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<東京怪談ノベル(シングル)>


lie-abed

「ヤだ! 月クンと一緒にねんねするんだもん!」
枕を抱え、ぷぅと膨らんだ弟に、御崎月斗はしかつめらしい表情を作って見せた。
「ダメだ。もう12なんだから一人で寝なさい」
遅くなった食器や洗濯、夕食後の洗い物が済むのをじっと待っていたらしい彼は抱えた自分の枕とは別、わざわざ持ってきた月斗の枕を据えてぽふぽふと叩く。
「月クンは! ここで! ねんねするの!」
弟の主張は最早要求でなく決定だ。
 月斗は時計にちらと目をやる…十時を回って少し、年より幼い三男坊の就寝時間はとうに過ぎている。
「……解った」
月斗は溜息をつくと、布団の脇に正座した。
「ホント!?」
途端、喜色に溢れる弟に心中に苦笑し、月斗は捲っていた袖を戻しながら提案する。
「俺が先に眠くなったらこのままここで寝る。お前が先に眠ってしまったら、自分の布団で寝るからな、いいな」
「うん!」
負ける可能性など微塵も感じていない即答に、傍らの新聞を取り上げる。
「ただ待ってるのも暇だからな。にーちゃんの大好きなお話を読んでやる」
「ホント? どんなお話?」
「目まぐるしく展開が変わる上、先が読めなくて手に汗握るぞ。数百の登場人物の運命が世界情勢に関連して浮沈する、壮大な物語だ……」
言いながら新聞の中程を広げ、月斗は目的の箇所を音読し始めた。


 兄弟揃って厄介になっている叔父の家を出、月斗は一辻離れた電柱の脇に止まる黒い高級車に向かう。
 ドラマティックに千変万化な本日の株式市場、で敢えなく撃沈した弟にきちんと布団をかけてやった上、念のためにと足音と気配を消し、出来うる限りにそっと出て来た為に約束の時間を過ぎている。
 傍らに立つと同時に開いた後部座席のドアの中に、月斗は身を滑り込ませた。
 運転手は遅れた事に関して咎めるでなく無言のまま、エンジンをかける…滑るように走り出した車の、座り心地の良いシートに深く体重を預け、月斗は少し、息を吐く。
 迎えの車に満ちる沈黙の重さが、依頼の質を告げているが、実家を出奔した兄弟達の生活費は、長男である月斗の双肩にかかっている為、贅沢を言えないのが実情だ。
 悪夢に苛まれて眠れず、日々衰弱していく娘を助けて欲しい……依頼の内容としては単純だが、その主が良い噂はとんと耳にしない代議士であるのが気に障る。
 が、叔父を伝手に頼ってきたせいもあって、ペイがいい。
 自宅に陰陽師―一見ただの小学生だ―が出入りするのを目撃されるのを嫌ってか、送迎付のある意味では美味しいだ…旨とする業務の性質上、依頼は深夜に遂行する事が多いのだが、その際に一番頭を悩ませるのが人目である…事、公務員に見咎められると、未成年者の深夜徘徊の罪状で保護されてしまう。
 相手と自分の利害の合致に遠慮の必要性は欠片もなく、眠るではないが、瞳を閉じるだけで少し疲労が静まるようで、月斗はエンジンのうねりを耳にしながら目を閉じた。
 そしてしばし。
 月斗は唐突に目を開くと、小学生相応の幼さを持つ顔を、年齢らしからぬ冷静さに引き締めた。
「車を止めろ」
突然の要求に、運転手がスピードを緩める。
「え?」
「いいから早くしろ!」
言ってそのまま、完全な制動が効くよりも先に、月斗はロックを解除して車内から飛び出した。
 目的地である代議士の家は間近だ……山の手に傾斜を作る坂の上、ひっそりと静まる高級住宅街に険しい眼差しを向け、月斗は目を凝らした。
「居た……ッ」
夜空を背景に闇色の影が空中に浮かび上がる。
 それはしばし、中空に浮いていたが、すぅと尾を引いて飛行を始め、月斗はその後を追って駆けだした。
 光を放たぬ人魂のような、それは家々の屋根の上を行く為ともすれば見失いそうになるが、直線の進路を計って道を選ぶ。
 代議士の家から見て北東……丑寅の、鬼の通り道を逆行し、闇色の人魂が飛び行く先に一軒のアパートが建っていた。
 今にも崩れそうな外観、更けたとはいえ、寝静まってしまうには早い都会の夜に窓に一つの灯りもない様は寒々しく、今にも崩れそうな外観に廃屋としか思えない……二階の窓へと向かう人魂に月斗は手を振った。
 五指の先から伸びた光が糸の如くにそれを絡め取り、動きを封じる。
「……さて、どうするか」
好き放題に伸びた雑草の茂みに音無く落ちたそれを拾い上げる…掲げた掌に接地する事なく、半ばの位置で宙に浮いた人魂は光る糸に絡め取られて視線を吸い込む程に禍々して黒を際立たせていた。
 二階建てのそれはさほどの高さではないが、月斗自身の身長もまたさほどでない為、位置としてはかなり高い、月斗は無言でアパートの二階を見上げる。
「面倒臭ぇ」
空いた方の手でぼりぼりと頭を掻き、それでも屋内へと足を向ける……奥へと向かって伸びる構造に、街灯の光も届かない廊下には埃が積もり、人間の生活を感じさせない。
 不気味さが先に立つ其処に躊躇なく足を踏み入れ、月斗は壁についた片手で階段の位置を探ると、二階へと上がった。
 一階と同様、視界を確保出来るほどの光量はないが、月斗は迷わず、狭い感覚で並ぶ扉の一つに手をかけた……鍵はかかっておらず、ノブを回せば蝶番が僅かに軋んだ音を立てる。
 僅かな隙間からは、ぶつぶつと呟く声と、腐臭を混ぜた血の臭いが洩れ出で、月斗は眉を顰めた。
「おい」
呼び掛けに室内で踞る人物は、びくり、と肩を跳ねさせ、顔を上げた。
「だ、誰だ!?」
「雇われ陰陽師だよ……あんたのだろ? 返しに来たぜ」
言って、人魂を掲げてみせる。
「う、嘘だ……ッ、術はちゃんと……ッ!」
「見立てた俺の式神に発動してんだろーよ。まんま破っちまったら今頃アンタ、死んでるぜ?」
月斗は薄く目を細めた。
 部屋の中に散乱するそれらしい文献、畳の上に描かれた陣……そして小動物の死骸にも冷静さを欠く事なく続ける。
「玄人の仕事じゃねぇな、私怨か? それにしてもマズい手段を選んだモンだ」
「こ……ッ、子供に何が解るッ!」
闇に慣れた目にも、踞る男の風体はまるで浮浪者のようだというのが解る。
「あの男が私に着せた濡れ衣のせいで、私は全てを失ったんだッ!」
月斗の持つ人魂を恐れてか、壁に背をぶつけても後退る足の動きを止めない。
「家も土地も信用も……ッ、そ、その上、人を使って、私の娘を……ッ」
男の眼から溢れる涙が、不思議と見えた。
「……そうだ、アイツは知るべきなんだ、アイツこそが知るべきなんだ娘を失う悲しみを……」
それは月斗の正当性を訴えるのでなく、ただ自分を納得させる為の繰り言に聞こえる。
 月斗は眉一つ動かさずに問う。
「なら、アンタは呪いを解くつもりはないんだな」
「私は何も悪くない、私はアイツを裁く権利を持っているんだ、なのにお、お前はアイツの味方をするのか? アイツが全部、全部悪いんだぞ!」
繰り返される内容に、光に戒められた呪いの具現をちらりと見、月斗は続ける。
「別に依頼人がどんな人間だろうと関係ないね。俺はただ依頼された事を遂行するだけだ」
無慈悲に動かない表情。
 男の視界を遮って、掲げる呪い……それに纏いつく光の糸が、ふわりと解けた。
 闇は膜のように広がり、現実となった悪夢、貪欲な呪いは悲鳴すらも呑み込んで、術者の命を補食した。


