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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


運命の刻


 0、オープニング

 それは見慣れぬ古絵だった。照明を当てられるでもなく、ひっそりと壁にかかっている。
 色と言えば唇に差した朱だけ。淡い筆の人物画だ。僅かに首を傾け目を細めて微笑うその姿は、相愛の者にだけ向けられる飾り気の無さがあった。
 髷の和装から察するに、江戸の頃であろうか。
「良い絵だろう? 見る者を和ませる顔だ。筆を執った奴は、よくよく愛されていたんだろうねぇ」
 蓮はそう言って、煙を吐き出した。闇を含んで天井を目指す紫煙は、どこかどんよりと重たげに見える。
「けれど、単なる『良い絵』がここにはこない事を、あんたは知ってるね?」
 コクリ一つ頷く。絵に近づこうとすると、蓮はゆるゆると首を振った。
「そいつはね。『呪いの絵』なんだよ。不用意に近づくと、引き込まれちまうかもしれないから、その場所でお聞き」
 ポンとキセルを叩き、炭となった燃えクズを捨ててから、新しいもぐさを詰める。プカリと吹かす蓮の横顔は、いつも通りどこか妖しげで気怠い。
「さてね。この絵の作者はどこの流派とも知れぬ、名も無き絵師さ。だが、ここに描かれた娘は、そうじゃない。罪人なんだ。どんな理由があったのか。奉公先の若旦那を殺しちまって、恋人である絵師と逃げた。だが、峠を越えようとする所を見つかちまったのさ。単なる町娘と絵師だ。追っ手を斬って逃げる勇気も無い。捕まって共々、首を落とされたんだよ。良く見てご覧な。絵の隅に何か書いてあるだろう?」
 足は進めず、身を乗り出すに留める。左下の隅に小さな文字が書いてあった。だが、ここからでは読めない。振り返ると、蓮は微かに笑っていた。
「そこじゃ見える訳なかったね。書いてあるのは、万葉集の句さ。山上憶良だよ。名前は知ってるだろう? 『世間を憂しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば』──この世は辛くても飛び去る事は出来ない、とさ。言葉が一つ抜けているようだが、恐らく、この方が合っていたんだろうねぇ。逃げたい……その思いが伝わってくるじゃないか」
 絵と句と、そして蓮を見る。纏わる因縁は分かったが、一体、この絵にかかる呪いとは何なのだろうか。
「気になるかい? そりゃそうだね。ここまで聞いて、何もせずに帰るなんて、あんたらしくないからね」
 蓮は穏やかに微笑して、長いパイプで絵を指した。
「その絵はね。持ち主を消しちまうんだよ。どこへ連れて行かれるのか。世界の隅から隅を探しても、消えちまった者の行方は分からない。『どこか異世界へ行っちまったみたい』にね。跡形も無く消えちまう。二人は何かを望んで、そうしてくれる人を捜している。呪いを解くには、その望みを叶えてやらなければならないよ。あんた、罪人の肩を持つ勇気と度胸はあるかい? あたしがいければ話は早いんだけどね。そら、ここを離れる訳にゃいかないのさ」
 とは言うが、客は来ないじゃないか、と反論する。店主は「うるさいね」と手を払った。声は笑っている。
 誰かを殺めてしまうようには、とても見えない娘の笑顔。何か深い事情があったのだろう。
 どうするか――それを考え込んでいると、蓮がポツリと言った。
「運命なんてつれないもんさ。時が僅かにずれさえすれば、二人は死なずに済んだかもしれないのにねぇ」
 随分と無理な事を言うものだ。未来を予測して動ければ苦労はない。そう言って肩をすくめると、蓮も「その通りだよ」と頷いた。








