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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


春なれや

 通いなれた屋敷の中を、ヴィヴィアン・マッカランは軽快なステップを踏むように歩いている。
新しく買ったばかりのゴスロリ服はベロア生地で出来ていて、彼女の動きに合わせて綺麗なドレープが波のように揺れる。
大事そうに抱えているのは籐で編まれたバスケット。
バスケットの中で出番を待っている料理を思い――正確には、それを食してくれるであろう恋人を想い――、
ヴィヴィアンの顔にゆるゆると緩んだ幸せそうな笑顔が浮かぶ。


§
 
 ヴィヴィアンがその公園を見つけることができたのは、偶然公園の近くを通りかかったためだった。
大学からの帰り道、いつも見逃していたらしい小道を発見した彼女は、生来の好奇心から、その小道に足を踏み入れたのだ。
小道はそれまで見たことのない新鮮な景色を彼女に与え、そこかしこに咲き乱れる春の気配は彼女の心を暖かくした。
そしてその小道から抜け出した通り沿いに、その公園はあったのだった。
まだ蕾のものも抱えている枝ぶりから、満開になるだろう頃合を算出して。
その日着ていた服と同じ素材で出来ている黒いカバンの中から携帯電話を取り出すと、ヴィヴィアンは一番新しい発信履歴を探し当て、呼び出した。
 ほんのりと赤く染まる頬を押さえつつ、相手の声が耳元に届くのを待つ。
やがて電話に応対した相手はヴィヴィアンからの電話を心待ちにしていたかのように、第一声で彼女の名前を優しく呼んだ。
『……ヴィヴィ?』
 聞き慣れているはずのその声は、しかし何度聞いてもヴィヴィアンの心にさざなみを立てる。
赤く染めていた頬をさらに赤く染めて、彼女は彼の名前を呼んだ。
「セレ様!」
『今帰りですか? 迎えに参りましょうか?』
 電話の向こうでは、ヴィヴィアンの恋人であるセレスティ・カーニンガムが穏やかに笑っている。
大きく頷きかけたヴィヴィアンは、ふと目の前を舞う花びらに目を止めて、ふわりと桜林に視線を向けた。
――一面に広がる優しいピンク。
「あの、セレ様ぁ? あたしぃ、すんごく綺麗な場所を見つけちゃったしぃ」
『綺麗な場所?』
 ヴィヴィアンは目の前を舞う花びらを掌で受けとめ、それをそっとつまんで顔の前に持ち上げた。赤みを帯びた瞳に映る、美しい春の花。
「すっごい綺麗な桜が咲いてる所だしぃ……今度のお休みの日、セレ様がお暇でしたら一緒にお花見とかしませんかぁ?」
 こっそりと呟くようにそう言う言葉に、セレスティは間をあけることなく返事を返す。
『それは楽しみです。ぜひご一緒しましょう』


 そして今日。
約束していた休日に、ヴィヴィアンの頭の中はセレスティの事で一杯で。
手作りのお弁当を持っていこうと、早目に設定してあった目覚まし時計が鳴り出すよりもずっと早くに目覚めてしまった。
 カーテンの隙間から覗く外にはまだ朝日さえも昇っていない。
ベッドから抜け出した体が触れる空気はまだ少し冷たくて、彼女はカーディガンを羽織って洗面台に向かった。
顔を洗ってから時計を確認してみると、針はようやく五時を示していた。
「セレ様のためっ!」
 ガッツポーズをとって自分に気合をいれると、ヴィヴィアンはキッチンに立った。

 メニューは色々考えたが、サンドイッチにした。それとスコーン。 
サンドイッチはベーグルと胚芽パンの二種類を使って、オーソドックスな卵ペーストにも一工夫する。
スコーンにはクローテッドクリームとりんごジャムを用意して、水筒にはコンソメスープを入れていく。
熱いコーヒーを用意するのもいいかもしれない。
 彼女が作っていくものを食したときに、セレスティはどんな顔をしてどんな言葉を言うだろうか。
その視線が自分に向けられる光景を想像して、ヴィヴィアンは知らず知らずに緩む顔を両手で押さえた。
 キッチンのそばにある窓から外を眺めて、空模様を確かめる。
明けてきた空は薄っすらと紫色を浮かべていて、遠くのほうには姿を覗かせている太陽が見える。
忙しなく飛びまわる鳥の羽音が朝の到来を告げていて、動き出した街の音が新しい空気の中に響き渡っている。
 ヴィヴィアンは改めて小さなガッツポーズをとってから、真白なエプロンの紐をきっちりと締め直した。

§

 ヴィヴィアンの恋人であるセレスティの屋敷はとても広い。
広い庭園を抱えた広い屋敷は、数えるほどの訪問しかしたことのない客人であれば、まず間違いなく道に迷うだろう。
そのため、セレスティの執事である青年が屋敷を訪れる客人を主の元まで案内することも間々あるのだけれども、
ヴィヴィアンは執事の案内など必要ないと頬を膨らませて断わった。
小さく笑う執事の横をすり抜けて、ヴィヴィアンは小走りに恋人の待つ部屋へと向かう。
執事がいわく、彼は今書庫で調べものをしているとのこと。
「書庫、書庫ー」
 軽快に歩く彼女の動きに合わせてバスケットが静かに揺れる。

