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- 熾火 -
真っ黒な神様、御機嫌麗しく。
暗雲立ち込める骸炭色の空はお気に召しましたか。
血飛沫に彩られ黒薔薇で飾られた墓石は如何ですか。
お次は一瞬で枯らす毒の雨でも撒き散らせましょうか。
「私など。」
目に眩しく突き刺さるような金髪をくしゃりと強く掻き毟る様は、静謐な闇の中で月の欠片のように輝いている。
その金髪をもった女はそれだけ言うと、微かに自嘲の笑みを零すようにして言葉を濁した。
本当はその先に続くであろう言葉を自分自身も知らなかったのかもしれないし、知りたくなかったと言えばそうなのかも知れない。
そしてその懺悔にも似た言葉は誰に聞いてほしい訳でもなく、声に出す程のことではない気がした。
「……畜生。」
頭を掻き毟る手へと更に力を込め、はらりはらりと金糸が地へと落ちていくごとに自分の中の何かが崩れ落ちていくようだ。
もう1度畜生と言ってみたのだけれど、余りに強く唇を噛み締めていたためにそれが声になることはなかった。
(喰ラエ 喰ラエ)
それは心の深いところへと直接語り掛けられる声。
理性の塊を難なく打ち壊すほどの逆らうことなど出来ない本能の絶対的な命令。
(喉ガ身体ガ渇イテ苦シイ 血ガ欲シイ)
黙れと言ってみると口はその言葉通りに動きはしたが、喉の奥で声が足踏みした侭出てくることは無かった。
完全にAMARAの支配下に治められてしまった自分自身を叱咤して必死に足掻く藻掻いてみる。
そんな痛くも痒くもない抵抗など、本能に立ち返ろうとしている自分には全く意味をなさないことが解らないほど愚かではなかったのだけれど、それでも辞めることが出来ないのは未だ自分が人間で在りたいと思っているからで。
「は…ぁっ!……はっ!!」
しかし、既に自分の意思では体が思うように動いてくれず、がくん、と力なく膝を折ってその場へと蹲ってしまった。
荒い息は脳内へと響き渡り、聞きたくは無い何かを叩き込むように語り掛けているようだ。
(開ケ 私ヲ)
血の神へと心を売り叩く。
呆気無いのは己か、運命か。
そこへ自分の髪色とは違う輝きをもった剣が、ザクリ、と首の横を少しばかり掠めて地へと刺さる。
翼はそんなことには驚きもしなかったが、単にそれは本能を抑え込むのに必死で驚く余裕など無かったとも言えた。
この侭少し首を傾げてみれば、自分の血飛沫の中で果てて逝くことが出来るだろうとは思うけれど、それをするのは多少面倒臭いとも思う。
「漆黒の闇の少年、未だ寝るには早い時間だと思うが?」
その剣の持ち主は不敵な笑みを浮かべていたけれど、余りにもお約束な顔だったために思わず嘲笑いが零れた。
それを吸血鬼であるが故の余裕の笑みと取ったのか、どう取ったのかは解らないが、剣を持つ手へゆっくりと力を込めていく。
「それとも、もう満腹なのかい?」
吐き気を催すほどの不敵な笑みと、反吐が出るほどの卑劣な声を翼は自分の背中で受けたが、それが頭の中に映像や言葉で入ってきていたかというと答えられなかった。
血がざわざわと騒いで震えが止まらない。
全ての血の気が引いたかのように頭の中が真っ白だ。
煮えくり返るようなこの感情は、畏怖か快楽か。
「なぁ、黒魔道士の成れの果て、AMARA様……?」
翼が男へと振り返ったか否かで、自分の左胸へと銀色の刃が音も立てずに沈んでいくのが見えた。
そしてどろりと止めどなく惜しみなく流れる紅い液体は、その刃渡りを伝ってぽたりぽたりと地に染みを作ってゆく。
その血糊が滴る刃を右手の白い指でそっとなぞり、そのまま自分の口元へ持ってきて口へとそれを含んだ。
軽く舌なめずりをしたと同時に、何かが鈍く大きな音を立ててぐしゃりと潰れた気がしたけれども、そんなものは初めから無かったのかもしれない。
自分を繋ぎ止める理性など、有って無かったものではないか。
(アレヲ喰ラエ 壊シテシマエ)
完全に本能へ立ち返ってしまった翼は、その細胞ひとつひとつに語り掛けるようなAMARAの声に従うことしか出来ない。
心を揺るがし胸が高鳴るというのはこのことかと思うほど、わくわくしたような笑いを貼り付けた吸血鬼は、噴出す血飛沫に構わず自分の胸に刺さった剣をするりと抜いて、目の前の獲物へと目で追えないほどの疾さで襲い掛かった。
右腕を力の限り掴んで引き千切ろうとし、甘い果実を頬張るほどに大きく開けられた口は男の首へと向ける。
男は辛うじて翼の首へと帯刀していたもう1本の剣を突き付けたが、それは空を切り金糸を闇夜へと舞い上がらせただけで余り意味を持たなかった。
もう1度振り下ろしたが、それは振り下ろしたつもりになっていただけであって、実際はAMARAが片手で男の顔面を覆い、そのまま潰されて血肉の破片とされそうで。
殺されると咄嗟に恐怖を感じることはなく、脳の思考さえも全てAMARAの疾さには追い付けなかった。
「ひぃ……っ!!」
男が懇願のような言葉を発した気がしたが、それはAMARAの耳へは届かなかった。
目の端に映る金髪。
痛いのに速く動く肉体と手足。
構わず垂れ流れる赤い血液。
それに心躍らされている己は一体、何。
(ガウン……ッ!!)
