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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


永遠の狭間に響く唄声


【T】

「こんにちは」
 云って草間興信所のドアを開けると、零が明るい笑顔で海原みなもを迎えてくれた。
「アルバイトを探しに来たんですけど、何かお仕事ありませんか?」
 後ろ手にドアを閉めながら云うと雑然とした事務机からのっそりと所長である草間武彦が顔を上げた。
 そしてぶっきらぼうな口調で云う。
「仕事ならあるぞ」
 その言葉にみなもの表情がぱっと輝くのに反比例するように零の表情が曇る。そして武彦を窘めるように云った。
「そんな簡単に云っていい依頼じゃありませんよ」
 零の言葉に小頸を傾げるようにしてみなもがどうしてですか?と訊ねると、零は応接セットのソファーに座るように促して静かに仕事の 内容を話してくれた。簡素なローテーブルの上に並べられたお菓子を勧められたが、零の言葉を聞くうちにそれに手を伸ばすことはできな
くなっていた。
 声を失ってしまった女性シンガーのためにピアニストを捜す。
 それが今回の依頼内容だそうだ。
 それを聞いただけでも中学生である自分には重たい内容だとみなもは思う。しかし零の哀しげな表情や、言葉の端々から感じられる静か
な淋しさの気配が否と云う言葉を封じた。
「どうしますか?」
 訊ねられて僅かに戸惑いを感じながらも、みなもは頷いた。
「引き受けます。……と云ってもどこまでできるかわかりませんけど」
 頼りなげなみなもの言葉にも零は笑ってくれた。ありがとうという言葉に背中を押されるようにして草間興信所を後にしながら、どうすればいいのだろうかと思った。得られた情報は少ない。それもどれもこれもがあまりにぼんやりとしていて、掴みどころがないものばかり
だった。
 人々が行過ぎる通りをどうすればいいだろうかと考えながら歩を進める。そして情報を収集するためには、情報が集中しているところに
行けばいいのではないだろうかと思う。そこはどこだろうかと歩き続けると、ふとインターネットカフェの看板が目に飛び込んできた。
 情報が集積する場所。
 それが看板を目にした瞬間それがどこかすぐにわかった。
 みなもは飛び込むようにしてインターネットカフェのドアを潜る。そして逸る気持ちを押さえるようにして順当な手順を踏み、一台のパ
ソコンの前に腰を落ち着けた。ブラウザを立ち上げて、音楽専門の検索サイトでヒットしそうなキーワードを打ち込んで検索をかける。ずらりと並ぶ多くの検索結果を一つ一つ丁寧に確かめながら、なるべくコアな情報が揃っていそうな音楽サイトをリンク伝いに巡る。
 女性が待ち続けるピアニストは決して有名ではないが、根強いファンがいるというそれだけが頼みの綱だった。掲示板。インディーズア
ーティストのファンページ。いくつものサイトを巡って、瞬く間に時間が過ぎていった。
 結局見つかった情報は、女性が待つ男性がネット業界でもひっそりとしたぼんやりとした存在であるということだけであった。ピアニス
トのものらしき噂がひっそりとした掲示板で囁かれていたのを見つけられただけである。
『場末のバーに奇麗な声のシンガーと共にステージをやってるピアニストがいるみたいだけど、その店知っている人いるかな?』
 レスもなく取り残されたスレッド。
 ただそれだけだ。
 溜息を一つついて、力ない足取りでインターネットカフェを出る。こんなことで落ち込んでいたらどうしようもない。次を考えようと思
って、とにかく聞き込みが大切だと思い直した。そして零から聞いていた総合病院に向かうべくして、バス停を目指した。

