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<東京怪談・PCゲームノベル>


『花唄流るる ― 願ったユキのシロと、彼女が代わりに見つけたシロ ― 』

 降る雨の音は耳鳴りに似ていた。

 その耳鳴りのような雨音に混じって耳朶を打つ音がある。それは……

 えーん。えーん。えーん。

 誰だろう? 誰か幼い娘が泣いている。

 また自分かそれとも一緒に仕事をやった他の奴が殺した男か女の子どもであろうか?

 生き残った子。

 置いて逝かれた子。

 死に損なった子。

 どうしよう………
 ―――殺してしまう? どうせ、こんな酷い時代、今此処で生き残ってもやがて野垂れ死ぬか、それとも人買いに捕まって無理やりに女にされて売られてしまうかのどちらか……どの道生きていたってイイ事なんかありゃしない。
 ―――――――――そう、私のように、
 ――――――――――――――私が殺してきた奴らのように。
 彼女は白木蓮にもたれさせていた体を動かそうとして、
「くぅ」
 そこであらためてもはや自分が満足に動く事もままならぬほどに弱っている事を認識した。
 そしていつの間にか幼い娘の泣き声は消えている。
 彼女は血を流しすぎたのと長いこと冷たい雨に晒されたのとで真っ青になってしまっている顔にそれでも最後の気力を振り絞って薄い笑みを貼り付けると、雨を降らせる暗い空を見上げた。
「畳の上で死ねるとは想ってはいなかったけど、それにしてもお似合いな死に座間ね」
 ぼろぼろになって、
 呪を植え付けられて、
 血と泥にまみれて、
 汚いずたぼろのボロ雑巾のようになってこんな誰も知らないような寺の廃虚で死ぬのだから。
 いや、それでも確かに白木蓮の温もりを背に感じながら死ねるのだから、予想していた孤独で悲惨な死、というモノよりも随分と恵まれていて、悪い気がする。
 ――――――――――――――――――誰に?
 果たして今、彼女の頬を伝った一滴は、雨、であろうか?
 体を無慈悲に打ちつける冷たい雨。
 体を伝い落ちていく雨は、
 ――――体温を奪い去り、
 ――――体力を奪い去り、
 ――――そして血と混じりあいながら命を流していく。
 冷たい雨の愛撫に肌を撫でられながら、彼女はただ笑った。想ってしまった事に。
「馬鹿だなぁー、私は。大馬鹿だよ、本当に。そんな事、許される訳が無いのに…」
 そうして彼女はその最後に消え去りたい、とただひとこと呟き瞼を閉じた。その顔はどう見ても泣きじゃくる幼い子どものそれだけど、きっと彼女はそれを認めはしないだろう。
 彼女は迫り来る死の闇から逃げようとはしない。
 あともう少しだ。
 あとほんのもう少しで自分は死ねる。
 一度眠ってしまえば、その眠りの闇がそのまま死の闇となっているはずだ。


 あーぁ、きっと地獄に落とされるんだろうな………


 そんな事を想う。そうしたらずっと…そう、ずっと生まれてきてから今日この瞬間までずっと胸に感じていた茫洋な痛みがその時になって初めてものすごく明確な痛みとなって、彼女を戦かせた。
 彼女は閉じていた瞼をぴくりと震わせた。
 今まで彼女にはそれがあまりにも茫洋すぎて自分が一体何を抱いているのかすら認識できない……だけどそのくせ茫洋でも確かにその何かが宙ぶらりんとなっている中途半端な感覚だけが胸にあって……、
 ――――しかし今、彼女は生まれた瞬間から胸に感じていたその茫洋な痛みの正体を知って、だからそれは明確な痛みとなって、


 彼女を苦しませた。


「ぷぅ。くははははははぁぁぁ」
 真っ青な口を半開きにして、力の無い…己を心底嘲笑う声を漏らしながら彼女は肩を小刻みに揺らして笑う。時折、笑いすぎて傷に響いて顔をしかめさせながらも彼女は己を嘲笑う事をやめはしない。気付いてしまったから。己が想いに。茫洋だったはずの痛みの理由に。


