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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


【想い出は遠き過去の海底へ】

【T】

 ドアベルの音に反射的に顔を上げて、アンティークショップ・レンの店主である碧摩蓮は薄暗い店内に差し込む光に目を細めた。逆光に翳る姿は柔らかな体躯を漆黒の和装で包み込み、長い黒髪をさらりと垂らしている。翳りさえも装いの一部かと思われるほどに海原みそのは漆黒の着物を着こなしていた。その裾にはさりげなく桔梗の花があしらわれている。ドアが閉まると同時に、その表情が明らかになる。微笑みはやさしく、小さな唇から声が漏れた。
「想いに寄せられて参りました」
 薄暗い店内に響いた声は透き通るように空間に馴染み、蓮の鼓膜を震わせる。それを合図に蓮は煙管を指先で廻して、あれかい、と云ってその先で硝子のショーケースを指した。薄暗い店内のなかにひっそりと腰を落ち着けたそれの中には数々の小さな品物が陳列されている。指輪やペンダント、片方だけの靴や懐中時計はみなどれも長い時間を経てそこに辿り着いたのだという空気を放ってそこに収まっている。みそのは静かにショーケースに近づき、その上に片方の手を乗せた。そしてそっと撫ぜると、不意にその内側から声が響いてくる。
『貴女が記憶を捨てに行ってくれるの?』
 声の主は無造作に陳列されたワンハンドオイルライターだった。表面の、しかも中央にははっきりと凹凸が刻まれている。まるで銃弾がめり込んだような跡だった。しかしみそのはそれを美しいと思う。真鍮製のそれは不恰好に歪んでいたけれど、確かな美しさを纏っていると思ったのだ。理由は簡単だ。ライターが持つ想いがわかるからだった。鮮やかなまでに浸透するそれはゆるゆるとみそのの皮膚から浸透し、心の内側に響いてくる。
「こちらのライターをお譲り頂けますか?」
 みそのがカウンターの上で頬杖をついた蓮を振り返って云うとつまらなそうに煙管を廻しながら、そんな傷物でもいいんならねと素っ気無く答える。そして煙管を置いて重たい躰を引き上げるような緩慢な速度で立ち上がると鍵の束を片手にみそのの傍らにやって来て、慣れた仕草でショーケースを開けてライターを取り出してくれた。
「お代はこれで宜しいでしょうか?」
 云ってそっと蓮に手渡したものは滑らかな曲線に店内の薄明かりを反射させる一粒の真珠だ。蓮の表情が明るくなる。
「こんなライターのお代にしては高価すぎるくらいだけど本当にいいのかい?」
「えぇ。こんなにも想いに満たされた品物をお譲り頂けるのでしたら一粒の真珠の価値など皆無ですわ」
 微笑みと共に答えると蓮は満足そうな笑みを浮かべて、好きなだけゆっくりしておいき、と云ってカウンターの奥に去って行った。その後姿を見送って、掌の上に残されたライターに視線を落とす。
『本当に記憶を捨てに行ってくれるのね』
 ライターが云う。
「お話を聞かせて頂けるのならという条件付きですけれど、宜しいですか?」
 問うと掌の上でライターが頷いたような気がした。
 なんて強い想いだろう。まるで実体がそこにあるかのようだった。無機質な物体にこれまでも強く残る想いの総てを知りたくて、みそのは手近な場所にあったアンティークの椅子に腰を下ろした。年月を感じさせる音で椅子が軋む。
『待っていたのよ、ずっと。あなたみたいな人が訪れるのを待っていたの』
「光栄ですわ。―――でもどうしてなのか教えて頂けますか?」
 みそのが問うとライターが静かに語り始める。
『ただの物に戻りたいの。記憶も何も持たなかったただの物になって、終わってしまいたいのよ。染み付いた記憶はあまりにも哀しすぎて、辛すぎるわ。これを抱えたまま永遠にこの店に陳列されているなんて厭なのよ』
「どこに捨ててしまいたいのですか?」
『海へ……』
 ライターの呟く声にみそのは笑う。そして云った。
「それは簡単なことですわ。貴方が気に病むことなど何もありません。でもわたくしにその記憶のお話を聞かせてくださらないかしら?話せる範囲で結構ですので」
 言葉にライターが言葉を切る。ひたひたと店内を満たす静寂に、まるで海底のようだと思いながらみそのはライターが言葉を綴ることを再開するのを待った。沈黙の長さの分だけ海の底深くへ沈んでいくような心地がする。懐かしい、穏やかな心地だ。僅かな海流の流れ。それに乗せて流してやればいい。思うと不意にライターが云った。
『……もう随分昔のことよ。あまりにも昔のことで。何年前のことなのかはっきり思い出せないくらい昔のことなの』
「でも想い出を忘れることはできないのですね?」
『そうよ。忘れられないの。忘れられるわけがないのよ。あの二人の傍に、誰よりもあの二人の近くにいたのは私なんですもの……。二人の想いが染み付いて離れないのよ』
 そして流れに身を任せるようにしてライターはみそのの掌の上でぽつりぽつりと自分が持つ記憶の話を紡ぎ始めた。
 ライターが新品同然で購入されたのは大戦中のことだったと云う。購入したのは女性だ。その女性が片腕を無くして帰還した兵士が再び戦地に赴く際贈ったのだそうである。
『二人の名前と祈りの言葉が彫ってあるでしょう?』
 云われるがままに確かめると弾丸がめり込んで凹んだ辺りに異国の文字で名前とおぼしきものが刻まれているのがわかった。
『彼女が特注で彫らせたものなの。彼が無事に戻ってくるようにって』
「その二人のお話なのですね?」
『えぇ。長くなるかもしれないけど、大丈夫かしら?』
 ライターが気遣うように云う。
 それに微笑みで頷いて、みそのは続きを促した。