【U】

 十数分でその総合病院の前に辿り着くことができた。聳え立つような白い巨大な建物を前に、どうしてこんなところに女性がいるのだろ
うかと思う。場末のステージと白く巨大な建物はリンクしない。たった一人の存在を待つための場所にしてはあまりに巨大すぎると思った
のだ。
 車寄せに寄り添うスロープを辿って自動ドアを潜り、零から女性のいる病室を目指してエレベーターで五階に昇る。そして案内板を頼り
に病室を見つけ出し、そのドアを小さくノックするとすぐに室内から小さな声で応えがあった。
「草間興信所から派遣されて来ました」
 中学生であることに驚いたのか、依頼者だと云う男性は半信半疑な様子でみなもに座るよう促す。促されるがままに腰を落ち着けたソフ
ァーはふんわりとみなもの躰を受け止めて、絶対的な静寂が満ちているという現実を知らしめた。
 病室はまるで世界から切り離されてしまったかのような絶対的な静寂のなかに横たわっている。どこまでも続いていくようなそれに僅か
な危機感を覚えながら、みなもは問うた。
「あの、行方不明になってしまったというピアニストの方のことを教えていただけますか?」
 依頼者は少しずつ疑いの気持ちを解くようにしながらみなもに向かって言葉を綴った。静寂を壊すには弱すぎる声が室内に響く。
 ピアニストの失踪は突然のことだったという。ステージのある夜、いつもならリハーサルの一時間前には姿を現す律儀な男だったという
のにその夜に限ってはリハーサルに現れることもなければ、ステージにさえも間に現れなかったのだそうだ。その日のステージはキャンセ
ルになった。ピアニストが訪れないことで唄い手である女性が唄えなくなってしまったからだ。勿論連絡を取ろうとしたとも云った。しか
し携帯電話は解約された後で、住んでいたアパートも引き払われた後だった。彼を知る人々総てに連絡を取ったが、誰も彼の行方を知らさ
れていないということがわかっただけだったという。警察にも届けを出したそうだったが状況からして事件や事故に巻き込まれた可能性が
少ないと思われたのか有力な情報は得られていないそうだ。
「ですから、最後の頼みの綱として草間興信所さんにお願いしたのです」
 男性はベッドに力なく横たわる女性に視線を向けて云う。
 依頼者の妹だという女性は今にも消えてしまいそうな果敢無さでそこに横たわっていた。点滴の管が細い腕に伸びている。開かれた窓の
向こうに広がる青空よりもずっと遠くを見るような視線を向けている。
 その姿に、待っているのだろうと思った。
 ずっと、自分を置いて去った一人をただひたすらに待っているのだ。
 きっとその女性にとってピアニストは唯一の存在だったのだろうとみなもは思う。恋愛感情といったようなものを抜きにしても、女性は
ピアニストを支えに生きていたのだろうということがその姿からわかるような気がした。
「あたしにできることなんて、本当少ししかないかもしれませんけれど出来る限りのことはさせていただこうと思います」
 みなもが云うと依頼者は初めて、縋るような表情を作って深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします。もうどうしたら良いのかわからないんです」
 初めは明らかな不信感を見せていた依頼者だったが、言葉を重ねるにつれてそれまでの徒労感を思い出したのか最後にはみなもに向かって深々と頭を下げた。
 それからみなもは細心の注意を払って、何か有力な手がかりになりそうだと思えるものを依頼者から聞き出した。それはピアニストが女
性と共にステージを行っていた店であったり、マスターの名前だったりしたが、それらはどれも断片的でパズルのように上手く符合することはなかった。みなもはそれらを抱えて静かな病室を後にする。両手から溢れそうになるそれらを大切に抱えながら、みなもは次は二人が働いていた店に行ってみようと思った。

