、この文書の書き手が水晶髑髏を天皇陵から窃盗したとするなら、ヘッジススカルよりさらに半世紀以上も早くクリスタルスカルが発見されていたことになる」
「そして、今それが発見されたとしても――世界で四個目のクリスタルスカルということになりますね」
 幕末の時代、天皇陵から窃盗されたクリスタルスカルの行方を追う。
 そんな依頼を受けて、みたまは三度、J国の土を踏むことになったのであった。



「――それで、やっと辿り着いたのがJ国の宝物庫、だったワケ」
 お腹の大きな妻に無理はさせぬと、女二人が向かいあって座るテーブルの上に男が湯気の立つカップを置いた。独特の方法で淹れられたロシアンティだ。香りが良く、身体が温まる。
 さらにその横には、みたまが二人に事情を説明するために書きだしたメモが置かれている。
「その頃、薩摩藩の家督争いが原因で服毒自殺をした役人がいるの。密貿易が露見したときに責任を取らされてね――それ以降は薩摩から密貿易船がでることはなかったんだけれど、最後の最後でするっと大陸に渡ってしまったのね」
 この二人とまみえるのも、これで三度目のことである。今は夫婦となり、妻は臨月を迎えるところだと言う。しばらく見ないうちに、きちんと夫婦の顔になっていて驚いた。
「他でもない、みたまさんのお申し出ですもの。あそこはご自由に出入りしてくださって結構ですわ」
 目の前で優しく微笑む妻の前身は、Jという王国の王女である。国属の騎士団で騎士団長をしていた男と駆け落ち、今は男の故郷に近い西の地で二人静かに暮らしている。
「ありがとう。きちんと耳に入れておいた方が良いと思ったのと――元気そうで安心したわ、来月には生まれるの?」
 二人の顔が見たかった。
 そんなふうに、ストレートな物言いができずにみたまはおどけた調子で問いかける。
 妻はみたまの意図を汲んだのか、大きな腹をゆっくりと撫でて満足げに頷いて返した。
「ええ――とても元気で、良く動くんです。きっと主人に良く似た、元気な男の子」
「それにしても」自分のカップを持ってキッチンから顔を出した男が問う。「マヤ文明と言えば、今のユカタン半島が起源ですよね。そんな大昔の日本に、どうしてその水晶髑髏が存在したのでしょうか?」
 そこが、みたまにも大きな疑問であった。
 どうやら、山水晶の髑髏が日本に流出したのは邪馬台国が栄華を極めていた頃の話しであったらしい。
「紀元前の日本は、今みたいに一つの国では無かったの。クニと呼ばれる小さな自治国がひしめき合ってはいたけれど、それを束ねる者は存在しなかった」
 混迷の時代、であった。
 自治国の王たちは民のため、そして自分自身のために領土を広げ、他の自治国に攻め込み、奴隷を作っては土地を切り開く。
 そんな中で、女性を王に据え、呪術と圧倒的な財力によって頭角を示した自治国があった。
 それが邪馬台国である。
「女王の名前はヒミコ。魔女に近い存在だったと思うわ……占いや呪術で政治を摂って、民の心を魅了していたの。中国大陸に船を送って、今の中国の王に貢ぎ物をたくさん送った。そのお礼に、中国の王がヒミコに授けたと言われている金印が有名ね。そして多分、そのときに中国の王が、山水晶の髑髏もヒミコに授けたんじゃないかと私は思う」
 ヒトの頭蓋を倣った、透明な山水晶。
 それがヘッジススカルに良く似た姿形を取っていたとするならば、ヒミコは狂喜してその髑髏を受け取ったことだろう。
 日本に於て、「骨」という物質への意識は東と西で大きく別れている。
 哺乳類の「骨」に関しては、東西ともに無数の伝承や言い伝えが存在するが、東日本で「骨」に関する伝承と言えば、それはたいがい「死」というものに直結した脅威や畏怖の象徴として伝えられる。墓荒しが夜な夜なヒトの骨を喰らうなどと言う逸話や、恋人を残して亡くなった若い女の骨が騒ぐと言った話しなどがそれに当たる。彼らは生きた人間を「恨めしい」と曰い、隙あらば生きる者の足を搦め捕ろうとする風な描写で描かれる場合が多い。
「邪馬台国は九州にあったという説と、近畿地方にあったという説があるの。近畿説の方が有力ではあるけれど、最近はね――邪馬台国は、九州から近畿に遷都したんじゃないか、なんて言い始める学者もいるのよ」
