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<東京怪談・PCゲームノベル>


アトラスの日に


■ステロタイプ■

 そうか、先生、その日いないんだ。
 はい、1日中。お知り合いと夜まで話すことになるだろうって。
 じゃ、みさとちゃん、暇だね。
 そうなんですよ。ほんとに、何して過ごせばいいんだろ……。

「それじゃあ、えっと、一緒に出かけようよ」


 昨日のうちにばっちり洗っておいた黄色のパーカーを着ると、風太はばたばたと自宅を出た。昨日のうちに準備は何もかも済ませてあったのに、最後の最後で手痛いミスをした。山岡風太という青年は、デートの日に寝坊したのだ。
「くっそお、馬鹿だ! 俺って馬鹿だ!」
 待っている彼女に、どう謝ろう。
 正直に言おうか、下手な嘘をついてみようか。
 風太は慌しく鍵を閉め、自転車の鍵を開け、凄まじい勢いで待ち合わせ場所に向かった。
 梅が散り、桜も散ろうとしている季節だった。
 からりと乾いた空気が、風太の頬を撫で、
 まっている彼女の髪を撫でた。

「ごめん! 待ったでしょ!」
 駅前のベンチに腰掛けていた少女に駆け寄ると、風太は肩で息をしながら、ぱちんと手を合わせた。
「ううん、あたしも、今来たところです」
 蔵木みさとはかぶりを振りながら微笑んで、立ち上がった。傍らに置いてあったバスケットを、忘れずに手に取りながら。白い肌に、白いブラウスとスカートがひどく映えていた。透き通るような白い脛に、風太は思わず見とれた。
 みさとが本当にたった今来たところなのか、15分前からここに座っていたのか、待ち合わせ時間に10分遅れた風太が知る術はない。
 みさとはふうわりとゆるやかに、白い帽子をかぶった。
「どこ……行きますか?」


 黄色のパーカーと水色のジーンズの青年と、白いよそ行きの格好の少女が並んで歩く光景など、その街の中では至るところで見られた。風太はそんな世界に感謝した。
 しっかり事前にプレイガイドで調べておいた話題の映画の上映時間は、頭の中に叩き込んである。世界的に有名なファンタジー映画の完結編は絶賛上映中だ。運がいいことに、みさとは多忙な作家の助手をつとめているおかげで、まだその映画を観ていなかった。風太は、実は封切から1週間も経たないうちにいちど観ていたのだが、みさとには小さな嘘をついた。――まだ俺も観てないんだ! 今度一緒に観に行こうよ。
 一度すでに観ているから、集中する必要がない場面があることを知っていて――そういったシーンに移ったときは、風太は暗がりの中、隣の席を見ていた。
 みさとは中盤からずっと泣いていた。

「はずかしいな。見なかったことにして下さいね」
 真っ赤になった目を伏せて、唇を噛み、みさとはいそいそと桜並木を歩いていく。
「見なかったことにしてくれないと、お弁当、風太さんにあげませんから」
「ったった! わかったよ、俺は何にも見なかったっス。昼飯抜きは勘弁だよ」
 桜の花びらが散る中で、みさとは勝ち誇ったように、嬉しそうに微笑んで――
 ぱくっ、とバスケットを開いた。
 サンドイッチとフライフィッシュ、どこから見ても立派な英国のランチの縮図が、彼女のバスケットの中にある。風太の腹が、ごろごろと雷鳴のような音を立てた。
 桜並木の下で昼食と会話を広げたあとは、小さな澄んだ池を望みながら、そのまま並木道を歩いた。池の上には何層ものボートが浮いていたが、風太とみさとがボート乗り場のそばを通ったときには、またしても運のいいことに、ほとんどの恋人たちがボートを降り始めていたのだった。
「乗る?」
「はい!」
 桜並木の下の会話のつづきは、池の上に持ち越された。
 風太はふと、ぎこちない手つきでボートを漕ぎながら思う――
 ――なんて、ふつうなんだろ。
「ごめんね、ふつうなコースで。映画観て、昼食べて、散歩して、ボート」
 思わず謝ってしまってから、そう言えば今日は初っ端から彼女に謝っていたということに気がついて、風太は肩をすくめた。
「ふつうが一番ですよ」
 みさとは、不意に吹いた突風から帽子を守った。彼女は笑顔のままだ。
「ふつうって、大好き」
 その笑顔に目を奪われて、風太は耳まで赤くなった。
 のろのろと方向転換をすると、ボートを桟橋に寄せる。
 みさとは口にこそ出さなかったが、「もう?」と目が一瞬抗議した。
「か、風が強くなってきたから――」
 吹き飛びそうになったみさとの帽子を見て、風太はそう感じたのだ。池の面が、ざざあと忙しなく揺れてもいる。それに、そもそも水は好きではない――。
 桟橋に先に降り立った風太は、立ち上がろうとするみさとに手を差し伸べた。
「すみません」
 みさとは、文句など何一つ言わなかった。
 風太がその手を掴み、ぐっと力をこめても。

