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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


暁前のLove Song

 テーブルの上に無造作に放り出してあるのは、緑色のケースに入ったMDだった。
 最近になって急に普及しだしたこのディスクは、主に曲をダビングしたりラジオを録音したりされるものだ。値段は少し高いが、ポータブルCDに比べれは遥かにコンパクトで持ち運びしやすく、機能性もいい、という事で若者を中心に広まっている。
 今、彼の目の前にあるその問題のMDは、なんの飾り気もないケースに入っていて、中に入っているMD自身も、流行のスケルトンではない。
 つまり、少し古いのだろうと、彼―――石原律馬は推測する。
 古いといっても今に比べれば、といったくらいで、年代にすれば十年を数えるわけもなく。
 律馬はつくづく、今の時代の流れの速さを感じるのであった。
 そんな彼はMDなど持っておらず、当然MDコンポなど買う気もない。金がないのだから、そんな夢は抱かないに越した事はないのである。というのが、彼の持論だった。貧乏性と呼ぶ地方もあるかもしれない。
 ともかく、そのMDは随分とこの場所では浮いていた。
 この、アンティークショップ・レン、という場所では。
「で、これにはどんな曰くがついとん?」
 律馬はケースから出したりしまったり、と繰り返しながら首だけ振り返って店主を探した。
 彼女は妖艶な美女で、どきりとしてしまうほど深くスリットの入ったチャイナドレスを着こなしており、独特の流し目で他人を理由もなく慌てさせるのが得意である。
 そんな蓮は、品物の陳列を少し直しながら、顔も上げずに応えた。
「呪の歌が入ってるんだよ」
 明日の天気でも言うような軽い口調で。
「へぇー? 呪の歌。なに? 一回聞いたら呪われて死ぬとか?」
「珍しく察しがいいね。その通りだよ」
 ここは一体どこにある空間なのだろう。
 そんな疑問を抱いてしまうほど店内は静かで。
 品物で埋まってしまいそうな明り取りの窓からは、微かに陽光が覗いていた。
 お互いの呼吸音さえ聞こえそうなその空間で、律馬がMDケースを取り落とした音は、酷く響いた。
「壊さないでくれよ」
「壊してもたほうが、平和になるんちゃう?」
 少し青ざめた顔で、彼は言った。半笑いが顔に張り付いている。
「いや? 無理に壊したら、何がでてくるか解ったもんじゃない」
 やはり蓮は、どうでもよさそうな口調で。
「消したらええやん!」
「消えないんだよ。更に、封印しとかないと何故だか人の手に渡ってしまってね」
 物騒だね。
 まったくそう思ってなさそうな声で。
 それを聞きながら、律馬はとりあえずケースを拾い、そそくさとしまってMDをテーブルの上に放り出した。
「ほな、邪魔したな」
「邪魔したと思うなら、掃除を手伝っていったらどうだい?」
「年中埃かぶっとんねんから、今更ええやん! 俺は帰るで!」
「そうは行かないよ。そのMDの説明をもう一度するのが面倒だからね。今から来る人たちに説明しといておくれよ」
 蓮は、そんなこといって欠伸を小さくしてから、店の奥へと消えていった。律馬の手に、叩きを渡して。
 年中埃を被っている、といったのが気に触ったらしい。
「説明って……何言えばええのん?」
 律馬の悲しい声だけが、響いた。



 さっさと帰ればいいのに奇妙な責任感が生まれてしまい、叩きを握り締めて律馬は先ほど蓮がいた棚の前に立った。
 どれもこれも、ろくな商品ではないのだろうが、一見しただけでは判別つかない。と、彼が物色していると、足元に紙が落ちていた。どうも、四つに折られたB4サイズの紙らしい。何気なく拾い上げて、開いて中を見てみる。
 『MDに伝わる因縁について―――……』
 中はどうやら、あのMDについての詳細のようだった。律馬はがっくりと脱力する。
「こんなん書かんでも、自分で説明したらええやん……」
 彼の空しい呟きに、丁度ドアが開く音が重なった。
 ちりんちりん、と涼やかな鈴の音が響く。