 ──生きたい。
 ──生き延びて、二人どこかで──


 1、鳥にしあらねば

 笑ってくれ、とは言わなかった。
 言えなかったのだ。
 追っ手のかかる身で、そんな心の余裕など持てるはずが無いと、緋遠(ひえん)は思っていた。
 だが意外にも、筆を取った彼の前で真琴(まこと)は笑った。
「早雪(そうせつ)さんに描いていただく、初めての絵ですから……」


 ──生きたい。

 思えば思うほど、切なさは募る。どこにも――誰にも届きはしないのに。
 静かに強く、真琴は思う。
「いや……実は初めてじゃないんだ」
 思いは言葉を超え、緋遠に届く。
 フ、と、その口元がほころんだ。

 ──生き延びて、二人どこかで──

 狭い縁側に腰掛けて、猫と戯れる無邪気な横顔を、緋遠は何度眺めただろう。脳裏に焼き付いたそれは、見ずとも描けるまでになっていた。
「いつもは、横顔だった」
「……早雪さん」
 悲しいのか、嬉しいのか──良くわからない涙が、真琴の頬を伝う。それを、緋遠の指が受け止めた。
「笑っておくれ」
 こぼれ落ちる滴が、緋遠の胸に吸い込まれてゆく。
 じき、朝が来る。当然のように『明日』が訪れる。だが、二人の唇が、未来を語る事はない。半刻先でさえ、霧の中にあった。