「夢見でも悪かったのかよ、女神様?」
寝起き悪い上に夢見も悪いとは、と馬鹿にしたような溜息を吐き、軽口を言った男も翼と同じ月色に透ける髪を持っていた。
突如現れたその男は魔銃を放ち辛うじて2人の戦いを遮りヴァンパイアハンターを助けた形になったけれど、翼自身を助けた形にもなったように思う。
ジャキン、とトリガーを引いて銃口を真っ直ぐAMARAの方へと向ける金蝉の顔は軽口とは裏腹に何処にも巫山戯たような表情を湛えていない。
(アレハ敵? ……敵)
銃口の向こうに見える男が誰であるかは判っていたのかもしれないけれど、でもだからこそ判りたくなかったし判っていなかった。
金蝉は無論AMARAを撃つことなど毛頭考えていなかったことであり、少し自惚れていたことは否めないと反省する。
翼は自分を識別出来ない筈などない、と高を括っていたのは驕りでも何でもなくて、それが真実で事実だとさえ本気で思っていたから。
(嫌悪 拒絶 排除 排除スル)
一瞬の躊躇も許されない。息をすることさえも儘ならない。
無表情のAMARAはその動作1つ1つが無感情であるかのように金蝉の白い首へと白い尖った牙を埋めていこうとする。
そしてじわりと自分の首から血が滲み出ているのが解り、このまま血を吸われても良いかもしれない、と頭を不意に過ぎったその考えとは全く逆の行動を金蝉はとった。
これが俺の本能か、と金蝉は苦く笑いながら言うことになるのだけれど、それは又後の話で。
「俺はお前に殺されてやるほどお人好しじゃねぇよ。」
その言葉が終わるか終わらないかで、かはっ、と声にならないほどの嗚咽を漏らしたのは月色の髪をもつ女の方で、みぞおちに食らった蹴りと共に弱々しくよろめき、バランスを崩したのか解らないが、その場へと蹲るようにして倒れ込む。
同じ髪色をした男の方は女の方へと蔑みではなく見下しながら満足そうに、それでいて少しだけ泣きそうになりながら、薄ら笑いを浮かべて強く言の葉を放った。
「……その前に俺が殺してやる。」
その言葉と同時に金蝉が強く感じていて、恐らく普通の人間でも肌で感じることが出来ていたであろうほどの禍々しい雰囲気が消えた。
AMARAから翼へと、本能から理性へと還ってきたのだ。
「……夢、か?」
少しだけ顔を上げた女はぐるりと周りを見渡す余裕がないかのように見え、がたがたと震える自分の体を必死に抑えていた。
恐らく翼は目の前の金蝉の首元を汚す紅い痕しか見えていなかったのだろう。
自分で発した言葉が声になったかどうか自分でも解らないまま、カタカタと震えが止まらない自分の手を見ると誰のものか解らない血で真っ赤だった。
「幸せで、残酷な。」
夢なのか、と誰へともなく問う翼はその真っ赤な手で自分の顔を覆う。
自分を背にしてヴァンパイアハンターと戦っている男は必死に自分を守ってくれているだろうことはこんな状態の翼にも解ったけれど、その男の血を自分が吸おうとしていた事実を信じたくない思いではちきれそうだった。
そして敵へと迷いなく力強く一歩を踏み出していく男は、何の感慨もなくさらりと言霊を落としていく。
「これは夢じゃない。現実だ。」
真っ黒な神様、御機嫌麗しく。
そろそろ貴方を穢し弑して宜しいですか。
1度も神様に頼んだ覚えはなかったでしょう。
―――……私を吸血鬼にしてくれなどと。
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