「あ、あの……品を見せていただきに……」
 そう言って、ラクス・コスミオンはおどおどと店内に入った。ライオンの肢体の大きさを感じさせない、気の小さそうな仕種で、大空を誰よりも早く飛べるはずの鷹の翼を縮ませて。胸から上は柔らかな女性のフォルムで、小麦色の滑らかな頬は緊張に引きつっている。その輪郭を飾る紫に見間違えそうな艶やかな赤い髪までが、緊張で強張っていた。
 ナイルの河をそのまま写しこんだような鮮やかな緑色の瞳は、警戒心と恐怖心をはらんで、店内にいる男性に向けられる。
 叩きを持ったその男性、石原律馬はラクスの姿を見るなり、とりあえず店内の一番離れた所まで下がっていった。とりあえずほっとして、ラクスは店内に入って品を見る。
 商品は少女が喜びそうな雑貨から、成金趣味の婦人が目の色を変えそうな柱時計まで、選り取りみどり。が、もとよりこの手のものを選ぶ目を持ち合わせていないラクス。大家の命でここまで来たはいいが、早速行き詰った。
 こんな時に店主である蓮がいてくれれば助かるのだが、生憎、この場には彼女はいなかった。
 と、そこに、ちりんちりん、と耳に優しい周波がラクスの注意を引く。振り返ると丁度、扉が開いて女性が半身を覗かせていた。


「今日は」
 涼やかな鈴の音と同じように、鈴やかな挨拶で綾和泉汐耶は店内を覗いた。女性にしては長身で、ショートの髪型のためか、長い足を遺憾なく見せ付けるパンツルックのためか、一瞬性別判断に困る姿である。が、その銀縁の眼鏡の奥から覗く青い瞳は、女性特有の柔らかな表情を湛えている。
 本日は、休日恒例書店めぐりの最中で、何気なくこの店にも寄ってみた。可能性が低いが時々本も置いてあるし、このアンティークショップ・レンという店はどうにも興味を惹かれるものがある。
 と、丁度扉の直ぐ近くに別の人影があり、扉があけにくい。
「あの、ちょっといいですか?」
 話しかけるとその人物はびくっ、と振り返り汐耶の顔を見るなり、ほっとしたように場所を空けた。汐耶は扉を開けて店内に踏み込む。中にはスフィンクスが一人と、見通しの悪い奥にもう一人、男性がいるだけだ。
 どうも、蓮は不在らしい、と汐耶は判断する。それならそれでかまわない、と彼女がとりあえず扉付近の小物を眺めだすと、
「あ、お二人さん、ちょぉ時間ある?」
 奥から男性の声がした。
 お二人さん、というと、この場合は汐耶と、もう一人になるのだろう。何せ店内には他に人影がない。
 思わず、近くに立っていたスフィンクスの女性と顔を見合わせた。その女性は長身の汐耶が首を傾げる必要のない背の高さをしている。それはともかく。汐耶自身は、今、特別急ぐ用事があるわけでもなかった。
 そして、過去の経験から言って、こういう場合は何か面倒事に巻き込まれるに違いない。アンティークショップ・レンとは、その手の騒動の宝庫なのだから。
 そこまで考えて、汐耶は本日の休日が平和に終わらない事を悟った。
「お話くらいなら」
「は、はい」
 二人の、承諾の声が重なる。