 胸に抱き続けてきた茫洋な痛み……それは………あぁ、私は馬鹿だなぁー。本当にそんな事を想ってもどうしようもできない事なのに……。


 ふと、彼女の瞼を閉じて生まれた闇が更にその濃度を増した。誰かが彼女の前に立ったのだ。
 ――――気の早い死神だ……。
 彼女は小さくため息を吐いた。
 この世界に生を受けること数百年。その間に殺し続けてきたモノたちが自分を早く連れて来いと死神を急かしたのだろうか? 
 ――――そうだろう。その者たちは―自分が無慈悲に戦場で殺してきた者たちは、自分がこうして背に白木蓮の温もりを感じながらゆっくりと死ぬのなんて許せないだろうから。それでも……
(もう少しだけ許されるのなら、この白木蓮の温もりを感じていたかったのだけどね)
 普通の女ならば力強い男の腕に抱かれ、その肌の温もりに己が体を火照らせて、幸せを感じるのかもしれないが、彼女は今まで誰の温もりも求めた事は無かった。だけどそんな彼女が今はただもう少しだけ…、と望んでしまう。
 雨に濡れて額に張り付く前髪の奥で閉じていた瞼を開いた。
 耳鳴りのような音を奏でて降る雨の帳の向こうに立つ人。彼女は顔をあげて、視線の先にその人の顔を見る。
 銀の前髪の奥にあるのは涼やかな青い瞳で、そしてそれはその死神を水のようだ、と彼女に思わせた。
 

 この死神は水。死神の癖にそこに居るだけで誰かの渇きを癒し、潤すような水のような存在…でも、自分は炎…誰かを傷つけ、殺し、壊す様な存在だから…水は火を消す物で…ああ、なんて私に御あつらえ向きな属性を持つ死神なのだろう?
 だけどそれでもこれだけは聞いてもらいたい………


「もう少し待ってよ。銀髪の綺麗な顔をした死神さん。直に私は死ぬから。だからソレまでは待って」
 だけどどうせ、聞いてくれやしないのでしょうけどね、と、へっと笑って投げやり気味に言った彼女にその死神はしかしとても不思議な事に冬の深い湖のように青い瞳をわずかばかりに細めて微笑んだ。
「大丈夫。安心して。僕はあなたを殺しに来たのではありませんから」
 そしてその人はおもむろに彼女の体のほうに手を伸ばしてくる。
「ああ、なんだ、死神じゃなく物取りか。残念、私はお金は持ってないよ」
「黙って」
 伸ばされた手は彼女の首筋に触れた。そしてそのまま指先がすぅーっと下に下がり、胸元に入っていく。雨に愛撫されても、またこれまで幾度か男に体を触られても反応する事の無かった体(まあ、触れた瞬間に、その命知らずの不届きな男はあの世に送ったのだが)はしかしその指使いに仄かに体温をあげた。彼女はまるで初めて男に抱かれる生娘かのように下唇を噛み締めて声をくぅっと押し殺す自分にひどく醒めた滑稽な念と、そしてそんな自分に幾ばくかの驚きを抱いた。
 だけど生来の性と、そしてこれまでの彼女の環境が無意識に彼女の心が両手を伸ばしたその温かい光から目を逸らさせ、手を引っ込めさせた。
 そんな自分に彼女は絶望したような感情は欠片も見せずにへっと笑う。
「やめておきなさいよ。いくら私がイイ女だからってしかしこんな死にかけの女を抱いても面白くないでしょう? 私はあなたが望む反応を見せてあげる事はできないし、それに私の体は毒にも犯されている。わずかばかりの快楽と引き換えにあなただって死にたくは無いでしょうに?」
 ―――――本当はどうなのだろうか? もしも自分が死ぬまでその身が汚れる事も厭わずに抱きしめてくれる人がいたら……そうしたら自分は…………


