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<東京怪談ノベル(シングル)>


休日茶飯事


 目覚めてカーテンを開けると、窓から晴れた空と眩しいほど新緑の若葉が日の光に照らされていた。
 今日は綾和泉汐耶(あやいずみ・せきや)が勤務している図書館の休館日である。
 平日ではなく休日の休みが少ない汐耶にとって、世間一般と同じ日曜の休日は大変貴重である。
 休日だからと言って寝過ごすわけでもなく、いつもと同じ時間に起きた汐耶はまずいつもどおり軽く朝食をとり、ベランダに布団を干す。
 最近引っ越したこのマンションは幸いなことにベランダも広いので布団どころかベッドのマットレスを干してもまだ余裕がある。
 まず布団とマットレスをベランダに出して、洗濯機の中から洗濯物を取り出して干す。そして、その後、部屋中掃除機をかけて―――と、忙しく午前中を過ごしてすっきりしたところで、午後からは休日恒例の場所へ出かけることにした。


■■■■■


 古本屋が多く並んだ活字中毒者たちには有名な界隈を散策して帰りに行き付けのお店でコーヒーを飲む―――それが、汐耶の恒例の休日の過ごし方だった。
 普段から活字に囲まれているにもかかわらず、たまの休日まで本を探しに出かけるのだから立派な活字中毒である。

「あら、汐耶ちゃんいらっしゃい」

「あー、あんたが探しとった本、入ってきたよ」

 汐耶がその古書街を通ると、すっかり顔なじみになってしまっている汐耶に店主たちが次々に声をかける。
 いくつかの古書店で購入し、更にその近くにある大型書店に足を向けた。
 その日はたまたま汐耶のお気に入りの作家の1年ぶりの新作が発売になる日だったからだ。
 店頭で平積みになっているハードカバーの分厚い本を購入し、本日のお買い物は終了となった。
「ふぅ」
 とりあえず書店巡りを終えた汐耶の手にある袋の中には充分過ぎるほどの重さの本がある。
 真っ直ぐ帰る前に一息つこうと、汐耶の足は自然と行き付けの喫茶店へと向いたのだが―――


『まことに勝手ながら本日は臨時休業とさせていただきます』

 
 張り紙を読み上げて汐耶は途方にくれたような顔をした。
 古書店街から汐耶のマンションまでの丁度中間に位置していて、コーヒーを飲みながら今日購入した本をじっくりと眺められる騒がしくない落ち着いた雰囲気の店となるとそうそうあっさりと代わりが見つかるはずがない。
 だが、この場合は仕方がない。
 そこで、汐耶はとりあえずそこらにあったカフェへ入った。
 最近流行らしいアジアンな雰囲気のインテリアなどは嫌いではなかったが、汐耶が案内されたのはオープンデッキにある席であった。
 ゆっくりとコーヒーと本を楽しみたかった汐耶にとっては多少暗くても店内のカウンター席の方が良かったのだが、あいにくと1人で座れそうな席はもうそのオープンテラスにしか残っていなかった。

―――まぁ、いいか……

 ブレンドを頼んだ汐耶は早速待望の新刊を取り出した。


「……」
 数分後、汐耶の席に届いたブレンドコーヒーを飲んで汐耶はほんの一瞬眉根を寄せた。
 だが、そのまま汐耶は本を読み続けていた。
 コーヒーの味は到底汐耶が普段通っている店の足元にも及ばないものであったが、幸いなことにそれが気にならないくらい汐耶は新刊に引き込まれていた。
 そして、あっという間に汐耶がその本の後半、クライマックスにさしかかった時であった、
「あのぉ、お1人ですかぁ?」
と、声をかけられた。
 ふと、視線を上げると季節的には少し早いのではないかと言う露出の高い格好をした20代半ばくらいの女性が汐耶に笑顔を向けている。
「同席させて頂いていいですかぁ」
 妙に鼻にかかった甘ったるい声。
「え?……」
 彼女の主旨が全く読めず、汐耶は戸惑い気味にそう返した。
 そう言って、汐耶の向かいに腰掛けた彼女の汐耶を値踏みするような視線に、ようやく汐耶は彼女の狙いを大体察知した。
 さしずめ新手のキャッチセールスか単なる逆ナンパと言ったところだろう。
 一瞬あっけにとられていた汐耶だったが、あっという間に彼女の眉間に深く皺が寄る。
 別に、170センチを越える長身にスレンダーな身体をパンツルックに包んでいるため男性に間違えられたのが初めてだと言うわけではない。
 普段なら、それこそやんわりと相手に自分が女性であることを知らしめることだって出来るのだが、今回ばかりはタイミングが悪かった。汐耶の嫌いなコトはいくつかあったがその中でも彼女は自分が本を読んでいる時に邪魔されると言うのが、何よりも嫌いだった。
 しかし相手は汐耶が急激に機嫌が悪くなった事には気付かず、媚を大量に含んだ視線を汐耶に向けている。自分の容姿に自信があるようで断られるとは全く思っていない―――そんな様子である。

「どうぞ。もう、失礼しますから」

 そういって、汐耶は自ら席を立ちレジに向かった。
 その場に残された彼女は呆然と立ち尽していた。


■■■■■


 大して美味しくもないコーヒーだけでも充分だったのに、更にそんな場の雰囲気の読めない人物に邪魔されてまでその場にいる必要は全くない。
 それに、ああいった手合の自分の容姿に自信がある女性の自尊心には、こんな風にあからさまに相手にされないというのは意外に痛烈な報復であるだろう。

「まぁ、ほんのささやかな報復だけどね」

 颯爽と店を出た汐耶は誰に聞かせるわけでもなくそう呟いた。