 ──死にたくない。

 いちばん、愛しているその顔を、緋遠は最後の筆と覚悟した。

 2、世間を憂しと思へども
 
 助けを求めた本人達ではあったが、しかし。
 方法も、そしてその人物も、指定したわけではない。
 真っ暗な廃屋で寄り添っていた二人は、突然、現れた人影に言葉を失った。
「あのなぁ」
 法衣に頭巾の男──桜塚金蝉(さくらづか・こんぜん)は、イライラとした口調で二人を問いつめた。もとが短気な男である。
 呼び出した本人達が、呼び出した相手を見て驚くなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがあると、いきり立った。
「ここへ連れて来た連中を、どこへやったのか。それを教えて貰いてぇ。行方不明の身内から、捜すように頼まれてるんでな」
「え?」
 男は、背後に女をかばうようにして、金蝉に聞き返した。
「お前らが、自分の望みを叶える為に、ここへ連れて来た連中だ。絵に呪いをかけ、近寄るものを引き吊り込む。覚えてねぇのか」
 二人は顔を見合わせ、そして、救いを求めるような眼差しで、金蝉の後ろにいるシュライン・エマを見た。
 髪も目も、全て覆うほどに深く被った白の頭巾。尼僧の格好が、二人の目を引いたのだろうか。
 シュラインは、金蝉の背中に声をかけた。
「待って。順を追って話した方が良さそうよ。まず……そうね、自己紹介が必要かしら」
「そうですね。それが良いでしょう。お二人に、俺達をわかって貰わないと、話が進まなさそうです」
 そう言って苦笑したのは、どこかの医者のような風体の、柚品弧月。髪を一つにまとめ、後ろに垂らしている。
 皆、レンの店を出る前に、衣装を着替えてきたのだが、街灯の存在しない時代の夜半と言うこともあって、時代考証の微妙さは上手く隠れているようだ。
 法衣の者は、あと二名いる。榊遠夜と斎悠也である。そこに町娘姿の海原みなもと言う顔ぶれであった。
 高名の尼僧と僧侶、そして世話役の娘──と言った一向にみえなくもないが、それはやはり闇の力添えがあってのことだろう。
 昼日中に町をうろつけば、地味な装いながらも、存在は目立つに違いない。
「俺達は、お二人を助けにきました」
 悠也の言葉に、男女は顔を見合わせる。そして、突然、女が号泣を始めた。
「真琴、泣くんじゃないよ。良く分からないけれど、話しをしてみよう。もしかしたら、お前が悪くはない事が、わかってもらえるかもしれない」
「……そうだと良いのですけれど。旅のお坊様達を、巻き込むわけには……」
 真琴と言われた娘は、そう言って悲しげに俯く。男は、その肩を支えながら、一向に顔を向けた。
「私は、緋遠早雪(ひえん・そうせつ)。絵を描くことを生業としています。この娘は、真琴。先日まで紙屋におりました」
「聞きました。そこの若旦那様を」
 言いにくそうなみなもに、緋遠はこくりと頷いた。
「やはり、すでに知れ渡っているのですね……」
「あの、もしかしたら、真琴さんは若旦那様に言い寄られて、それを振り払った時、間違いを起こしてしまったんじゃないでしょうか」
「……! 何故、それを……いいえ、私は……」
 動揺しつつも、真琴は首を振っている。
「起こってしまったことが運命なら、この先に起こることも、また運命……けれどもし、それを変えられることが出来るのであれば──その為になにか手伝いができるのであれば、そう思ってやってきたのだから。全部、話してくれると有り難い」
 遠夜の言葉をじっと聞いていた緋遠は、真琴の手をギュッと握りしめた。大丈夫と言う言葉の代わりだろうか。真琴も小さく頷いた。
「あれは……事故だったんです」
 ぽつりぽつりと、真琴は話し始めた。
