コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


遭遇

 過去との遭遇は、昔、出し忘れていた手紙を、偶然整理していた机の引出しの奥から見つけ出すことと、少し、似ているかも知れない。
 アルバムに挟むこともなく、素のまま、放置しておいた、一枚の写真。
 角が折れて、色も褪せて、ちょっと草臥れてしまった、昔の光景を伝えるもの。
 相変わらず、のほほんとした顔をして、自分が写っている。青々とした芝の上に、食べかけの焼きそばの皿や、飲み残した缶ジュースが、散らばっていた。
 向こうの遠い景色には、学校祭の垂れ幕が。狭い枠内に、悪友たちが、Vサインをしたり親指を立てたりしながら、無理矢理に、納まっていた。
「四年生の学祭のときの写真ですね……」
 大学生の時、槻島綾は、旅行サークルに属していた。ユースホステルを渡り歩いて、いかにして安値で快適に旅を楽しむかという、何とまぁ、娯楽要素の強い部で、相変わらずの放浪三昧を堪能していた。
 共に写っているのは、今はバラバラに散ってしまった、その当時のサークル仲間たちだ。
 綾は東京に戻ったが、北は北海道から南は沖縄まで、全員が、ひどくばらけた。一番遠くに行ったのは、確か、アメリカだ。
 ダンスをやるとか言っていた。意外に才能があったらしく、向こうでも、仕事にあぶれてはいないらしい。

 いや……。

 綾の脳裏に、一人の女性の姿が浮かぶ。
 同じサークルの後輩だった。大人しい子で、お世辞にも積極性があるとは言い難い綾とは、ほとんど喋ったこともなかった。
 確か、一つ、年下だった。旅行サークルに属しているわりには、彼女は、あまり旅が好きではないようだった。自分が出かけていくよりも、人の話を聞く方が好みのようで、神社仏閣の話題になるとどうにも止まらない綾の喋りを、いつも、にこにこしながら、遠巻きに聞いていた。
「彼女が……」
 一番、遠いかな。
 綾が、ひっそりと、呟く。
 写真嫌いだった彼女は、カメラを向けられると脱兎のごとく逃げ出すので、想い出の絵は、ほとんど残っていなかった。たまに写っても、何だか、背景の木と同じくらいの小ささで、ちんまりと添え物のように居るだけである。
 その彼女が、珍しく、主役として陣取っている、貴重な一枚。
「懐かしいな……」
 長い黒髪が、誰かに似ているような、気がした。
 遠慮がちな微笑が、やはり、誰かを、思い起こさせた。
 大人しいくせに、時々、ひどく大胆な行動に出る。驚いて、ぽかんと口を開けてしまったあの日の間抜けな自分が、脳裏に、色鮮やかに、蘇った……。

「槻島先輩。先輩の部屋に、泊めてください」

 いきなり、そう言って、尋ねてきたのだ。
 サークル仲間で企画した卒業生追い出し旅行の、最期の夜だった……。





 今にして思うと、あれには、悪友たちの意思が明らかに働いていた。
 まずは、安物ユースではなく、普通のホテルに宿泊したこと。
 数多いた仲間たちのうち、なぜか、槻島と彼女だけが、皆とは違うホテルに泊まる事態に陥ったこと。
 部屋が上手く取れなかったと言っていたが、旅行慣れしたサークル仲間の連中が、そもそも、そんなヘマをするだろうか? 答えは、否、だ。あり得ない。初めから、槻島と彼女をくっつける算段が、裏でしっかりと整えられていたのだろう。
「そんなせこい真似しなくても……」
 思い出して、綾はひとり苦笑する。
 綾の方も、彼女のことが気になっていたのだ。性格的に強引に出れない彼のことだから、面と向かってアプローチをしたことなど、無かったが……。

