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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


NIGHTWING

 眩い光が正面の「標的」を容赦なく照らしていた。
 場所は閑静な高級住宅街の十字路。
 時刻は深夜という言葉がピッタリと当て嵌まる。
「まさか、夜とはいえこんな所で堂々と狩りとはね?――恐れ入るよ、君たち夜魔って、思っていたよりも随分と社交的じゃないか」
 4気筒エンジンの猛々しい唸り声を従わせて、「標的」に問いかけた言葉の主。
 表面は穏やかで柔らかい声。そう宝塚の男役でも通じそうな美声。しかし声の底には確かな殺意と、冷たい怒りが潜んでいた。
「………」
 光の先に佇むのは女だった。
 掛けられた声に竦んでいる訳でもなく、わざとらしく肩を竦めてみせるあたり、「したたか」な相手と見て取れた。
 が、女には取り立てて特筆するような部分は無かった。黒ブラウスとスカート、共に身体にタイトな衣装を纏い、黒髪、黒目とこの国の人間であることを主張する。やや面長な顔立ちは、すっきりとした目鼻立ちで、メイクは濃い方だろうか。アイ・シャドウを塗った切れ長の二重から覗く目の色は、何処となく妖艶過ぎではあったが…。
「どうしたの?――僕に狩りの邪魔をされて怒らないのかい?」
 問う声の主こそ、異常とも言うべき容姿の持ち主だった。
 身に纏う純白のテイルコートはゴルチェだろうか?――端麗過ぎる顔立ちも、彫りはどう見ても東洋ではなく西洋の血を証明しているし、左右の瞳は美しく澄んだ青。微かに露出している肌も陶磁器のごとく白く、声は容姿に違わずに鈴の音のように美しい。
 寧ろ、あまりに美しすぎて性別の判断が難しかった。
 美貌に裏打ちされた若々しい声からは少年のようにも思えるし、モデル並に高い身長と、何処か相手を圧する落ち着きぶり、醸し出す雰囲気は成熟した女性を感じさせもする。
 
 名を、
 蒼王、翼――。
 
 古き時代より「血の神」と謳われた神域の存在、その血脈を受け継ぐ者。
 魔性と神聖を同時にその身に宿し、闇に跳梁する「魔」を狩る者。翼は「彼」ではなく、「彼女」であった。 
 自動二輪のライトに照らし出された女は、黙ったまま片手に掴んでいたモノを持ち上げる。それは…人間の男。常識を超えた視覚を持つ翼には、この距離程度ならば生気の無い男の身体状態まで、ある程度は見て取れる。「獲物」である男は二十歳そこそこの若者だろう。
「―――」
 翼はその場でアクセルを全開にした。
 すると、どの様な技が駆使された結果か、秒で凄まじい加速現象。
 女――夜魔リリスが男(獲物)をどうにかする前に、翼の操るレーサーレプリカが迫る。
 この常識を超えた翼の動きを予測していなかったリリス。本来ならばそのまま男を持ち去るべく宙へと跳んだはずが、男を諦めて身一つでの紙一重の跳躍。からくも安全圏へと逃れるのがやっとであった。いや、其れは五メートルもの高い飛翔というべき身のこなしであったから、跳躍と呼ぶのは正確ではないかもしれない。
 皮一枚、一瞬後に翼のバイクが通り過ぎて行く。
 翼は夜魔から開放された男を、見かけを裏切る怪力で片手で拾い上げると、交差するように夜魔とすれ違った。
 加速数メートルで再び車体をターンさせ、電光の如く振り返りれば、青い眼差しがリリスを探る。
 同時に気絶している男を、そっと道路脇へと降ろした。
 「標的」は、住宅街に長く連なる垣根、その上に絶妙なバランスを持って佇んでいた。
 再び眩いライトが女へと向けられる。
 妖艶な、何処か翼を嘲笑うような微笑を浮かべる女。
 女はそのまま背中を向けた。
 途端、自らの衣装を裂いて背中から飛び出したのは蝙蝠を連想させる二翼。奇怪なはばたきが一度、勢い良く宙を飛ぶと、そのまま夜の空へ逃れる気か。
「――逃がさないよ!」
 再び深夜に轟く四気筒の咆哮。
 唇を引き締めた翼。
 例え其れが見え透いた誘導だろうと…。
 ――翼の追撃が始まった。

