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<東京怪談ノベル(シングル)>


荒城の月を見よ

「おはようございます、倉田主任。『月刊アトラス』編集部の三下忠雄さまがいらっしゃってまぁす。アポイントは取られてないようですが、如何なさいますか?」
 アニメ声が可愛いと評判の受付嬢が、内線でそう告げてきた。
「月刊アトラス? 聞いたことがないけど、経済誌かな? 何の用件だろう」
「主任に取材を申し込みたいと仰っています」
「取材……?」
 倉田堅人は黒ブチ眼鏡を押し上げて、軽く眉根を寄せた。マスコミに注目されるような案件を、果たして営業二課が抱えていただろうか? 
 確かに、堅人の勤務するこの大手商社は、不況下において三期連続増収を続けているということで、『今、元気のいい企業』などといった特集記事で取り上げられることが多い。社長は経済誌からインタビューを受けたり、寄稿を求められたりしている。
 しかし通常、そういう取材は広報室を通して経営者に行くであろうし――営業二課の、それも課長でなくて主任あてに来るというのは……。
 すぐに合理的な回答に思い至り、堅人は明るく受付嬢に言った。
「わかった。その記者さんは間違えてるんじゃないのかなァ。きっと倉田ちがいだよ。本当は広報室の倉田室長に用があるんだろうから、そっちに回してあげて」
 広報室には倉田謙人という室長がいて、マスコミ各社からの取材依頼は彼が総責任者であるのだ。いくら名前が似てるとはいえ、広報室長と営業二課の主任を取り違える者はあまりいないが、その記者が相当にそそっかしければそんなこともあるだろう。
 しかし可愛い声の受付嬢は、その可能性をきっぱりと否定した。
「いいえ。堅い人と書くケントさんの方ですと仰っていらっしゃるので、倉田主任に間違いないと思います」
「そこまで確認したのか。キミは有能だなあ。わかった、会ってみよう」
「それではエントランスロビーにお通しいたします。よろしくお願いいたしまぁす」

      ++  ++

 著名な建築家が気合いを入れて設計したエントランスロビーは、優れたデザイン性と機能性を有している。半透明のパーティッションで区切られたスペースはゆったりと余裕があり、こみいった接客や商談をそこで済ませることも可能だ。
 そんなスペースの一角に通された三下は、見事な観葉植物に気圧されたように所在なげに腰掛けていた。現れた賢人を見るなり、ぴょんと立ち上がって頭を下げ名刺を差し出す。
「は、初めまして。お仕事中すみません。あ、あの、僕、こういう者です」
「白王社・月刊アトラス編集部、三下忠雄クンか。不勉強で申し訳ないが、アトラスという雑誌は読んだことがなくてね」
「あ、そう仰るかもと思いまして、先月号を持参してきましたー」
 渡された雑誌は、賢人が想像していたものとはかけ離れていた。受付嬢にちょっと似ている可愛い少女が、にっこりと笑っている表紙だったのだ。
 それはオカルト系アイドルの『SHIZUKU』だと三下に説明されても、賢人にはよくわからない。
「……変わった経済誌だねェ」
「け、経済誌じゃないですよぉ〜。アトラスはオカルト雑誌ですう」
『何? オカルトと申されたか? それは一体どのような代物でござるか?』
 吃驚した拍子に、賢人の別人格が顔を出してしまった。賢人は慌てて諫める。
「おいおい。ちょっと黙っててくれないか。今は接客中だし、ここは会社だ」
『されど、あらゆる事情を知っておかねば不都合も生じようというもの。拙者とて、この三下どのと話しても良いではないか』
「あっ! 賢人さんが心理遺伝なさっている別人格さんですね〜。安土桃山時代のお侍さんなんですよね。初めまして、僕、こういう者ですっ」
 三下はまたもや名刺を取り出した。
「名刺はもらったからもういいよ。それよりキミ、私の事情に詳しいようだが」
「はいっ。何しろウチの編集長はすごい情報通の地獄耳で。あれこそオカルト……あわわ。とにかく今日は倉田堅人さんと、別人格のお侍さんにインタビューをしたくてやってきましたっ」
 ――『驚異と神秘! 〜現代に生きるサムライの証言〜』
 そういう記事にしたいのだと三下は言う。
『聞いたであろう、賢人。この御仁は拙者にもいんたびゅうに来たのでござるよ』
「しかしねぇ……」
「お願いしますお願いします。お話を聞かせてください〜〜。でないと僕、編集長にどんな仕打ちをされるかわからないですう」
 相棒にせっつかれ三下に懇願されて、賢人は仕方なくインタビューに応じることにした。
 絶対匿名、という条件をつけて。
 