「泊めてって……」
 目に見えて、綾が狼狽する。仲間内で、どっきりカメラの真似事でも始めたのかと、まずはそう考えた。そう考えてしまうあたり、寂寥感漂うものが無きにしもあらずだが、これが普通人の反応であろう。据え膳にすぐさま飛びつく男は、意外に少ないのである。まして知り合いなら尚更だ。
「駄目ですか?」
「いや。駄目というか何というか……」
 かりかり、と、綾が頭を掻く。何がどうなってそういう結論に達したのか、まずは知りたいと思った。よく言えば冷静、悪く言えば鈍感な男である。
「何か……ありました?」
 綾が聞く。
 彼女が、急に、頬を膨らませた。ああ、こんな顔も出来るんだと、綾は逆にほっとする。彼女は、サークルでも少し浮いたような存在で、密かに心配していたのだ。大人しいだけの学生にとって、サークルは、必ずしも楽しい場所ではない。
「わ、私は、先輩のことが、好きなんですっ!」
「へ?」
「で、でも、先輩、卒業しちゃうし……それで……その」
「いやまぁ。卒業は、しますけど」
「東京に……行っちゃうって、聞いたから……」
 綾は、既に東京に就職が決まっている。大学時代の四年間を過ごした京都を離れ、新しい生活が始まるのだ。正直、東京には、あまり戻りたくなかった。東京は殺伐として、古の薫りには、縁が薄い。
「だから、最期に、その……」
 仲間たちが焚き付けたな、と、綾は思った。
 あいつは鈍いから、部屋に押しかけるくらいで丁度良い、とか何とか言ったのだろう。それを真に受けて彼女が来たのだ。これはますます据え膳を頂くわけにはいかない。
「うーん……。とりあえず、話しませんか?」
 綾が部屋を出た。
 彼女を連れて、ホテルのロビーまで来ると、まだ閉店していない喫茶店に入った。さすがにこの時間は、人気もほとんど無い。目立たない角の席に腰を落ち着け、飲み物を二つ注文すると、早速、彼の方から口を開いた。
「ええと……僕は、何というか……順番に、一つずつ、大事に進めて行きたい人間なのですよ」

 まずは、出会って。それから、話して。

 何処かに行くのも良い。一緒に、美味しいものを食べて。一緒に、綺麗な景色を見て。
 時には意見が合わなくて、喧嘩をすることもあるだろう。けれど、気が合うのなら、仲直りは容易い。手を繋げたり、肩を抱いたり、そんな関係は、もっと、ずっと、後で良いのだ。自然の流れの中で、糸が繋がっているのなら、きっと、そうなる。
 焦る必要はないし、背伸びをすることもない。
「だって、先輩、もう……京都には……」
「近いですよ。意外に。東京と京都は。新幹線で二時間半くらいです。僕は京都が好きだから、卒業した後も、たぶん頻繁に足を運ぶことになるでしょうしね」
 遠距離恋愛は、駄目ですか?
 綾が聞く。
 彼女が慌てて首を振った。
「そんなこと……」
 じゃあ、決まりですね。
 綾が笑って、何となく、彼女もつられて微笑んだ。
「せっかくだから、明日、一緒にどこかに出かけますか」
「え? で、でも……他のみんなが……」
「変なお節介を働いた罰ですよ。心配させてやりましょう」
 はい、と、嬉しそうに何度も頷く彼女を見て、綾は、もしかして、この子といずれ一緒になるのかな、と、少し気の早いことを考えた。
 確信があったわけではない。ただ、本当に何となく、不思議な縁のようなものを感じたのだ。
 これもいいかな、と、綾は思う。
 感覚を、大事にしたい。理屈はいらない。人が歴史を作っていくのは、物語を、絵を、描き出すのに、少し似ているのかも知れない。法則は何もなく、全く先が読めないからこそ、楽しくて仕方ない。
「それでは、また明日」
「また、明日」
 そう言って、別れた。
 それが、最期に交わした言葉になるなどとは、夢にも思わず……。





 待ち合わせの場所に、彼女は、現れなかった。
 寝坊をしているのかと、綾は呑気に思ったが、昼を過ぎても姿が見えないと、さすがに不安になってきた。
 携帯をいくら鳴らしても全く反応がないし、気が変わって、さっさと一人で出かけてしまったわけでもなさそうだ。念のため、他のホテルに泊まっているサークル仲間たちにも確認を取ったが、やはり彼女は来ていないとのことだった。
 約束を、簡単に反故にするような子ではない。
 上に馬鹿が付くほど素直で、そして、時々、恐ろしく要領が悪いことを、ちゃんと綾は知っていた。
 腹痛で動けないとか……。
 無理矢理に、あり得ない理由をでっち上げる。不吉な予感を、考えまいとした。ともかくも、ホテルの従業員に事情を説明し、部屋の中を確かめてみることにした。プライバシー云々と、この期に及んで引き際の悪いことを従業員は言っていたが、この時は、珍しく綾が強気に出て、一瞬で黙らせた。
「彼女に何かあってからでは遅いのですよ! 病気で倒れていたりしたら、責任は取れるのですか!?」
 責任など、取れるはずがない。
 マスターキーを持ってきて、支配人が、扉を開けた。
 真正面にあるベランダは、カーテンを引いておらず、日差しが眩しいほどに降り注いでいた。廊下の人工の照明に慣れていた槻島が、咄嗟に目を庇ったほどだ。二度、三度、瞬きを繰り返すと、ベッドの上に転がっている「それ」に、気付いた。

