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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


一歩よりも少なく
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「……あわわ」
「もう、透ったらゲームのしすぎよ!」
ハンドルを手にしたまま欠伸をかみ殺した恋人に、ウィンは呆れた視線を向けた。心地よいエンジン音の中で、青のポルシェは滑るように進んでいく。
「対戦じゃないよ、新しいお宝探してたの」
まるでそう言えば、ウィンの気持ちが和らぐと思っている口調で、渋谷透(しぶや・とおる)は訂正した。夜明け近くまで、ウィンの兄の家でゲームに興じていたらしい。新しいゲームが発売されたこの数週間、見慣れた光景である。たまにはウィンも混ざることがあったが、兄たちの集中力にはついていけず、常に途中でリタイアしてしまう。
今日も今日とて透は朝帰りだったが、ウィンの顔を見ると眠い顔に笑顔を浮かべて言ったのだった。「いい天気だから、どこか行こっか」と。
言葉どおり、単に天気が良かったからかもしれないし、なんとなく覇気に欠けるウィンに、気を遣ってくれたのかもしれない。ウィンとしても文句はなかったので、二人は車に乗り込んで、さっそく家を後にした。駐車場の関係で兄から借り受けたポルシェ911は、常に透の手によって磨き上げられているが、たまには動かしてやらなければいけない。そんなわけで、今日はいつものプジョーではなく、青い車体のカレラ4の鍵を取り上げた。
海岸線を沿って国道を走り、江ノ島ときらめく海を右手に見ながら、車は調子よく鎌倉へ入った。車は安定した走りで、くねった道を上っていく。
やがて緑に満ち溢れた山に、ちらほらと薄紅色が混ざり始める。
色の比率はみるみる変わり、ついには右も左も乱れ咲く桜の木に囲まれた。
ひらひらと、まるで風花のように、桜の花弁は今この瞬間にも散っていく。いくら散ってもきりがないのではないかと思うように、左右から張り出した桜の枝はどれも薄桃色の花が満開だった。
「まあ……!」
きれい、と飲み込んだ息の下で呟いたウィンに、透はちらりと上を見上げた。ボンネットがないので、車内から見上げれば、視界一面に桜が広がるのだ。前髪に引っかかった花びらを頭を振って払い、
「このあたりから、鎌倉山に入るまでの道は、この時期になると桜で溢れるんだよ」
透が説明する。相槌を打つ余裕もなく、ウィンは世界の上半分を支配した儚い桜の色を一心に見上げていた。どこからともなく花びらは落ちてきて、まるでそこだけ時間の流れが違うかのように、ゆったりと舞いながら落ちていく。そこに根ざす幽玄の気配が、きっと昔から人の心を捕らえたのだろう。
「住宅街もこんな感じなんだ。桜でいっぱいになる。夏は、このあたりにはまだ一杯セミがいるんだよ」
車が桜並木を抜けると、世界は突然濃い色を取り戻した。ちらほらと桜が覗く鎌倉山を少し走らせると、透は車体を街へと向けた。
「次はどこへ連れて行ってくれるの?」
前回京都へ旅行した時は、ウィンが透を案内した。今回は、透が彼女を案内してくれることになっているのだ。
「街に下りるんだ。車に乗ってばかりじゃなくて、ちょっと歩いて見るのもいいでしょ?」
祖父の仕事の関係で、透はこのあたりの地理には詳しい。車で移動するのに何度か地図を見たが、大まかな地理は頭に入っているようだった。
山を降りると、昔ながらの重厚で閑静な緑と家々の調和は薄まり、どこにでもある灰色のコンクリートとアスファルトの町並みが戻ってきた。
「このあたりに駐車場あったんだけどな……」
「あれじゃない?」
「あ。そうそう、ここでいいや」
スピードを緩めて、透の運転するポルシェは駐車場に乗り入れた。鎌倉の駅と、その前にあるロータリーが見える駐車場である。
透に促されて、ウィンは車を降りた。
いつでもどこか閑散とした駅前を通って右手に舵を取ると、ファーストフード店の向こうに、「小町通り」という名の小さな商店街の表示が見える。普通の商店街と違って、通りがかる人は老若男女もろもろだ。折りたたんだ地図を持った年嵩の女性もいれば、楽しげにそぞろ歩く若者たちもいる。通りには、比較的新しい建物の間に、古さを感じさせる建物がひっそりと立ち並び、過去と現在が融合したようなおぼろげな雰囲気を作り出していた。
