コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


暁前のLove Song

 テーブルの上に無造作に放り出してあるのは、緑色のケースに入ったMDだった。
 最近になって急に普及しだしたこのディスクは、主に曲をダビングしたりラジオを録音したりされるものだ。値段は少し高いが、ポータブルCDに比べれは遥かにコンパクトで持ち運びしやすく、機能性もいい、という事で若者を中心に広まっている。
 今、彼の目の前にあるその問題のMDは、なんの飾り気もないケースに入っていて、中に入っているMD自身も、流行のスケルトンではない。
 つまり、少し古いのだろうと、彼―――石原律馬は推測する。
 古いといっても今に比べれば、といったくらいで、年代にすれば十年を数えるわけもなく。
 律馬はつくづく、今の時代の流れの速さを感じるのであった。
 そんな彼はMDなど持っておらず、当然MDコンポなど買う気もない。金がないのだから、そんな夢は抱かないに越した事はないのである。というのが、彼の持論だった。貧乏性と呼ぶ地方もあるかもしれない。
 ともかく、そのMDは随分とこの場所では浮いていた。
 この、アンティークショップ・レン、という場所では。
「で、これにはどんな曰くがついとん?」
 律馬はケースから出したりしまったり、と繰り返しながら首だけ振り返って店主を探した。
 彼女は妖艶な美女で、どきりとしてしまうほど深くスリットの入ったチャイナドレスを着こなしており、独特の流し目で他人を理由もなく慌てさせるのが得意である。
 そんな蓮は、品物の陳列を少し直しながら、顔も上げずに応えた。
「呪の歌が入ってるんだよ」
 明日の天気でも言うような軽い口調で。
「へぇー? 呪の歌。なに? 一回聞いたら呪われて死ぬとか?」
「珍しく察しがいいね。その通りだよ」
 ここは一体どこにある空間なのだろう。
 そんな疑問を抱いてしまうほど店内は静かで。
 品物で埋まってしまいそうな明り取りの窓からは、微かに陽光が覗いていた。
 お互いの呼吸音さえ聞こえそうなその空間で、律馬がMDケースを取り落とした音は、酷く響いた。
「壊さないでくれよ」
「壊してもたほうが、平和になるんちゃう?」
 少し青ざめた顔で、彼は言った。半笑いが顔に張り付いている。
「いや? 無理に壊したら、何がでてくるか解ったもんじゃない」
 やはり蓮は、どうでもよさそうな口調で。
「消したらええやん!」
「消えないんだよ。更に、封印しとかないと何故だか人の手に渡ってしまってね」
 物騒だね。
 まったくそう思ってなさそうな声で。
 それを聞きながら、律馬はとりあえずケースを拾い、そそくさとしまってMDをテーブルの上に放り出した。
「ほな、邪魔したな」
「邪魔したと思うなら、掃除を手伝っていったらどうだい?」
「年中埃かぶっとんねんから、今更ええやん! 俺は帰るで!」
「そうは行かないよ。そのMDの説明をもう一度するのが面倒だからね。今から来る人たちに説明しといておくれよ」
 蓮は、そんなこといって欠伸を小さくしてから、店の奥へと消えていった。律馬の手に、叩きを渡して。
 年中埃を被っている、といったのが気に触ったらしい。
「説明って……何言えばええのん?」
 律馬の悲しい声だけが、響いた。



 さっさと帰ればいいのに奇妙な責任感が生まれてしまい、叩きを握り締めて律馬は先ほど蓮がいた棚の前に立った。
 どれもこれも、ろくな商品ではないのだろうが、一見しただけでは判別つかない。と、彼が物色していると、足元に紙が落ちていた。どうも、四つに折られたB4サイズの紙らしい。何気なく拾い上げて、開いて中を見てみる。
 『MDに伝わる因縁について―――……』
 中はどうやら、あのMDについての詳細のようだった。律馬はがっくりと脱力する。
「こんなん書かんでも、自分で説明したらええやん……」
 彼の空しい呟きに、丁度ドアが開く音が重なった。
 ちりんちりん、と涼やかな鈴の音が響く。


