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<東京怪談ノベル(シングル)>


living environment

 白い大輪の菊。
 菊は一年を通して需要がある為か、季節を忘れそうになるが、本来は秋の花だ。
 それを教えてくれた母は、今数え切れない程の白い菊に囲まれて横たわっている。
 藤巻諫矢は、学生服のきちりと止められた襟元に息苦しさを覚え、喉元に手をやった。
 傍ら、喪主である父は弔問客の言葉にも応えずただ俯くばかりで、息子である自分が応対している事にも苛立ちが募る。
―日頃、親分風吹かしてる癖になさけねぇ。
 諫矢の家は、俗にヤクザと呼ばれる家業である……まっとうであるとは決して言えない生業の父を、静かに支えていた母の欠落は余程に大きいのか、病院で最期を看取ってからこちら、「あぁ」と「そうだな」しか口にしない父に業を煮やし、その仲間が葬儀を取り仕切るに任せたまま、魂が抜けたようになっている。
 そんな様を見るにつけ、脳梗塞で倒れ、そのまま眠るように逝ってしまった母が、父の何処が良かったのか諫矢にはさっぱり理解出来ないままだ。
 親父の職業を聞かれても答える事が出来ず、刑務所の世話になる事も一度や二度で済まず、その度一日も欠かさず面会に出掛ける…心労ばかりが募るそんな生活から逃げ出さなかったのは理屈でなくただ惚れてたからだろうか。
 つらつらとそんな事を考えるのは、馴染みの薄い空気に居心地の悪さを感じて、思考でなりと逃避しようとしているのだろうか。
 家業が家業なだけに神道はスタイルのみ、基本は無宗教だと思っていたが、やはり日本人の倣いでか仏式の葬儀が手配され、焼香の客は絶える事なく、諫矢はその型に嵌めたような弔事に一々頷き、本日はお運び下さりありがとうございます、亡くなった母も喜んでいると思います…と、返す言葉も儀礼的で、いっそテープに吹き込んで流せと言いたくなる。
 その苛立ちの募る頃、出入り口で上がった怒声に諫矢は眉を顰めた。
「テメエ、巫山戯た事ぬかしてんじゃねぇぞコルァ!」
その筋の人間ばかりが集まる中では却って違和感のある…どこから見ても素人の会場の係員に、若い衆が食ってかかっていた。
「もう閉会時間だから通せないたぁ、どういう了見だァん!? 姐さんの通夜で客に門前払い喰らわすなんざ、親父の顔潰す気か!?」
係員の胸倉を掴み、食ってかかる…男には見覚えがある。
 抗争の即戦力として人目憚らず愚連隊を引き込み、力を付けようとした新興組織が手当たり次第に組を取り込んだはいいが、派手にやりすぎて幹部が次々にしょっぴかれ、組織として立ち行かなくなった所を、諫矢の父に拾われた顔ぶれの中の一人だ。
 愚連隊をそのまま組織として抱え込むのは邪道であるとされる…血の気の多さに制御が効かなくなるのは必至で、それを敢えて拾い上げた父に心酔しているだけに、歯止めが効かなくなったらしい。
 周囲の上の者が納めようとするが一向に静まらず、肝心要の父は肩を落としたまま騒ぎを見ようともしない。
 諫矢は短く舌を打つと、騒ぎの中心へ歩み寄った。
「おい、テメェ」
ぐいと襟を引かれて、諫矢にも噛みつこうとした男は、途端に黙り込む。
「堅気にまっとうなお勤めしてるヤツを脅かすんじゃねぇ」
凄味を効かせた諫矢に男は反論しようとする。
「けどよぉ、」
だが諫矢はそれを許さず、更に襟を引いて係員から引き剥がした。
「ウチのモンが面倒かけました。明日の本葬儀もお願いします」
深々と頭を下げる…諫矢が頭を下げれば倣わずを得ず、男も口の中でもごもごと係員に謝罪の言葉を呟いた。
 喪主の息子に謝罪され、その場の幹部がさり気なくポケットに札をねじ込むに係員は、了承の旨を告げながら逃げるように裏手へと引っ込む。
 それを見送って諫矢は問題を起こした男を怒鳴り飛ばした。
「……なんで静かに見送ってやれねぇ!」
その声に、父が漸く騒ぎの場へとやって来た。
「おいよ、諫矢。そいつも悪気があってしたんじゃねぇんだ、勘弁してやってくれ」
「るせぇ!」
吐き捨て、諫矢は怒りのままに吐き捨てた。
 衆目の前で叱らないでいるのが若い衆を伸ばしてやるコツだと、父の常日頃の主張であるのは知っている…が、諫矢はこの場、母の弔いの場を下らない理由で騒ぎ立てる連中を長い目で見る事は出来ない。
「俺は我慢出来ねぇんだよ、こんな世界で生きてる親父も、お前等も!」
堰きを切って溢れる感情のまま、憤りをぶつける。
 それまで、面と向かってそれを言葉にした事はなかった…諫矢もある意味母の顔を立て、呑み込んでいた感情だったのだ。
 場は、水を打ったように静かになった。
 父の目が、ただ静かに自分に注がれているのを見て、諫矢は少したじろいだ。
「……自業自得だ。少しは大人しくなりやがれ」
ふと、別種の視線を感じたような気がして目を上げると、いつものように僅かな微笑みを浮かべる母の遺影が目についた。
 それから逃れるようにそのまま、諫矢は表へ出、歩きながら指で襟元を緩める…それでも、息苦しさは消えなかった。


 その決定的な拒絶にも関わらず、父が足を洗う事も、その世界が彼から遠のく事もなく、諫矢は成人を迎えた。
 正月気分も抜けないまま、着慣れない晴れ着や借り物のようなスーツに身を包んだ新成人の群れの中、別の意味で威風堂々としたスーツ姿を披露して浮く諫矢は、ふと視線を感じた気がして周囲に視線を巡らせた。
 ホールの二階、どこから見てもその筋にしか見えない男が立っている。
―誰もついてくんなっつったのに。
眉を顰めた諫矢は、その男が四角い板のような物を胸に抱えているのに気付く……穏やかな微笑みは、三年の月日が経過しても変わることのない、母の遺影。
 諫矢は怒鳴ろうと開きかけた口元を苦笑に緩めた。
 そういえば、アイツも同じ新成人だったか。
 なら成人式に居てもおかしくないなと胸中に納得してやり、諫矢は前へ向き直った。
 人目を憚り、生き方にも気を遣わなきゃならない、相変わらずそんな世界で生きてる。
―けど、たまには面白いな。
諫矢はそう、背を見守る母の遺影に心の中で語りかけた。
―好きじゃねぇがな。
そんな憎まれ口を付け加える事も忘れずに。