      ++  ++
      
 主人格であるところの賢人への取材はあっさり終わった。
「毎日苦労してるんだよ……。見ればわかるだろう」
 ぽつりとそう言っただけで、さしもの三下もだいたいのところは飲みこめたからである。
 だが。
 滅多にこんな機会を持てない侍の方は、講談のような名調子で、とどまるところを知らず語り続けた。
『あのとき、信長公はこう仰った。【小軍ナリトモ大敵ヲ怖ルルコト莫カレ、運ハ天ニ在リ、と古の言葉にあるを知らずや。敵懸からば引き、しりぞかば懸かるべし。而してもみ倒し、追い崩すべし】』
「あのぉ〜。すみませんが現代人にもわかる口調でお願いできればと」
 ちょっと涙目になった三下に、賢人が解説を入れる。
「これは桶狭間の戦いのときのことを言ってるらしいよ。私もさんざん聞かされた」
「桶狭間……。じゃあ、別人格さんも参加なさったんですか?」
『いかにも。今川軍四万余、織田軍三千弱。誰がどう見ても今川が圧倒的優勢。しかしそれを覆したのは、闇夜と豪雨に紛れての奇襲攻撃であった。前田又左衛門利家や毛利十郎、木下雅楽助と共に、拙者も獅子奮迅の働きをしたものぞ。信長公も馬を下りて自ら槍をふるい、敵を突き伏せになられた。その勇姿、今でもありありと目に浮かぶでござる』
 侍の脳裏には在りし日の桶狭間の光景と、荒々しい若武者だったころの信長が浮かんでいるようだった。しばしうっとりと追憶に浸っていた様子だったが、不意に語調が湿り気を帯びる。
『……犠牲も多かったでござるがの。佐久間盛重どのや織田秀敏どのが戦死なされた』
「それは……死人もでますよね……。戦争ですから……」
 しんみりと言った三下に、いにしえの侍は重々しく頷いてみせた。
『されどその信長公も、やがては本能寺で明智日向守光秀に討たれることになる。まこと、人の生とはわからぬものでござる』

      ++  ++

 ――眠れない。
 その夜、そう呟いてベッドから起きあがったのは、賢人ではなくて侍の方であった。
 賢人の細君は別の部屋で、小さな娘をあやしながら眠っている。
 起こさぬようにそっとキッチンに滑り込んだ侍は、保管庫から純米酒『出羽桜』の一升瓶を取り出した。
 料理上手の常として細君にはこだわりがあり、調理用の『料理酒』などという無粋なものは使わない。めんつゆを作ったり煮物に使ったりするのは、厳選した純米酒である。
 ただ、侍としては、それはちと勿体ないのではと思っていたのだ。
 酒は、飲むもの。良い酒ならばなおのこと。
 一升瓶を抱え、ついでに食器棚からグラスをふたつ取って、侍は家を抜け出した。
 
『桜が満開でござるな、おやかたさま。今宵は拙者と一献、つきおうてくだされ』
 倉田家からそう遠くない大学の正門前に、八重桜の大木がある。その桜の根元に、侍はどっかとあぐらをかいた。深夜のこととて、とがめるものはない。
 ふたつのグラスを直に地面に並べ、なみなみと酒で満たす。遠い時代に失ったあるじの分と、自分の分と。
 桜を透かせば、満月が見える。瀟洒な大学の建物は月明かりを受けて、要塞のようにも古城のようにも見える。
『荒城の月』という唄がある。この時代で目覚めてほどなく、知った唄だ。
 その一節を口ずさみながら、グラスを何度もあおる。
 あの時代を共に生きた武士たち、前田利家や羽柴秀吉や柴田勝家。彼らの誰ひとりとして、今の世界にはいない。この身体さえも借り物のまま、心だけが生きている。信長をおやかたさまと呼んだあのころと、自分は何も変わらないのに。

 ――人間五十年 化転の内をくらぶれば 夢幻の如くなり――

 桶狭間前夜、信長が舞った『敦盛』。五十年というけれど、あのころはそれは永遠に近い長さだと思っていた。
 風が吹き、八重桜の枝が大きく揺らぐ。ぼたん雪のように激しい勢いで、花びらが散った。
 その一枚が、グラスにはらりと落ちる。
 桜ごと、ぐいと飲み干す。
 いつのまにか空になった一升瓶に、柔らかな月が映る。
 その夜、荒城の月を唱う朗々たる声は、夜明け近くまで途切れることはなかった。
 
      ++  ++ 
 
「おはようございます、倉田主任。……あら、どうなさいましたかぁ? 体調がお悪いんですか? 声でわかりますよ?」
 次の日。受付嬢は賢人への内線で、用件を伝える前にそう言った。
「おはよう。有能だねぇキミは」
 賢人は顔をしかめて頭を押さえる。今朝から原因不明の頭痛がするのだ。
 相棒が何か知っている気がするのだが、何故か今日は呼びかけても返答がない。
「他の方なら二日酔いですかぁって言うところですけど、主任に限ってそんなことないですもの――本題に入ります。広報室の倉田室長がエントランスロビーでお待ちです」
「倉田室長が? どうしてまた」
「主任に取材なさりたいそうですよ」
 くすっと受付嬢は笑う。
「今度の社内報のメインテーマが『〜両立〜良き仕事人であり、良き家庭人であれ』なんですって。倉田主任はそのテーマにぴったりなんだそうです」
「……両立ねぇ。両立は――難しいものだけどね。どんなことだろうと」

 ――人間五十年 化転の内をくらぶれば――
 痛む頭の奥から、『敦盛』の一節と――『荒城の月』が聞こえてきた。
 
 
 ――Fin.