「あ、あの……品を見せていただきに……」
 そう言って、ラクス・コスミオンはおどおどと店内に入った。ライオンの肢体の大きさを感じさせない、気の小さそうな仕種で、大空を誰よりも早く飛べるはずの鷹の翼を縮ませて。胸から上は柔らかな女性のフォルムで、小麦色の滑らかな頬は緊張に引きつっている。その輪郭を飾る紫に見間違えそうな艶やかな赤い髪までが、緊張で強張っていた。
 ナイルの河をそのまま写しこんだような鮮やかな緑色の瞳は、警戒心と恐怖心をはらんで、店内にいる男性に向けられる。
 叩きを持ったその男性、石原律馬はラクスの姿を見るなり、とりあえず店内の一番離れた所まで下がっていった。とりあえずほっとして、ラクスは店内に入って品を見る。
 商品は少女が喜びそうな雑貨から、成金趣味の婦人が目の色を変えそうな柱時計まで、選り取りみどり。が、もとよりこの手のものを選ぶ目を持ち合わせていないラクス。大家の命でここまで来たはいいが、早速行き詰った。
 こんな時に店主である蓮がいてくれれば助かるのだが、生憎、この場には彼女はいなかった。
 と、そこに、ちりんちりん、と耳に優しい周波がラクスの注意を引く。振り返ると丁度、扉が開いて女性が半身を覗かせていた。


「今日は」
 涼やかな鈴の音と同じように、鈴やかな挨拶で綾和泉汐耶は店内を覗いた。女性にしては長身で、ショートの髪型のためか、長い足を遺憾なく見せ付けるパンツルックのためか、一瞬性別判断に困る姿である。が、その銀縁の眼鏡の奥から覗く青い瞳は、女性特有の柔らかな表情を湛えている。
 本日は、休日恒例書店めぐりの最中で、何気なくこの店にも寄ってみた。可能性が低いが時々本も置いてあるし、このアンティークショップ・レンという店はどうにも興味を惹かれるものがある。
 と、丁度扉の直ぐ近くに別の人影があり、扉があけにくい。
「あの、ちょっといいですか?」
 話しかけるとその人物はびくっ、と振り返り汐耶の顔を見るなり、ほっとしたように場所を空けた。汐耶は扉を開けて店内に踏み込む。中にはスフィンクスが一人と、見通しの悪い奥にもう一人、男性がいるだけだ。
 どうも、蓮は不在らしい、と汐耶は判断する。それならそれでかまわない、と彼女がとりあえず扉付近の小物を眺めだすと、
「あ、お二人さん、ちょぉ時間ある?」
 奥から男性の声がした。
 お二人さん、というと、この場合は汐耶と、もう一人になるのだろう。何せ店内には他に人影がない。
 思わず、近くに立っていたスフィンクスの女性と顔を見合わせた。その女性は長身の汐耶が首を傾げる必要のない背の高さをしている。それはともかく。汐耶自身は、今、特別急ぐ用事があるわけでもなかった。
 そして、過去の経験から言って、こういう場合は何か面倒事に巻き込まれるに違いない。アンティークショップ・レンとは、その手の騒動の宝庫なのだから。
 そこまで考えて、汐耶は本日の休日が平和に終わらない事を悟った。
「お話くらいなら」
「は、はい」
 二人の、承諾の声が重なる。