「つまり」
 アンティークな布張りの椅子に、少しだけ遠慮気味に腰掛けた汐耶が、どうにも遠くから説明する律馬の説明を要約した。
 傍ではラクスが目の前のテーブルに無造作に放り出されたMDを、興味深げに眺めている。
「このMDには呪の歌が入っていて、聞いた人は呪われて死ぬ、と」
「その通りや」
 深く頷くその男はなにやら手元の紙を眺めながらの説明で、どうにも胡散臭い事この上ない。しかし、呪で死ぬ、という方が遥かに胡散臭いのは確かで、自然、ラクスと汐耶の興味はMDへ向かう。
「確認ですが、実際亡くなられた方は?」
 汐耶が問い。
「解れば、死に様などもお聞きしたいのですが」
 ラクスも、尋ねる。
 律馬はあー、と唸って紙を眺めてから、説明を始めた。
「実際に死んだんは、五人。全員東京都在住の男性で年齢は三十前後。死に様は、脳卒中でぽっくりや。警察が幾ら解剖したって、毒物や他殺原因は一切出てこん」
 ラクスが頷いて、少し眉を寄せる。
「呪、といえば、もっと惨たらしい死に様を残すものだと思っていましたけれど、その類ではないんでしょうか」
 汐耶もそれには同意した。が、今ここで考えても結論は出ない。とりあえず、考える材料が必要だった。できるだけ多く。的確な材料が。
「亡くなったのは全員三十前後の男性、という事は、持ち主を選んでいるという可能性が高いですね」
「そうですね。誰か、探しているのでしょうか?」
 ラクスが少し首を傾げて汐耶を見やる。汐耶は確かに、と頷いた。
「探し人が見つかるまで、探し続けるとしたら、少々厄介ですね」
 他に情報は? 汐耶は律馬を見た。律馬は紙から顔を上げずに頷く。人死にが出ていて、更に続く可能性が高いのだから、早めに対策を施したいのは誰でも同じだ。
「一番初めに死んだんは、作曲家や。で、その作曲家の最後の仕事になってもたんが、ある詩の曲付け。その作曲家が家の人間に、戦後直ぐに発売された詩集に掲載されたもんで、絶版になって久しい。その内の一つを歌にするんやって言って、後日にぽっくり逝ってもたらしい」
 更に、それは何年も前の事ではなく、つい最近の事。
「では、呪の歌というのは、その時作曲した可能性が高い、という事ですね?」
 ラクスが念を押す。
「まぁ、推測やけどな。それ以外の男性には、ほんまに共通点は見あたらへん」
 律馬は紙をぴらぴらと振って見せた。
「少なくとも、この紙には書いとらへんわ」
 問題のMDは、始めは遺品として警察に徴収されたり、家族に引き取られたり、棄てられたり、と様々な経路を使い、そして気がつけば次の被害者の手元へと渡ってゆく。
 被害者たちは、常にそのMDをデッキにセットした状態で発見されている。つまり、その曲を聴いていて亡くなった可能性が高い。が、不思議な事に、大勢の人間がいるところでそのMDを再生しようとすると『BLANK DISC』と表示され、なんの曲も入っていないという事になる。
 だからこそ、誰もそれには着目しない。
 そしてまた、次の持ち主へと渡ってゆく。
「なるほど」
 二人が頷くのを確認して、律馬はほっと息を吐いた。
「んで、この事件、どう解決するつもりか、聞かせてくれへん?」
 問われて、ラクスと汐耶は顔を見合わせる。そして、先にラクスが口を開いた。
「ラクスは、この”えむでぃ”事態を徹底的に調べてみたいと思います。残留思念や、魔力付与の痕跡などの魔術的な解析から、少し不慣れではありますが、光情報も可能な限り分析したいと思います」
 ラクスはもじもじと落ち着かない様子だが、それでも視線だけはMDに固定している。研究者としての彼女が、顔を出していた。
「最終的な決断は、結果が出てからにしようかと」
 いい終わって息を吐いたラクスを横目に、次は汐耶が口を切る。
「私は、その、絶版になった詩集、というのに少し覚えがあります。其方から当たって、問題の詩を特定し、呪となった理由、更に探し人の特定をしたいと思います」
 汐耶は言うなり、席を立った。急ぐに越した事はない。ラクスも、直ぐにMDの貸し出し許可を求めた。



