コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


四季


 それは、何よりも純粋な好きだという感情。

 今まで出かけた場所の景色や、そこにある雰囲気。
 同じ物など一つもない。
 替わり行く時を書き留める、その時感じた心を注ぎ込む様に。
 文字が言葉になり、言葉が文章になる。
 形をなしていく活字は、読み返した時に綾がその時見た事や思った事を雄弁に語っていく。
 文章とは、そう言うものだ。
 書いた瞬間の感情がはっきりと出る。
 それが伝わって思いをはせてくれたのなら、そう考える瞬間がとても好きだった。
「さてと……」
 今まで書きためていたエッセイが本になる。
 周りからすればささやかな変化で、綾にとってはとても大きな出来事。
 今回は『特別』がとても多い。

 これまでの成果である大切な思い出。
 これから付けられるだろう挿絵。

 今心にあるのは心地よい緊張感。
 柔らかな表情をこれまで手がけたエッセイに向け、読み返し始めた。
 辿る記憶が経験を鮮明に蘇らせる。
 土を踏む感触。
 肌に感じる風。
 目に映る日の光や、全ての色。
 全てが、はっきりと浮かんでくる。
 何一つ同じ物なんて無かった。
 どれも大切な出来事。
「選ぶのは大変ですけど……」
 その悩みもまた、嬉しいものだ。


 熱中しすぎていたらしい、気付けば結構な時間が立っていた。
「ふう……」
 眼鏡を外し、軽く目を擦る。
 深く息を付きながら目を閉じ、方の力を抜く様に上を向いた。
 根を詰めすぎるのは良くない。
 ほんの僅かでも良いから、こうして真っ白になる瞬間も大切だろう。 
 意識的にそうする事で、ずっとやりやすくなるとぼんやりと眼鏡を見下ろし、フレームを指でなぞっていく。
 思えばこの眼鏡も結構長い事世話になっている。
 一緒に色々な物を見て、同じような経験をしているのだから愛着もわくと言うものだ。
 一度席を立ち、珈琲を入れて戻ってくる。
 ゆっくりと湯気を登らせる珈琲を混ぜ珈琲カップに口を付けた。
 少し熱めのほうがスッキリして良い。
 デスクの上に置いてから、取っ手を少しだけ移動させて引っかからないようにしておく。
「さてと……」
 そろそろ休憩は終わりにしよう。
 眼鏡を綺麗に磨き治し、クリアになった視界に集中させていく。
 スッと深呼吸を一度。
 眼鏡をかけ直し、綾は作業を再開した。

 どう選び、どう言った順番に並べていこうか?
 四季を分けて並べるのもいいかも知れない。
 今までの軌跡を追うように、時間の経過にそってエッセイを並べていく。

 春の柔らかさが伝わるよう。
 薄い色を付けた花びらが舞う光景や、新しい事を始めようとした人々との出会い。
 暖かくなり始めた頃は穏やかで、少しだけ寂しくなる季節。
 次に夏。輝かしい日差しは肌にへと染み渡っていく。海沿いを走る車から見える真っ青な空と波を刻み続ける蒼い海。
 潮騒の音と潮風。
 秋の色彩には、変わり続ける一瞬の美しさがあった。
 もどかしさを漂わせる、全てが移り変わっていく最中には一時とて目が離せない。
 冬の澄んだ空気が解ってもらえる事ができたら。
 時が止まっているように感じるけど、どこかでは少しずつ変化を迎えようとしているのだ。

 それが伝えられるような、そんな本になればいいと思う。



 担当の人に、選んだ物を目を通して貰う。
 見て貰っている間は、幾度か体験している事だったが……なれる事のない気恥ずかしい物がある。
 それ以上にどういった答えが返されるかも緊張するものだ。
 平静を装ってはいるが、いつもよりは頻繁に珈琲を飲んだりを繰り返すす。
「どこか手直しは必要でしょうか?」
「そうね……装丁でリクエストはある」
 帰ってきた言葉は継ぎに進むという言葉。
「それではこのままで構いませんか?」
「ええ……本当に好きなのね」
 トントンとまとめ、微笑む。
「旅行やエッセイが好きだって伝わってくるわ」
「……ありがとうございます」
 少し照れながら、新しく珈琲を注ぎ治す。
 いつの間にか、大分減っていたのだ。
「よかったら如何ですか?」
「ありがとう、いただきます」
 彼女のと自分のカップに注いでから、打ち合わせを再開する。
 細かい所は他の人に任せるべきなのだろうが、この本はとても思い入れのある物なのだから。
 出来る限りは、これを続けたいとも思っていた。
 一つずつ、綾の言葉を伝え、それを形にしていく。
 行数や形式も変わるから少しだけ手直しをしたり、メモに何度も必要な事を書き取っていく。
 それは、とても楽しい作業だった。
 必然的に、紙の上を走るペンもなめらかに走っていく。
「必要な物があるので、取ってきますね」
「はい」
 必要な物を本棚から選び、ファイルへと腕を伸ばし引き出す。
 シンプルなファイルを大事そうに抱えながら元居た場所に戻る。
 それは資料とは言ったが、実際にはこれまで書きためていた覚え書きのような物だった。
「確か……ありました」
 思い付いた事をこうして取っておいたのだ。
「使えるかは解りませんが、これもお願いします」
「はい、大事に預からせていただきますね」
 もう大丈夫、後は細かい所を話していけばいい。
 安心しかけたのだが、ふと気付いたのは……。
「つい要望が多くなってしまいましたけど……ご迷惑ではありませんでしたか?」
 ついつい熱心になりすぎてしまったが、これは編集の仕事かも知れない。
「大丈夫よ、こうしていってくれた方が、いい物が作れるしがんばりましょうね」
 そう言ってくれた事に安心すると同時に、この本は仕事に熱心な人達で溢れている事に感謝する。
 色々な人が集まって成り立っているのだ。
 それはまさに旅をしている時に感じる感情そのままだと言うことに気付く。
 善意や好意で出来ているのだ。
「よかった、ありがとうございます」
 何て、幸せなのだろう。
 手を差し出し改めて挨拶を交わす。
「よろしくお願いします」
 グッと握り合った手は、気持ちの表れ。
 上手く行くようにと言う願い。



 綾が自分の本が書店で並んでいるのを見て、嬉しそうに手を伸ばす事になるのは……そう遠くない未来の話。