 気付かないわけには、いかなかった……。
 
「…………っ」
 転がっている、という表現が、相応しかった。
 眠っている、という印象は、全くなかった。
 白いシーツの上に、無造作に両手両脚を投げ出して、彼女が、いた。
 衣服はかなり乱れて、あちこちが破れている。必死の抵抗を示す傷跡が、生々しかった。細い首に残る、指の形の圧迫痕。薄く開いた瞳は、今この時ではない虚空を、ただじっと見つめていた。
「し、し、死んでる!!!!」
 支配人が、悲鳴を上げて、部屋を飛び出す。
 その場には綾だけが残り、彼は、迷うことなく、遺体へと近付いた。
 素人が、現場をいじってはいけないという事は、先刻承知だ。だが、警察だの検死官だのという無粋な輩が、我が物顔で彼女を蹂躙するのは、どうにも我慢がならなかった。一瞬、遺体を隠してしまおうかと、本気で考えたほどだった。
 それをしなかったのは、何としても犯人を捕らえてやりたいという、自分でも戦慄してしまうほどの憎悪が、抑えがたい勢いで吹き出してきたからだ。
「誰が……」
 怒りのために、握り締めた拳を震わせながらも、槻島綾は、一方で、やはり槻島綾だった。
 これ以上、せめて彼女が何も見ないで済むように、開いたままの目を、閉じてやった。
 間もなく警察が来た。鑑識係が、瞼を下ろして少し表情が和らいだ彼女の写真を、しつこいほどに撮っていた。綾は、ただ黙って、それを見ていた。

 警察よりも、絶対に、先に、犯人を見つけてやる。

 無謀に近い決意を、秘めながら……。





 数ヶ月後、犯人は捕まった。
 警察に、匿名で、投書が来たのだ。
 ベテランの刑事が無視出来ないほどに、整然とした文書と資料が同封されていた。強姦魔はあっさりと逮捕され、余罪を調べてみると、なんと二十七件も他にあった。
 人を殺したのは、初めてだった。
 犯人が、呟く。
 なぜ、彼女だけを?
 刑事の問いに、答える。
「あんな凄い抵抗されたの、初めてだったんだよ……」
 何とか大人しくさせようと、首を絞めているうちに、気付いたら死んでいたと、男は言った。
 結局、先に事切れてしまったため、当初の目的は果たせなかったらしい。
 男は、安普請なホテルに宿泊する一人ないし二人の若い女客を狙っては、このおぞましい犯行に及んでいた。強姦は親告罪であるため、多くの女性たちは、名乗り出るのを躊躇ってしまうのだ。自分が傷物であると告白するような気がして、辛いのだろう。男は、そこに、つけ込んだ。
 後日、槻島綾は、男に、面会をした。
 言ってやりたい言葉が、あったからだった。

「一生、ブタ箱から出てくるな。クズ野郎」

 後にも先にも、槻島綾が、こんな雑言を吐いたのは、これが最初で最後だろう。
 




 辛い過去。
 一生、忘れられそうにない、記憶。
 永遠に引きずるものと思っていたのに、人間とは、かくも逞しい生き物なのか。
 自分の中で、確実に、負の感情が昇華されてゆく。コマ割りにした一場面のごとく、古い想い出は、新しい想い出に塗り替えられ、色褪せ、風化して…………消えて行く。

 今、この手の中にある、一枚の写真のように。

 びっ、と、音を立てて、槻島が、写真を破く。
 五年間、彼女の喪に服した。
 もう、良いだろう。
 忘れても。
 もう、許されるだろう。
 他の誰かに、心が行っても。

「次は、もっと、楽しい想い出に遭遇したいものですね……」

 いいや。
 想い出は、振り返るべきものではなく、作って行くものなのだ。
 自分一人ではなく、誰かと、一緒に……。