 絨毯が敷かれた廊下を進み、やがて彼女は一つの扉を押し開けた。
「セレ様ー!」
 古書などの匂いが漂う中、彼女の恋人は静かに佇んでこちらを見やっていた。
「ヴィヴィ」
 セレスティは彼女の名前を呼んで微笑み、両手を大きく広げてみせる。
ヴィヴィアンは小走りにしていた足を駆け足に変えて、彼の腕の中に飛び込んだ。
「あたしぃ、すっごく早起きしちゃったしぃ。だからね、ほら!」
 ひとしきり恋人の温もりを堪能した後、彼女はそう言ってバスケットを差し伸べてみせた。
「セレ様に食べてほしくて、頑張っちゃった!」
 そう言って笑うヴィヴィアンの表情は、まるで華やかに咲き誇る花のよう。
セレスティは他の誰にも見せることのない表情で微笑み、小首を傾げ、ヴィヴィアンを見つめていた。


 「それでは後ほどお迎えにあがります」
 二人を車で公園まで連れてくると、執事は恭(うやうや)しく頭をさげてから去っていった。
公園は綺麗な山桜が咲き乱れ、穏やかに晴れ渡った青空と暖かく吹く春風に乗せて、可憐な花びらを音もなく舞わせている。
「こんな場所があったんですね」
 セレスティは目を細めて景色を眺め、ふわりと笑ってヴィヴィアンを見つめた。
「ヴィヴィが作ったお弁当を早く食べたいところですが、……まだ昼食には少し早いですかね」
 ポケットから取り出した懐中時計の針を確かめて嘆息すると、セレスティは残念そうに肩をすくめた。
「少しお散歩しませんかぁ? せっかくのお天気だしぃ、桜だって凄い綺麗だしぃ」
 残念そうに嘆息しているセレスティの腕に自分の腕を絡め、彼の顔を覗きこむようにしてヴィヴィアンは笑う。
「ちょっと歩いてお腹をすかせておいたほうが、きっともっと美味しくなるしぃ!」
 絡めた腕を引っ張るようにして歩き出すヴィヴィアンの笑顔に、セレスティの表情もほどなく緩む。

 ピンク色の花びらが幸福な恋人達を包むヴェールのようにゆらゆらと舞い出した。

 しばらく山桜の中を散歩してから、二人はあまり人のいない静かな、しかし景色の良い場所にピクニックシートを広げて腰を落ちつかせた。
バスケットの中から取り出したお弁当を広げてみせると、セレスティは嬉しそうに目を細くさせた。
「どれもおいしそうですね……どれから食べよう」
 ピクニックシートの上にはオリーブオイルを塗ったベーグルにふわふわのスクランブルエッグとルッコラ、それにベーコンとトマトを挟みこんだ
BLTサンド。胚芽パンには少しだけカレー粉を入れた卵ペーストを挟みこんでいる。
今朝焼いたばかりのスコーンはクローテッドクリームとりんごジャムを添えて。
「ジャムもこの前作ったばっかりのやつだしぃ」
 セレスティの嬉しそうな顔を確かめて頬を赤く染め上げ、照れ隠しのようにそう言うとヴィヴィアンは水筒に手を伸ばした。
水筒の中には熱々のコンソメスープ。
それをカップに注ぎ入れてセレスティに手渡してから自分の分も注ぎ入れ、小さく笑って彼の様子を見つめる。
「コンソメをにごらせずに作るっていうのは、腕の良い人でないと難しいと聞いたことがありますよ。……ヴィヴィは料理が上手なんですね」
 スープから立ち昇る香りを楽しんでから、それを一口飲み込む。そしてもう一口。
みる間に彼の表情は緩み、その手がベーグルサンドに伸びる。
「あのぉ……セレ様?」
 ベーグルサンドにかぶりついているセレスティを上目遣いに眺め、もじもじと体を揺らしつつヴィヴィアンは小声で訊いてみた。
「美味しいですか?」
 ヴィヴィアンの問いにセレスティは穏やかに微笑み、頷いた。
「ヴィヴィのような人とこうして素晴らしい時間を楽しめるだなんて。私は世界中で一番の幸せ者ですね」
 応えながら、カップの中に残っているスープを一気に飲み干すと、セレスティはそれを差し伸べておかわりを要求する。
ヴィヴィアンは彼の反応に顔を赤くさせながら、いそいそとスープを注ぎ足した。
「だってだって、あたしの愛が一杯いーーーーっぱいこもってるしぃ!」
 そう告げて胸を張るヴィヴィアンの姿を愛らしく見つめながら、セレスティは再び食事を続けた。


 食事を終えた後にピクニックシートの上でくつろぎながら、ヴィヴィアンはゆっくりと流れる雲を見上げて大きな欠伸(あくび)を一つついた。
風はやはり穏やかで、そこかしこに流れる花びらが芽吹き出したばかりの草の上にピンクの絨毯を敷き詰めていく。
もう一つ欠伸をしたところで、セレスティがヴィヴィアンの肩を優しく抱き寄せた。
「早起きしたのではないですか? ……少し休みましょう」
 そうささやく彼の声は、春の陽気よりも穏やかで優しい。
ヴィヴィアンは彼の胸に顔を寄せて、もう一つ小さな欠伸をした。
「でも……」
 眠気に――あるいはセレスティの温もりに――うっとりとしてくる頭を抱えながら、ヴィヴィアンはセレスティの服を掴んだ。
「あたしが眠って、起きたら夢だったっていうことはないですかぁ?」
 こんなに幸福な時間。もしかしたら夢かもしれないし。
 ヴィヴィアンの言葉に小さく笑って、セレスティは彼女の頬に手をあてる。
「目覚めてもそばにいますよ、ヴィヴィ。だから安心してゆっくりと休みましょう」
 頬にあてられた彼の温もりを感じながら、ヴィヴィアンはそっと目を閉じた。

――夢の中でも一緒ですよ。

 そうささやくセレスティの声を聞きながら。


<了>