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オープニング
ひぃ、ひぃ、ひひひ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。
今宵の見世物は取って置きだよ。
寄らなきゃ損、損、見なきゃ末代までの後悔だ。
ひぃ、ひぃ、ひひひ、偉大な偉大な、光の騎士さまの物語だよ。
コントローラを投げ出して、大きな溜息をひとつ。
慣れた手つきで終了処理をしてから、マコは興奮冷め遣らぬ溜息をついた。たったいま、マコは剣と魔法が支配するバストリア大陸から、経済大国ニッポンへと帰還を果たした。
「やっぱり大作はいいなぁ」
そういった感嘆さえ漏らしつつ、マコはすっかり温まったコントローラとハードを片付けた。彼女が住む藍空邸は、しんと静まりかえっている。深夜2時だった。
藍空家といえば日本有数の大財閥で、その長女であるマコは周囲も羨むご令嬢であるのだが、彼女は普通の高校に通う普通の少女だった。両親が、すべてをマコ本人に委ねていたからだ。社交界に行きたければそのように取り計らうつもりだったし、留学したければ手を打ったし、最新のゲームが好きならば、それを買い与えてやった。
今のところ、マコは普通の高校に通う、ゲーム好きな少女に過ぎなかったのだ。
――今日はレベル上げでいっぱいいっぱいだったなぁ。明日こそあのムカつく町長の屋敷から、さらわれたエルフたちを助け出さなくちゃ。マコがあのパーティーにいたら、もうちょっと早く光の騎士たちを動かせたかもね……。
そうして、三次元にはいない人間に一喜一憂するも一興。
マコは睡眠も勉強もそっちのけで、つい最近『原点回帰』をコンセプトに作られた、良くも悪くもステレオタイプのRPG『バストリア』に夢中になっているのだった。魔王ディトラゴルスの城へは、まだまだ遠い中盤までしか進んでいない。
――あーあ。何で今の日本なんかに生まれたんだろ。マコも剣と魔法で冒険したかったなぁ! バストリア大陸に生まれたかったぁ! 魔王をやっつけて、平和を取り戻してあげられるのに!
何故マコがコントローラにもハードにも手を触れずに、その夜物置に入ったのか――。
今となっては、マコ本人も思い出せない。
今のマコならば言うだろう、『光に導かれた』のだと。
それは得てして事実なのだが、真実とは程遠いものがあった。
使用人が定期的に掃除をしていても、やはり物置は埃にまみれていた。いかに値打ちものの骨董品が並んでいようと、美術館や歴史館とは違うのだ。藍空邸の物置には、専門家が入れば丸一日は出て来られないような逸品に溢れていたし、それら逸品がひどく無造作に置かれていた。一般家庭の物置の中、くたびれた箒や使わなくなった三輪車のように、室町時代の仏像や刀剣、青磁の壷がある。
マコは頼りない光に誘われて、埃臭い物置の中を、時折突っかかりながら進んでいった。気分は、ダンジョンを行く勇者だった。
光は、和洋折衷の物品が並ぶこの物置でも、少し珍しい部類に入るものだった。それだけでも、これは特別なものなのだと、ファンタジーに憧れるマコを興奮させる一因となり得た。
表紙に五芒星が描かれた、古い本だ。
表紙そのものが本文であるかのように、びっしりと文字が並んでいたが、古すぎてかすれていたうえに、英語でも日本語でもなかった。マコには、読めなかった。読めていたらきっと、マコの何もかもが変わらなかっただろう。マコは大人になるまで夢を見続けていた。
うっすらと光るその本は、マコが見ている前で、カタカタと小さく踊ったのである。
ひぃ、ひぃ、ひひひ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。
マコは、何も聞かなかった。表紙に並ぶ文句も読めない。
「魔法の本だ……」
或いは、預言書。開いた者が、この世界を救うことになる。
マコは震える本を、震える手で開いた。
