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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


影が落ちる

 車のヘッドライトが眩い光を放ちながら、足の下を通り過ぎていく。光っては消える。ほんの一瞬の出来事だ。
 商店街の中を縦に貫く大通り。昼間はそれなりに交通量のある道も、23時を回ってしまうと殆ど車は通らない。ただ、点々と道沿いに設置されたオレンジ色の街灯が、誰もいない道筋を虚しく照らしている。
 空はカラリと晴れていた。星こそ見えないが、明るい月が歩道橋の上に掛かっている。その月を背に黒い人影が歩道橋の上に立っていた。何をするでもなく、ただじっと歩道橋の下を見つめている。影は少年のように見えた。その肩が僅かに震えていたのは、夜風のせいなのか、それとも…。
 遠くからアスファルトの道路を揺るがすような音が誰もいない街に響く。大型トラックだった。迫ってくる闇を裂くような白いヘッドライト。その白い光の中へ歩道橋から、黒い影が舞った。

「大変なんですよ、編集長ぉ」
 昼下がり、いつもと変わらぬアトラス編集部に慌しく駆け込んできた者が一人。仕事で外に出掛けていた三下忠雄だった。肩で荒い息をつく彼の手には、写真屋のものだろうか。小さな封筒がしっかりと握られている。
「何が大変なのよ、三下くん」
 編集者の一人から受け取った原稿に目を通していた碇麗香は、五月蝿いと言わんばかりの顔で冷たく応えた。同時に、形のよい彼女の眉が、瞬時に釣りあがる。ヒィと喉の奥で小さく悲鳴を上げて、三下はその表情の変化に怯えたが、彼の手は震えながらも封筒の中から取り出した写真を碇に差し出していた。
「せ、先日の取材先で撮った写真なんですけど、なんか幽霊みたいなのが写っているんですよぉ」
「…オカルト雑誌の編集者が、たかが心霊写真くらいで怯えないで頂戴。」
 涙交じりに訴える三下の姿に呆れつつ、碇は差し出された写真を受け取った。写真は2枚。両方とも、ぼんやりとした白っぽい人影が写っている。1枚は歩道橋の上から落ちる少年らしい人影、そして2枚目は…。
「何よ、これ。どうして、こんなものが写ってるわけ?」
 2枚目の写真に目を通した碇の顔が引き攣ったように、三下には見えた。碇の目線は2枚目の写真に落とされたままだ。そこには、ぼんやりとした半透明の少女が写っている。古風な中華風の衣装の。
「僕だって知りませんよぉ。やっぱり、お祓いとかした方がいいですかね、編集長ぉ?」
 今にも縋り付いてきそうな三下を無視して、碇は2枚の写真をデスクの上に戻しながら溜息をついた。
 確か先日、三下に命じた取材先は、幽霊が見えると噂になっている商店街だったはずだ。最近、この付近で事故が多発しているとの話もある。これは…
「取材続行かしら。歩道橋から飛び降りる幽霊っていうのも気になるしね」
 怯える三下に見切りをつけて、碇は取材を誰に頼もうかと考えながら手帳のページをめくるのだった。


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(本文)


