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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ハルニレ


 その神社には大きな樹木が何本かある。
 大人2人が腕を廻してもまだ余りある幹の大きさがその樹がいかに長い年月を過ごしてきているのかを表している。
 その中でも中心にある楡の木が1番大きい。
 楡の木は遠くシベリア、中国、朝鮮、日本でも北海道、本州と広範囲に渡って分布しておりアイヌや中国の伝説にも出てくる。
 日本ではその大部分は北海道に自生しており、これだけの楡の大木をなかなか本州ではお目にかかれない。
 その楡の木は樹齢700年は越えていると云われており、この神社の御神木として長い間大切にされている。
 この楡の木は俗に「春楡」と呼ばれている楡の木で、葉の出るより前……春に赤褐色の花が咲き、少し丸みを帯びた艶やかな葉が開き始めると同時に実が熟す。


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 久遠寺劫(くおんじ・きょう)が初めてその場所を訪れたのは、ちょうど、豊潤な若い葉と実が共存している時期であった。
 むすっとした顔でその神社の鳥居を潜った彼は、決して何か不穏なことを考えて来たわけではなく、ただゆっくりと昼寝が出来る場所を探しているうちに偶然ここに辿り付いたというだけだった。
 劫のその無愛想な憮然とした顔は特別何かに不満があるからではなく、単純に眠いだけであると言う事を知っている人は少ない。
 それ故に、ルックスは標準より上に位置しているのだが、敬遠され気味でそれを活用できたことはあまりない。
 まぁ、ないと思っているのは本人だけ―――というより寧ろ、本人は活用するという意識すら持っていないのかもしれないが。
 とにかく普段に輪をかけたような、その愛想のかけらもない顔から判るとおり、とにかく今ゆっくりと眠れる場所を確保したかったのだ。少しでも早く。
 正月ともなればさすがに初詣の人で賑わう境内も、こんな外れた時期では静寂に包まれている。
 劫の耳に届くのはどこかから聞こえてくる鳥の羽音と風によって起こる葉のこすれ合う音だけだった。
 劫が御神木の根元が大きく広がった枝につく葉で出来た大きな影に腰を落ち着けたその時だった。
 根元に転がった劫の遥か頭上、見上げた大木のかなり上のほうで枝に1人の少女が居た。
 葉の隙間から差し込むわずかな光に透かされている彼女の長い長い髪は、まるでこの楡の葉の色を映したように淡く緑色に光っている。
 不規則に小さく揺れる頭部が彼女がそんな場所で眠っていることを教えている。
 少し固い根を枕に仰向けになった劫は予想しなかった者を見つけて見開いた目に、揺れた彼女の頭が大きく傾いだように見え、

「―――危ない!」

と、彼らしくもなく大きな声をあげた。


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 この家に生まれた少女は巫女として教育される。
 湯乃家の4姉妹の1番末っ子として湯乃青葉(ゆの・あおば)も当然巫女としての教育を受けている。
 普段から家に居る時は巫女の格好をしているが、幼い頃から慣れ親しんでいる為、その服装も青葉の枷になることはない。
「んー……」
 青葉はいつものように昼寝の為に神社の御神体である木の上に登り、下の景色を眺める。
 3人の姉に見つかったら危ないと叱られるだろうが、少なくともこの木が青葉を危険な目にあわせるはずがないことを青葉は本能で知っていた。
 それは、もう物心ついた頃からのことで、実は青葉はこの御神木の下に置き去りにされていた子供なのだが、当然、本人はそのことは知らない。だが、青葉は家族と同じくらいこの御神木のことも大好きだった。
 少し小高い位置にある神社の更に御神木の上から眺めるこの町の景色が、青葉の大のお気に入りだ―――御神木の上での昼寝同様に。
 風が拭きぬけ、青葉の長い髪がふわりと風に舞う。
 いつもの定位置である頑丈な枝の上に腰掛け幹に背中を預けて、青葉はいつものようにゆっくりと瞼を閉じた。
 瞼の裏に浮かぶのはさっきまで見ていた町並み。
 風でざわめく葉の音を子守唄に自然と夢の中に引き込まれていった。
 心地よく眠りについていた青葉だったが、突然、下から