「みなもさん、と言いましたでしょうか。お話に間違いはございません。ですが、私は何もしていないんです。ただ、若旦那様が畳に足を滑らせて……煙草盆の上に倒れました。そして、それきり動かなくなって……私は急に怖くなり、早雪さんの所へ逃げたんです」
「それなら、全くの無実ってことよね? しっかりとそれを話せば、助かるんじゃないのかしら」
 真琴は、絶望的な眼差しでシュラインを見つめた。
「大旦那様が、それを許しません……。若旦那様の顔と店の看板に泥を塗るような行為は、全て表に出さずに揉み消してしまいます……。私以外にも泣いた人はたくさんおりますが、皆、いつのまにかいなくなりました。大旦那様は、良くない方ともおつきあいがあると噂されておりますし、そう言った方がお店の周りにおりますのを見かけたことも、一度や二度ではございません……」
「いっそ、殺してくれないか、と彼女に言われました。私にはできなかった……だから、逃げようと言ったんです」
 しんしんと、夜のとばりに包まれる。
 このまま行けば、二つの灯火が確実に消えてしまう。しかも、そこに罪は生じていなかった。無実であったのだ。
「生きたい、と言う思いが強くて当然か……」
 弧月は誰にともなく、呟いた。
 レンの店にあった絵は、無意識の思念が宿ったもの。助けを求めてはひとを浚い、同じ場所、同じ刻に導く。それを繰り返していたのは、本人達ではない。全ては『絵』の中で生きている『念』の仕業だったのだ。
 悠也の目は、この廃屋で起きる『未来』の一部始終を見つめていた。それを誰に告げる事もせず、二人へと移す。
「確かに、行方不明になった方も気になりますが、今は、お二人を連れて移動するのが、先決のようですよ。それも、早い時間に」
「そうね。ひとまず、これに着替えて貰って──」
 と、シュラインは持参した荷を解き、二人に新しい着物を渡した。
「追っ手の攪乱や、奉公先への対処、それに逃げ道の確保をどうするか。皆で役割分担をした方が良いと思うのだけれど、どうかしら」
「あぁ、いっそ全部の連中の記憶を無くすか」
「それは、良い手だね」
 金蝉に向かって、遠夜が頷く。
 永遠に二人の事を、脳内から取り去ってしまえば、もう二度と追われることも無い。
「とにかく早いところ、片づけるぞ」
 金蝉はそう言って、二人を見下ろした。
「紙屋の場所を教えてくれ」
「じゃあ、私が……」
 筆と紙を取り出した緋遠が、紙屋までの地図を記す間、皆に背を向けさせ、シュラインとみなもは真琴に着替えを促した。
「別々に行動したあと、集まる場所の目印となるようなものは無いかしら……」
 振り返ろうとして、弧月は声だけをシュラインに返した。
「一里塚を目印にしてはどうでしょう。その何個目と決めておけば、迷う事も無いと思います。とは言っても、一里は四キロもあるので、女性の足では一つが限界かもしれませんが」
「じゃあ、一つ目の一里塚にしましょう。いくら見通しが良くてもこの暗さだし、塚の影に隠れるようにすれば、きっとごまかせるわよね?」
 着替えが済み、一同は緋遠の描いた地図を見下ろした。
 今度は、その間に緋遠が着替えを済ます。
「店へ乗り込むとなると、万が一の時は人手が入りそうですね」
「俺は店へ向かいます」
 と、悠也。弧月も店側に名乗りをあげた。
「連むのはガラじゃねぇ。俺は、追っ手を討つ方へ回る」
 そう言ったのは、金蝉だ。
「それじゃあ、私は二人と一緒に先へ」
「私もそうします」
 シュラインとみなもが、二人の傍らについたのを見て、遠夜は呪を唱えた。
 尋ねてはいけない事を尋ねるような、申し訳なさそうな細い声で、真琴は遠夜に問いかける。
「あの……何を……」
「皆の姿が追っ手から見えなくなるように」
 不可視化の術と、言ってもわからないだろう。
 遠夜は頷いて、悠也と弧月の後に続いた。
 
