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<東京怪談ノベル(シングル)>


『 Little Little Party 』


 ―― その日、みあおが家に帰りついたのは、随分と夜も遅くなってからだった。
 小学生の帰る時間どころか、13歳の少女の帰宅時間ですらなかった。
 あたりを窺いつつ、そうっとドアを開ける。出迎えたのは、腕を組んで壁に背を預けた母親。
 みあおが怒られるかと、身をすくませたのも仕方がない。
 出迎えた母親は、それほど凶悪な面構えで、みあおを見おろしたのだ。
「遅くなって――」
 ごめんなさい。
 こぼれるはずの言葉は途中で止まる。謝るはずだった。けれど、強く抱きしめられて何も言えなくなる。
 体が冷えてるから風呂へ入っておいでと父親に背を押す。
 戻ってきた廊下には、パジャマ姿の姉ふたりが並んでいた。
「――みあおちゃん」
 下の姉の腕にかかえられた、みあおの枕。
「たまには、わたくしたちと一緒に寝ましょう」
 上の姉の、微笑とともに差し伸ばされた手。
「姉妹3人で川の字というのも楽しいものですわ」
「それに、実はもう、お布団しいちゃったの」
 みあおは何も言えず――姉たちの腕に飛びこんだ。

 夢見は、あまりよくなかった。
 きっと、ひどく悪い夢だったのだと――みあおは、そう思う。
 見た夢の細部は思い出せない。思い出したくないのかもしれない。
(……いや。すごく、厭……みあお、あんなこと……)
 助けてと、そう呟いて手をのばすたび、誰かが手を握ってくれたような気がした。
(誰も、みあおのことは、助けてくれるはずないのに……)
 違いますわ。わたくしがいますもの。
(でも……)
 大丈夫。あたしも傍にいるから。みあおちゃんは眠ってていいの。
 魘されるたび、悪夢に溺れそうになるたび、そう呼びかけてくれる声があったような気がする。
 そして、目をさましたみあおは、それが夢ではないことを知った。
 下の姉に握られた右手。上の姉が包み込んだ左手。ぐっすりと眠り込んでいるふたりの顔に、うっすらと疲労の気配がある。起き上がると、枕のわきに硬くしぼられたタオルが落ちた。
「……ありがとう」
 みあおは呟いて、姉たちに布団をかけなおすと、そっと布団から出た。
 洗面台まで歩いて顔を洗い、そこで初めて、草間零に掴まれた腕が痣になっていることに気が付いた。

 朝食の最中も、みあおの心は重苦しかった。
 今日は終業式で、明日から待望の春休みが始まる。
 だから、もっと楽しくていいはずなのに。
(零……)
 姉たちふたりは疲れているのか起きる気配も見せず、みあおは微妙に焦げくさい朝食を、もそもそと食べた。
 手首の痣は、ふとした拍子に視界に入る。
 零に強く後ろへ引かれて転んだときに、アスファルトに打った肩も足も、じんわりと痛んだ。
 でもきっと――ううん、絶対に。零はもっと痛かったはずだから。
「お母さん、あのね――」
 みあおが続ける前に、テーブルの上に千円札が3枚おかれる。
「足りない?」
「ううんっ。足りなくないっ」
 みあおは食べ終えた食器をばたばたと台所へ下げて母親のもとへ戻ってくると、思い切り飛びついた。強い母親は、ふらつきもせずにみあおを抱きとめる。
「ありがとうね、お母さんっ」
 返事の代わりに、母親は、みあおをぎゅっと抱きしめてくれた。
 抱きしめる――抱きしめられる。
 ――それは、この家に来てから、みあおが初めて知った会話のかたちだった。


     ■  □  ■


『 海原みあお 』 ――という、存在。

 退屈は嫌い。痛いことも嫌い。
 楽しいことは好き。おもしろいことも好き。
 無茶……するかもしれない。
 無謀……たぶん、やめられない。

 みあおは―― そういう存在にしか、なれない。

 だって、思い出したくないもん。
 だって、綺麗なままでいたいもん。
 忘れられない痛みは、心の奥の底の底へしまいこんで。
 悪夢は悪夢のまま。現実にはならないから。目をそらして見ないようにしておくの。