「つまり」
 アンティークな布張りの椅子に、少しだけ遠慮気味に腰掛けた汐耶が、どうにも遠くから説明する律馬の説明を要約した。
 傍ではラクスが目の前のテーブルに無造作に放り出されたMDを、興味深げに眺めている。
「このMDには呪の歌が入っていて、聞いた人は呪われて死ぬ、と」
「その通りや」
 深く頷くその男はなにやら手元の紙を眺めながらの説明で、どうにも胡散臭い事この上ない。しかし、呪で死ぬ、という方が遥かに胡散臭いのは確かで、自然、ラクスと汐耶の興味はMDへ向かう。
「確認ですが、実際亡くなられた方は?」
 汐耶が問い。
「解れば、死に様などもお聞きしたいのですが」
 ラクスも、尋ねる。
 律馬はあー、と唸って紙を眺めてから、説明を始めた。
「実際に死んだんは、五人。全員東京都在住の男性で年齢は三十前後。死に様は、脳卒中でぽっくりや。警察が幾ら解剖したって、毒物や他殺原因は一切出てこん」
 ラクスが頷いて、少し眉を寄せる。
「呪、といえば、もっと惨たらしい死に様を残すものだと思っていましたけれど、その類ではないんでしょうか」
 汐耶もそれには同意した。が、今ここで考えても結論は出ない。とりあえず、考える材料が必要だった。できるだけ多く。的確な材料が。
「亡くなったのは全員三十前後の男性、という事は、持ち主を選んでいるという可能性が高いですね」
「そうですね。誰か、探しているのでしょうか?」
 ラクスが少し首を傾げて汐耶を見やる。汐耶は確かに、と頷いた。
「探し人が見つかるまで、探し続けるとしたら、少々厄介ですね」
 他に情報は? 汐耶は律馬を見た。律馬は紙から顔を上げずに頷く。人死にが出ていて、更に続く可能性が高いのだから、早めに対策を施したいのは誰でも同じだ。
「一番初めに死んだんは、作曲家や。で、その作曲家の最後の仕事になってもたんが、ある詩の曲付け。その作曲家が家の人間に、戦後直ぐに発売された詩集に掲載されたもんで、絶版になって久しい。その内の一つを歌にするんやって言って、後日にぽっくり逝ってもたらしい」
 更に、それは何年も前の事ではなく、つい最近の事。
「では、呪の歌というのは、その時作曲した可能性が高い、という事ですね?」
 ラクスが念を押す。
「まぁ、推測やけどな。それ以外の男性には、ほんまに共通点は見あたらへん」
 律馬は紙をぴらぴらと振って見せた。
「少なくとも、この紙には書いとらへんわ」
 問題のMDは、始めは遺品として警察に徴収されたり、家族に引き取られたり、棄てられたり、と様々な経路を使い、そして気がつけば次の被害者の手元へと渡ってゆく。
 被害者たちは、常にそのMDをデッキにセットした状態で発見されている。つまり、その曲を聴いていて亡くなった可能性が高い。が、不思議な事に、大勢の人間がいるところでそのMDを再生しようとすると『BLANK DISC』と表示され、なんの曲も入っていないという事になる。
 だからこそ、誰もそれには着目しない。
 そしてまた、次の持ち主へと渡ってゆく。
「なるほど」
 二人が頷くのを確認して、律馬はほっと息を吐いた。
「んで、この事件、どう解決するつもりか、聞かせてくれへん?」
 問われて、ラクスと汐耶は顔を見合わせる。そして、先にラクスが口を開いた。
「ラクスは、この”えむでぃ”事態を徹底的に調べてみたいと思います。残留思念や、魔力付与の痕跡などの魔術的な解析から、少し不慣れではありますが、光情報も可能な限り分析したいと思います」
 ラクスはもじもじと落ち着かない様子だが、それでも視線だけはMDに固定している。研究者としての彼女が、顔を出していた。
「最終的な決断は、結果が出てからにしようかと」
 いい終わって息を吐いたラクスを横目に、次は汐耶が口を切る。
「私は、その、絶版になった詩集、というのに少し覚えがあります。其方から当たって、問題の詩を特定し、呪となった理由、更に探し人の特定をしたいと思います」
 汐耶は言うなり、席を立った。急ぐに越した事はない。ラクスも、直ぐにMDの貸し出し許可を求めた。