 MD、つまりミニディスクは、主に音楽を録音、再生が目的で作られたものである。が、人の声や、節をつけた調子、要するに歌は呪詛を込めやすい。
 本来呪文や、祝詞といったものは人の思いを声に込めて力を作るもので、特別な言い回しや言霊を使う事により、その効果を意図的に顕著にしているものだ。そして、人の歌う歌、というのはただそれだけで想いが篭っている分、呪詛へとなりやすい。
 律馬の話では、戦後直ぐに出版された詩集の詩に曲をつけて歌にした、と言う話だったが、曲をつけただけで、歌を歌ったという話は聞いていない。
 その辺が、探るべき場所だとラクスは決めた。
 とりあえず、MDに残留思念が存在するかどうかを調べるために、ラクスはMDを居候先へ持ち帰ってきた。
 歌自身に問題があるのか。作曲家が何か特殊な呪詛を込めたのか。知りたい事はたくさんあるが、何より、そのMDに何かが憑いているのか。それを調べる必要があった。
「では―――……」
 息を大きく吸って、体から余計な力を抜く。そして頭の中の余分な思考を減らしてゆき、一切合財真っ白になってMDへと意識を集中する。
 どんな想いが存在するのか。
 どんな理由で人を殺めるのか。
 呪となってしまうような、その理由。
 MDが淡く発光する。それを、ラクスは鮮やかな緑色の瞳でぼんやりと見つめた。

『わた………を………います……』

 耳を済ませても聞き取れない、小さな声。
 それは歌だ。
 何かを伝えるために綴った、想いだ。
 ラクスは更に精神を研ぎ澄ませる。
 決して一声も聞き逃すまいと。

『夢が……で……うちに……』

 が、それでも、声は曖昧にしか聞こえなかった。
 被害者は男性ばかり、という事が思い出される。もしかしたら、普通に再生してもラクスにはなんの影響もないかもしれない、と彼女は考える。
 が、音楽という媒体は、空気の振動でどこまでも広がっていく。呪の威力が解らない間は、そのような冒険はできなかった。
 残留思念は、あるようなないような。曖昧な結果しか解らなかった。これはラクスという術者が調べたからこそ、多少の結果が出たのであって、術が苦手なものなら、声を聞き取る事すらできなかっただろう。
 ラクスはとりあえず、一時保留にしておいて、魔力付与の可能性を探る事にした。歌や曲には問題が無くとも、後から人為的に何者かが呪をかけた可能性がある。
 その場合は、呪をかけた人物を探すことも重要だが、問題なく封印してしまえばいい。若しくは、ラクスが特殊な魔術場に閉じ込めて、資料として保管してもいい。
 が、やはり、魔力付与の形跡は見つからない。ラクス自身が探っても、器具を使って微かな魔術の形跡を探そうとしても、対象は本当に、ただのMDだった。
 MD自体にはなんの問題もないらしい、とラクスは結論付ける。問題は、中に録音されている曲であり、作曲者までを殺してしまった歌―――詩の方だろう。
「これは……厄介ですね」
 思わず口にしてしまった。
 残留思念は聞き取れない。
 MDには何の魔術付与の形跡もない。
 問題は詩を書いた人物だが、その人物の霊魂がこのMDに取り付いているわけでもなさそうだ。
 ただ、想いを込めたその詩が、曲を媒体にして呪となり、MDに憑いた―――と判断しても間違いなさそうだ。
 ラクスはそう考えると、次はあの微かだった残留思念を増幅する方向に定めた。
 微かな想いはおおよそMDに憑いている歌だろうと、彼女は検討をつける。と、不意に。
「でも、やっぱり、ラクスには無理かも知れないです……」
 何故だか急に不安になってきた。
 ”えむでぃ”なんて、実際使った事もないし、調べようにもどうも手応えが薄い。
 更に、呪われて死ぬ、という事だが亡くなった男性の死因がこのMDだという証拠もない。どちらかというと、偶然のような気もする。
 ラクスは集中を解いてMDをケースにしまった。
 結局何も解らなかったと言って、アンティークショップ・レンに返してしまおう。
「残念ですけど、手に負えないです」
 そう。
 彼に返してしまおう―――