 3、大旦那・重野屋長治

 西から仕入れた和紙をさばく。
 重野屋は、紙屋のなかでも大店の位置にいた。店構えも立派で、壁伝いに沿ってきた歩いた距離も、普通の民家の倍はある。
「ここから入れそうだね」
 遠夜は、板塀の潜り戸に手をかざした。
 音もなく開いたそこに、三人は足を忍ばせる。
 夜半のこと。
 見ているのは、月だけであった。どこか遠くで、犬が悲しげに鳴いている。
 庭に面した縁台から部屋へ入るのも、陰陽師には容易かった。手を横に動かすだけで、スと木戸が開いてゆく。
 弧月は部屋に入るなり、箪笥に手を触れた。ものの記憶を読みとる力──サイコメトリは、たわいもない日常を弧月に視せた。
「……この部屋じゃありませんね」
「奥へ進みましょう」
 悠也は頷いて、襖を開き、墨を塗ったように真っ暗なそこを見渡す。
 右手に箪笥が二本と、煙草盆が並べて置いてあった。正面と右手は、襖で仕切られた隣の部屋へと繋がっている。
 弧月は小さな引き出しのついた盆に手を触れ、そして溜息をついた。
「ここですね」
「それじゃあ、主にお出で願おう……」
 遠夜は、口元に立てた二本の指の内側で、何事かを囁いた。現れたのは、二体のひと型。式神であった。遠夜に命ぜられると、壁をすり抜けて消えた。
 やがて、まだ居眠りの途中から抜け出せない男が、両脇を抱えられてやってきた。
 顎にまでたっぷりと肉のついた白髪頭である。遠夜が式を払うと、長治はドサリと畳の上に突っ伏した。
「ううん……いたた」
 擦りむいた鼻を押さえながら、長治は起きあがった。そして、三人を目にするなり、「ひぃ」っと詰まった声を上げた。
「少し、お静かにしていただけますか?」
 長治は声の主である悠也を見上げた。
「こ、こんな時間に何の用だ」
 着物の裾を整え立ち上がったのは、大旦那としての威厳を保ちたいからであろうか。憮然とした態度で、長治は言い放った。
「先日、ここで起きたことについての、話をしにきました」
 長治の目尻がピクリと引きつった。弧月の手が、出入口の一つを塞ぐように障子にかかる。
「お前達に話すことなどなにもない。立ち去れ!」
「声を荒げないよう、お願いしますよ」
 悠也は、怖いほど穏やかな微笑を浮かべた。長治の目が落ち着きを失って、キョロキョロと彷徨う。
「罪のある者とない者。その見極めが出来ないと言うのなら……」
 スイ、と遠夜が腕をあげると、背後の闇に可視化した式が現れた。長治はこぼれそうなほど目を見開き、腰を抜かして尻餅をついた。着物の裾が開き、ふくらはぎが露わになっても、それを繕う余裕も無い。
「ひっ、ひいっ! わっ、わしは大事な一人息子を失ったんだ! あの女がっ、あの女が使用人の分際で、うちの倅をたぶらかしおった! 共に逃げた者も同罪だっ!」
 腰を抜かしたまま、長治はずるずると後ずさった。
「おおおお前達はなんだ! 何者だ! なな、仲間か! あの女にいくら貰った!」
 障子に手をかけていた弧月が、ゆるゆると首をふった。嫌がる娘に、覆い被さる男の影。真琴の話が真実であると、指先は確かに視取ったのだ。
「悪いのは誰か。その説明が必要のようですね」
「い、いらん! いらん、なにも聞かんぞ、わしは」
「あなたの息子さんは、彼女と揉み合ううちに足を滑らせ、煙草盆の角で頭を打ったんです」
「そうだとしてもだ。倅は死んだ! 責任は取って貰う。わしの大事な跡取り息子を殺したんだ! 当然の報いだ!」
「その息子さんの行いが明るみに出るのを恐れて、あなたは討っ手を雇いましたね?」
 悠也は、廃屋で見た光景を思い出して言った。
「し、しらん!」
 ぎらぎらとした油汗をかいた喉が、ごくりと大きく動く。
「そうですか……言い張るものを無理に、と言うのは好きではありませんので」
 悠也の薄い微笑が、手にした和紙に向けられた。ふぅと緩やかに吹いた吐息で舞い始めたのは、白い蝶。それがぐぅるりと、四人を取り囲むように一周した。
「あ、あや、あやか、し……ば、ばけものっ、だだ誰か! 誰か!」
「聞こえませんよ……ここはもう、ここであってここではありません」
「な、なにを言うか! ここは、ここはっ、わしの家だっ!」
 長治は這ったまま、奥の部屋へ逃げ込もうとした。大店の主とは思えない醜態をさらしているが、それどころではない。ふすまに手を伸ばし、立ち上がりかけた。
 刹那、その手が、見えないなにかに弾き飛ばされた。長治は呆然として、後ろを振り返った。
「……なにをした。わしの家になにをした!」
 遠夜の眼差しが、長治を静かに見下ろす。いつも通り、穏やかで感情の無い眼差しが。
「もう、彼等を追わないで欲しい」
「……あ、あぁあ……」
 長治の目が、一点を見つめたまま動かなくなった。焦点の合わない曇った瞳が、遠夜のそれを映している。
 やがて、ガクリと首が垂れた。
「行きましょうか」
 弧月の声が、長治の哀れな背中に落ちた。