 アンティークショップ・レン、とは酷く不思議な空間である。この雑音だらけの東京都内にあるのかどうかも疑いたくなるような、静寂。何が起こっても驚けない雰囲気。
 本当に、スフィンクスという存在が普通に受け入れられてしまうような、そう言う空間なのだ。
 汐耶は一歩外に出て、急に聴覚に帰ってきた雑音に、少しほっとした。
 すると、先ほどの「人死にが出ている呪のMD」の話が、まるで冗談だった気までしてくるから不思議である。
 それくらい現実味の薄い店だ。
 汐耶は足を馴染みの古本屋に急がせようとし、
「あ、ちょう待って」
 呼び止められて振り向いた。そこにいたのは、石原律馬と名乗った三十前後の男性で、真っ当な生活をしていなさそうな雰囲気を纏っている。
「はい?」
「だから帰ってきてください。夢が夢であるうちに」
 彼の発した言葉が一瞬理解できずに、汐耶はきょとんとしてしまった。
「あの?」
 そして、一拍おくれて質問する。が、その質問すら言葉にならない。
「いや、だから『だから帰ってきてください。夢が夢であるうちに』っていう一節がある詩、探してみ? あんさん、手がかりゼロで行くつもり見たいやし」
 確かに、手がかりゼロである。
 詩集には目途はついているし、探す当てもある。が、どの詩が件の呪の歌になった詩かは、解らない可能性が高い。
 直感と聞き込みと、後は歌になると言う話があったという物を探すしかない、と思っていた汐耶には、ありがたい助言だ。
「ありがとうございます。でも、どうやって? まさか聞いたんですか?」
 三十前後の男性ばかりが被害者になっている。まさか彼も被害者の一人で―――と考えてから、汐耶は首を振った。
「まぁ、細かい事は企業秘密や。なんにせよ、引き止めて悪かったな」
 この手の店や場所で会う相手に詮索は無用で在る事くらい、汐耶は心得ていた。
「いえ……」
 律馬がひらりと手を振って店内に入ってゆく。
 汐耶は先ほど彼が言った詩の一節であろうと思われる言葉を反復した。
「だから帰ってきてください。夢が夢であるうちに……か」
 声は街の騒音に消えてゆく。
 そして、彼女は今度こそ目的の書店へと向かって歩き始めた。