『私はあなたを待っています』

 刹那、頭の中で何か言葉が弾けた。MDをケースごと取り落として、ラクスは慌ててそれを拾おうとして―――止めた。
「一体、何故?」
 自分の思考の異常さに気がついたのだ。
 突然、本当に突然に、自分の手に負えない気がした。
 今はそんな事は思わない。
「どうして、返すのが蓮様ではなくて、石原様なのでしょうか?」
 そう。
 その思考は明らかに不自然だった。
『MDは誰かを探している』
『被害者は三十前後の男性が五人』
 二つの条件が、あのアンティークショップ・レンにいた、石原律馬という男には当てはまってしまうのではないか?
 探し人を見つけるまで、MDは見境無く目的の人に近い年齢の男性の手を渡り続ける。
 そして、それが違っているのであれば、また、次の人物を探す。
『MDはいつの間にか他人の手に渡っている』
 MD事体が特殊な催眠で人の心理を操っている可能性は低くない。何せ、人を殺す事すらできるのだから。
 齢二百を超えるラクスですら、一瞬MDの思惑に乗ってしまう所だったのだ。幾ら神経を集中していたからといって、油断はしていなかったはずなのに。
 一般の、魔術に疎い人間なら一たまりもないに違いない。
「今なら―――」
 ラクスは床に落としたままのMDに神経を集中した。

『たとえこの身が朽ち果てようと』

『私はあなたを待っています』

『帰りを信じて唯ひたすらに』

 詩が、聞こえる。
 これが呪の本体だ、とラクスは直感した。
「女性の声、ですね」
 曖昧ではあるが、それは少し低音の女性の声だった。
 帰りを待つ、とそれだけを繰り返し。
 何度でも。
 あなたを待っている、と。
 その詩は歌う。
 五十年ほど前に世界中が戦争をしていた頃があった。その戦争に赴き、そして帰ってこない男性を待ち続ける女性の詩―――報われずに死んでしまって、それでもまだ、待っている女性の詩。
 強固な封印はできるだろう。
 だが、それではあまりに悲しい。
 思いを綴った詩として、それだけでも十分に呪詛にはなりえる。だが、それに更に曲という外部からの接触があって詩は歌となり、呪になった。
 待ち続けるだけだったその詩が、探し続けるほどの力を得た。
 人の想い。
 ただ、それだけで。
 殺す事が目的ではなかったから、被害者の死に様は綺麗なのだ。
 目的は連れてゆく事。
 目的は、帰ってきてもらう事。
「悲し、過ぎます……」
 集中を解いて、ラクスはぺたり、とへたり込んだ。MDを眼前にして。
 やっと呪の本体を突き詰めた。だが、この呪は既に人を殺している。同情するわけにはいかない。そして、五十年前、という事は探すべき男性は既に三十前後ではないし、生きている可能性も低い。否。帰らなかった時点で、既に亡き者となっている可能性が高い。
 それでも探し続ける詩。女性の想い。
 魂ではないから、成仏させる事はできない。
 想いだけ、残っている。
 涙が溢れた。
 視界が霞んで、潤んで揺れて。
 そして、零れたそれは頬を伝ってMDに落ちる。
 精密機器に水分は厳禁だ。ラクスは慌てて自分の頬も拭わずに、MDに落ちた涙を拭おうと手を伸ばして。
 光りだしたMDに、ラクスは瞠目した。