【U】

 大戦が始まるずっと以前から二人は恋人同士だったのだという。結婚を前提に付き合っていたそうだったが、彼が入隊して出征することが決まったことにより結婚が先延ばしにされたのだそうだ。普通なら結婚してから出征していくのではないのだろうかとみそのが思うと、それを見抜いたかのようにライターが云った。
『彼は自分が生きて戻れないことを知っていました。そして長く戦地に留まらなくてはいけないことも知っていたんです。だから自分と離れている間に彼女が別の恋人を見つけても仕方がないと思っていました。彼女の幸せだけが彼の望むものでしたから……』
 美しいことだと思う。理想など容易く崩れ去るものだということを知りながら、嫉妬心をどこかに抱きながらも彼女のためにという言葉でそれを封じ込めたのだろうとみそのは思う。そして少なからずライターの演出があるであろうことも感じられた。
『彼は自分が思っていたよりも早く戦地から戻ることができました』
 ライターが云う。
 しかし五体満足な姿ではなく、片腕を失って帰還したのだ。片腕の兵士はお荷物になるばかりで、戦地に留まっていても仕方がなかったから強制的に帰還させされられたのだという。彼女はそれでも彼が帰ってきたことを素直に喜んで迎えた。やっと結婚できると思ったのだろう。しかしその幸福は長く続かなかった。戦争中はよくある話だ。彼らが身を置く国の戦況は決して良いものではなかった。日に日に悪化していくのは火を見るより明らかだったのである。
 そして再び彼は戦地に赴くことになった。幼い少年たちでさえも軍人として出征させられるようになっていた頃のことだ。片腕がなくとも戦闘要員になればそれで良かったのだろう。その知らせに彼女は哀しんだ。今度こそきっと戻ってこないと思ったのだ。結婚も未だに果たせていない。彼女は彼を失った後、自分は誰とも結婚しないつもりでいた。だから一縷の望みに縋るようにして片腕の人間でも簡単に扱うことのできるワンハンドライターを購入し、それに無事帰還することができるようにという祈りの言葉と自分の名前、そして彼の名前を刻み込ませて出征していく彼に贈ったのだそうだ。
 彼はそのライターを常に軍服の左胸のポケットに入れていたそうだ。ライターはいつもそこで、心臓に一番近い部分で彼の気持ちを感じていたという。ただひたすらに彼女の安全と幸福だけを願っていたそうだ。自分が死んでも彼女が幸福であるようにと、それだけを真摯に願い続けていたのだそうである。ライターの凹みは彼が被弾した時のものだそうである。彼女の祈りは通じたのだ。
 彼が出征した後、程無くして終戦を迎えた。彼の国は戦争に負け、敗戦国となっていた。けれど彼にとってそんなことは些末なことであった。自国が敗戦国であろうとも、国がどんな惨状にあろうとも、自分が彼女のライターに救われて生きていることだけで十分だった。今度こそ彼女と結婚することができると思ったからだ。
 しかし結局それが果たされることはなかった。
 不意にライターが言葉を切った先に何があるのかを見透かすようにみそのが云う。
「……彼女が亡くなっていたのね」
 刹那の沈黙の後、ライターが続ける。
 彼らの家のあったのは海辺の美しい小さな町だったそうだ。それが空襲を受けて、その際に彼女は瓦礫の下敷きになって死んでしまっていたのだという。結局、二人は結婚することができなかった。ずっと互いに互いを想いあっていたというのに、戦争が彼らを引き裂いてしまったのだ。
「それで、その後彼はどうしたのですか?」
 みそのが問う。
 ライターは躊躇うように、辛さや哀しみをこらえるように言葉を続ける。
『自分を責め続けてたわ。自分が助かったのは彼女が死んだからだと云って、ずっと自分が生き残ったことを呪っていた。私はライターだけど、どちらの想いも誰よりもわかっていた。だからそんな風に自分を責める彼が可哀想で仕方がなかった。共に辛かったし、哀しかった。あんなに彼を想っていた彼女の死も哀しかったし、戦争が終わったのに彼女の死は自分のせいだとでもいうように自分を責め続ける彼の傍にいることも辛かったわ。どうしてあんなに愛し合っていたのに、引き裂かれなければならなかったのかしら……』
 その言葉にみそのは何も答えることはできなかった。
 ただ静寂だけが店内を包んで、それらが総てライターの哀しみで満たされていくような気がした。
『結局彼も彼女を追いかけるようにして自殺したわ。海に身を投げて死んだの。私を彼女の墓の上に残して』
「あなたも連れて行ってもらいたかったのね」
 みそのが云う。
『そうよ。連れて行ってもらいたかった。誰よりも傍にいたのは私なんだもの、一緒に海の底に沈みたかったわ。それなのに彼は私を置き去りにして、彼女との記憶だけを遺して、独りで彼女の傍に逝ってしまったの』
 ライターから発せられる言葉が途切れると、静寂は絶対なものとして店内を包み込む。その静寂に海底を思いながら、みそのは静かな声で云った。
「お約束どおり貴方の望みを叶えて差し上げますわ」
 微笑は穏やかで、残酷なほどに艶やかだった。