【V】

 その店は裏路地に佇むテナントビルの地下にあった。表には小さな看板を出したているだけの場所だ。
 みなもは、未成年でも入れるものだろうかと思案しながらゆっくりと階段を降りる。程よく年月を重ねたオーク材のドアは重たく、中学
生の自分にはひどく似つかわしくないもののように思えた。しかし思い切って開ける他ない、と思って力強く押し開けると穏やかな空気が
溢れて来た。
 店内は照明が落とされているせいで薄暗く、場末感が漂っている。しかし質素でありながらも設えられたテーブルやカウンターが漂わせ
る古めかしさが狭い店内の雰囲気を心地良いものにしている。きっと知る人ぞ知るといったような類の店なのだろう。カウンター席が六つ、四人掛けのテーブルが二つだけ、店の大部分を占めるのはステージの上のところどころ塗装の剥げた古いグランドピアノがあった。素敵なピアノだと思ってみなもが、ぼんやりとそれを眺めているとカウンターの向こうに立つ上品な初老のマスターが不意にみなもに声をかけ
た。
「どうなさいましたか?」
 はっと我に返ると、自分がひどくこの場に似つかわしくないように思えた。
 戸惑うみなもにマスターはやさしく微笑みかける。それは決して場違いだということを咎めるものではなく、どうしますか?と静かに訊ねているような笑みだった。だからみなもは緩やかに緊張を解いて云った。
「人を捜しているんです」
 するとマスターは哀しげに表情を曇らせて答える。
「それはピアニストですか?」
 みなもが頷くと、マスターはカウンターに設えられたスツールの一つに座るようみなもを促す。促されるままによじ登るようにして背の高いにスツールに腰を落ちつけると、ソフトドリンクを差し出してマスターが云った。
「あなたのような方まで捜しているとなると、未だに行方不明のままなのですね」
 マスターの穏やかな声にみなもは頷いて、目の前のすらりとしたグラスを満たすオレンジ色の液体を眺める。よく冷えているのであろうそれは、グラスの表面に雫を滑らせる。
「私たちも彼を捜してはいるんですよ。しかし、私たちでは捜しだせないのでしょう。―――あちらのお客様方も、噂を頼りにあちらこちらを巡ったようですけれど結局彼に会うことはできなかったようです」
 云ってマスターが視線を投げた先には、五人の客の姿があった。馴染み客なのか、ひどく寛いだ様子でグラスを傾けるでもなくそれぞれ
に静かに言葉を交わしている。
「彼らを知る人間では、駄目なのかもしれませんね」
 溜息混じりにマスターが云う。
「宜しかったらあちらの席のお客様方のお話も聞いてみますか?」
「いいんですか?」
「えぇ。彼のためなら彼らも協力を惜しみはしないでしょう。―――お客様方、こちらのお嬢さんに彼のお話を聞かせてもらえませんか?」
 決して大声ではないのに良く通る声でマスターが五人の客に声をかける。
 すると彼らはそれぞれにみなもに視線を向けて、こちらへ来るよう促した。マスターの微笑みに背を押されるようにしてスツールを降りて、五人の傍に行くと一脚の椅子を勧められる。されるがままに腰を落ち着けると、すぐ傍に来るような格好になった女性が云う。
「彼を捜してくれているんですって?」
「はい。草間興信所のお仕事なんです」
「アルバイトかな?」
 今度は男性が云う。
「そうです。でも、だからといって手抜きをしようとかそういう風には思ってませんよ。あの女性の姿を見たら、そんな風には思えなくなってしまって……。あたしみたいな中学生にできるかどうか不安には思ったんですけど、なんか放っておけなくて……」
「そうだろうね。あの姿は痛々しすぎる。恋人だったわけでもないだろうに、どうしてあんなに思いつめているのか……。私たちにもさっぱりわからないんだよ」
 今度は別の男性が答える。先ほどの男性よりも少し白髪が多かった。
「何か、彼についてご存知のことはありませんか?」
 みなもが問うと最初に口を開いた女性よりも少し年配の女性が、手帳を取り出してさらさらとペンを走らせるとそれをみなもの前に差し出した。
「この店にいるみたいなのよ。私たちの誰が行っても会ってもらえなかったけれど、あなたなら会えるかもしれないわ。講師の仕事をして
いるみたいなの。名前を云えば内線で呼び出してくれるはずよ」
 差し出されたメモに視線を落として、どうしてこんなに近くにいるのに会いに来ないのだろうかとみなもは思う。車を走らせれば病院まではすぐだ。きっとやむにやまれぬ事情があったのだろう。
「行ってみます。コネもツテも全然なかったので、本当に助かりました」