『時の流れは女を変える』

『姿を変えて、心を変える』

『それでも、待っていますとあなたに告げた、この想いだけ変わらぬままに』

 声が流れてくる。
 意識を集中しているわけではない。
 何か、デッキにセットしているわけでもない。
 ただ、声が頭に響いてくる。
 悲しい詩が。
 待ち続ける想いが。
 ディスクの中で、銀色の小さな円盤がまわりだす。
「あ……」
 ラクスは弾かれたように、立ち上がった。
 詩が、喜んでいる。
 待ち人を、ようやく見つけたような。
 歓喜が流れ込んでいる。
 特殊な術も無く、ラクスはMDと同調していた。ただ、想いだけ残ったその詩と。魂すらなくけれど、待ち続けたその詩と。
 不思議と恐怖は無かった。五人もの男性を殺してしまった呪だというのに。
 MDをくわえ、ラクスは窓枠を蹴って、鷹の翼を広げる。
 気がつけば、時間はもう深夜を回り夜明けを迎える頃だった。
 夜空に舞った。
 待ち人に、追いつくために。


 転がり込むようにアンティークショップ・レンの店内に入ってきたラクスに、二人の人物が驚いた表情を浮かべる。
 が、彼らが何か言う前に、ラクスは体を起こしてきょろきょろと店内を見回した。
「ラクスさん、どうされたんですか?」
 汐耶が問う。
「さっき、頭ぶつけたで? 大丈夫なん?」
 律馬が心配そうに尋ねた。
 しかし、肝心の人物がいない、とラクスは落胆する。そして、ラクスは調べた結果を報告した。まだ、MDは喜んでいる。
 何がそんなに、嬉しいというのか。
「想い、ですか」
 汐耶が考え込むような仕種で、その言葉を吟味する。
「そう言った例はきいた事がないですが、ラクスさんがそうだというならそうなんでしょうね」
 そして、ふわりと笑う。外見全てを裏切る、優しい笑顔で。
 釣られてラクスも、笑みを浮かべた。
「では、私の方も結果をご報告します」
「はい」
 ラクスが頷くのを確認して、汐耶は話し出した。
「私がまず向かったのは、馴染みの古本屋でした。そこの店長が、確か、絶版になったらしい、戦後直ぐの発売の詩集を持っていたと思いましたので」
 問題の詩集は店には置いておらず、「家内が家にいるから」と地図まで書いてもらって、自宅の方に訪問し、そこで発見したという。
 そして、詩集を見ると、どうも一つだけ明らかに想いの篭り方が半端ではないのがあった。紙面に封印されている、というほどではないが、想いを言葉に封印したような、そんな感すら感じたらしい。
 そして、その詩について奥さんに尋ねると、母の書いた詩だ、という。
『不思議な事もあるものね。ずっと父を待っていて亡くなった母のお葬式の日。知らない男性が尋ねてこられて、ここは『木内さえ殿の葬儀か』なんて聞くのよ。それで私が『そうですが、母のお知り合いですか?』って聞いたら、『さえ殿とは面識はないが、さえ殿のところに帰るはずだった男から、預かった物がある』って、帽子をね、渡されたの。話によると、父が最後にその男性を庇って戦死したのですって。恨まれていると想って今まで隠れていたけれど、やはり、最後には頼まれていた帽子を返したかったって。遅くなったって、言われてね』
 長い話の後、奥さんは、帽子を見せてくれた。
 幾らなんでも、呪となって人を殺しているから帽子を貸してくれ、というわけには行かないから、色々と上手く言ってその帽子を借りてきた、と汐耶は話を締めくくる。
「で、これがその帽子ですが」
 ラクスに差し出された帽子は、つばの部分に少し血の染みがある以外は、少し汚れたただの野球帽だった。
 が、詩は、想いは、はじけるように喜んだ。
 待っていたと。
 帰ってきたと。
「間違いありません。この詩の待ち人は、その帽子の持ち主です」
 否、とラクスは否定した。
 帽子に少し集中する。MDに同調したままの所為か、酷くそれは容易だった。
 帰りたい、とその帽子は語った。
 帰りたい、帰りたい、帰りたい、と。
 それ以外、忘れてしまったかのように。
「待っていたのは、その帽子に込められた、帰りたいと望む想い、です」
 汐耶はそっと、MDと帽子を並べてテーブルに置いた。
 想いだけなら、成仏させる事も叶わない。けれど、消してしまうには、切なすぎる。
 ならばいっそ。
「一緒に、封印しましょう。想いごと。二度と誰も二人を引き裂けないように」
 汐耶は眼鏡を取って、胸のポケットにしまった。
「あの、ラクスがしましょうか?」
 ラクスが問うが、汐耶は穏やかに首を横に振った。
「自覚がないかもしれませんが、随分お疲れのご様子ですよ? ここは私に任せてください」
 言われて見れば、ラクスはかなり長い間MDに同調していたし、その前にも長い間精神集中をしていた。疲れていて当然である。
 言われるままに、ラクスは頷いた。
「はい。お任せします」
「はい、承りました」
 笑みを交わして。
 想いは封印された。恐らく、永遠に。
 後は祈りが残る。
 二度と再び、二人が離れ離れになる事がないように―――と。