 そう、それが先ほどほんの一瞬だけちらりと頭をよぎった願い。
 ――――随分と身勝手な……。自分は戦場でただ人を無慈悲に殺してきたくせに。


 だけど……その人は優しく言った。
「あなたが望むのなら、それなら僕はあなたを抱きますよ。あなたの瞳は今日以前からずっと冷たい雨に打たれて震えている人の目だ。だからそんなあなたを僕の命で救えるというのであれば、それは余りあるほどに幸福な僕の生の理由になるから。だからあなたが望むのであれば僕はあなたを抱きしめるでしょう」
 すーっと首筋から胸骨の辺りまで肌を撫でさせながら指を下ろしていたその人はそこでその指を止めた。
「………見つけた。ここか」
 そして少し真剣な光を青い瞳に映し、顔だけは優しく微笑みながら言う。
「少し痛いですが我慢してください」
 そしておもむろにその人は彼女の柔肌に人差し指と中指を第二関節まで突き刺し、
「くぅう」
 ぐにゃりとほんの一瞬指を中で動かしたかと想うと、すぐにその指を引き抜いた。二本の指に極小の蛇を挟みながら。
「これがあなたにかけられていた呪です。呪はあなたの体内で蛇に結晶化してあなたの体を蝕んでいましたが、だけどこれでもう大丈夫です。後は僕が住む長屋に帰って傷の手当てをしましょう」
 優しくにこりと笑ったその人は蛇を吐息で吹き飛ばして呪を完全に消し去ると、彼女を背負った。
 彼女の雨に濡れた長い髪が素肌に触れようが、彼女の体を汚す血と泥に汚れようが、それに構う様子は微塵も見せやしない。


 瞼が閉じられた目の端から零れた涙はそのまま雨と混じり合って彼女の頬を伝って顎から滴り落ちて、そしてその人のうなじを濡らした。
 ――――果たして彼女が流したその涙の意味は…………


「あなた、名前は?」
「白、と申します」
「そう。私は燐、燐と言うの。覚えておいて」
「はい」
 白は優しく微笑み、そして燐は先ほどまで濡れて肌に張り付く着物越しに背に感じていた白木蓮の温もりと同じような白の優しい温もりを感じながら…それをずっと感じていたいと想いながら、そうして気を失った。


 ――――――――――――――――――――

 この世界に生まれ出でて、
 まず最初に瞼を開くともうそこは戦の場であった。
 彼女は戦の精霊。故に無敵。一騎当千。彼女の力を必要とする勢力は数多くいて、そして彼女はそれらに手を貸していた。
 別にそれらの勢力が好きだったからとか、その主義主張に惚れこんだからというわけではない。大義名分などどうとでも取り繕えるし、それに正義などはその立ち位置で変わる。大雑把な口を利いてしまえば、戦争だってすべてが善を理由に行っているのだ。そう、だから人は愚かにも戦いを繰り返す。
 ならばどうして? と、問われたら、その己が振るう一太刀で数多くの人の命を救えると想ったから。
 その罪は自分が背負えばいい。どれほどの重みとなろうとも自分はそれに耐えて見せよう。
 人をひとり殺す事で、自分が所属する勢力を勝たせる事で、戦を一刻も早く終わらせる事ができる。そうすればそれだけ多くの人が助かるのだ。畑も田んぼも荒らされる事無く済めば、それで人々は糧を繋ぐ事が出来る。
 そう、国が人を生かすのではない。
 人が国を構成するのだ。
 故に人さえあれば国はどうとでもなる……祭りをする人間は何人でも構わない。それの名称すらも。人々が平和に生きていける安定した時代こそが必要なのだ。
 だから燐は、戦が起これば、必ずどちらかの組織に入り、己が力でその組織を勝たせてきた。一刻も早く時代を安定させるために。
 だが所詮は玉座の緋とは血の紅。
 どれほどに燐が肩入れしようが、波打ち際に作った砂の城のようにどの国の国家もいとも容易く壊れ、また時代は何度も混迷を招いた。
 限りなく続く無限地獄。
 どうしようもできないじれんま。
 刀を振るい続けても、振るい続けても、更なる敵は彼女の前に立つ。そう時には彼女が戦う理由となるべき何の言われも無い民たちまでもが。
 それでも彼女は剣を振るった。洗っても洗っても落ちない血の赤にその身を染めさせながら、次なる世のために。