 目的地と思われるマンションの前で、汐耶はもう一度地図を確認した。
 そして、間違いないと見ると、勢いを殺さないままに踏み込んでゆく。途中でポストに書いてある部屋の番号をチェックして、目的の部屋に、目的の住人が住んでいる事も確認。
 後はエレベータに乗り込み、目的の部屋の前まで歩いていくだけだ。
 呪の歌の調べ物をしているはずなのに、どうにも穏やかな雰囲気をかもし出すマンションである。
 緩みそうになる緊張を無理矢理張って、汐耶はインターホンをならした。
 当初の目的地は書店だったのだが、行って店主に尋ねてみると、詩集は家だという。そして、地図まで書いてもらい、こうしてお邪魔するに至った。
 あっさりとした対応だったため念を押して尋ねると、「家内が俺相手じゃ喋り足りないみたいでな」という事だった。
 ぴーんぽーん、と定番の音がして、
「はーい」
 とどこか嬉しそうな返事が返ってきた。
 先ほどの店主の「覚悟しとけよ」という言葉がまざまざと蘇り、汐耶はいささかしり込みしつつも、声を上げる。
「綾和泉汐耶と申します。ご主人の紹介で、お母様の遺品の詩集を見せていただきに参ったのですが」
「聞いてます聞いてます」
 走ってくる音が大きくなり、やがて鍵が開く音が人気のない廊下に響いた。
「いらっしゃい。さぁどうぞ」
 扉が開け放たれ、満面の笑みを浮かべた女性が顔を覗かせる。小柄な女性で、身長は汐耶の肩にも届かない。
 上品な化粧と装いの、素直に好感が持てる婦人であった。
 促されるままに室内へと足を踏み入れ、いつの間にかリビングへ通されている。強引なのだが、押し付けがましい感は無く、余計に断りにくい。
「お茶を用意して待っていたの。丁度いい頃合に来てくださったわ」
「あ、お構いなく」
 ころころと笑いながら、婦人はお茶請けの茶菓子にカステラと最中を添えて、芳香漂う紅茶を差し出した。そして、本を小脇に置いて汐耶の真正面に座った。
「さ、どうぞ」
 一応遠慮したものの、あの笑顔で勧められると、つい手が伸びる。汐耶は少し苦笑しながら、紅茶を手に取った。
 どこか甘い芳香のその紅茶には、砂糖もレモンもミルクも入ってはいないが、それでも甘い気分になる。
「それでですね」
 ソーサラーにカップを戻して、汐耶は本題を切り出した。
「戦後まもなく出版されて、今では絶版になった詩集、というものを探していまして。丁度こちらのご主人が話しておられたのを記憶しておりました」
 婦人は紅茶をテーブルに戻し、「解っておりますわ」と脇に置いていた本を手に取った。
 飾り気のないブックカバーに包まれたその本は、厚さ一センチほどの、割りとしっかりとした装丁のものだった。
 差し出されて、汐耶は紅茶をテーブルに戻し、本を受け取る。
「母の詩も載っておりますの。ですから、手に入ったんでしょうね」
 婦人はそう言って目を細めて笑った。戦後直ぐに、この装丁の本を買えば結構な値がしただろう。それに加えて、本などという娯楽要素の高い物に金をかけられる時代でもなかった。
 だからこそ、直ぐに絶版になったのだろうと汐耶は想像する。
 婦人に目礼して、汐耶は本を開いた。
 古い本特有の滑らかな手触りと、独特の匂いが鼻をつく。
 一枚ページをめくると、そこには編集者から読者へのメッセージが綴られていた。普段であればここからじっくりと読み進めたいところだが、今はそんな暇はない。
 更にページをめくり目次の欄を確認した。
 が、目次には詩の題名などは書かれておらず、著者の名だけが刻まれていた。
 仕方なく汐耶は手を進める。
 どれもこれも、あの戦乱を生きた人々の綴った言葉である。気をつけなければ、時と場所を忘れて読みふけってしまいそうだ。
 汐耶は自制心をフル稼働させてページをめくり続けた。
 探しているのはあの一節。
 と、不意に、手が止まった。
 日焼けし手垢で汚れたその本の、一ページ。そこだけ良く開かれているのだろう。本に開き癖がついていた。
 題名は無く、少し下に『木内さえ』と書かれていて。
 そして、想いが綴られている。
『帰ってきますとあなたが言った』
『待っていますと私が言った』
 そう始まるその詩を読み進める。
「あった」
 小さく声が漏れた。
『だから帰ってきてください』
『夢が夢であるうちに』
 律馬が言ったとおりの一節を発見し、汐耶はある事に気がついた。
 そのページには、何か想いが込められている。
 寧ろ、想い一つ一つが文字となり、紙に刻まれているような。
 一度気がついてしまえば、どうして気付かなかったのだろうと不思議に思ってしまうほど、その詩は他のものと比べ物にならないほどに、想いが込められていた。
 これだ、と汐耶は直感する。
 言葉や文字には簡単に想いが篭り、それを人の声という媒体に乗せて力の発現を顕著にしたものが、呪文や祝詞と呼ばれるものである。
 元来、人の声や節をつけた拍子、つまり歌は呪詛になりやすい。
 それに加えて、この詩に込められた想いは、このままでも十分呪になるだけの量である。それに曲をつけて歌にした。それだけで、十分な呪となったはずである。
 だが、歌を歌った、という話は聞いていない。曲にしただけだ。だがあのMDには歌が入っているらしい。一体誰が歌ったのか。
 汐耶はふと、思考に沈んでいた自分を自覚して顔を上げた。