 後日、汐耶の休日に、ラクスと汐耶は二人並んで墓地に哀悼を捧げていた。
 それは、一番最初の被害者となった、作曲家の墓だった。花瓶には入りきらないほどの量の花が、添えてある。
 あの想いがした事は決して許される事ではない。
 人殺しだ。
 法には裁けない、殺人。
 二人は話し合って、今から例の古本屋の店主を尋ねた。
 その帰りに、今回の事件の全ての被害者の墓参りをしている。
 最後が、この墓前だ。
 事件のきっかけを作った、最初の被害者。
 誰が悪かったのだろうか。
 そんな事は、解らない。決める事すら、愚かしい。
 ただ、この悲しみだけは、忘れないように。
 できるだけ多くの人の記憶にとどめておきたいと。

 古本屋の店主とその奥さんに事情を説明し、東京中の墓地を回って、時間はすっかり日付けを超えてしまった。
 薄く、空が白んでくる。
 暁が訪れる前の、微かなまどろみの時間。
 ラクスは同調していた間中、何度も聞いた詩を口ずさんだ。
 汐耶は、何も言わずにただ、空を眺めて耳を澄ましていた。
 




帰ってきますとあなたが言った。

待っていますと私が言った。


幾つもの昼に想いを綴り。

幾百もの夜に絶望を産み。

幾千もの朝が希望を砕き。

私は一人孤独に住まう。

そんな悪夢に苦しまされて。

布団を跳ねのけ悲鳴を上げて、涙で溺れる一人の朝よ。


それでもあなたを待っています。

だから帰ってきてください。

夢が夢で在るうちに。






一緒になろうとあなたが言った。

ついていきますと私が言った。


幾つもの昼に着物を縫って。

幾百もの夜に寄り添い眠り。

幾千もの朝に共の目覚めを。

二人でひたすら幸せを抱く。

そんな望みを白昼に夢み。

微笑み零して洗濯をして、人の通らぬ門を見つめる。


そうしてあなたを待っています。

だから帰ってきてください。

夢が夢で終わらぬうちに。





時の流れは女を変える。

姿を変えて、心を変える。

それでも、待っていますとあなたに告げた、この想いだけ変わらぬままに。


たとえこの身が朽ち果てようと。

私はあなたを待っています。

帰りを信じて唯ひたすらに。








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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1963 / ラクス・コスミオン様 / 女性 / 240 / スフィンクス
【1449 / 綾和泉・汐耶様 / 女性 / 23 / 都立図書館司書

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■         ライター通信          ■
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 ラクス・コスミオン様、大変お待たせしました。誠に申し訳ありません。
 更に、Love Songと銘打っておいて、どうも日本語の曲のようで。最初は英語にしようかとも想ったのですが、どうもしっくり行かなかったので、日本語です。
 初めての多人数だったのですが、お二方の得意分野がまったく違ったため、あえて全然違うものにさせていただきました。
 こちらは、ラクス・コスミオン様専用、という事になります。最初と最後は一緒ですが。
 初めてで書き方の要領がつかめなかった、ということでもあります。精進します。
 では、今回のご縁に感謝しつつ、お読みくださった方にも、幸運がありますように。
 ありがとうございました。