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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


THERMOSTAT BABY

 人を殺す事で、快楽や爽快を感じた事など、ついぞ一度も無い。
 だがそれは、他人の命を奪う事に対しての、道徳的・倫理的な罪悪感からなどではない。人が死する瞬間の余りに無様な様、命の火が消えた後の、ただの肉の塊となったその醜さ。それらが妙な嫌悪感を黒鳳に抱かせたから、彼女はその仕事を好きになれなかっただけだ。

 物心付く頃からそれしか教えられなかったから、その立場と仕事を失った今、黒鳳は、己の存在感の希薄さに愕然とする思いである。この身に染み込んだ戦闘能力が失われた訳ではない。ただ、それを揮う理由と命令がなくなっただけだ。それなのに、黒鳳の身体と感覚は錆びたモーターのように軋んで動かず、その身体はただ嗚咽にも似た鈍い唸りを振動と共に漏らすのが精一杯で、恐らく、追っ手と対峙する事があれば、負けはしないだろうがそれでもかなり苦戦を強いられた事だろう。無防備な人間の命を人知れず奪う暗殺の手腕と、あからさまな殺意と共に牙を剥く者を凌ぐ技は、必ずしも同一ではないようであった。
 今までの自分が、如何に『使われる側』であったかを、痛感する一瞬である。

 黒鳳を拾ってくれた恩人は年齢不詳のアクの強い美女で、その周りにいる者達も一応に統一性が無く掴み所が無い。それでも、須く『訳あり』である点は共通するのか、突然連れてこられた黒鳳に対しても、特別視する訳でも意識する訳でもなく、ずっと前から自分達と同じくそこにいたような扱いをした。尤も、扱うと言っても別段話し掛けたり世話を焼いたりする訳ではない。どちらかと言わずとも、誰も何もしなかったのだが、その放置の仕方が、新米に対してどう接していいか分からないからと言うよりは、既に旧知の間柄だから今更何をしてやる必要も無い、と言うような感覚だったのだ。どうやら、暗黙の了解的に、ママが連れてきた人間は皆『同じ』であると思われているらしかった。
 だが、だからと言ってそれで黒鳳の気が休まる訳ではない。その程度の安寧で、安堵を覚える人間であったのなら、今頃もっと要領よく平穏な生活を送っているか、或いは逆にとっくの昔に報復を受けて命を落としているだろう。寧ろ、これだけすんなりと何の混乱も無く受け入れられると、何か裏があるのではと疑ってしまうのが、世の常であり、今まで彼女にとって当たり前だった世情である。それ以上に、今の黒鳳は、自分自身の事さえまともに考えられないのだから、自分を取り巻く環境について考えろと言われても無理な話だったのである。