 そして、彼は捕われた。


■1

ざわり、と窓の外で柔らかな緑が音を立てる。
 南天にかかった白く霞む月が照らす夜空を吹きぬけて来た風が、新緑で淡く色づいた木の枝を揺らしたのだ。清々しい新緑の香りを乗せて、春風はそのまま窓の中へと飛び込んだ。
「あー、疲れたぁ」
 窓の外に浮かぶ月に向かって大きく一つ伸びをして、崎咲里美(さきざき・さとみ)はベッドの上に倒れこんだ。日中に暖められた生暖かく淀む部屋の中の空気に混じって、開け放った窓から夜気がスルスルと入り込んでくるのが分かる。1日中歩きづめで、火照った里美の体には冷たいほどの夜気が寧ろ気持ちよく感じた。このまま眠ってしまえたら、どれほど良いことだろう。
「ダメダメ。まだ仕事が残ってるんだから!」
 睡魔の誘惑に負けそうになる自分を叱咤して、里美はベッドから起き上がると机の上に放り投げたままの手帳を取り上げてページをめくった。手帳の中には、びっしりと今日の成果が書き込まれている。それはフリーライターである里美が、1日がかりで集めてきた記事の素だった。これをきちんとした記事に仕上げて、編集者に送らねばならない。
 里美は机に座るとノートパソコンの電源を入れた。ブゥンという重低音が部屋に響く。その音を聞きながら、彼女はペットボトルの封を切ると、冷たいミネラルウォーターを乾いた喉に流し込んだ。そして、小さな溜息を一つついてから気合を入れる。
「さて、やりますか」
 エディッターを立ち上げながら、手帳の内容をどんな風に記事にしようかと考える。その作業を遮るように机の上の携帯電話が鳴った。こんな時間にかかってくる電話は仕事関係と相場が決まっている。里美は、急いで携帯を取ると通話ボタンを押した。
「もしもし、崎咲ですが」
『崎咲さん?アトラス編集部の碇よ。今、大丈夫かしら』
 電話の向こうから聞こえてきたのは凛とした女性の声だった。アトラス編集部の編集長をしている碇の声だ。何度かアトラスからの依頼を受けた事のある里美は、その事にすぐに気がついた。
「大丈夫ですよ。何か事件とかですか?」
『えぇ、ちょっと急ぎで取材して欲しい件があって電話をね。これまで担当してた三下くんが使えなくなっちゃってね、彼の代わりに引き受けてもらえないかしら。』
「構いませんが、何でまた三下が使えなくなっちゃったんです?」
『取材現場で取れた心霊写真におびえていてね。全く、上司としては頭が痛いわ。』
 呆れたような口調で碇は言った。電話の向こうでもしかしたら、肩くらいすくめたかもしれない。その様子を何時も気弱そうにしている三下の顔を思い出して、里美は声をたてて笑ってしまった。
「あはは、三下らしいですね。了解です、碇さん。肝の据わってない三下に代わって、しっかり取材してきます。それで、取材内容はその心霊写真のって事で良いんですか?」
『頼むわね、崎咲さん。取材に関する詳しい話は、明日、アトラス編集部でしましょう。実際に写真を見てもらった方が良いと思うしね。』
「分かりました、それじゃ、明日」
 里美の言葉を合図に電話はカチャリと切れた。果たして、三下がリタイヤしてしまった事件とはどんなものなのだろう。ワクワクする気持ちを抑えながら、里美は目の前の仕事を終わらせるべくパソコンに向かいなおした。
 ざわり、と窓の外で緑が揺れている。