 西日本で伝わる「骨」の逸話は、えてして「獣の骨」を主人公として描かれている。
 狩猟を生活の手段としていたクニでは年に一度、獲物として狩った鹿の頭骨を祀り、また向こう一年の狩猟安泰を願って祈った。龍の骨・大蛇の骨などと言った妖怪めいた存在の骨にまつわる伝承なども、西日本には多く残されている。彼らにとって「骨」とは畏怖の存在ではなく、共存や繁栄、支配を象徴する証であったのた。
「中国の王――魏の王は、西からシルクロード経由で水晶髑髏を手に入れた。当時の魏にはその価値が理解できなかったのか、それともヒミコに自分の力を誇示したかったのかは判らないけれど、とにかく髑髏は邪馬台国に、日本に渡ってやってきた」
 金印と共に水晶髑髏を授かったヒミコがその頃の九州にいたとするならば、彼女がその不可思議な水晶髑髏に「ヒトの支配」を夢見たと考えても良いだろう。
「九州から中国の王と遣り取りをし、そのあとで近畿に遷都。そこで邪馬台国は、ヒミコの死を引金に衰退していき――滅亡」
 みたまは卓上のメモの『邪馬台国』の所に、大きくバツ印を付ける。あまり、妻にとって気持ちの良い話しではないだろう。彼女の国は隣国に滅ぼされ、今はもう存在しないのだ。邪馬台国と同じである。
「海のシルクロードという海路に関しても、どこからどこまでかとか、厳密に言ってどこを海路としていたのかとか、まだまだ判らないことがたくさんあるのだけれど――でも特筆すべきはここね。シンガポール、ジャカルタ、フィリピン。この辺りには、とても発達した港が点在していたの」
 みたまはメモの余白に、簡単な太平洋周辺の地図を書いた。日本は最西に、アメリカ大陸の端が最東に位置している。最南には、点のように小さな島々がぽつぽつと描かれて行く。「これが太平洋」
 赤道を中心に、時計回りと逆時計回りの矢印を足した。列島や小島をつるりと撫でるように丸く書かれた矢印の途中で、男が納得したようにああ、と小さな声を漏らす。
「この矢印が、太平洋を大きく巡回する潮の流れ。赤道に近いところにある熱帯の島々は、海のシルクロードの通過点でありながら、この潮の流れに沿ってユカタン半島のマヤ文明とも交流を持っていたかもしれない可能性があるわ」
 ユカタン半島から、シルクロードの通過点であるシンガポールやジャカルタの人々へ。
 そこから中国大陸へ、日本列島へ。
「こう考えることで少なくとも、日本の水晶髑髏が『オーパーツのオーパーツ』になってしまう可能性がいくらか減るのよ。それに、邪馬台国に水晶がやってきたと考える方が自然なの――その邪馬台国が滅びたとされるのと同時期に崩御した天皇の墓に、水晶髑髏は納められていたから」
 現在の大阪府堺市にある、仁徳天皇陵。日本最大の前方後円墳で、水晶髑髏は長い間眠っていた。
 後の発見であったために厳密な時代は特定できなかったが、大正よりも少し前の頃に古墳が荒らされた形跡は確かに存在したと言う。千年以上の歳月を経て、水晶髑髏は再び日の当たる場所に導きだされたのだ。
「あとは最初に説明した通り。大陸に渡って人手を伝いながら北上して、J国に辿り着いたのね」
 そこまで話してやっと、みたまは眼前のカップに手を伸ばした。温度はすっかり下がってしまっているが、香りの高さは変わらない。中身を一口嚥下してから、肩が凝ったとでも言うように首をぱきぱきと鳴らした。
「でも………」
 それまで静かにみたまの言葉に相槌を打っていた男の妻が、ふと思い立ったように口を開いた。「N国が踏み入ってきてから、かなりの時間が経っています。そんなすごい水晶の加工品を、彼らがそのまま放っておくとも思えません」
「なるほどね……あのバカ息子たちが発見したとしたら確かに、もう足取りが掴めなくなっているかもしれないわ」
 その言葉には一理ある。
 だだでさえ、世界にはまだ十のクリスタルスカルが眠っているのだ。喉から手がでるほどに欲しがる者もあるだろう。
「せっかくみたまさんが私たちを頼ってきてくださったのに…」
 妻が残念そうな口調でそう言ったが、当のみたま本人はまったく気にしたふうもなく胸を叩く。
「大丈夫よ。取られたものは取り返せば良いだけ。覚えてないなら、思い出させるだけね」