 普段は、与えられた小さな部屋に閉じこもりっぱなしで、食事の時だけ店先にその姿を現す。黒鳳としては、人と混ざって食事をするなど考えられなかった事だし、特に今は人との接触を極力断ちたいところだから、食事も自室でしたいぐらいだった。が、恩人である、この店のママが、それだけは頑として許してくれなかったのである。
 その日の夕方にも、黒鳳は音も立てずに部屋を出て店へと降りてきた。僅かな気配をも感じさせない黒鳳の立ち居振る舞いは、さすがと言うべきものであったが、それに気付くこの店の者達も、それ相当の手練であると言う事なのだろう。だからこそ、黒鳳の気が休まらないとも言えるのだが。
 店の者達は、黒鳳の登場に気付いても、何かを言うどころか視線さえそちらに向けようとはしない。殊更に無視をしている訳でもないのだが、その無意識の中にも自分の方を窺う何者かが居るような気がして、黒鳳は顔を動かさずに視線だけで周囲を見渡す。大丈夫だとママには言われたものの、それだけは素直に受け入れる事が出来ずにいた。カウンター席の一番端に腰を下ろし、その日の賄いが出てくるのを待つ。最近では出されたものをそのまま食べるようになったが、最初のうちはすぐには口をつけず、食べ始めても少しずつにして己の身体への影響――つまりは毒が入っているかどうかを確かめながらでしか食す事が出来なかった。出された、ひとつのプレートに幾つかの料理が乗った皿を引き寄せ、箸を手にして食べ始める。と、その時、カウンターの内側でがしゃーん!とガラスが割れる音がし、びくっと身体を振るわせた黒鳳は思わず箸を取り落としてしまった。
 「…あーあ、やっちまった」
 ぼやきつつ、カウンターの内側で立ち上がったのは、玲璽だ。自分よりも随分先にこの店で寝泊りしている従業員の一人だが、何故か彼だけは他の取り巻き達とは一種違った趣きがある。盲目的にママに従う者が多いなか、彼は、ママと対等でありたいと思っているのか、いつも何かと突っ張っては見事に玉砕しているのだ。何度繰り返しても一向に懲りないその様子に、黒鳳は若干は興味を覚えるものの、それは珍しい毛色の動物を見たとかその程度のものであり、それ以上の好奇心を刺激する事は今は無かった。
 玲璽は、カウンターの内側でしゃがみ込んで何か作業していたらしい、立ち上がってようやく、黒鳳の存在に気付いたよう、目を数回瞬いた。他の者とは一線を画しているとは言え、黒鳳に対して何も言わない辺りは他の者達と同様であった。ただ、他の者と違う点はと言えば、玲璽は黒鳳に対して、何の屈託も無さげな辺りか。黒鳳が箸を床に落としてしまったのを見、眉尻を下げて己の後ろ髪を掻いた。
 「あー、悪ぃ。驚かせちまったか。待ってな、今、新しいのを持ってくるからよ」
 そう言って厨房に消えたかと思うと、すぐにその手に清潔な箸を持って戻ってくる。黒鳳に向け、ほれ、とそれを差し出すので、黒鳳は暫くその箸を見詰めてから、やがてゆっくりとした動作でそれを受け取った。
 「ん。んじゃ、ごゆっくり」
 口元で笑って玲璽はまたしゃがみ込み、かちゃかちゃとガラスが触れ合う音だけを響かせた。黒鳳はそんな音を聞きながら、先程受け取った箸をじっと見詰める。やがて、ようやく夢から覚めた人のような仕種で、箸を持ち直して食事に取り掛かるのであった。


 日がな一日、部屋に閉じ篭もって、壁や天井を見詰めていると、健康な人間でも気が滅入ってろくな事がない。ましてや、今の黒鳳のような不安定な心情では、尚の事。備え付けのテレビをつけても、やっているのは当然の事だが日本の番組ばかり。日本語が理解できない訳ではないが、今まで暮らした生活や経験の違いだろうか、テレビの中で泣いたり笑ったりしている人たちの気持ちがさっぱり理解できない。大陸にいた頃からテレビなど見た覚えも無かったから余計にかもしれないが。
 溜息を零してテレビのスイッチを切ると、部屋の明かりをつけていないので、そのブラウン管には残像が残ってぼんやりと色彩が渦を巻くように見える。番組を見ているより、そっちを見ているほうがよっぽど面白く、暫くはそれを眺めているが、やがて目が慣れて残像も消えていく。残るのは薄ぼんやりと暗い、何も無い室内の様子だけだ。それでも、黒鳳は僅かな変化に気付く。いつもよりも室内が明るく感じる事に気付いて、立ち上がると引かれたままの分厚いカーテンの隙間からそっと外を覗いてみる。すると、天空には眩いばかりの銀盤のような月が冴え冴えとその身を晒していたのだ。黒鳳は思わずカーテンを全て開き切って空を見上げる。広い夜空にただ独り、孤独な月は、それでも神々しく真っ直ぐに立ち尽くしているように見えた。そんな月に同情したのだろうか、それとも我が身を重ねたのだろうか。今でもそれは自分にも分からないが、とにかく、黒鳳は幾日振りかに、外界へと出かけて行ったのである。
 こつ、と微かな靴崎の音も珍しく気にならず、黒鳳は暗い路地の端を歩いていく。中途半端な時間の所為か、この周囲に人の気配は無かった。それゆえに黒鳳は安堵して先を進んでいったのだが、今から思えばそれが間違いの元だったようだ。
 角を曲がると、そこは先程までの道よりも更に細い裏路地である。その暗く湿った雰囲気に何かしらの懐かしさを覚えたか、黒鳳はその先へ進もうと足を踏み入れた。その時、不意に彼女の耳に何かの音が聞こえた。歩みを止め、その場に立ち尽くしてその音の行方を探る。それは、高いビルとビルの間に出来た狭い空間を吹き荒ぶ所謂ビル風の風切り音だったのだが、黒鳳にはそれが、矢か何かが飛んでくる音に聞こえたのだ。
 「!!」
 黒鳳は、実際には飛んで来る訳もないボウガンを、横っ飛びに飛びすさって避ける。ごろごろと凸凹のコンクリの床面を転がり、身を低くして周囲への注意力を最大にした。勿論、彼女を狙う追手が潜んでいる訳はないのだが、今の黒鳳には子猫の足音さえも暗殺者の靴音に聞こえるのだ。ひゅっと息を吸い込み、黒鳳は急き立てられるかのように勢いよく走り出す。その慌てた様子は、とても訓練を積んだ一級の工作員には見えなかった。
 声にならない黒鳳の悲鳴、それは聞こえる人には聞こえたようだった。