「これが、例の心霊写真というわけですね」
 昼下がりのアトラス編集部の一角。編集長の碇麗香のデスクに周りに何人かの人間が輪を作っている。彼らは、三下が担当から降りた心霊スポットと彼の取ってきた心霊写真に関する取材を引き継いだ者たちだった。そのうちの1人である、雨柳凪砂(うりゅう・なぎさ)は、碇から手渡された1枚の写真を見て呟くように言った。彼女の手の中の写真には、現代の街並みには似合わない中国風の古めかしい衣装を纏った少女が写っている。心霊写真らしく靄のかかったようにぼんやりと写っているため、少女の表情までは分らなかった。
「学ラン姿の幽霊が見えるだけかと思ったら、別の幽霊まで出没してたんだね」
 そう言って凪砂の横から、興味深そうに蒼月支倉(あおつき・はせくら)が写真を覗き込んだ。歩道橋から飛び降りる幽霊の噂に興味を持っている彼は、アトラス編集部に来る前に色々と独自で情報収集をしてきていたが、その中にこの少女の幽霊の話は全くなかったのである。
「この子も飛び降りる幽霊に関係があるのかなぁ…」
「さぁ…それは調べてみないと分りませんけど…無関係ということはないのではないでしょうか」
 支倉の言葉に写真に目を落としたままの凪砂が応じた。その奇妙な写真には、人を惹き付ける何かがあるような気がした。
「それで、今回の取材は、その中華風の幽霊とこっちの飛び降り自殺をする幽霊を取材すればいいのね?」
 もう1枚の心霊写真を手に、崎咲里美(さきざき・さとみ)はデスクの前で腕を組んだままの碇に問い掛けた。
「えぇ、この2枚の写真の取れた歩道橋付近では最近事故が多発してるらしいのよ。幽霊と関係があるかどうかは分らないけれど、事故の発生している時間が限られているようでね。その辺のことも含めて、調べてきて頂戴」
 特に、幽霊が歩道橋から飛び降りる理由とその女の子の幽霊についてね。
 そういって碇は里美の持つ写真を一瞥して、何か考えるかのように口を閉ざした。里美の手にした写真には、歩道橋から飛び降りる黒い影が写っている。不鮮明な写真ではあったが、よく見ればそれが少年であることは確認できる代物だった。その写真を幸美の少し後ろから、眺めていたセレスティ・カーニンガム(−・−)は小さく溜息をついた。2枚の心霊写真のうち、1枚に写る少女が、あの夢の中でみた彼女によく似ているような気がしてならないのだ。あれが予知夢であるとするならば、自分が夢で体験したことは…セレスティの頭の中で思考が渦を巻く。
 とにかく、今は動くことが第一だった。


■2

 夕方、商店街に沿って立つ街灯にポツポツと明りが灯り始める時分、里美は急ぎ足で幽霊が目撃されている歩道橋へと向っていた。彼女の手の中には、2冊の手帳が握られている。1つは普段から持ち歩いているもの、もう1つは以前使っていたものだ。これを取りに自宅まで戻った為に、里美は遅くなってしまったのである。

 今回の事件が起きている場所をアトラス編集部で聞いた時から、里美の頭の中でなにかが引っ掛かっているような感覚があった。それは彼女の記憶に起因しているようであり、また記者としての第六感的なものでもあるようだった。事件の起こっているその場所に何かあったような気がしてならない。否、それよりも、その場所で今回の事件に関係するような別件取材をしたことがあるような気がするのである。ただ、何の取材であったのかが思い出せないのだ。取材した情報を書き込んでいる手元の手帳に、それらしい記事はなかった。
「でも、そんなに昔って感じはしないんだよねぇ…」
 里美は呟きながら、手帳の一番初めに記された取材メモの日付を確認した。日付は4月初めになっている。となると、記憶に引っ掛かっている事件は以前使っていた手帳の中か?そう思い至った里美は、アトラス編集部を出た後、急いで自宅に戻り机の中から以前の手帳を見つけだした。わなわなと震える指先を押さえながら、手帳のページをめくる。
「あ、これ…!」
 目的の記事はすぐに見つかった。3月初めに取材したメモだ。高校3年生の男子が歩道橋から飛び降りたという事件で聞き込んだ情報が走り書きされている。里美は手帳のメモにじっくりと目を通していった。
 3月某日、午後23時12分頃、大学の合格発表から帰る途中の男子高校生が歩道橋から飛び降り、走ってきたトラックに撥ねられ死亡。男子高校生には自殺原因となるような事情はなく、警察で自殺か事故かで揉めている…云々。
 そのような内容の書かれたメモの脇に、小さく『田崎』という苗字が走り書きされていた。確か…と、それをみて里美は思い出す。
 確か、飛び降りたのが高校生だったので、文面に名前はだせないなと思って…それで、苗字だけ一応メモしたんだっけ。
「あの歩道橋から飛び降りているのは学ラン姿の高校生、3月に事故にあったのも高校生…。何より、毎晩、幽霊が目撃されている刻は確か、23時12分頃って蒼月くんがいってたハズ。それって、事故の起きた時刻と一緒だわ。つまり、あの幽霊は、この子ってこと?!」
 もしそうだとするのなら。事故のあった後からずっと、あの子は歩道橋から飛んでいた事になる。一体、何の為の彼は飛び続けているのか…。それは分らないけれど、歩道橋近辺で多発している事故が恐らくは彼のせいだということを里美は確信していた。彼が祟っているとか、そういう事ではないだろう。多分、歩道橋から飛び降りる彼を見たドライバーがハンドル操作を誤ったに違いない。
 その事に思い至って、里美は手帳を掴むと部屋から飛び出したのだった。