「あっ、こっち!」
不意に、空いたままだった手を引かれて、ウィンは小町通りの入り口で進路変更を余儀なくされた。
「どこへ行くの?」
透の手に強引に引っ張られて、入っていくのは半地下になった小さな店である。テレビでよく見かけるキャラクターの専門店のようだ。時計やハンカチ、お弁当箱にいたるまで、見慣れたキャラクターが店内狭しと飾り付けられている。
「携帯のストラップ買うの」
元々、透は細々したものが大好きだ。アニメにはあまり興味を示さない男だが、この会社のキャラクターは別格であるらしく、長くぶら下がった数々のストラップを熱心に眺めている。
「ウィンちゃんはどれが好き?」
「そうねえ……どれも可愛いけど、黒猫が付いているのがいいかしら」
答えると、透は彼女が示したストラップを手に取り、
「オレはねずみのやつが好き。食器も欲しいけど」
と、伺うようにウィンを見た。
「かさばるから、今日はダメよ」
食器は確かに可愛いが、セットで買わなくてはバランスが取れない。ぴしゃりと言われて肩を竦め、透はストラップをラックから取った。
「みんなにも、おみやげ買ってったげよう」
まだ小町通りにたどり着いて十歩と歩いていない店である。呆れ半分で、ウィンは(誰にあげるともつかぬ)四つの携帯ストラップを大事そうにレジに持っていった恋人を見送った。
その後もしばらく店内でぐずぐずして(エプロンが欲しいと言い出して、説得するのに時間をかけてしまったのだ)、二人はようやく通りの町並みを眺めて歩き出すことが出来た。
通りを横に割る道路からは、時折不意に花びらが舞ってウィンの目を楽しませる。どこかタイムスリップした雰囲気を漂わせるのはこの通りだけらしく、道を覗けば、そこには他と変わらないアスファルトの道路があった。
透は、買ったストラップを早速携帯に装着して、鼻歌交じりに隣を歩いている。その目はきょろきょろと落ち着きなく動いては、興味の対象に引き付けられて彷徨った。横顔ばかり見せられている気がするが、しっかり繋いだ手のひらは、彼がきちんとウィンを認識していることを示していた。
手のひらの温もりは、ウィンが得た幸せの温度を伝えてくれる。強すぎもせず、緩すぎもせず、一回り大きな透の手のひらはウィンのそれを包んでいた。注意を引こうとする時は、僅かに握った手に力を込める。
太陽の光に透けた恋人の睫毛に見蕩れながら、繋いだ手のひらは、そのまま不確定さの現れでもあるのではないかと思った。触れ合った手のひらは、ふとした瞬間に離れてしまうかもしれない。お互いに、そんなに強く握っているわけではないのだから。
痛くも心細くもないその手の感じが、彼女が信じるべき幸せなのだということは承知している。けれどそれに全てを委ねて安堵するには、自分の腕は頼りなく、細い気がした。
と、物思いに沈んで歩いていたウィンの手を、透が引いた。
「紙風船を買って」
「……え?」
声をかけられてはっとすると、透の顔がすぐ傍にあった。顔を寄せて、覗き込むようにしていたらしい。繋いだ手に、力を込められた覚えはない。
(今みたいに、何かを見逃してしまうかもしれない)
それは、一抹の不安でしかない。だが、抜けない棘のように、その思いはちくりとウィンの胸を刺す。
「紙風船買って、ご飯を食べよう」
いつもの陽だまりのような笑顔を見せて、透は木作りの小さなおもちゃ屋に飾られている、赤くてまんまるい金魚の紙風船を指さした。
昼ごはんは、小町通りにならぶ店の一軒で食べることになった。奥行きこそあるが幅の狭い店は、まだ早いというのに人でいっぱいだ。しばらく待ってから、カウンター席に通される。
二人で注文したのはボルシチとピロシキというロシア料理のセットだった。それと一緒に、透の勧めでロシアンティーを注文する。濃い色をした紅茶は、鼻を近づけると湯気と一緒に甘いジャムの香りがする。口に含むと、その色から予想していた苦味はなく、まろやかな甘さが広がった。
「ん。おいしい」
「でしょー。真似して作ろうとしたんだけど、どうしてもこの味にならないんだよね」
言いながら、透は美味しそうに紅茶を飲んだ。この味を表現する方法を考えているのだろう。
デミグラスソースでじっくり煮込んだボルシチは、やはりコクがあって美味しかった。芯まで味の通った食事はどことなく和風だ。しょうゆかソースを隠し味に使っているのかもしれない。冬場に立ち返ったような気分で煮込み料理を食べ終え、二人は店を出た。