 ぺこりとみなもが頭を下げると、五人のお客は頼むよとそれぞれに云った。
 そして最初に口を開いた女性が不意に提案するように云った。
「彼が本当にそこにいたら、ここに連れて来てくださらないかしら?彼らの演奏がなくなったこの店はお酒だけが美味しい店になってしま
って、少しつまらないのよ」
 同意するように他の客も口々に似たようなことを云う。
 二人ともこんなに愛されているのだと思うと、俄然やる気が出てきた。
「頑張りますっ!」
 宣言するように云ってみなもはメモを片手に立ち上がって五人の客に改めて頭を下げて、マスターにも同じようにして店を飛び出した。
 日は傾き、帰宅ラッシュに混みあう道を人波を縫うように足早に行く。目的の場所はみなもも知っている有名な楽器店だった。ピアノ教室を併設しているところで、知名度はとても高い。住所を見なくともわかるくらいだ。
 そしてそれは大通りに向かって鮮やかな看板を掲げて建っていた。
 駆け込むようにして店内に入り、陳列された多くの楽器に目をくれることもなくカウンターで事務仕事をしていたのであろう女性店員に
声をかける。すると女性は丁寧な言葉遣いで、商談用とおぼしきテーブルセットで待つよう促して内線で呼び出してくれると云った。
 店内にきちんと収まった多くの楽器や楽譜を眺めながら、結局ピアニストは音楽を忘れられなかったのだということに気付く。そしてき
っと女性が唄を失ってしまったことを話せば、わかってくれるような妙な確信が生まれた。
 同じものにを共有するものたちだけがわかる何かがあると思ったのだ。唄もピアノも同じ音楽。それらは二つで一つの音楽を生み出すことができる。音と音の重なり合いをわかっている人ならばきっと、唄を、声を失うという苦しみをわかってくれるだろうと思った。
「お待たせしました」
 云う声と共に現れたのは背の高い、穏やかな顔つきをした青年だった。白いシャツの上に黒のジャケットを羽織っているシンプルな格好
が様になっている。
「僕に用事があるとのことですが、どういった……?」
「シンガーの女性のことです。知っていますよね?」
 云った途端青年の顔が強張る。
「その人があなたの帰りを待っています」
「……独りでは駄目でしたか?」
 縋るように青年が問う。
「どういうことですか?」
「僕が突然去っても独りで生きていけるのではないかと、ある種の賭けだったんです。唄っている時の彼女は、引き篭もっていた頃のような暗さは微塵も感じられないほど生き生きしていました。だからもう僕がいなくても生きていけるのではないかと思ったんです。彼女のためにも、僕のためにも、一度離れなければならないと思ったんです。だから何も云わずに姿を消したんです」
「あたしみたいなのが云っても説得力がないし、身勝手で傲慢かもしれませんけど、唄っていた人が声を失うということがどういうことがあなたならわかると思うんです。声を失っても、全部捨ててもあの女の人はずっとあなただけを待っていると思います。もし声を取り戻させることができる人がいるなら、あなただけじゃないでしょうか」
 青年が小さく溜息をつく。それは呆れているといったようなものではなく、ただ切ない気持ちにやり場のなさを感じているようなものだ。
「僕たちは一緒にいるだけで幸せでした。でも彼女には僕しかいない。たとえ結婚しても、もし僕が彼女より先に死ぬことになったら彼女は独りぼっちになってしまうんです。それを考えると簡単にプロポーズなどできませんでした。だから彼女が独りでもやっていけるのかどうか、確かめてみようと思ったんです。……それが、そんなことになっていただなんて……」
「会ってもらえますか?」
「はい」
「場所は?」
「あのバーで。―――彼女は外出できるような状態なのでしょうか?」
「大丈夫です。……多分、あの人はあなたに一番会いたがっているだろうから、きっと大丈夫です」
 自信なさそうに云うみなもの声に青年は笑う。
「それでは彼女の準備が整ったら連絡をいただけますか?もし無理であるのなら、僕のほうから彼女の所に会いに行きます。間違ったのは僕なんでしょうから、彼女の状態を最優先にして下さい」
 そう云って青年は住所と電話番号の記された名刺を差し出した。
「わかりました。あなたが彼女のことを捨てたわけではないのだとわかって安心しました」
 みなもの言葉に青年が笑う。
「捨てられるわけがありませんよ。彼女は僕にとって大切な唯一の女性なんです」
 そんな風に恥ずかしげもなく云う青年をみなもは素敵だと思った。