「何にしても放って置けないって事よね」 
 オレンジ色の街灯が車道を照らしている。その明りの向こうに目的地である歩道橋の影を見つけて、里美は更に歩く速度を上げた。


■3

 夜の帳の下りた商店街。その少し外れにある歩道橋のすぐ傍のバス停で4人は再び顔を合わせた。バス停といっても、普段は1台のバスもここには停まらない。ここを通る路線バスは年間何度かの特殊な時期にしか運営されていないのだ。そのことを時刻表で確認した彼らは、歩道橋のよく見えるこの場所で少年の幽霊が現れるのを待つことにした。
 少し古ぼけたベンチに座る4人、その一番端にあの心霊写真に写っていた少女が座っている。この場で顔を揃えた際に、一足先にここに来ていたセレスティから紹介されたのだ。幽霊である彼女が、こうもあっさり捕まるとは思っていなかった3人は驚きの表情を作ったが、少女の方はきょとんとした顔で彼らを見た後で、
「初めまして、李湘月(リー・シアンユエ)です。宜しくお願いします。あと、私は幽霊じゃなくて、鬼仙なんですけど…」
 と頭を下げた。そして、彼女は、鬼仙が魂だけの仙人であること、少年の転落現場に居合わせたこと、彼をあの世に送ってあげたいと思っていることを一つ一つ丁寧に話し、
「お願いします、力を貸してくれませんか?」
 と、もう一度、彼らに向かって深々と頭を下げたのである。その言葉に、誰も首を横に振る者はいなかった。なぜなら、彼らもまた、幽霊となってまで飛び降り続ける少年を何とかしてあげたいと思っていたからだ。
 それが夕刻の話。それから、ずっと彼女は邪魔にならないように端に寄りながらも彼らと共に居て、時計が23時を回るのを待っているのである。

