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見えない空
いつもの学校帰り、いつもと少し違う道を、橘沙羅が、じっと見つめる。
この角が、分岐点。左に行ったら、少し歩いて、やがて自宅へと辿り着く。右に行ったら、地下鉄にまた飛び乗って、その先は、最近オープンした、こぢんまりとした工芸店へと続いている。
ここの店員たちは、正直に面白い。
真面目な苦労性の青年もいれば、三度の飯よりもナンパが大好きという困った曲者も常時スタンバっている。全く違和感のないオカマもいれば、一人悠然のほほんとしている笛の隠れた実力者が、縁側で茶を啜っていたりもする。
彼らと話すのは、楽しい。
沙羅は育ちの故か、どうにも男が苦手だったが、この店の店員たちには慣れてきた。
それほどモジモジせずに話せるし、初めはかなりぎこちなかった笑顔も、今では自然に浮かべることが出来るようになってきている。兄がたくさん出来たような感覚だ。橘の兄弟たちも、完全な男所帯であるから、沙羅の存在が新鮮なのだろう。何くれとなく、面倒を見てくれる。
「今日はいるかな……?」
扉を開ける。
この間のお礼を言いたい人は、いるだろうか?
店にいる面々の中でも、一際長身の彼は、そこにいれば、すぐに目に付く。
店と家との仕切りを通過する時、打たないように、頭を下げる癖があることにも、初めは驚いたものだ。小柄な沙羅にはとことん理解できない感覚で、そもそも、沙羅は、頭上に注意を払ったことなど無い。
「あ……いた」
気を付けていても、時々、被害は被ってしまうものらしい。
がつん、という音がして、流が、ぶつくさ文句を言いながら、奥から出てきたところだった。
「またかよ!」
と、夏嵐が笑う。避けきれない速度で、流が、すかさず、悪友の頭を叩いた。
「いってぇ〜! この乱暴者!」
「黙れナンパ男」
「うっうっ。沙羅ちゃ〜ん。流が俺のこと苛めるんだよ〜」
と、どさくさに紛れて沙羅に近付こうとする夏嵐の襟首を、ぐいと流が引っ張った。
「だから店に来た客をナンパするなと言っているだろうが!」
「ちぇ〜……」
「すみませんね……。馬鹿な弟で」
と、情けも容赦もなく、冬夜が、夏嵐を引きずって店の奥に引っ込んだ。この期に及んで未練がましく「沙羅ちゃーん」と叫ぶ弟のことなど、はなから構ってはいない。流だけではなく、兄たちも、ナンパ弟にはとことん厳しい模様である。
「……ったく」
「夏嵐さん、本当に、面白い方ですね」
「面白いか!?」
「はい。楽しい方だと思います」
この素直で天真爛漫なところがまさに沙羅の長所だが、流は、どうにも不安になってくる。変な男に騙されて、妙な目に遭わされなければいいが…………もはや、気分はすっかり兄である。
橘兄弟の他、流も、沙羅には何故か甘いのだ。
「この前は、ありがとうございました。あそこで流さんに会えなかったら、危うく路頭に迷ってしまうところでした」
それに……雪焔も。
「真っ赤な花……何だか、凄かったです。怖いくらい……」
「ああ……お前みたいな一般人に、見せるべきものではなかったな。あれは…………死人花だ」
「死人花……」
「死人のために、咲く花だ。生きている人間には、相応しくない」
でも。
沙羅は、上目遣いに、鬼龍の刀工の顔色を伺う。
確信したわけではないが、彼には、会いたい誰かがいるのだと、あの時、そう思った。直接その口から聞いたわけではない。だが、肌で、五感で、感じたのだ。流は、もう、何度も何度も……それこそ固い地面に靴跡が残るほどに……あの紅蓮の野に、足を踏み入れているのだと。
「会いたい人、いますか?」
沙羅が聞く。
流は、答えない。
いつもの沙羅なら、そこで、会話を諦めてしまっていることだろう。だが、彼女は、構わず話し続けた。
「沙羅には、います。会いたい人。お祖母ちゃん……大好きだったんです。でも、沙羅が小さい時に、亡くなりました」
まだまだ伝えたいことが、たくさんあった。
だけど、沙羅は、幼くて、その全てを口にすることが出来なかったのだ。
今、会えたら、まずは何を言おう?