 たとえこの手を血に染め、
 その手にかけた者らの子たちに恨まれようが、
 その子らの孫たちが生まれ出でて生きる平和な世のために、
 私は剣を振るい続ける……。


 それが戦の精霊である彼女のスタイルだった。
 それでも……
 ―――――それでもどうしようもなく心が折れてしまう時がある。
 人を切り殺す。
 噴き出て身に浴びた返り血はとても熱く、
 そしてその一瞬後にはそれはとても冷たい。
 そんな血の雨に打たれ続けてきた燐の心はもはやほんの少しでも人差し指で触れれば脆く崩れ去るほどに細かい罅が走っていた。
 

 かつて所属していた(と、言っても仲間意識など微塵も感じた事は無いが)明治政府の高官に命じられた桜の樹に宿った悪霊退治。
 坂本竜馬すらも自分らの私利私欲と目指す政治、そしてイメージのために殺した政府が、それらが行ってきた薄汚い暗躍の数々を知る自分を快く想ってはいない事は確かで、そしてそれは確かに罠であったのだろうがしかしそれを燐は受けた。
 もはやどうしようもなく疲れていた。
 新に身を粉して作り上げた明治という世。しかしそれが休む事無くより混迷の世に向っている事は、自分の考えの手助けを約束してくれた坂本竜馬が政府によって殺された事でも明らかで、今まで作り上げてはその都度自分の命を狙ってきた国以上にきな臭いモノで、そしてそれがそれをするための理由となった平和な世を乱す一番の根源である事は明らかで、だったら自分がやってきた事は……?
 燐は生まれ出でた瞬間より、ずっと感じていた茫洋な痛みを感じながら、そんな事を延々と考える事にもはや疲れていたのだ。
 だから……


 もう、いいや……


 と、彼女らしくなくそんな投げやりな情を抱いてしまった。
 それでも彼女はやはり戦の精霊の性か、一度鞘から太刀を抜いてしまえば、体に染み付いた戦闘スペックを駆使して桜の樹に憑いていた悪霊を倒してしまったのだが、しかし普段なら紙一重で避けている攻撃を連続攻撃に繋がらせるような無駄な動きで避けてしまったり、または無謀な突進をして柔肌に幾つもの深い傷をこさえて、血を流してしまった。挙句の果ては傷が癒えなくなる呪まで植え付けられる始末。それでも普段はそんなモノは呪詛返しによって退けられる。だけどそれをしないのは……


 消えて、しまいたい……


 そして彼女は道で擦れ違う人々に悲鳴をあげられながら、血と泥に汚れたずたぼろの姿のまままるで死に場所を探す猫のように道を彷徨い、そうして一本白木蓮の木の前に立った。
 それがつけている白の花は満開で、
 そしてそれは彼女に白から雪を連想させた。
 彼女は小さく微笑む。


 かつて見た戦場に降るユキ。
 そのユキのシロは戦場に飽和しきれないほどにたゆたう血の香りをシロで塗り潰してしまったし、
 そして彼女が築き上げた死体の山もそのシロで塗り潰してしまっていた。


 ああ、あの時のように雪が降り、自分の存在も何もかも塗り潰してくれればいいのに…。
 彼女はそう切に願いながら、白木蓮の木に背を預けて座り込んだ。
 そして激しく降る冷たい雨に打たれて……
 望んだ雪の白ではない、
 白と出逢ったのだった……