 4、伐つ者

 静かであった。
 耳が痛くなるような無音である。もう、どれくらいこうしているのだろうか。
 黒い広がりに浮かんだ白円は、かなり明るい。金蝉は路傍の石に腰掛け、月を見上げた。
 と、数人の足音を、その耳が聞き取った。
 スイと立ち上がり、障害物の無い真っ直ぐな道へ顔を向ける。月明かりに照らされたそこを、四人の人影が走ってくるのが見えた。
 それぞれ、三度笠に道中合羽を身につけ、着物の裾を帯にたくしこんで、刀を帯びている。単なる一般人ではないのは、金蝉でも直ぐにわかった。
「こいつじゃない」
「おい、あっちだ」
 金蝉を一瞥した男達は一声発し、二人がいた廃屋へ向かって走り出した。
「待て」
 男達は金蝉の声に足を止め、怪訝な顔で振り返った。
「あぁ?」
「重野屋の犬はお前らか」
 金蝉の問いに、男達は殺気を宿した。各々、柄に手をかけ、抜刀の気配をみせる。
「犬たぁ、聞き捨てならねぇな。もう一度言ってみろ」
「金を貰って尻尾を振る。犬じゃねぇか」
 金蝉はイライラと言い放った。男の口調が、金蝉の気に障ったのだ。しかし、男も同様だった。スラリ抜きはなった鋼に、月が光る。
「二人も三人も同じよ、やっちまえ!」
「見くびるんじゃねぇ!」
 男達が一斉に、鞘走った。
 刹那──
 ドドドドンッ!
 金蝉の手に召還された銃が、火を吹いた。男達がもんどりうって倒れる。ことごとく弾かれた刀が、ぐるぐると回って地面に突き刺さった。
 正気の定まらない四つの顔を見下ろし、金蝉は言った。
「生かしてやる。その代わり、何もかも忘れて生きろ」
 弾丸よりも鋭い眼差しが、男達を射抜いた。その瞬間、どの顔も呆けたような目になり、呆然と腕を垂らした。
 刀も忘れて、ヨロフラと立ち上がる。
「あばよ」
 金蝉は、男達とは逆の道へと向かって歩き出した。

 5、その筆、易し

「皆、大丈夫かしら」
 シュラインは、星を見上げて呟いた。瞬きの音さえ聞こえてきそうな晩である。道の上にも異変はなく、辺りは静まりかえっていた。
「おかしな物音もしないわね」
「もし、誰かがやってきても、金蝉さんが、きっと止めてくれます。上手く行くと思います!」
 力強く頷くみなもを、不安そうな目で見つめる緋遠と真琴。出るのは、辛そうな溜息ばかりであった。
「あ……そう言えば、あの絵。素敵でした」 
 場つなぎではあるが、なんとか和ませようとみなもが言う。
 二人は顔を見合わせ、微かにはにかんだ。
「有り難う。そうだ、こうしてただいても、手持ち無沙汰でしかたない……。良かったら、貴女達の絵を描かせて貰えないでしょうか」
「ええと……それは構わないけれど。こんなに暗くて大丈夫なのかしら」
 尋ねるシュラインの前で、緋遠は愛用の道具を取り出す。
「月があります」
 そう言って、白い光を指した。
 筆を手に、紙と二人を見比べる緋遠を、真琴は穏やかな顔で見守っている。
「なんだか、照れるわね」
「はい」
 シュラインとみなもが顔を見合わせると、緋遠が小さく「動かないで」と言った。二人は恐縮して居を正す。
 やがて、緋遠の筆が動き出した。
「どうでしょうか……あまり、似てないかな」
 と、二枚の紙を並べてみせた。
 サラリと描いた線だが、確実に特徴は掴んでいた。尼僧姿のシュラインと、町娘のみなもが微笑んでいる。
「本物よりも、綺麗じゃないかしら」
 照れ隠しのように、シュラインは言った。みなもは絵を手にとり、嬉しそうに目を細めている。
「これ、貰っても良いですか?」
「え、あ、ああ。こんなもので喜んでいただけるなら」
 緋遠は、紙の裏に小さく文字を書き添えた。
 ──恩人殿江──
 受け取ったみなものほころぶ顔に、真琴も嬉しそうだ。それに気付いたシュラインが言った。
「リクエスト──ええと、描いて貰いたいものがあるのだけれど」
「ええ、どうぞ」
「それじゃあ、今度は真琴さんをお願い出来るかしら」
「え、わ、私は……」
 顔を赤らめる真琴に、緋遠は笑った。そして、ろくに顔を見もせず、すらすらと筆を走らせる。
 微笑する横顔が現れたのを見て、真琴はさらに照れた。
「もう頭にはいってるのね」
 緋遠は笑みで、それに返した。
「良いことを思いついた。持てるだけの紙と筆を持ってきたんです。皆で、描きませんか」
「はい! その方が、時間が経つのも早いかもしれないですし、私は賛成です!」
 みなもが、嬉々として頷く。
 筆を執る四つの手。
 ほんの少し、空が白み始めた。