 「ちょいと、おまえ」
 「んあ?」
 ママに呼ばれて、そんな気の無さそうな返事を返したのは玲璽だ。手は変わらずカットグラスを拭きながら、身体ごと振り向いてママの方を見る。
 「悪いね、ちょっとそこまで行ってきておくれでないかい」
 「なんだよ、お遣いか?」
 そんなの他の奴にやらせろよとのオーラを身に纏いつつ、玲璽が拭き終わったグラスをカウンターに並べた。そんな玲璽の様子は気にした風もなく、ママが綺麗に彩った爪で自分の頬を撫でる。
 「お遣いと言えばお遣いかねぇ。あの子、ほら、黒鳳。どっかに行っちまったから捜してきてくれないか」
 「俺が?」
 玲璽が自分の顔を指差して顔を険しくする。ママは、そんな厭そうな表情を見詰めながらも、にっこりと笑って頷いた。
 「じゃ、宜しく頼むよ」
 「って、俺に拒否権はねぇのかよ!」
 「あるとでも思っていたのかい?」
 表情だけはにっこりと、だが全身から威圧感を剥き出しにしてママがそう言う。うっと言葉に使った玲璽が、ぶつくさ文句を漏らしながらも、カウンターの内側から出てきて、外出用の革ジャンパーを手に取り、羽織った。

 気配を感じたら知らせるから、と言い残してママは商談へと戻っていく。溜息混じりにやる気の無さそうな返事を返して、それでももたもたせずに玲璽は夜の街へと出て行った。
 バイクを転がしながらだが、玲璽も当てもなく捜している訳ではない。怯えて逃げ惑う人間が行きそうな場所は、何となくだが分かる。過去に自分がそうして逃げた覚えがある訳ではないが、大体人の考える事は似たようなものだ。
 ただ、誤算があるとすれば、黒鳳の『常識』が玲璽の『常識』と食い違った場合に生じるズレ、であろう。その辺は、ママの通力が力を発揮するだろうし、まぁいいかと玲璽は呑気に鼻歌など歌いつつ、バイクを走らせていった。