ありがとう……ああ、そう……まずは、ありがとうの一言を。いつも側にいてくれて。いつも優しくしてくれて。
当たり前のことだと思っていたから、その一言を、紡ぎ出す機会もなかった。何年も経ってから……周りにいる人たちの気遣いが、何にも代え難い大切な宝物だと知った時から……今は亡き人に、感謝を捧げるようになっていた。
「……妹に」
ぽそりと、鍛冶師が、呟いた。
あまりに低い声で、咄嗟に、沙羅には聞き取れなかった。
「え?」
「叶うなら……妹に、会いたいものだな」
「妹……さん?」
「十七で、死んだ。祭儀の歌い手に選ばれた、その年に……」
「歌い……手」
流が、小さく笑った。
「音感皆無の俺とは対照的に、なぜか、歌だの楽器の演奏だのに強くて……。うちの家系から歌い手が出たのは初めてだったから、家族は大騒ぎだったな……」
その家族も、もういない。
流と同じく鬼龍の筆頭鍛冶師だった父親は、三十歳を待たずして死亡しているし、母親は、娘を失った後、後を追うようにしてやはり亡くなっている。弟がいたが、これは、半年ほど前に病死した。心臓に欠陥があったのだ。鬼龍の濃い血が、悪い方向に表れてしまったのである。
「弟はいい。これは、仕方ない。十歳までも生きられないと言われていたのに、十九まで永らえた。母親も、病死だ。自然の摂理には逆らえない。諦めはつく。だが……」
妹は。
「病気……で亡くなったわけじゃ……?」
病気なら、諦める。
それが、鬼龍の考え方だ。
鬼龍の神々に好かれすぎて、早く召されてしまったのだと、そう、考える。
だから、悲しくても、悔しくても、諦めはつくのだ。
病死なら……。
「事故、ですか?」
違う、と、流は、首を振った。
事故なら、どれほど、気が楽だったかと。
「じゃあ……」
「殺された」
殺された?
誰に?
ぐるぐると、沙羅の頭の中を、短い一言が駆け巡る。
殺された?
どうして?
「雁夜に……殺された」
「かりや……」
「真名の、兄だ」
「…………真名さんの!」
真名は、知らない、けれど……。
流が、呟く。
それほどの秘密を、なぜ、沙羅に話そうと思ったのか……自分でも、よくわからないままに。
あるいは、彼女が、妹に似ていたからか。
同じ歌い手で、同じ歳。
「遺体を、抱いてやることも、出来なかった……」
彼女の体は、粉々に、砕けていたから。
雁夜の持つ、恐るべき異常な力……「神降ろし」の被験者にされた結果が、それだった。
耐えきれなかったのだ。
耐えきれずに……神を降ろした肉体が、砕け散った。
「雁夜が、言った。あいつは、自分の意思で、被験者になると申し出たと」
雁夜の嘘に決まっている。
流は、そう、思っている。
だが、もし、本当だったら?
なぜ、そんな事を受け入れた?
知りたいことは、尋ねたいことは、それこそ、山のようにある。
だから、雪焔の元に通ったのだ。
限りなく低い可能性にかけて、雪焔の元に通い続けたのだ。もしかしたら、という、一縷の望みを捨てきれず……。
「だが、会えない。あれから三年も経つのに……」
伝説は、所詮、伝説ということか。
真実は、亡くなった本人しか知らないのに、それを確かめる術もない……。
「さ、沙羅に、何か、出来ること、ありませんか……?」
恐る恐る、少女が尋ねる。
刀工は、ひどく驚いた顔をした。
「何もない」
ぶっきらぼうに、答える。
この件に関しては、例え、あったとしても、そう答えるしかないだろう。
雁夜は危険すぎる。
喉元に突きつけられた刃よりも、危険な人間なのだ。そんな鋭利な刃物の前に、無防備な少女を放り出すわけにはいかない。
「だって、流さん、なんだか……」
「何だか?」
「…………何でも、ないです」
泣きそうな、顔を、しているように…………一瞬、見えたから…………。
奥の部屋から、夏嵐の、晩飯だぞー、と叫ぶ声がした。
今行くと答え、流が、縁側から立ち上がる。
「春海の料理だから、味はいまいちだが……食ってくか?」
いいえ、と、沙羅が答える。
橘家の食事風景にお邪魔するのは心惹かれたが、一人で考えてみる時間が欲しいと、思った。
「帰ります。家でも、お母さんが、ご飯作って待っていてくれていますし……」
「そうか」
刀工は、無理には勧めない。
またな、と言って、客人を見送った。
そう言えば、真名には言うな、と、彼は念を押さなかった。
念など押さなくても、沙羅が不用意にそんな事を口にする人間ではないと、わかっていたのだろう。
「雁夜さん……どうしてですか?」
会ったこともない、鬼龍の神官の兄に、呼びかける。
わからない。
そう思った。
何もかも、わからないことだらけだ……。
ふと見上げた天の星々は、地上の月明かりに阻まれて、ほとんど確認することが出来なかった。
真実が見えない闇の中を、ただ一人、ぽつりと、沙羅は歩き続ける……。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2489 / 橘・沙羅(たちばな・さら) / 女性 / 17 / 女子高生】
NPC
【鬼龍・流(きりゅう・ながれ) / 男性 / 24 / 刀剣鍛冶師】
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■ ライター通信 ■
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ソラノです。いつもお世話になっております。沙羅さま。
少し、流も沙羅さんに打ち解けてきたようです。
だいぶ色々と話し始めてくれました(笑)。
今回出てきた雁夜についても、必要ならば、流の口から聞けると思います。
まだまだ込み入った事情のある鬼龍の物語です。また機会があれば、お顔を見せて下さい。
それでは、今回の発注、ありがとうございました。
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