 6、飛び立ちの時

 一行が顔ぶれを揃えたのは、朝焼けの頃だった。
 それぞれの報告を聞いた二人は、しばらく言葉を無くしたあと、長い安堵の涙を流した。
 抱き合いこそしないものの、緋遠は真琴の手をギュッと握りしめ、揃って「良かった」と繰り返した。
「皆さん、有り難うございました。どこか静かな場所で、二人、生きてゆこうと思います」
 深々と頭を下げる二人に向かって、シュラインとみなもは頷いた。
「これからが大変だと思うけれど、頑張って」
「お幸せに」
 と、少女の言葉が、悠也の祝辞と重なる。
 緋遠は、一つ一つの顔を感慨深げに見つめ、愛する者でそれを留めた。
「それじゃあ、行こうか」
「はい」
 死に追われていた旅は、安息の地を求める旅へと変わった。
 終わりを覚悟する以上に、憂うことがあるだろうか。
 悲壮感の無い、晴れ晴れとした声が、全ての答えであった。頷く真琴の顔に浮かんでいるのは、あの薄暗い店内で見かけたものと同じ笑み。
 二人はくるりと背を向け、歩き出した。緋遠の手が、真琴の荷を気遣う。
 小さくなる後ろ姿を見送りながら、金蝉はぼやいた。
「行方不明者の足取りは、わからず仕舞いか。呪うだけ呪って、そのままとはな」
 興味を失ったように振り返る目が、後ろにいた遠夜とぶつかった。
「意識してかけた訳じゃあない。本人達にそのつもりはなかったのだから、しかたがないと思う」
 金蝉は「ああ」と呟き、物憂げな顔で遠夜から目を逸らした。
「そうかもしれねぇが。俺は、依頼人に報告する義務がある。一足先に現世に帰らせて──」
 そこまで言った瞬間。
 地面に足がへばりついたまま、ぐるりと一回転したような感覚が、皆を襲った。
 朝焼けが暗転──視界一面を闇がおおう。いや、闇のように見えただけで、灯りがないわけではなかった。
 薄暗い照明の中、紫煙を吐き出す女が誰であるか、弧月には直ぐに分かった。