 婦人は、上品に最中を口に運びながら汐耶の様子を眺めていたようだった。
「気に入った詩がみつかりまして?」
 気に入った、とは少し違うが、ここで本当の事を言うわけには行かない。汐耶は話を合わせておく事にした。
「はい。この詩なのですが。何かご存知の事はありませんか?」
 ページを開いたまま、汐耶は婦人に本を返した。
 最中の屑を払ってから本を受け取った婦人は、感慨深そうに溜息をつく。
「これは、母の書いた詩ですわ」
 汐耶はただ頷いた。
 予想はしていたのだ。苗字は違うが、あれほどなんども開いた後があれば、何か特別な思い入れのある詩だろうと。
「私、母一人娘一人で育ちましてね。父は、ずっと出たきり戻らないのだと、幼い時分から聞かされていました。でも、十七位の時に、不意に、「お父さんは死んだの?」と母に尋ねた事がありました」
 理由は覚えていませんけど、と婦人は目を細めて微笑む。柔らかな笑顔。
「母は今にも泣きそうな少女の顔で、『帰ってくるわ。帰ってくると言ったもの』と」
 静かに紅茶を取り上げた婦人の仕種は、上品で。汐耶もつられたように紅茶に口をつけた。少し冷めてしまっていたが、甘い香りはそのままに。
「それ以来、一度も父について尋ねようと思った事はありません」
 穏やかな雰囲気で。
 気がつけば空はすっかり暗くなっていて。
 汐耶は随分と時間が過ぎている事を確認する。明日は仕事だというのに、どうも、今日は徹夜の覚悟が必要らしい。
「その詩をいつ書かれたかご存知で?」
 婦人は首を横に振った。
「この本が出版されて、家に届けられた時はもう、母は亡くなっていましたから」
「そうですか」
 結局手がかりはなしか、と汐耶は浅く溜息を吐く。呪の原因を調べ、できる事なら呪を解きたかった。
 否、と汐耶は考え直した。
 まだ、諦めるには早すぎる。第一、最初は詩集を探して、更に詩を特定して、その詩にかかわりのある人物を探してから、情報収集になるはずだった。
 が、幸いにも詩集は直ぐに見つかり、詩の特定は直ぐに終り、更にその著者の娘に会う事ができたのだ。
 上出来、と称しても間違いではない。
「聞き辛いのですが……」
 汐耶はそう前置きして、更なる情報収集に乗り出した。あの呪を解く事が、何より大事なはずだ。
「お母様は、やっぱり無念そうでしたか? お父様にお会いできずに亡くなったんですよね?」
 非常に不躾な質問だったが、婦人は気を悪くした風も無かった。
 汐耶はそれだけで胸を撫で下ろす。
「母は、酷く幸せそうな表情でしたわ。本当に。まるで、やっとの思いで待ち人に会えたみたいな、そんな、表情でした」
 思い出すだけでも、頬が緩んでしまうと言いたげに、婦人は笑みを零す。
 反対に、汐耶は婦人に気付かれないように眉を寄せた。
 何故、そんなに幸せそうに逝った人の魂が、歌になって男性を呪い殺したりするのだろう。
「不思議な事もあるものね。ずっと父を待っていて亡くなった母のお葬式の日。知らない男性が尋ねてこられて、ここは『木内さえ殿の葬儀か』なんて聞くのよ」
 汐耶は頷く。
「それで私が『そうですが、母のお知り合いですか?』って聞いたら、『さえ殿とは面識はないが、さえ殿のところに帰るはずだった男から、預かった物がある』って、帽子をね、渡されたの。話によると、父が最後にその男性を庇って戦死したのですって。恨まれていると想って今まで隠れていたけれど、やはり、最後には頼まれていた帽子を返したかったって。遅くなったって、言われてね」
 ちょっと待っててね、といい置いて婦人はソファーを立った。汐耶はその後姿を見送りながら、今ひとつ釈然としない。
 生前強い悔恨や悲哀を残した魂が現世に留まり、そして怨嗟に駆られて人を殺す。それを呪と呼ぶのだろうと漠然と思っていた。
 だが、詩を特定できてもその詩を書いた女性は、幸せそうに大往生したという。
 それでは、話が合わない。
「お待たせしました」
 婦人は幸せそうに微笑みながらソファーにつくと、二人の間にあるテーブルにそっと帽子を差し出した。
 つばの部分に黒い染み―――恐らく血痕だろう―――がついているが、それ以外は何の変哲もない野球帽だった。
 汐耶は婦人に視線だけで了解を得て、手に持ってみた。
「不思議な事もあるものね」
 婦人は、かみ締めるようにもう一度そういった。
「今日は、母の命日ですのよ」
 汐耶が驚いて顔を上げる。自分がここを訪れた事が、そんな巡り合わせだったというのだろうか。
「この帽子をお借りしてもいいでしょうか? あの……知り合いにお母様と同じようにずっと誰かを待っている人がいまして。その人に、こんな奇跡もあるかもしれないと、元気付けてあげたくて」
 一瞬、婦人は表情を変えた気がした。が、直ぐににっこりと微笑む。
 晩御飯をお出ししたかったけれど、と婦人は帽子と詩集を差し出した。
 汐耶は何も言わずにそれらを受け取り、深く一礼する。
「本当にありがとうございます。直ぐにお返ししますので」
「えぇ。その時は、一緒にご飯を食べましょうね」
 マンションの下まで送ってくれた優しい婦人に、もう一度汐耶は礼をした。
 そして、早足にその場を去る。
 時間はとっくに深夜だった。電灯と街の光で眠らないこの町は、今も煩い位の騒音に包まれている。
 明けない夜のように、何時までも騒がしい。