***
 
 幾度かのカーブ。
 雲が晴れて半月が姿を現した瞬間。
 翼の繊細な指先が、鋭く、意識せずにクラッチへ流れる。
 左右へと忙しく傾く身体は、純白のコートで覆われ、その背中には黒く細長い布を背負っていた。
 「深夜」という刻に、狂ったように猛るエキゾースト。
 音に色があるとすれば、――さながら真紅を想わせる。
 左右に構えた腕の先からは、荒々しい大型二輪の鼓動。
 赤光を彷彿とさせるフォルムが、静寂の夜を疾風のように駆け抜ける様は、近くに海を臨む高級リゾート地区では相応しくない。
 …そう、相応しくないはずなのだが、其れは恐ろしく美しかった。
 ときおり純白のコートが激しい空気抵抗で括れ上がるが翼は気にしない。
 車体は、駆る者の衣装とは対照的に真紅。
 翼はヘルメットを装着していないので、美しい髪は容赦なく風の洗礼を受けている。
「―――」
 青く澄み切った瞳をスピードメーターへと落とす翼。司法車両を愚弄するには十分な速度。だが確認して尚、お構い無しに上り坂を飛ばしていく。
 いや、寧ろスピードは増していった。
 翼を捉えて離さないのは狩人としての血か、
 駆るものが違っても最速の貴公子には変わらない。
 目指す相手は特定の距離を保ったまま――黒い空を往く。
 絶対に逃がさない、と。
 ファッション性が排除されたマフラーが、もう一度翼に同意するように吼えたのだった。

***

 辿り着いた場所は高台に在った。
 海の見える公園の直ぐ傍。
 即ち――外人墓地。
 
 近くに教会も臨めるこの場所は先ほどの住宅街に輪をかけたほどの静謐に包まれていた。出歩いている人間は皆無。恐らくはこの地域をテリトリーとするリリスの結界でも働いているのだろう。
 翼は猛り切ったバイクのエンジンを切ると、シートから降りて背中の布、封を縛る紐を解く。
 美しく装飾された入り口を潜った、白衣装に身を包んだ青い目の麗人。
「夜の墓場がテリトリーとはね、参ったね…これじゃまるでホラー映画だ」
 流暢な日本語が零れるが、聴く者は当然誰もいない。
 翼は、墓地の奥――木々の多い、リリスの妖気を濃く残す其処へと足を進めて行く。
 すると、案の定、一際大きな墓碑と墓石にもたれる様にして腕を組んでいるリリスを発見した。
 最初から翼を誘っていたのだろう。
 勿論翼もそれを承知しているので驚きは無かった。ただリリスを見つめながらも周囲への警戒心だけは怠らない。
「観念してくれたの?――それとも、奥の手でも用意しているの?」
 一応、尋ねるのは礼儀。
 同時に利き手は背中へと伸び、予め解いておいた布へと指を触れさせる。硬い感触――それは翼の愛用する魔を屠る剣の柄。スゥ…と、引き抜けば、月下に銀色の輝き。見る者を凍てつかせる美しい刀身が露になった。
「キミの方に手が無いのならば僕から行くよ?――さて…」
 自分が手にした得物を見ても顔色一つ変えず、微笑を絶やさないリリスの様子。溜息を付く翼。それも一瞬だけで、一歩足を踏み出すと一足飛びにリリスへと飛び込む。
 白い風が西洋墓地に吹き荒れる。
 翼の振るう銀色の煌きは、一閃でリリスを塵とするほどの逸品。
 また、翼の剣技もそれを可能とするに相応しい。
 一秒の下に、リリスの細首は切断され、存在は闇へと消滅するはずであった。
 「彼」――が、リリスと翼、二人の間に割って入るその瞬間までは。