 ――――――――――――――――――――

「ここは?」
 瞼を開くと、そこには知らない部屋の天井があった。
 まだ体には気だるさが残るが、それでも体力は身を布団から起こすぐらいには回復していた。
 燐は体に力を入れて、上半身を起こした。
 濡れた着物は脱がされ、陽の匂いがする寝巻きが着せられていた。傷の手当てもしてある。
 彼女はまだ血が足りずに軽い眩暈を感じながらも布団から起き上がり、立った。
 外からはあの白とかい者の声と、そして幾人かの子どもらの笑い声が聞こえてきた。
 燐は豊かな胸の谷間を見せる胸元を丁寧な手つきで揃えて、それでも気になってそこを片手で合わせて鷲津掴んで隠しながらぞうりを履き、戸を開けて、顔を外へと覗かせた。
 橙が零れそうな夕方の空の下で、白は子どもらと一緒に遊んでいた。その夕日を浴びて金色に輝く髪の下にある顔に浮かぶ表情は、沈みゆく夕日よりも穏やかで優しい。
「あっ」
 と、燐が口から声を漏らしたのは、白と目があったからだ。
「もう起き上がっても大丈夫なのですか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「それはよかった」
 白は微笑み、そして燐も顔に表情を浮かべた。
 ――――私は上手く笑えているであろうか? と、想いながら。
 だけどその答えはすぐにもたらされた。
「うわぁー、べっぴんさんやねー。この人、白さまのお嫁さんなん?」
 などと白の着物を掴んだ幼い女の子が言う。
 燐は思わず目を見開いて驚いてしまった。だって自分は戦の精霊だ。なのにそんな自分がよもやそのような事を言われるとは。
「いいえ、違いますよ。残念ながらね」
 白はしゃがみこんで、その娘の目線に己の目線を合わせると、穏やかに微笑んだ顔を横に振った。
 そして自分の周りに集まる子どもらの顔を皆平等に眺め回してやってから、優しく言う。
「ほら、からすが鳴いた。だからもう自分らの家にお帰り」
「「「「「「はぁ――――い」」」」」」
 元気な子らは白や、そして燐にまで手を振ってそれぞれの家に帰っていく。白と燐はその最後の子が家に入るまでずっと見守り続け、そうしてようやっと二人はまた顔を見合わせあって微笑んだ。
「さあ、僕らも夕食にしましょうか」
「あ、じゃあ私が……」と、言いかけて口を閉じる燐。目をそろそろと逸らす。しばしの間。
「あの、僕がやりますよ? 燐さんはまだ傷が癒えてはいないのだから」
 そして再び白と顔を見合わせあった彼女は顔を真っ赤にして、
「じゃあ、お願いします」
 と、言って、そしてなぜかおもむろにぷぅっと小さく吹きだすと、そのまま軽く握った拳を口元にあてて、くすくすと笑った。
 燐はなんだか自分が外見通りの普通の年頃の娘となったようで、それが面白かったのだ。
 結局、夕食の準備は白がし、そしてその白の背を見つめながら燐は自分が何者で、これまで何を想い、どのように過ごしてきたのかを語った。
 熱い粥を盛った椀を両手で持ちながら、燐は言う。
「私はこの世に生まれ出でた瞬間より、ずっとこの胸に茫洋な痛みを抱えておりました。それが今まで一体何であるのか自分自身でもわからなかったのですが、今日、自分は死ぬのだと…死を感じた瞬間にそれが何であるのかを知りました」
 白は俯いた燐を労わるように細めた青い目で見つめながら、言った。
「何だったのですか、それは?」
 そして燐はくすりと笑う。
「それは怒りでした」
「怒り?」
「そう、怒り。私は生まれ出でた瞬間より怒っていたのです」
 くすくすと笑う彼女に、白は訊く。
「何に?」
「理不尽な己の運命に。どうしようもできぬほどにもう何もかもがすべて既に決まっているかのような世界の流れに」
 そう、そうなのだ。燐はずっと怒っていた。戦の精霊として生まれてきた己の運命に。
「どうしようもなく運命付けられてしまった道。それでもその道が私の決められた道ならば私は歩いていこうと想い、そして歩いてきた。獣のように安全な道を嗅ぎ分けて歩くのではなく、時が求める道を。だけどその道をどれほどに歩こうがその先に私が求める場所は無かったのです。そう、世界はどうしようもなくそうできているのでしょう。そしてそれを実は私は生まれながらにもう本能で悟っていた。だから私は怒っていたのです」
 白はこくりと頷いた。
「なるほど。確かにそうですね。戦の精霊として生れ落ちた瞬間からあなたはもはや歩くべき道が決められていて、そして事実あなたはその道を歩いた。己が信念を抱いて。平和な世を、人に与えるべく。そのために色んなモノを背負って。ならば確かにそれに見合うモノを欲するのは当然であり、そしてやはり前に向って歩くならば、己が望む場所に出たいですよね」
 燐はへっと薄い笑みを浮かべた。
「だけど世界は…人はどうしようもなく愚かで、同じ事を繰り返し、だから道はどこにも繋がってはいないのです。だから私は……」