「―――危ない!」

という大きな声が聞こえた。


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『危ない』


 それは、ここで昼寝をしている時に良く青葉に姉たちが投げかける言葉だったが、その日、その台詞を青葉に投げかけたのは姉ではなかった。
 自分に投げかけられたその声が聞いたことのない男の人の声だということに、驚いた若葉の身体がぐらりと傾く。
 重力にしたがって下に落下した青葉の身体だったが、彼女は途中の枝に助けられて上手に下に飛び下りようとした。
 だが、彼―――劫にはそうは見えなかった。
 気がつけば、青葉はすばやく青葉の着地地点―――劫に言わせれば落下地点―――に回り込んだ彼の腕の中に居た。
 上手く青葉を抱きかかえた劫は、まず大きな溜息をつく。
「何してるの?」
 ゆっくりと地面に下された青葉は劫を見上げてそう尋ねた。
 あまりにもなんの躊躇いもなく真っ直ぐ自分の目を見る青葉に、
「そっちこそ何してるんだ?」
と、言おうと思っていた劫は出鼻を挫かれて、
「昼寝場所探し」
と答えてしまった。
「あたし、いい場所知ってるよ」
「木の上は俺は御免だぜ」
 そう言った劫の手を黙って取る。
 そして、その手を引いたまま歩き出した。
「こっちよ」
「え……お、おい」
 青葉は鼻歌でも歌っているような軽い足取りで、どんどん神社の後ろにある森の中へ進んでいく。
 警戒心のない青葉の様子に、毒気を抜かれてそのまま後に続く。
 そうして劫が連れてこられたのは森の奥にある古びた社だった。
 周囲は鬱蒼とした森に囲まれており、もちろん人の気配はない。
「ね、ここなら誰も来ないしお昼寝にはぴったりでしょ」
 社の中には何もなかったが、埃っぽさもなく確かに快適そうだ。
「あぁ」
 劫が頷くのを見て青葉はどこか誇らしげな顔をしたかと思うと、青葉は先ほどの続きとばかりにそこで寝てしまった。
 仕方なく、劫はその青葉の隣に腰を下す。
 少し肌寒いのか、音ながら小さく身震いをした青葉に気付いて、自分の制服の上着を脱いで劫はそれをそっとかけてやる。
 丸くなって眠る青葉の姿はまるで小さな子猫のようだ。
―――不思議な、子だな……
 初対面で、しかも無愛想で女の子には犬猿されがちな劫であるのに、なんの疑いも知らないような瞳で真っ直ぐに自分を見詰める青葉の深い色の瞳を思い出す。
 すっかり熟睡してしまっている青葉の姿を眺めるうちに、劫も自然に眠りに誘われた―――


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 寝返りをうった劫は、その瞬間に、自分の隣に居るであろう少女の顔を思い出して、飛び起きた。
 劫が彼女に掛けていた上着がきちんと畳まれてすぐ隣においてあったが、彼女の姿はすでになかった。
 そっと、彼女が眠っていた床に触れたが、そこに彼女の温もりは残っていない。
 それをひどく残念がっている自分が確かに居る。
 彼女と寄り添い感じていた温もりが果たして現実のものであったのか、それとも夢現の中の幻であったのか……考えても答えが出るはずもない。
 ただ、彼女がすでにしっかりと自分の心の中の一部を占めてしまっているという事だけははっきりと劫にも判った。
 ハルニレの精のように自分の腕の中に舞い降りた彼女を思い出して、劫は自分の上着を手に社を出る。
 また、逢えるのだろうか―――名前すら知らないくせにそう願ってしまう自分が少し可笑しくて、劫は彼には珍しく口元を緩めた。