 男を呑み込んだ闇が、水が引くようにするりと消え行く…救いを求めて天へ腕を伸ばした形に固まった骸が残される。
 月斗はポケットから携帯を取り出し、リダイヤルで番号を呼び出した。
 受話器が取られると同時、相手を確認せずに告げる。
「依頼は果たしたぜ。娘を助けるってヤツをな」
そしてそのまま、返事を待たずに通話を切る……視線は、骸に据えたままだ。
 その、動かない身体の影が光線の加減に揺らめいた。
 ……否、男の影自体が生き物めいて意志を感じさせる動きで、死骸の下に止められるを逃れようと蠢く。
―死ニタクナイヨゥ。
呻きは地の底から這うように。
―死ニタクナイヨゥ、死ニタクナァイィ……アノ男ヲォ、
影は長く長く伸び……ある一点でぷつりと音を立てるかのように、千切れた。
―共ニ地獄ニ引キ込ムマデハアァァ……!
怨嗟の叫びに、影は月斗へ向かった。
 だが、それは少年を襲うが目的でなく丑寅の……代議士の家の方角へと向かって真っ直ぐ壁を突き抜けて消える。
 それをただ見送り、月斗は惨状から顔を背けると、そのまま踵を返した。


 ふ、と意識が戻って直ぐ、俯せに横になった視線の延長線上にある時計が8時を示すのに、あぁ、もうそんな時間かと覚醒しきらない意識の隅で考える。
 睡魔は重く瞼にのし掛かり、疲労が身の内に凝る感覚にあと五分だけ……と、布団に深く潜り込……もうとして、月斗は腕立て伏せの要領でがばりと身を起こした。
「やばっ、アイツらの朝飯……!」
が、上げた視界にてんと、皿が置いてある……黄身が潰れ、冷めて固くなった目玉焼きに焼け焦げて黒いトースト。
 昨夜、帰宅してそのまま、上着も脱がずに寝入ってしまった自分を気遣って起こさずに居たのだろうか。
 不器用な、そして慣れない心遣いに安堵の息を吐くと、月斗は目玉焼きをつまんでトーストの上に乗せると、カシリ、と囓った。
 目玉焼きは焼きすぎてる上、コショウもないし、トーストはただ焦げ臭い。
「ったく、慣れない事するからだ」
お世辞にも美味しいと言える出来ではない…けれど、苦い笑いを浮かべた月斗は、穏やかに目を細めた。