 だって、みあおは――。

「……あおちゃん。みあおちゃんてば」
「いたっ」
 ぐいと腕をひかれて、みあおは目をぎゅっと閉じる。
 殴られかけた子供のように。
 驚いたのは、みあおの腕をひいたクラスメイトだった。
 肩を少しだけこえる髪はおさげになっていて、赤いリボンが結ばれている。
「あ――ご、ごめんね」
 戸惑った声に目をあけて、みあおは、ほうっと息をつく。
 ここには、みあおを意味なく殴るひとなんかいないんだから。そう、自分に教えて。
 みあおが溜息をはくのを見て、委員長をしているその少女は、みあおの腕の痣に気がついたらしい。
 さっと顔色がかわる。
「そのうで……あたし、そんなにつよくにぎった?」
 どうしよう。
 そう顔に書いてあるのがわかって、みあおは慌てて首を横にふる。
「ううん。みあお、昨日ころんじゃって。そのときのだからっ」
「ほんと?」
「うん。ほんと」
 嘘はついてない。殺されかけたのは……ともかく、転んだのは本当だから。
「えっと、それでなに?」
「もぉ〜。みあおちゃん、はなしきいてないでしょうっ。きょうしつもどるの!」
 両腕を腰のわきにあてて叱るポーズは、みあおの姉や母親もよくする。
「あれ?」
 あれじゃなくてーっ。
 ぷんぷんと怒った少女は、けれど、みあおの痣のない方の手を、そっとひいた。
「えへ」
「なぁに?」
「みんな、やさしくていいなーって思って」
 委員長の少女は、何を言われたかわからないというように首をかしげる。
(だってね、みあお……こういうあったかさって知らなかったから。昔は)
 なんか嬉しくなって抱きついたら、いつのまにかクラスの女の子の抱きつきあいに発展してしまったりして、先生に怒られたりもしたのだが、やっぱりみあおは嬉しいままだった。
 昨日の夜からずっと、腕が痛むたびに零のことを思い出して、自分のことを悔やんで、それの繰り返しで謝りたいのに謝る気力もなくなりそうだった。今なら行ける。胸をはって、「ごめんなさい」が言える。
 学校の昇降口で、みあおは財布の中の3千円を確かめた。
 朝、母親がくれたもの。
 ひとり肯くみあおに、声がかかる。
「みあおちゃん、またねー」
「はるやすみのあいだに、みんなであそぼうねーっ」
「うんっ。ばいばーいっ!」
 同じ制服をきた女の子たちと手をふりあい、みあおは――くるりと踵をかえした。
 学校をあとにして、家とは違う方向へむかう。
 行き先は、朝のうちに決まっていた。
 ――草間興信所。