 汐耶が真っ直ぐアンティークショップ・レンに帰ると、律馬はまだそこにいて、事の顛末を聞きたがった。どうも、まだMDの解析に当たっているラクスが帰っていない、という話をしていた矢先。
 転がり込むように店内に入ってきたラクスに、二人の人物が驚いた表情を浮かべる。
 が、彼らが何か言う前に、ラクスは体を起こしてきょろきょろと店内を見回した。
「ラクスさん、どうされたんですか?」
 汐耶が問う。
「さっき、頭ぶつけたで? 大丈夫なん?」
 律馬が心配そうに尋ねた。
 が、ラクスは落胆した様子で項垂れる。が、直ぐに顔を上げてくわえていたMDを店内のテーブルに置く。前置きなしの、説明が始まった。
「このMDに篭められているのは、想いです。死者の魂でもなく、特別な魔術をかけられているわけでもありません。ただ、篭められた想いが強すぎて。待ち続けた反動で、探し続けているのです」
 ラクスは項垂れるようにナイルの瞳を伏せた。
「本人の意思とは関係なかったのではないでしょうか。ただ、詩に篭もった想いが強すぎて、返ってきて欲しいと願う気持ちが強すぎて………そして、殺してしまったのでしょう。多分、この歌は殺しているという感覚はないと思います。ひたすらに、帰って来て欲しいと願った想い。それが、呪の正体です」
 しばし、店内に沈黙が下りる。
「想い、ですか」
 汐耶が考え込むような仕種で、その言葉を吟味すした。
 大往生したという作詞者。苦しまずに呪い殺された被害者たち。
「そう言った例はきいた事がないですが、ラクスさんがそうだというならそうなんでしょうね」
 そして、ふわりと笑う。優しい笑顔で。
 釣られてラクスも、笑みを浮かべた。
「では、私の方も結果をご報告します」
「はい」
 ラクスが頷くのを確認して、汐耶は話し出した。
 まず、古本屋に行った事。家に行って詩集を見せてもらった事。そして、その著者の娘であり、思い出の帽子を見せてもらった事などを。
 幾らなんでも、呪となって人を殺しているから帽子を貸してくれ、というわけには行かないから、色々と上手く言ってその帽子を借りてきた、と汐耶は話を締めくくる。
「で、これがその帽子ですが」
 汐耶がラクスの前に帽子を差し出すと、ラクスの表情が見る間に変わった。
 それはまさしく歓喜であった。
「間違いありません。この詩の待ち人は、その帽子の持ち主です」
 否、とラクスは否定した。
 笑みを浮かべたまま、彼女は優しい瞳で帽子とMDを見つめる。
「待っていたのは、その帽子に込められた、帰りたいと望む想い、です」
 ラクスはなにやら、MDと同調もしくは深く感情移入しているのだろうと、汐耶は気がつく。MDを解析しているときに何かあったのかもしれない。
 汐耶はそっと、MDと帽子を並べてテーブルに置いた。
 想いだけなら、成仏させる事も叶わない。けれど、消してしまうには、切なすぎる。
 ならばいっそ。
「一緒に、封印しましょう。想いごと。二度と誰も二人を引き裂けないように」
 汐耶は眼鏡を取って、胸のポケットにしまった。
「あの、ラクスがしましょうか?」
 ラクスが問うが、汐耶は穏やかに首を横に振った。
「自覚がないかもしれませんが、随分お疲れのご様子ですよ? ここは私に任せてください」
 きょとん、としているラクスに、ゆっくりと汐耶は言う。MDに同調しているという事は魔術を使いっぱなしであるという事だろう、と汐耶は推測する。
 言われたラクスは、はっと気がついたように頷いた。
「はい。お任せします」
「はい、承りました」
 笑みを交わして。
 想いは封印された。恐らく、永遠に。
 後は祈りが残る。
 二度と再び、二人が離れ離れになる事がないように―――と。