【V】

 弱々しい視覚を完全に閉ざすようにして、みそのはゆったりと目蓋を閉ざす。鼓膜に聞き慣れた海底の音が響くのがわかる。寄せては返す漣の節奏。その奥底深くで緩やかに流れる潮の流れ。それが時の流れと溶け合うようにして静寂に沈む店内を包み込んでいく。呑み込まれるという強さではない。包み込むようなやさしい時の海でみそのは店内を満たす。
 人知れずアンティークショップ・レンは海の底に沈む。
 両手で包み込むようにしてみそのはライターを胸元で抱き締める。
 流れてしまえばいいと思う。どこまでも遠く、戻ることもできないほど深い海の底へと沈んでいけばいいと思う。自分がいるその場所が海だと言葉もなくライターに伝える。何も心配はいらないと胸の内で呟く。現在の海に沈んでも、二人が消えた遠い過去へ辿り着くことはかなわない。しかし今、店内を満たすこの時の海のなかであればいつしかどこかで巡り会うことができるかもしれない。過去という時はひっそりとメビウスの帯のように永遠に絡み合い続けているのだ。切っても切り離すことができない。永久に繋がり続けていくのである。
 細く糸が解けるようにしてライターが流れのなかに溶けていく。真鍮製のそれがみそのの掌のなかでそのフォルムを失っていくのがわかる。硬質な感触は失われ、柔らかなものに変わり、溶け出すようにしてさらさらと時の波に攫われていく。溶けて、消えて、どこまでも二人を追いかけていけばいい。哀しい過去を今から想うばかりではなく、追い駆け、主たちのもとへと帰れと思う。
「おや。やけに静かになったね」
 不意に響いた蓮の声にみそのはゆったりと振り返る。膝の上に置かれた手の中には塵の一つも残されていなかった。
「えぇ。静かになりましたわ」
 そう云って静かに立ち上がる。今度はもう椅子は軋まなかった。
「あんなライターにこんなお代を貰って本当に良かったのかい?」
 そう云って蓮が掲げた小さな小箱のなかには天鵝絨の布が敷き詰められ、その中央で先程みそのが手渡したばかりの真珠が淡い光を放っている。それを見とめて満足げにみそのが笑うと、蓮は空っぽのみそのの白い手に視線を向けて云う。
「ライターはどうしたんだい?」
 みそのは巾着の一つも持っていない。
「想い出亡き躰は美しくありませんから」
 云ってみそのは丁寧に頭を下げて、アンティークショップ・レンを後にした。
 薄闇に包まれた帰路でみそのは思う。
 永遠の愛や恋といったものは決して存在しない。愛や恋といったものは永遠ではないからこそ美しいのだ。終わってしまうもの、終わり逝くもの。それだけが完成された美を持つ。その矛盾こそが美しさだ。
 足音さえも響かない薄闇のなかを独り歩きながら、ライターから聞いた話は御方との寝物語に良いかもしれない。思ってみそのは形の良い唇に淡い微笑を浮かべた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1388/海原みその/女性/13/深淵の巫女】
【NPC:碧摩蓮】

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■         ライター通信          ■
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二度目のご参加ありがとうございます。沓澤佳純です。
海原様は本当に素敵な方で、この度は和装ということだったので前回とは違った印象で私のほうも楽しませて頂きました。
この作品が少しでもお気に召して頂ければ幸いです。
今後また機会がありましたらどうぞ宜しくお願い致します。
この度は本当にありがとうございました。