 ドアの前で深呼吸。
 2回おおきく息を吸って、3回目は吸ってとめる。
「草間ぁ〜! 今日も貧乏らいふやってる!?」
 微妙に身も蓋もないことを言いながらドアを開けたが、草間興信所長の姿はない。
「……あれ、草間は?」
「兄さんなら出かけてます」
 くすりと笑いながら顔を見せたのは、零だった。
 昨晩、4発もの銃弾を撃ち込まれた、あの血塗れだった――。
 ぬるりと手にまとわりついた血の感触を思い出し、みあおの手からばさばさぼたりとスーパーの袋が音をたてて床に落ちる。ぐしゅっと音がしたのは、何かの果物が潰れた音だろうか。
 けれど、その音はみあおの耳に入ることはなかった。
「零っ。だめ、寝てないとっ!」
 掴んだ零の腕は温かくて、しっかりしていた。困ったようにみあおを見下ろす。
「もう起きても平気です」
 けれど、みあおは見逃さなかった。見逃せなかった。零の首元から、きっちりと巻かれた白い包帯を。
 服の内側に見えた白が、どれだけ目に痛かったか。
「ごめんなさいっ!」
 みあおは零の腕をはなして、頭をさげる。
「きっとね、みあお、あのとき犯人が襲ってくることも考えなきゃいけなかったんだと思う。サインとか貰いに行くより逃げなきゃいけなかったの。でも何も考えなかったの、みあおなんだもん。だからみあおが全部悪いのっ。零が怪我したのみあおのせいだよっ!」
 床に落とした視線はあげられない。
 零の顔なんか見られない。
 怖くて。
 だから、言葉を続けた。零に何も言わせないように。
「本当にごめんね、零」
 違う。
 みあおは言いながら、気付く。
 自分が今しているのは、謝っているのではなく、言い訳をつらねているだけ。
「これからは気をつけなくちゃいけないって、みあお――」
「でも、それが、みあおさんなんですよね?」
 ほんの僅かな間に、零の声がすべりこんだ。
「無茶かなって思うこともしてしまう、それが、みあおさんなんですよね?」
「――うん。みあおって、きっと……」
 何度も同じことをくりかえしてしまうだろうと、笑ったつもりのみあおの目のふちに、涙がにじんでいた。
 みあおは気付かなかったかもしれない。
 零は、気付いた。
「それなら、今度は私が気をつけることにします」
「零!?」
「みあおさんが気をつけられない分、今度、『少女探偵団』をするときは、私が気をつけます」
 役割分担も必要ですから。
 草間武彦にとっては、かなり厄介な事態になろうとしていたが、少女ふたりは構ったことではない。
「零はそれでいいの?」
「はい」
 言い切った零は、だが、すぐに顔をくもらせた。
「それより、さっきから……その、果物のにおいが……」
「あっ。あのね、みあお、零のお見舞いって思って、いろいろ買ってきたの!」
 みあおは、床に落としてしまったスーパーの袋を拾い上げて中をのぞきこんだ。
(あ。いちごがつぶれてる……)
「においがすると思ったらこれだったんですね」
「ごめんね。せっかく買ってきたのに」
「いいえ。ジャムを作ってみます。みあおさんも一緒に作りますか?」
 腕まくりをした零は、これから作るつもりらしい。
 みあおは、袋の中の果物とお菓子を眺め―― その袋をテーブルに置きなおした。
 零とぷち宴会をしよう!
 そう思って買ったものだけど――どうせなら、一緒にジャムを作るほうがいいに決まってる。
 昨日のお昼に零と作ったオムライスは、すごくおいしかったから。
「みあおさん」
 手を洗い終えたみあおに、あまり表情のない零が、笑い顔を見せる。
「心配かけて、ごめんなさい―― それから、ありがとうございます」
「ううんっ。これからもよろしくねっ、零!」



 草間が帰ってきたのは、それから随分とたってからだった。
 零とみあおのジャム作りもどうにか――ちょっとだけ、熱いジャムを味見して舌をやけどしたくらいの被害で――成功を収め、そのジャムを紅茶に入れてみたり、お菓子を食べたりと、ぷち宴会も終った頃だ。
 みあおの持ち込んだ、自称「お見舞い」の果物とお菓子の山に、くらりと頭痛を憶えたようであったが、ここは年中赤貧の草間興信所だ。みあおの持ち込んだ「お見舞い」は、依頼主に出す「お茶菓子」に転用されるのかもしれない。
 それならそれでいいと、みあおは思う。
 ぷち宴会は本当に「ぷち」になってしまったけど、草間を言い負かすことができたりで、今日は楽しかったから。
 陽が西に傾いて、みあおはソファから立ち上がった。
「帰るんですか?」
「うん。今日は晩ごはん前に帰るってやくそくしたから」
 興信所の入口というには素っ気も何もないドアのノブに手をかけたとき、窓際から声がした。
「おい」
 振りむいたみあおの手の中へ、ぽんと林檎が、いっこ飛んできた。
 広げた手の中へ、ぽすんと落ちる。
「土産だ。持っていけ」
 きょとんと見返すと、困ったように視線を泳がせた草間の隣で、零が平然と言う。
「持っていってください。兄さんたら、紙の袋に山みたいに林檎ばっかり買ってくるから」
「あれは、おまえを心配して……」
 言い訳は、零があっさり遮った。
「たくさんありすぎて、食べられないんです」
 聞いていたみあおは、おかしくなって笑う。
「……笑ってるくらいなら、もっと持ってけ!」
 ぽんぽんと飛んできた林檎は、最初のと合わせて、全部でよっつ。
 腕の中は軽くないのに、心は軽くなる。
「ありがとーっ。みあお、また来るねーっっ」
 林檎を落とさないように手を振った後、みあおは、少しかけあしで家に帰る。
 歩いてなんかいられない。
 早く。早く。
 きっと、みんなでみあおの帰りを待っていてくれるはずだから。

 暗くなった道に、ひとつふたつと灯りがともりはじめる。
 みあおを急かすように。






                                  ― 了 ―


        那季 契