「それにしても…田崎さんでしたっけ?その子、一体、何が目的で毎日のように飛び降りているんでしょう」
 頭上斜め上に黒々とした影のように架かっている歩道橋を見上げながら、凪砂はポツリと言った。彼女の声は呟きとも取れる程の小さなものだったが、それは闇の中で静まり返ったバス停で思いがけないほどに大きく響く。凪砂の言葉に、手帳を繰りながら里美が応じた。
「さぁ…大体、飛び降りた原因も分からないんだよね。飛び降りがあった当日、彼は大学の合格発表を見に行った帰りだったらしいんだけど、そこの大学に受かってたらしいから。」
「受かってたのに、飛び降りたんですか?」
「そ。地方大学だったらしいんだけどね。本当はその地方の親戚の家に一泊して戻ってくる予定だったらしいんだけど、大学に受かったことを家族に早く伝えたかったらしくてね。その帰り道にこの歩道橋から…。」
「…確かに自殺とか考えがたいですね」
 里美の言葉に凪砂は、ふぅと息を吐いた。ほとんど完成したパズルの、最後に残った1ピースが見つからない時のようなもどかしい気分に襲われたからだ。彼女たちの話を静かに聴いていたセレスティは、ふとある事を思い出して隣に座っていた湘月に目を向けた。
「そういえば、昼間、彼をあの世に連れて行こうとしたけれど、出来なかったといっていましたよね?何故、出来なかったんです?」
 そう問いかけられて、湘月は一瞬考え込むような表情を作り、上手く言えないんですが…と前置きしてから口を開いた。
「様子がおかしいんです、彼。話しかけても反応がないし、表情も虚ろで…」
「それは、幽霊になったからじゃないんですよね?」
 凪砂の質問に湘月は首を横に振って否定の意を示してみせる。
「じゃぁ、誰かに操られてるとか?」
 それまで黙って話しを聞いていた支倉の言葉にも湘月は首を横に振る。
「操られているというか…何かに魅入られているというか…」
「まぁ、実際に見てみれば分かるかな。そろそろ、23時10分だし」
 上手く表現できずに悩む湘月に、時計を確認しながら支倉は軽い口調で言った。その言葉の語尾にかぶるように、誰かがハッと息を呑む音が響く。
 何も居なかったはずの歩道橋の階段に白いものが漂っていた。白い靄のようなそれは階段を上りながら、人の形を成していく。心霊写真に写っていた飛び降りる幽霊、例の高校生に間違いなかった。
「出たね。」
 呟いて、里美は歩道橋の階段へ走った。その後に凪砂が続く。今日こそは、なんとしても彼が飛び降りるのを阻止しなければならないのだ。
「もしもし、田崎さんですよね?」
 階段をおぼつかない足取りで上る少年に追いついた里美が声をかけた。返事はない。ふらりふらりと半透明な体を振り子のように揺らしながら、彼は階段を上っていく。
「田崎さん!ちょっと、田崎さんってば!!」
「駄目です、聞こえてないみたい。…それに、もしかして見えてもいないのですか?!」
 階段を上る少年を追いかけながら、何度も里美が呼びかける。追いついた凪砂は、少年を止めようと手を伸ばした瞬間に、彼の目をみて思わず絶句した。少年の目は、濁ったガラス玉のように曇っていたのだ。
 このままでは、また彼はここから落ちていく。一体、どうしたらいいのか…。里美は思わず唇を噛んだ。
 一方、歩道橋の下からその様子を見ていたセレスティは、歩道橋の上にかかる月の中に、あるものを見つけた。
 夜空に舞い踊る紫の燐光。否。紫の蝶だ。夢の中で見たものと同じ、ひらりひらりと何かを誘うように舞っている。
「あれは、夢に見た…?!」
 硬い声音だった。セレスティの声は決して大きくはなかったが、その硬い声音は今まさに歩道橋の上に走ろうとしていた支倉の注意を引くのには十分だった。セレスティの視線を追って、支倉は中天を仰ぐ。彼の青い双眸に、妖しく飛び回る蝶が映った。
 誘うように、惑わすように、舞う蝶々。
 その舞は歩道橋の上の少年を誘う為のものだ。
「お前が原因なんだな…!」
 そう直感で理解した支倉の周囲の空気が色を変えた。ゆらりと揺らめくと、青い炎となって空中に舞い上がる。支倉が作り出した狐火だ。歩道橋を掠めるように飛んでいった青い灯りを追うように、里美と凪砂が空を見上げる。彼女たちが見たのは、紫の燐光が青い炎に包まれて燃え上がる、その瞬間だった。
 闇に中に沈黙が降りる。毎夜、影となっていた少年は歩道橋の上に所在なげに立っていた。誰もが自らの手元の時計を見た。
 時計は23時13分を回っている。
 この日、影は落ちるのを止めたのだ。