 後日、汐耶の休日に、ラクスと汐耶は二人並んで墓地に哀悼を捧げていた。
 それは、一番最初の被害者となった、作曲家の墓だった。花瓶には入りきらないほどの量の花が、添えてある。
 あの想いがした事は決して許される事ではない。
 人殺しだ。
 法には裁けない、殺人。
 二人は話し合って、例の古本屋の店主を尋ねた。
 その帰りに、今回の事件の全ての被害者の墓参りをしている。
 最後が、この墓前だ。
 事件のきっかけを作った、最初の被害者。
 誰が悪かったのだろうか。
 そんな事は、解らない。決める事すら、愚かしい。
 ただ、この悲しみだけは、忘れないように。
 できるだけ多くの人の記憶にとどめておきたいと。

 古本屋の店主とその奥さんに事情を説明し、東京中の墓地を回って、時間はすっかり日付けを超えてしまった。
 薄く、空が白んでくる。
 暁が訪れる前の、微かなまどろみの時間。
 ラクスは同調していた間中、何度も聞いた詩を口ずさんだ。
 汐耶は、何も言わずにただ、空を眺めて耳を澄ましていた。
 




帰ってきますとあなたが言った。

待っていますと私が言った。


幾つもの昼に想いを綴り。

幾百もの夜に絶望を産み。

幾千もの朝が希望を砕き。

私は一人孤独に住まう。

そんな悪夢に苦しまされて。

布団を跳ねのけ悲鳴を上げて、涙で溺れる一人の朝よ。


それでもあなたを待っています。

だから帰ってきてください。

夢が夢で在るうちに。






一緒になろうとあなたが言った。

ついていきますと私が言った。


幾つもの昼に着物を縫って。

幾百もの夜に寄り添い眠り。

幾千もの朝に共の目覚めを。

二人でひたすら幸せを抱く。

そんな望みを白昼に夢み。

微笑み零して洗濯をして、人の通らぬ門を見つめる。


そうしてあなたを待っています。

だから帰ってきてください。

夢が夢で終わらぬうちに。





時の流れは女を変える。

姿を変えて、心を変える。

それでも、待っていますとあなたに告げた、この想いだけ変わらぬままに。


たとえこの身が朽ち果てようと。

私はあなたを待っています。

帰りを信じて唯ひたすらに。








□■■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1963 / ラクス・コスミオン様 / 女性 / 240 / スフィンクス
【1449 / 綾和泉・汐耶様 / 女性 / 23 / 都立図書館司書

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□


 綾和泉汐耶様。はじめまして。泉河沙奈と申します。大変お待たせして誠に申し訳ありません。
 初のご依頼ということで、張り切って張り切りすぎて、随分と長くなってしまって…もっと簡潔に文章を書けるよう努力します。
 が、これが今の私の精一杯です。
 実は私はこの依頼で、初めて二人以上の登場人物を書かせていただきまして、どうも勝手が解らず、いっそ全然違うものにしてしまおうと思いまして。こちらは綾和泉汐耶様専用という形になっております。
 汐耶、という格好よくて切れ者な女性はとても好きなのですが、私がその魅力をどこまで書ききれたかは自分では解りません。ただ、努力はしましたが。
 お気に召せば、非常に幸いであります。誠に、ありがとうございました。
 これを読んで下さった方に、幸いあらん事を。