 一方、当の黒鳳は未だ息を切らして走っていた。元よりある体力と持続力のお陰でか、相当長い距離を走っているにも係わらず、ただ息を切らせる程度の疲れしか出てきていない。いっそ、もっと早くにギブアップしていれば、もっと早く己の恐怖がただの幻だと気付けただろうが、黒鳳は未だ自分を追う何者かが居ると信じ、だが冷静な判断力を失ったまま、走っていたのだ。
 そんな黒鳳が逃げ込んだのは、店からかなり離れた場所にある小さな公園だ。あまり治安のよろしくない場所柄か、公園と言っても子供の姿は昼間でも殆ど無い、寂れた公園だ。荒れた草むらに転がり込んで跳ねる心臓の辺りを手の平で押さえる。渇いた口を開いたまま、荒い息を継ぎながらも、周囲への注意は怠らない。通り掛りの自動車のヘッドライトが、右から流れては左へと消えていく。それを目で追っていると少しだけ意識が別に逸れていたか、背後から聞こえてくるバイクのエンジン音に気付くのが遅れたのだ。はっと振り返った黒鳳の目を眩ませるかのよう、バイクのヘッドライトが彼女に向けて浴びせ掛けられる。反射的に片腕で自分の目元を覆い、逆光の中で目の前のバイクに跨った人物の姿を、腕の陰から見ようとした。
 「ンなところに居たのかよ」
 黒鳳の緊張や恐怖など知った風もなく、呑気な聞いた事のある声が響く。やがてエンジンが止まってヘッドライトも消えると、そこに居たのは玲璽だったのだ。
 「………」
 無言で鋭い視線だけを返す黒鳳に、玲璽は片手を上げて「よっ」と挨拶をする。
 「よう。散歩か?それともジョギングか?どっちにしても、こんな真夜中に走り回るたぁ、元気なこった。有り余ってんだろ、ずーっと部屋に閉じ篭もりっぱなしでさ」
 「………」
 「ま、その気持ちは分からんでもねぇぜ。あの店、なんっつうか雰囲気、他の店とは違うしな? たまには溜まったもん発散しねぇと、身体に黴が生えちまう」
 「………」
 「んでも、この辺での夜遊びはあんま感心しねーな。走って鍛えるんなら昼間にしとけ。おまえをフツーの女だと思って声を掛けた運の悪い男が、片っ端から屍になりそうだもんな」
 「…う、うるさい!」
 無意識で出た最初の言葉がそんな言葉な辺り、黒鳳らしいと言うべきか。玲璽は、初めて聞いた黒鳳の声に、片眉だけ上げて不敵に笑う。再びバイクにエンジンを掛け、己の後ろのシートを立てた親指でくいくいと指し示した。
 「乗れよ。帰ろうぜ」
 「………」
 黒鳳は物凄く不満そうな表情で、それでも素直に立ち上がるとバイクに跨った。少し躊躇うも、玲璽が自分の脇腹を手の平で叩いて示すので、玲璽の胴に両腕を回してしがみつく。背中に掛かる重みを確認してから、玲璽はバイクのスロットルを開き、けたたましい音を立てて走り出した。
 「………ッ、―――……!!」
 「あー?なんだ?言いたい事があったらはっきり言えよ」
 タイヤが軋む程の激しいバイクの走行中に交わされたものだとは思えない程、玲璽は呑気な様子だ。それに比べて黒鳳はと言えば、右へ左へと身体が激しく揺さぶられる感覚、周りの風景がすっ飛んで行く程のスピード感に、恐らく彼女にとって生涯最初で最後であろう、顔面蒼白で玲璽の背中にしがみ付いていたのだ。
 「!!!…、………!?……」
 「うっせーな!なんだよ!」
 「もう少し丁寧に運転できないのか、貴様は!」
 堰を切ったように、黒鳳の口からは威勢のいい罵声が飛んだ。
 「なんだよ、だらしねーな、怖かったら、しがみ付いてればいいだろ!」
 「だらしないとはなんだ!おまえの運転は度を越しているぞ!それに、…」
 もうしがみ付いている、とはさすがに言えなかったが。

 分厚い革ジャン越しでは、玲璽の体温も伝わっては来ない。ましてや、猛スピードで冷たい風を切るバイクの上では尚更。
 それでも、しがみ付いて頬を押し当てた玲璽の背中が、妙に大きく、暖かく思えた事は事実。


 そんな事、一生口にする事など出来ない想いだが。



☆ライターより
いつもいつも本当にありがとうございます!ライターの碧川桜です。
納品がカメな事をお詫びするのはいつもの事なんですが(おい)、ノベルの末尾で失礼かと思いましたが、一言お礼を申し上げたく、図々しくも参上した次第であります。
ママを取り巻く人々の、それぞれの個性や人間関係がとても楽しく、いつも楽しんで書かさせていただいてます。結構、私が勝手に設定などして書いている部分もありますので、その辺、もしもPL様の設定と違う部分がありましたら、申し訳ありません。次回の時にでもご指摘くだされば幸いです。
それと、この関連のシチュノベルで、英語のタイトルを付ける事が多いのですが、恐らく、その大半が正確な英語ではありません(…) 私の造語だったり、ニュアンスで付けてるものが多いので…。その辺りも、雰囲気で汲み取って頂けると嬉しいです(汗)

ではでは、今回はこの辺で失礼します。また皆さんにお会い出来る事をお祈りしつつ…。