光が消え失せた。
『ひひひ……よく来たね……よく開いたね……あんたには、勇気があるようだ……』
マコの前に現れたのは、歳を取った妖精だった――マコには、そう見えたのだ。実際のところ、本の中から闇をまとって現れたのは、20センチほどの大きさの、ぶかぶかの道化服を着た醜い悪魔だった。
しかし、
今のマコの蒼い瞳の中にうつるのは、バストリア大陸の森にいそうな妖精だ。
『ありがとう……あんたのおかげで助かったよ……』
「も、もしかして……本の中に閉じ込められてたの?」
『ひひひ、ご名答。あんたが本を開いてくれたおかげで……助かった。あんたは、あの勇気ある光の騎士さまの生まれ変わりにちがいない……その勇気、受け継いだものなんだね……』
妖精は時折引き攣ったように笑いながら、マコにぺこぺこと頭を下げた。本当に感謝しているのだ――マコが、本を開いたということを。
「わ、私が、光の騎士の生まれ変わり?」
『そうとも……そうとも。偉大な偉大な、光の騎士さま……ずっと、待っていたよ。あっしは、光の騎士さまにお仕えする役目を負った……いやしいしもべ妖精さ……』
「うそ……そんな、もしかしたらなんて思ってたけど、ほんとにそうだったなんて! 夢みたい!」
『冒険に……世直しの旅に、行かれるのかい? 光の騎士さま……』
「もちろん!」
『ひっひ……それなら、まずは一番近いところからはじめなくては……』
妖精はくつくつと肩で笑うと、大きな鼻ですんすんと辺りの匂いを嗅いだ。
その真紅の目を細め、声を落とす。
『臭う……臭うぞ……』
「えっ、まさか、私の家にも?!」
『残念だが……そのようだ。紛う方なき、魔の臭い。騎士さま……このままでは、父上と母上が危ない。……剣を取られよ、殺すのだ!』
妖精が手を振ると、光り輝く日本刀がマコの眼前の床に突き立った。それはこの物置に溢れる骨董品の一つ、千子村正であった。
文字通り目の色を変えたマコが、気合とともに物置を飛び出す。
無垢な光に満ちた碧眼は、禍々しい真紅に染まっていた。
引き攣ったような笑い声が、マコの後に続いていく――
「お嬢さま?!」
物置の向かいの部屋に住み込んでいる使用人がふたり、寝巻き姿のままで飛び出してきた。
『臭う、臭うぞ……彼奴らだ。彼奴らこそ、魔王ディトラゴルスの手先だ!』
「わああああ、成敗してやるッ!!」
血飛沫、血煙、臓物が飛び散る。
とても女子高生の手にかかったものとは思えない死体がふたつ、そこに転がった。村正を持ってしても、人間の力では人間をひと太刀で輪切りには出来ない。
だが今のマコにはそれが出来た。
何故なら、彼女は光の騎士だから――。
ひひひひひ、
血煙と悲鳴を浴びたとき、マコの後ろにいる妖精――醜い道化師の身体が、ほんのひとまわり大きくなった。だが、服はまだぶかぶかのまま。
『ひっひ……まだ、まだだ。もっとたくさん殺さねば……あっしは、あんたを導き切れないよ……ひひひひひ……』
勝利の雄叫びを上げるマコの後ろで、なおも妖精は嗤い続ける。
妖精の姿は、雄叫びと悲鳴に叩き起こされ、駆けつけたマコの両親には見えなかった。幸か不幸か、妖精は光の騎士マコにしか見えない存在だったのだ。
マコには自由に生きてもらいたかった両親は、この夜の出来事を闇に葬り去った。それほどの力を持つ親だった。すべてのパスワードを知る一国の王程度には、マコを救うことが出来るのである――。
ひぃ、ひぃ、ひひひ、今日の物語はここまでだ。
なに、続きが気になるって? もう少しでいいから話せって?
ひぃ、ひぃ、ひひひ、残念だけど、あっしはそこまでひとが良くない。
これも、仕事だからねぇ。
続きは、また今度だよ。
まっかな月がのぼる夜、またここに来るといい。
ひぃっひっひっひ、光の騎士さまの物語は、始まったばかりなのさ。
<おしまい>
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