 いやな感触がして、風太は自分の手を見た。
 自分の手がしっかり掴んでいるのは、音を立てて変色していく白い手だ。
「あ、」
「あ、」
「あっ?!」
 みさとの白い肌が、ブラウスが――
 腐り、爛れていくのだ。
 風が吹いて、風太はまばたきをした。
 自然とその手が、みさとの汚らわしい手を離した。
「風太さん――」
 よろめく水の申し子が、すがりつこうと手を伸ばす。その手が、つぎの瞬間ぐぱりと裂けて、まるで骨のないもののように宙を舞った。

 ごぉうっ!

 小さな池の水面が、引き剥がされたかのようだった。黄の風が、一瞬にして水を干上がらせたのだ。
「風太さん――」
 かすれた声に、青年は見下ろす。
 喉をついて出たのは日本語ではなく、英語でもないようだった。そもそも言葉であったのかどうかすら、怪しいものだった。
 奇怪な虹色に彩られた空が割れ、ぅわんぅわんとフーンを唸らせて、風の使者たちが飛来した。使者たちは、何とも形容し難い四肢を奮い、かさかさに乾いた舌と牙で、腐った桟橋に転がる腐った少女を引き裂き、食い荒らした。切れ切れの悲鳴が、やかましい鳴き声の間を縫った。
「風太さん――」
 なおも伸ばされる手を、骨のない腕が張り飛ばす。爪が飛び、皮膚が風に弄ばれて飛んでいった。
 風の使者の牙が、ぶちりと少女の頚椎を食い千切る。
 黄の青年の足元に、腐りかけた生首が転がった。
 唇が動いたが、肺も喉もない状態では、声など出ない。
 しかし、その唇は呼んでいる。
 白濁した金の目で、泣きながら、見上げながら。
 青年は首を傾げた。生首が訴えかけている文句の意味が、まるで理解できなかったのだ。何故助けなければならないのか? 何故こんなことをするのかと問われるのか? 何故、何故、何故――
 疑問などない。これが必然であるべきなのだ。
 青年が踏みつけた生首は、落ち葉のようにかさりと砕けた。涌き出る脳髄が腐り、乾き、風にさらわれていく。
 見上げれば、見えるのは黄の星である。
 翼持つ従者たちが、食事を終えて、一斉に飛び立


 携帯電話がけたたましく風太を呼んでいる。
 そう言えば、アラームを設定しておいたのだ。
 風太は、額に浮かんだ汗を拭いながら身体を起こした。しかし汗は、額だけに浮かんでいるわけではないようだった。
「……な、なんて夢だよ……こんな日に……」
 かすれた悪態をついた直後、握りしめていた携帯が着信した。

『風太さんですか? ……あの、すみません……えっと……急に、先生がイギリスに行かなくちゃならなくなって……今から成田に行くんです。ごめんなさい、せっかく誘っていただいたのに……』

 アラームを設定した理由を思い出し、みさとのすまなそうな声を聞いて、風太はようやく――
 安堵した。
 現実が、救われた気がした。
「いっ……いいよいいよ、気にしないで。レイさんの都合なら、仕方ないよ。また今度にしよう。もう二度と会えないわけじゃないんだし――」

 風が吹いている。

 イギリス行きの便は順調に飛べるだろうかと、風太はぼんやり考えた。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2147/山岡・風太/男/21/私立第三須賀杜爾区大学の3回生】

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               ライター通信
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モロクっちです。いつも本当に有り難うございます!
と、今回はガツンと来ましたね(笑)。最後の悲惨シーン、ステロタイプなデート部分にかけた時間の数分の一で仕上がりました。も、モロクっちというやつはほんとに……。ば、バイアクヘー大好き! ブルグトム!
ちょっとひねりを入れて、デートの約束は本当にしていたということに。どこからどこまでが現実なのか、色々と考えられる内容にしてみたつもりです。