【W】

 ピアニストが見つかったことを電話で依頼者に連絡すると、彼はすぐにでも会わせてほしいと云った。だからみなもは青年が初めに云ったようにあの店で、と提案すると依頼者はどうにかするから店の前で待っててほしいと云って焦りを隠せない様子で電話を切った。
 あのような状態の女性が果たして本当に外出できるのだろうかと思いながら、ぼんやりと待っているとふとみなもの前に車が停車した。 そして依頼者に支えられるような格好で女性が車から降りてくる。女性はシンプルな白のワンピースに淡いピンクの薄手のカーディガンを羽織っていた。そしてどこか安堵したような淡い微笑を浮かべているような、病室にいた時の静かな無表情とは違う穏やかな顔つきでみなもに小さく頭を下げた。ピアニストが見つかったという言葉が彼女に何がしかの変化をもたらしたのかもしれないとみなもは思う。
 みなもは依頼者と共に女性を気遣いながらコンクリートの階段を下りて、バーの古びたオーク材のドアを開ける。
 涼やかなドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
 カウンターの向こうでマスターが云う。そしてみなもが連れている女性の姿を見え明らかに驚いた顔をした。以前情報をくれた馴染み客たちも同じ顔をしていた。ピアニストの青年が訪れた時も同じような顔をしたのではないだろうかと思いながら、グランドピアノに視線を向けると彼はそこが居場所であったかのようにそこにいた。
 その姿を見とめて女性の薄い唇から声が漏れる。
 青年の名前だった。
 青年は微笑みでそれを受け止めて、
「唄ってくれるね」
と云った。
 女性はゆったりとした足取りで青年に近づき、両腕を差し伸べる。青年はそれを拒むことなくそっと女性を抱きしめた。その手つきは壊れ物を扱うように丁寧で、やさしさに満ちていた。
 二人にはそれだけで十分だったのだろう。
 ピアノの傍らにはマイクスタンド。
「リクエストはありますか?」
 みなもに向かって青年が問う。
「パティ・オースティンの『SAY YOU LOVE ME』をジャズアレンジで」
 咄嗟の問いにみなもが言葉に詰まると、依頼者が試すように云った。
 すると青年はその意味を悟ったのか、僅かに顔を赤らめた。
 そして女性に確かめる。
 彼女は知っているわ、と静かに微笑んだ。
 その笑顔にみなもはいつか彼女が独りになってもこの笑顔を見せることができるようになればいいと思う。
 二人はリズムを合わせるように目配せをして、小さな頷きと共に演奏を開始する。
 ピアノの最初の一音が空気を震わせる。
 馴染み客達の間から溜息が漏れるのがわかった。
 和音。
 そして滑らかな前奏。
 女性がそれにあわせるように深く息を吸い込む。
 そしてマイクスタンドを支えにするようにしながらも、細い声で唄を綴った。
 ピアノのヴォリュームが女性の声をひきたてるように絞られる。
 ―――愛していると云って。
 女性が唄う。
 男性が答えるようにピアノを奏でる。
 二人の演奏はまるで生まれるもっと以前から繋がっていた恋人のようだった。
 響く音楽は少ない聴衆に心地良さを与える。
 鼓膜から全身に沁み込んでいくような音楽だった。
 細く透き通るような声とそれと馴染む伴奏。ピアノの絃が震える。女性の細い声はそれに共鳴するように上手く馴染む。こんなにも二つの音が馴染むことがあるのだろうかと思うほどに、それらはよく馴染んだ。聴衆を幸福にさせる演奏だと思う。女性の僅かな我儘とそれに答える男性のやさしさ。温かな温度でそれが伝わってくる。
 ―――愛していると云って。
 女性が唄う。
 答えは男性の奏でるピアノの音にあることに彼女は気付いているだろう。
 思ってみなもは演奏が終わってしまったことに僅かな心残りを覚えながら拍手を送った。
 場末の小さなバーのステージ。
 それは数少ない聴衆から送られる盛大な拍手によって幕を下ろした。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1252/海原みなも/女性/13/中学生】


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■         ライター通信          ■
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二度目のご参加ありがとうございます。沓澤佳純です。
みなも様のかわいらしい一生懸命さが描けていればと思います。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
それではこの度のご参加本当にありがとうございました。
今後また機会がございましたらどうぞよろしくお願いいたします。