「あの、田崎さんですよね?」
 歩道橋の上に降りた沈黙を破ったのは里美だった。所在なげに立ち尽くす少年に、そう声をかける。振り向いた彼は、戸惑いの表情を浮かべながら頷いた。
「そうですけど…あの…僕は、一体何をしていたんでしょうか…?」
「覚えていないんですか?」
 戸惑う少年の言葉に、優しく凪砂が尋ねると彼は力なく首を振った。
「あまり覚えてないんです。あの、僕、死んじゃったんですよね?」
「えぇ、残念ですけど…貴方はすでに亡くなっています」
 凪砂の言葉に少年の肩からガクリと力が抜けたように見えたが、その表情は納得と安堵が入り混じったようなものだった。そんな彼の後ろから、歩道橋を上ってきたセレスティが穏やかな口調で言葉をかける。
「3月のあの日、何があったのか、話してもらえませんか?」
 その言葉に促されるように、少年はポツリポツリと話始めた。
「あの日、僕は大学の合格発表からの帰りで、家に帰ろうと思って、ここの歩道橋を渡っていて…そう、紫色の蝶を見たんです。それから…気がついたら、歩道橋から落ちていました。」
「蝶を見てから落ちるまでの記憶はない?」
 言いながらも、里美はしっかりと話の内容のメモを取る。これが仕事であり、後々記事として纏めなければならないからだ。カリカリという筆音が響く中で、少年は首を横に振った。
「覚えてないんです。けど、誰かが、こっちに来いと誘っていたような気はします。でも、僕は早く帰りたくて、行きたくないと叫んだかもしれません。あとの事は、よく分かりません…。」
「誘いの言葉に抵抗した末に落ちていた、という訳ですか」
 凪砂は溜息と共に言葉を吐出した。。不運だった、の一言で片付けるには些か複雑な気分だった。
「何にしてもキミは亡くなってしまっています。この上は、あの世に行かれるのがいいでしょう。」
「それに、道案内してくれる人もいるしね!」
 セレスティの言葉に、支倉も笑顔で頷く。そして、後ろで見守っていた湘月を前に押し出した。驚いた顔で振り返る湘月。だが、4人の顔を見て、すぐにその顔は笑顔に変わった。そして、少年の手を静かに取る。少年は、4人に無言で頭を下げた。
「それじゃ、行きましょうか」
 彼女の言葉に、彼は無言で頷いた。その姿が次第に薄れていく。月光の中に、完全に解け切る前に振り向いた湘月の唇が言葉を刻んだのを、彼らは見た。
 …また、機会があったら会いましょうね。
 それを最後に、2人の姿は夜の闇の中に消えさった。
「終わりましたね…」
 チリンと、1度小さく鳴って夜空に吸い込まれていった鈴の音を聞きながら、濃紺の空に向かって誰かがそう呟いた。


 あれから。
 歩道橋付近での事故は、ピタリと止んだ。同時期に飛び降りる幽霊の目撃情報も無くなり、ネット上では『実はあの事故は幽霊の悪戯だった?』などという荒唐無稽な噂が流れている。月間アトラスの最新号は無事に店頭に並び、あの事件を扱ったレポートとコラムが紙面を飾ったが、あの少女―湘月に関する記事は1文字たりとも紙面に登場することはなかった。

「…終わったんだよね」
 穏やかな昼下がり、新たな事件の取材へと向かう電車の中で里美は、窓の外へと目を向けながら呟いた。窓の外には、何時もどおりの灰色がかった青空が広がっている。穏やかな日常だ。里美は、大きく一つ深呼吸をすると車内へと向き直り、目を閉じた。
 その遥か上空を紫の燐光を纏った蝶が舞っていたのだが、里美がそれに気がつくことはなかった…。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1651/蒼月・支倉/男/15歳/高校生兼プロバスケットボール選手
1847/雨柳・凪砂/女/24歳/好事家
1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
2836/崎咲・里美/女/19歳/敏腕新聞記者


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、ライターの陽介です。
凪砂様、支倉様、里美様、初めまして。セレスティ様、2度目のご参加ありがとうございます。
この度は大変長らくお待たせしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。
この失態をなんとお詫びすればいいのか…。
折角御参加くださった皆様に大変不快な思いをさせてしまった事をただ深くお詫びする次第です…。
本当に申し訳ありませんでした。

今回の事件ですが、一応これで完結です。
…が。
1つだけ明らかになってない謎が残っているのにお気づきになられましたでしょうか?
そちらに関しては、いづれ別の事件の際に明らかになる…かもしれません。
その際、またご縁がありましたならNPCの湘月ともども宜しくお願い致します。

それでは、また何処かでお会いできることを祈りつつ、この辺で…。