***

「なっ!!?」
 リリスとの間合いを文字通り一瞬で詰めて、横一線に銀色の閃光を揮うはずだった翼、併し――動きは新たな人物の出現とともに、驚愕の叫びへと変わった。
 余程のことでもなければ、真から動揺することない翼だったが、突如リリスを庇うべく現れた相手に、瞳が揺らぎ、剣を揮うことなく間合いを外す。
「何故キミが、僕の邪魔をする!!?」
 珍しくも動揺露な言葉。
 相手は応えず、リリスを後ろに護るように佇み、まるで人形を想わせる感情の無い眼差しで翼を見つめていた。
 翼を驚愕させた相手の容姿。
 金糸を想わせる煌びやかな髪は神秘性と気品を漂わせ、見るものを惹きつける深い黒瞳からは美しさとは別に虚無感も窺える。唇には『嗜好品』こそ咥えていなかったが、いつ鋭い皮肉と、毒含む揶揄が飛んできても可笑しくない…、そう知りすぎるほど知っている翼。
 さらに信じられないことは続く。
 否、夜魔を守るべく立ちふさがった敵ならば、当然である其の行為。
「――っ!」
 「彼」が右手をゆっくりと持ち上げたのだ。
 握られた凶器は――銃。
 翼の眉間に照準を合わせると、まったく躊躇い無くトリガーを引いた。
 銃口から放たれた殺意の弾丸を、咄嗟に横に飛んで避けた翼。思考速度を凌ぐ超人的動作ゆえの回避…。
 が、相手もさるもので、秒の間を空けず立て続けに銃声が続く。的確に急所を襲う弾道には慈悲も、容赦の影すらなかった。
 先ほどのリリスと翼の立場が逆転した。少なくとも今は追い立てるはずの翼が、追われている。それほどの距離が開く。
 何度目かの銃撃で墓碑の一部を砕かれた墓石、空宙で華麗に身体をひねりながら飛び越えると、足音を経てずに着地する。
 表情を歪めて唇を噛む翼。
 手心一つない銃撃を前にしても身体へのダメージは皆無。
 しかし、精神が受けた衝撃は相当に大きかった。
「金蝉……」
 無意識に零れた綴りは相手の名。
「………」
 されど相手は相変わらず片手で銃を構え、漏れた呟きにも無反応。無表情に翼を見据え近づいてくる。
 考えられることではなかった。
 少なくとも翼の知る彼ならば、こんな反応など在り得はしない。
「ドウシタノ……綺麗な狩人さん?」
 と、まるでそんな翼を揶揄するような楽しそうな声。
 「彼」の背後でこの見世物を演出し、観客へとまわったリリスである。
 ぞくっとするほどの妖気が翼の瞳から流れ、一種殺意の刃となってリリスへと放たれる。
「――金蝉に、何をした?」
 声には憤り、殺気が込められている。
 リリスは応えず、後ろから「彼」の身体をゆったりと抱いた。まるで甘えるようにしな垂れかかる…。
「―――っ!」
 それは明らかな挑発。
 心が苛立つ。
 血液が激しく波打ち、鼓動が僅かに速まった。
 翼を意識しての抱擁。リリスは彼の顎を指先で撫で、「彼」の肩に顔を乗せると、くすくすと微笑む。
 此方を見つめる「彼」は、相変わらず抜け殻のような瞳。
(…リリスに捕らわれた? あの強靭な精神の持ち主が。――っ、バカな、ありえない!!)
 だが、目前の光景は幻覚の類ではなかった。
 
 桜塚…金蝉。

 此処では翼の知る「彼」は否定されているのだ。 
 誰かの言いなりになるぐらいなら舌をかんで死にそうな金蝉がリリスの命にのみ従って翼を襲う事実。
 動揺と驚愕を越えた苛立ちを感じる。
 リリスが「彼」を離すと、再び盲目的に翼に銃弾を打ち込んで来る。
 迫り来る銃声と銃弾をからくも避けながら、金蝉へ呼びかけを続ける翼。
(金蝉らしくない。それがこんなにもイライラする…)
 リリスに、他人にベタベタされて振り払いもしない金蝉というのは腹立たしくて見ていられなかった。
 耐え難い――。
 自らが受けた侮辱よりも、ある種の苦痛を感じる――。
「金蝉!!」
 コートの裾を翻して墓地を駆けながら、叫んだ翼。
 