店を出てすぐ斜め向かいには、小さな看板を掲げただけのクレープ屋がある。窓が開いていて、すぐそこにクレープを焼くための鉄板があった。店に入らなくても、窓口で頼めば、すぐにクレープを焼いてくれるのだ。
漂ってくる甘い匂いに負けた透は、レモンシュガーのクレープを片手にウィンを促す。通りが途切れた所を右に曲がると、左手方向に朱色の鳥居が見えてきた。
鶴岡八幡宮だ。
「元は由比ヶ浜あったのを、源頼朝がここに移したらしいよ。丸太橋を挟んで左と右に見えるのが、源平池。池にある合計七つの島が、源氏の繁栄と平家の滅亡を表してるんだって」
言いながら、透は砂利の敷き詰められた通りを右に逸れる。大通りに比べてだいぶ細い道は、池を通って島のひとつに通じていた。
「これが政子石」
と、緑に隠れるように置かれた抱えるほどの大きさの石を指差す。政子というからには、頼朝の妻の政子だろう。その意味に思いを馳せていると、透は先に石に手を合わせてウィンの横腹をつついた。
「ほら、お祈りして」
言われて、透にならって石に手を合わせる。大通りに比べて、旗上弁天社があるこの島は人が少なく、寂れた施設では、中年の神主が面白くもなさそうに景色を眺めている。この石を参拝にくる者もいなければ、そもそも参拝の為のものなのかも疑わしい。
怪訝な顔をして透を見上げると、彼はしてやったり、という顔をしてにっこり笑った。
「夫婦円満の祈願石なんだってさ」
含みを持たせた表情で、透はウィンの様子を伺っている。
「……気づいてた?」
幸せだと感じると同時に、不安だったこと。
繋いだ手が離れてしまえば、それで全てが終わってしまうのではないかと慄いていたこと。
透は首を傾げて微かに笑い、まあねぇ、と間延びした返事をした。機嫌を悪くしたのではないかと危惧するウィンの手を取る。
「一歩ぶんもないよ」
「え?」
「オレたちの間にある距離」
萎れているウィンの表情を掬い上げるように、茶色の瞳が覗く。
「見えない壁や届かない距離を作り出すのはオレたちの気持ちだよ。本当は、オレたちは、触れ合って言葉を交わせるほど、近くにいるじゃないか」
手を伸ばせば届く距離だ。
声を掛ければ届く。声を掛ける勇気が出ずに、どんどん心の迷宮に迷い込んでいたのはウィン自身だ。
話し合うことに物怖じして、向き合う事を避けてきたのは、他の誰でもない自分だった。
「ごめんなさい……」
「違う違う、こういう時は謝らなくていいんだよ」
怪訝に思って顔を上げると、透は春に咲く花のように笑って両手を広げていた。その仕草の示す意味を、見逃すほどに気が散っているわけじゃない。
寄りかかるように胸の中に飛び込むと、しっかりと腕が彼女の身体を抱きしめた。
兄のそれほど太いわけでも、がっちりしているわけでもない。けれど、彼女を確実に受け止めてくれる、力の篭った腕だった。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 1588/ウィン・ルクセンブルク/女性/25/実業家兼大学生
 

 NPC 渋谷・透(しぶや・とおる)

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■         ライター通信          ■
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お久しぶりです!
世の中は夏だというのに、ネタは桜……
季節が変わるまでお待たせしてすいませ…(撲殺)
気長に待っていただけて、本当に何と言ってよいのやら…ありがとうございます。
ここ数日は数週間の睡眠を取り戻すように寝ていました(寝るな)!
慣れると人間怖いもので、6時間くらい寝ると起きてしまいます。
快眠快食(以下略)がとりえな人間が一体何を間違ったのか。そのかわり細切れ昼寝で失地回復です(……)
あとはもそもそとダヴィンチ・コードなる小説にハマってみたり。
あと数日も通えば読破できます!(どこへ……)
それはともかく、最近とみに目障りな私のペースに、気長にお付き合いいただいて本当に有難うございます。お詫び&感謝はしてもし足りない勢いです……。
これからも……また見かけたら構ってやっていただけると、手を叩いて喜びます。

それでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

在原飛鳥