 もう、歩くのをやめた。
 ――――どうしようもなく疲れ、そして絶望したから。


 しかしそんな燐に白は優しく微笑んだ。どれほどにがんばっても上手く糸を針の穴に通せぬ不器用な子どもに優しく穏やかに微笑んで、アドバイスする母親のように。
「しかしね、燐さん。それは本当にそうなのでしょうか?」
「え?」
「例えばあなたが前に天海と名を変えた明智光秀と共に協力して作り上げた徳川の世。それは確かに戦国の世を平定して、その後数百年この国に平和をもたらしました。先ほどあなたに手を振って別れた子ども、あれらがそこにあったのはあなたが徳川という世を作り上げたからです。それは確かに壊れ、また新たな器を作りましたが、それだって本当に無駄かと言えばそうではない。確かにこれからの平和な世の礎となるものでしょうし、それに何よりもあなたは先ほどからご自分だけがその道を歩いているような口を利かれているが決してそうではないでしょう?」
「え?」
 燐は小首を傾げる。その彼女に、白は本当に包み込むように優しく微笑んで、
「天海となって平和な徳川の世を作った明智光秀に、ほんの数日前まで生きていた坂本竜馬だってあなたと同じ道を生きていたではありませんか。その他にもあなたの知らぬ、だけどあなたと同じ道を歩む者がいるのです」
 もはや燐は黙って、白の言う事を聞いていた。
「そう、そういう事です。どれだけその道を歩むのが自分だけだと思えても必ずしもそうではない。道は確かに繋がっている。たとえ途中で自分が歩く道が潰えても、他の者がその道を歩み、そしてその先に到達することもあるのです。世界とはそういう法則の上に成り立つのですよ」
「たとえ私が到達できずとも、いつか必ず誰かが私が行きたかった場所に行くと?」
「そうです。そうして今あなたがあなたの道を歩むと言うその行為はひょっとしたらその者の道の礎となっているのかも…いえ、なっているのです。世界とはそういうモノだから。少なくとも僕はそうだったから」
 白は優しく微笑んだ。
 その笑みに燐は想う。
 ――――この人は前にとても優しい誰かに逢い、そしてその人にその生きる姿とか色んなモノを学んだのだ、と。
 そして確信する。世界の法則を。


 ああ、道が繋がっているとは、自分が道を歩む姿が、また誰かの道の礎となるとは、こういう事なのか。


「この世に無駄な事など何一つ無い。それに燐さん、あなたは燐、なのでしょう。ならば燐というあなただけが咲かせられる花があるはずです。その花の香りは確かに世界全土をその香りで包み込む事はできないけど、それでも確かにその花の前に立った人においてはその香りで包み込む事ができます。あなたの前に立てた人はそうやって微笑む事ができるのです。それではお嫌ですか? それもまたあなたの目指していた歩んでいた道に繋がる道なのではないのでしょうか?」


 燐ははっと息を呑んだ。


 今まで歩いてきた道はどうしようもなく救いが無くって、
 そして複雑怪奇なように見えて、
 その実それはものすごく単純な道でどこにも繋がってはいなくって、
 だけどほんの少し視点を変えたら、
 実はその道からは幾本も道が伸びていて、
 その道に歩む道を変えれる訳で……