 そこに――、
 一発の銃弾が響き渡る。
 
 否、正確には二発。
 同じ銃声が、翼を中心にしてまったく同時に重なったと言って良い。
 一つは翼の見つめる「彼」、金蝉の右腕から。
 もう一つは翼の背後にひっそりと茂る木々の奥から。
 どちらも翼の美貌を左右から掠め、前者の銃弾は紛れも無く翼を狙い、後者の銃弾は―――、
「勝手に人の紛い物創ってんじゃねぇよ」
 身を捻りながら聴き慣れた声。
 慌てて、後方を振り返る翼。
 木々の間からは漂う硝煙の匂い。見つめる先には銃口から燻る白を従えて、暗がりからゆっくりと歩いてくる男の姿。
 もう一度声を聴けば不安は霞みのごとく去り、やがて鮮明になった人影を目視すれば、今までの苛立ちは払拭されて行く。
「翼、お前もお前だ。そんなコスプレ野郎に手間取ってんじゃねぇ」
 唇を曲げて、鬱陶しそうに嘯く彼こそ、正真正銘の金蝉。
 そう、倣岸不遜で、何処まで人を虚仮にした喰えない男、
 
 ――桜塚金蝉である。

 翼から意識せずに苦笑が零れた。
 らしくないと、違うと感じたのに珍しく冷静じゃなかったせいか"偽者"だとまで考えなかった。
「たくっ、勝手に俺の偽者なんか創りやがって、――さっさと片付けるぜ?」
 ゆっくりと翼の隣に並び立ち、気だるげに同意を求める相棒。
 落ち着きを取り戻し、頷いた翼。
 これで二対二。
 翼と金蝉の二人は、予想外の登場者にうろたえたリリスと偽者に、文字通り反撃を開始したのだった。

***

 それから暫く後――、
 物騒な銃声を響かせていた外人墓地からは、全ての喧騒が消えていた。
 残ったのは、リリスの張っていた結界が消失した名残か、冷たい空気だけ。
「ち――逃げるのが上手い奴だ」
 そう言い、嗜好品の箱をシェイクしながら、飛び出た中身の一本を咥える金蝉。
「………ああ」
 応える翼は白み始めた東の空を眺めていた。
 あと数刻で東日が昇る。
 金蝉はライターで煙草の尖端に火をともし、一つ紫煙を吐き出すと、翼を怪訝そうに見つめた。
「逃げられた割には――残念そうに見えないが。…俺の気のせいか?」
「………」
 翼はそれには応えない。
 いや、実際は小さく、唇を動かして何かを呟いたのだが、金蝉の耳には届かなかったらしい。
「あん?」
「何でもないよ」
 コートの裾を翻すと見上げた夜空から視線を金蝉へと移し、直ぐ外す。
 一応、翼と金蝉は偽の金蝉を倒しリリスを追い詰めた。
 動揺から立ち直った翼に、本物の金蝉も加わったのだから当然であろう。偽者はそれなりに良くは出来ていたが、所詮は魂を持たない紛い物。
 が、リリスには後一歩というところまで追い詰めたにも関わらず逃げられてしまった。
 故に本当ならば『残念』、なはずなのだが…『まぁいいか』と思う。
 本来ならば轟いた銃声ゆえに、通報されていても可笑しく無いが、幸か不幸かリリスの張っていた結界が役に立ったらしい。この夜の出来事は翼と金蝉以外は誰も気付くこと無いだろう。そっとコートを翻して歩き出した翼。髪を掬い上げる東からの潮風に目を細め一度立ち止まる。その折、
「金蝉…」
 と、低い声で呟いた。
「何だ?」
 言葉に何を感じたか、金蝉も短く聴き返す。彼は翼の背中を一度だけ見遣り、後の視線は、自らの唇から流れる燻らせた煙へ送っていた。
 翼は振り返らずに、
「―――」
 背中を向けたまま小声で紡ぐ。
 今度は金蝉に聴こえただろうか?
 聴こえたとしたら――背後の彼は疲れたように首を振って呆れたのだろうか?
 背後で煙草を消す気配。
 感じ取りながら、再び翼は歩き出した。
 「金蝉」へのこの不思議な感情。
 今は嫉妬だとか恋情だとか、名前をつけようとは思わない。ただ、どんな形にせよ自分の中に確かに存在する金蝉への感情、初めて自覚したそれを――持て余すだけで今夜は十分としよう。

 やがて、外人墓地から離れて行く二人。
 少し遠くから見下ろすような教会の十字架。
 遥か月の光を反射すれば、其れは徐々に遠退く金蝉と翼の影を追い、静寂を取り戻した戦場跡を淡く照らしていたのだった。