 そして今、みたまはユカタン半島に渡るボンゴタイプの後ろに座っている。トウモロコシ畑やサボテン畑が続きいており、鋭い日差しがガラス窓の向こうで地表を熱す。
 まるでウインドウショッピングでも楽しんでいるような軽装で、みたまは少し大振りのショルダーバッグのみを膝の上に抱えていた。怒れる雌獅子などと畏れられた戦場の女である。旅慣れているし、日差しにも強い。
 その鞄の中には、四つ目のクリスタルスカル――マヤのオーパーツが仕舞われている。

 それを手に入れるのに、手間というほどの手間はかからなかった。いつの時代でも、人は口に戸の立たない生き物であるからだ。人類史を覆すやもしれぬという宝を掌握し、それを一言たりとも口外せずにいられる人間などいない。案外あっさりと、クリスタルスカルをみたまに預けてくれた。
「――ここで下りるわ。ありがとう」
 現在のユカタン半島は、ほぼ全域が観光名所と化している。スペイン語ができなくても、ある程度の英語が話せれば困ることはないのだ。みたまは流暢な英語で運転手にそう次げたあとで、グラィアス、と続ける。
 乗りあいのボンゴタイプが見えなくなるまで見送ってから、みたまは背の高い木が茂るジャングルの中に足を踏み入れていった。
 目印は、生い茂る木々よりもさらに背の高い石造りの建物である。マヤ遺跡の一つで、長い間風に嬲られて上半分は風化してしまっている。
 みたまはその建物の裾許に、鞄から取りだしたクリスタルスカルを埋めた。

「そんなワケ。問題ないわよね、もともとある場所に返してきただけだもの」
 空港で飛行機を待つ間、みたまは愛する『だんなさま』に電話での口頭報告をする。メキシコを発つ最後の日はあいにくの雨模様で、買い物を楽しむ気すら起きない。ホテルから空港に直行し、こうしてだらだらと飛行機を待っている。
「私? どうして? 良いのよ、いつかあれを発掘する誰かのことを考えて過ごすのも悪くないじゃない。ロマンスはプライスレス……ってね♪」
 もしもクリスタルスカルを発見したら、それはみたまの好きなようにして構わない――それは当初からみたまが言い聞かされていたことだった。
 作り手の意図、盗難、事故。
 それぞれの思いが伝播した果てに、クリスタルスカルは本来の居場所から遠く離れた海の向こうで一人静かに時を過ごしていたのだ。
 今こそ、それはあるべき場所に戻してやるべきだ。みたまは思う。
「ねえそれよりも、帰ったら私和食が食べたいわ。空港まで迎えにきて、あの子たちも連れて」
 仕事は仕事、プライベートはプライベート。甘えた声音で電話口にそう強請ると、苦笑交じりの了承が返された。
 自分たちは、きちんと、夫婦だろうか。そんなことをふと考えた。
 僅かながらも二人きりの時間をすごし、あの日の二人はきちんと夫婦の顔でみたまを出迎えた。
 彼らよりも長い時間を過ごしている自分たち夫婦も、他人から見ればきちんと『夫婦の顔』をしているように見えているのだろうか。
「――ああ、そろそろ出発の時間だわ。それじゃね、日本の夕方に会いましょ」
 電話を切るとき欠かさぬ投げキスが、離れている間も二人の間に時間を積み重ねていく。
 ほぼ空っぽに近いショルダーバッグをくっと掴み、みたまは搭乗口へと歩み始めた。
 
(了)