 7、因縁の絵
 
「どうやら……戻ってきたようですね」
「お帰り。上手く行ったようじゃないか」
 蓮は言って、煙管から灰を掻き出した。
 壁にかかっていた絵は消えている。
「助けたことで、歴史が変わっちまったんだよ。おかげで大事な商品が一つ失せちまった。どうしてくれるんだい」
 そうは言うものの、暗さのない声に、シュラインは首を傾げる。
「それにしては、残念そうじゃないわね。なにかあったのかしら」
 蓮はこらえきれぬ笑みを浮かべて、カウンターの上に置いてあった長細い箱を指さした。
「見てみるかい? あんた達が戻る直前、面白いものが舞い込んでねぇ。これがまた、曰くつきなんだよ」
 顔を見合わせながら、皆は蓮が箱にかかった紐を解くのを静かに見守った。
 金蝉は店の片隅へ移動し、携帯電話を取り出す。どこかへダイヤルする電子音が、やけに大きく響いた。
「この絵の作者は『幽成(ゆうじょう)』と言ってねぇ。一般的に知られた絵師じゃあ無かったが、とある大店についたことで、界隈じゃ有名になった男でね」
 箱の中から現れたのは、桐箱であった。墨で蓮の言った名が添えてある。蓋を開け、一本の掛け軸を取り出した蓮は、もったいぶって一同の顔を見回した。
「本来は、風景画専門の絵師なんだよ。ところが、後世に出回った絵の中に、人物画がいくつかあったのさ。それが、評判を呼んでねぇ。筋のものの間じゃあ、高値で取引されてるんだよ」
「まさか」
 みなもが言いかけた言葉を遮るようにして、蓮は指を立てた。
「百聞は一見にしかず、と言うだろう?」
 そして、華奢な肩幅の倍ほどの絵を広げて見せる。
 依頼人との会話を続けながら、ちらりと、金蝉の視線が動いた。
 迷いの無い筆だった。三人の人物が活き活きと描いている。幼い男児と女児を前にして、僅かに首を傾ける女性。幼子達の頬にちょんと差した淡い朱が、特徴的であった。
 悠然と歩く猫を指さす子らも、見守る女も表情はない。だが、その顔は容易に想像できた。
「幸福そうですね」
 悠也の言葉に、みなもは大きく頷く。
「良かった……良かったです!」
 と、ひとしきり感動の声を上げたあと、はたと我に返って言った。
「でも……曰くってなんですか?」
 蓮はカウンターの上に絵を置き、そこから手を放した。しばらくしても、なんの変化も現れない。遠夜ははてと首を傾げた。
「おかしなところは無いように思うのだけれど」
「あぁ、『もう』無くなったのさ」
 蓮は、火の消えた煙管で絵を指した。
「人目を嫌って、丸くなる。それがこの絵の因縁でね。持ち主を見つけたんだよ。裏書きを見てご覧な」
 話を終えた金蝉が、輪には戻らず入り口の扉に手をかけるのを、蓮は引き留めた。
「ちょいと、お待ちよ」
 体も顔の向きも変えず、金蝉は背中で言う。
「行方不明者が勝手に戻った。おかげでお払い箱だ。これ以上、付き合うのは時間の無駄なんでな」
「そんな事言わず、見ておゆき。少なくとも、あんたは『こっちの』依頼人の願いを叶えた。礼を受け取るぐらい出来るだろう?」
「そうね。それが未練となって、また因縁付くかも」
 シュラインの軽い冗談である。だが、金蝉は店の外へ出ていかなかった。不承不承、輪に戻る。
 そして、一同揃って、細い達筆の文字を見下ろした。
 左下に小さく。

 ──恩人を想ふ──

「さぁ、誰が持って帰るんだい?」
 蓮は煙管に、新しい草を詰め足した。



                         終
 



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / しゅらいん・えま(26)】
     女 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員


【0164 / 斎・悠也 / いつき・ゆうや(21)】
     男 / 大学生・バイトでホスト(主夫?) 
       
【0642 / 榊・遠夜 / さかき・とおや(16)】
     男 / 高校生/陰陽師 

【1252 / 海原・みなも / うなばら・みなも(13)】
     女 / 中学生

【1582 / 柚品・弧月 / ゆしな・こげつ(22)】
     男 / 大学生

【2916 / 桜塚・金蝉 / さくらづか・こんぜん(21)】
     男 / 陰陽師
   
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■          あとがき           ■
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 こんにちは。紺野です。
 私事に追われておりました。
 長らくお待たせしてしまい、申し訳ございません(滝汗)。

 この度は、当依頼を解決してくださり、有り難うございました。
 少しでも楽しんでいただければ幸いです。

 今月は依頼をお休みして、
 まったりシチュノベ月間とさせていただきます。
 お考えの内容とこの筆が合いましたら、
 宜しくお願いいたします。
 
 苦情や、もうちょっとこうして欲しいなどのご意見、ご感想は、
 謹んで次回の参考にさせて頂きますので、
 どんな細かな内容でもお寄せくださいませ。

 今後の皆様のご活躍を心からお祈りしつつ、
 またお逢いできますよう──


 シュライン様>
  いつも、ありがとうございます。
  遅延記録更新です(汗)。
  言い訳のしようもありません。
  精進します。


 
                   紺野ふずき 拝