「変えてもいいのでしょうか、道を?」
「ええ。人生は幾度でもやり直せます。そしてそれは決して逃げではない」


 燐は瞼を閉じる。
 その瞼の向こうに見える道。幾本にも別れた道。その道の中の一本に足を踏み出して……


 ――――――――――――――――――――

 ―――そして現代
 
 その人の頬を両手でそっと包み込み、燐はその手にとても温かい温もりを伝わらせるその人の顔を見つめた。その人の銀色の前髪の奥にある青い瞳に映る自分の顔はとても幸せに満ち足りた表情をしている。その訳はその人が……
「よかった」
 そう言って手を放した燐。
「どうしたんですか?」
 そう訊くその人に彼女は微笑み、その胸にある温かい灯火を全身で感じながら伝えるのだ。その溢れ出る願いを。
「だって、好きな人にはいつも微笑んでいて欲しいじゃないですか」
 そう、ただそれだけで燐は誰よりも幸せになれるから。
 ――――あなたが悲しそうな顔をすれば、私は悲しい。胸が張り裂けそうになるぐらいに。
 だけどあなたがそうやって幸せそうに微笑んでくれていたら、そしたら私は幸せになれる。空だって飛べるし、魔法だって使える。その幸せという魔法であなたをさらに笑わせられる。
「さあ、デートの続きです!」


 それが彼女が選んだ道。
 今、目の前に居る人を笑顔にさせる事が彼女の道。
 今もそんな道を歩む燐の胸には痛みがある。茫洋だったそれに気がついた瞬間から明確なモノとなった痛みが。
 だけど燐はその痛みをとても愛しいと思えていた。真摯に向き合っていた。
 だってそれがあるから自分は常に前に歩いていけるのだ。そしてだから大切な天樹という場所もできたのだ。
 そう、あの雨の日に望んだユキのシロは得られなかったが、それでも代わりに出逢ったシロが己が心をその色に塗り替えてくれて、
 そして色んな事に気が付けられて……
 それが目隠ししていた手をどかせて、彼女に道を見せてくれて、だから彼女は果ての無い一本道を歩むよりも、何度でも選びなおして歩きなおせる道を、方法を選んだ。
 それが天樹燐のスタイル。
 そして今日も彼女という花はその前に立った人をその想わずにこりと微笑んでしまうような優しい香りに包み込むのだった。


 ― fin ―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 1957 / 天樹・燐 / 女性 / 999歳 / 精霊


 NPC / 白・―



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■         ライター通信          ■
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こんにちは、天樹・燐さま。
いつもありがとうございます。
今回担当させていただいたライターの草摩一護です。

『花唄流るる』白さんご指名ありがとうございました。^^


今回は白さんとの出会いのシーンをご希望とあったので、
プレイングに書き込まれていたシーンに付け加えて、プレイングにあった燐さんの雰囲気よりこちらで色んな設定を想像させていただき、
それを物語として書き込まさせていただきました。
少しでも今回の物語をお気に召していただけてましたら作者冥利に尽きます。^^


ちなみに今回、燐さんや白さんが口にしていた道、という概念は僕が常日頃から考えている事だったりします。
こういうのは本当にあると想います。

自分が信念を抱き、考え、見つめ、その先にある事を祈りながら歩く道。
その道は本当にすんなりと通れるモノもあれば、
嫌になるぐらいに歩くのが難しくって、面倒臭いモノもあって、
それはどこにも繋がっていないんじゃないのかと想っても、
それでもその実それは見方を変えれば、本当にしなやかに飛び越えていける道になったり、
またはそこからまた新たな道が伸びていたりして。

そして自分のその道はたとえ途中で潰えていても、
ちゃんと他の人が…それこそお互いまったく知らないのに同じ道を歩んでいる人がちゃんとその道の先に目指していた場所に到達していて、
その道を歩んでいた時に抱いていた想いをちゃんとその見も知らぬ人が実行していてくれていて。
じゃあ、自分が歩いていたその道は無駄だったのかと思えば、全然そうじゃなくって、ちゃんと次のその道を歩くであろう人の礎になっていたりもするのですよね。^^
実はこれはリアルに僕は体験済みであったりします。そのどちらも本当に嬉しくって、だから心から応援したくなるのですよね。^^


PLさまにもこの作品を読んで何かしらの想いを感じていただけてましたら、作者としてそれほどまでに幸いな事はありません。^^

それでは今日はこの辺で失礼させていただきますね。
本当にありがとうございました。
失礼します。