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サクラノヤマニ オニノマウ
■オープニング
里山の情緒を残す榛名瀬村は、春ともなれば裏の山全体が薄紅色に染まる程の、隠れた桜の名所であった。
ところが……
「今年は、咲かなかったんですよ。一本も…」
依頼人として草間の許を訪れた老人は、その言葉を口にすると共に、ひどく悲しげな溜息を漏らした。東京でもかなり郊外の過疎の村では、毎年山を彩る桜の開花は、それだけ重大な関心事という事なのだろう。
「天候不順とか、もしくは桜の木が病気にかかっているという事は?」
「いいえぇ。今年は気候も良くて、むしろ花の咲くのは早いだろうと云われてたぐらいです。それに、枝も幹も、何の異常もありません」
それでも桜は咲かなかった……確かに不思議な現象だ。
しかしそれは、探偵に依頼してどうにか出来るものでもないような……
そんな疑問が草間の脳裏を掠めて過ぎるが、彼がそれを言葉にするより早く、依頼人の口からもうひとつの事実が告げられた。
「実は榛名瀬の山には、桜鬼が住んでいるという言伝えがあるんですよ。太鼓を鳴らして山中を舞い踊り、そうして花を招くという…山の上には、桜鬼を祀った社もあります。これが関係あるような気がしましてねぇ…」
――つまり今回の依頼も、ばっちり「そっち」方面の可能性があるらしい。
またか。
やっぱりまたなのか。
「……」
テーブルの上の煙草に手を伸ばしながら、草間は深い溜息をついた。
■ハリガミノマエ
壁に貼り出されているのは、新たな依頼の調査員を募るメモ。
「花を呼ぶ鬼とは優雅ですね」
ぶっすりと不機嫌そうな顔で煙草をふかす草間の隣で、モーリス・ラジアル(もーりす・らじある)はしげしげとメモを眺めていた。
「ただの言伝えだと思うんだがな…」
「それは現地で確認すればいいだけの事です。とにかく興味がありますよ。鬼にも、それから鬼に呼ばれて花を咲かせる桜にも」
鬼の存在を完全に信じたわけではないが、少しでも興味を感じた以上、行動の理由としてはそれだけでも充分だろう。モーリスは完全に行く気になっていた。
(そうと決まれば、準備をしないといけませんね)
これ以上ここに居ては、怪奇探偵と呼ばれ非現実的な依頼ばかり持ち込まれる事に対する愚痴を聞かされる事にもなりかねない。そんなものには興味は無いし、ここは早急に退出するのが賢明だ。
「鬼が出るか蛇が出るか、楽しみですね」
渋面のまま溜息をくり返す草間にうっすらとした笑みを向け、それからもう一度メモの内容を確認すると、モーリスはすたすたと事務所を後にした。
草間興信所を出たモーリスが向かったのは、駅前にある商店街だった。
準備とはいったものの、これと云って必要な物が思い当たるわけではない。それでもひとつだけ、どうしても持参したい物があった。
「……上手く行ったら桜が見れるかもしれませんしね」
くすりと小さな笑みが口元に浮かぶ。
そして彼は、ある店の前で足を止めた。
■サカナイサクラ
昼下がりの榛名瀬村。
依頼人宅の縁側には、四人の男女が集っていた。
「桜鬼を見た人ですか? うーん…居ないとは思いますが、言伝えでは小さな子供の鬼だとか」
目撃談を元に居場所を特定出来ないかと思っていた相生・葵(そうじょう・あおい)は、依頼人の言葉に軽い落胆の色を浮かべる。
「子供なのか…女性だったら良かったのに」
落胆する所が微妙に違うような……
「子供でも、女の子かも知れないよー?」
巫女装束に赤いリュックといういでたちで縁側のへりに腰を下ろし、ぶらぶらと足を揺らしていた海原・みあお(うなばら・みあお)が、明るい声と共に葵を見上げた。「あぁ、そうか」と、瞬時に葵の顔に笑みが戻る。
「成長したら、きっと美人になるんだろうねぇ」
ほわんと幸せそうに呟く彼の脳裏では、見た事も無いどころか実在するかも定かではない桜鬼の少女の未来予想図が、華やかに描かれているのだろう。
「早く会いたいねー」
みあおまでが、その想像に同調する。
彼らの心は、既に桜鬼へと飛んでいるようだ。
「桜鬼が鳴らすという太鼓の音、聴いた事があります?」
そんなふたりの様子に苦笑しながら、シュライン・エマ(しゅらいん・えま)が次の質問をくり出した。
「あれがそうなのかは判りませんが…毎年春先の頃、春雷の音に紛れて妙な音が聞こえる事がありますねぇ。桜が咲くのは、そのすぐ後です」
妙な音とは、どんな音だろうか。
「タンタンターンと拍子のついた、澱みの無い張りのある音です。…そう云えば、今年はまだ聞いてませんな」
「そして桜も咲いていない……」
独り言に近い思案の呟きと共に、シュラインの視線が里山の景色へと流れる。青空の下に広がる風景は、この時期ならば新緑に輝いていてもおかしくない筈なのに、所々に不自然な冬枯れ色を残していた。特に山の方はそれが激しい。
「…確かに、異常ですね」
同様に山の様子を見詰めてたモーリスの口から、低い唸り声が発せられた。
「桜の種類は様々で、寿命もそれぞれ違っています。老木であれば花が咲かなかったとしても不思議はありませんが…」
何やら細長い紙袋を腕に抱えたまま、もう一方の手を翳して陽を遮りながら、周辺を一望。
「エドヒガンザクラが多いようですね。エドヒガンは、比較的寿命が長い種類に入りますし、ここの桜はまだ若い樹が多そうです。間近で診断しなければ断言できませんが…ざっと見る限りでは、寿命が原因とは考えにくいような気がします」
庭師として、彼は多くの樹を見てきている。遠目の診断でもかなり正確な所を突いていると思っていいだろう。
「やっぱり桜鬼かな?」
葵の目も山を見る。
「探しに行こ? 桜鬼、ケガして動けないのかも知れないよー?」
みあおが皆を振り返った。「そうね」と頷きシュラインが立ち上がる。
四人はいよいよ山へと向かった。
■ヤシロヘノミチ
山とは云ってもそれほど標高は高くなく、三十分ほど歩いただけで、シュラインとモーリスは山頂近くまでたどり着いていた。桜鬼を祀ったという社までは、あとわずかだ。
山頂へ向かうルートはふたつあったため、一行もそれに合わせて二手に分かれている。みあおと葵は、さて今頃どのあたりだろうか。
「あのおじいさん、よっぽど桜の事が心配だったみたいですね」
「桜だけじゃないわ。桜鬼の事もね」
四人を見送った時の依頼人の表情は、それは切実なものだった。「鬼が元気だといいんですが」と漏らした言葉は、まるで孫の身を案じるかのような響きさえあった程である。ここまで来る途中、何人かの村の者にも話を聞く事が出来たが、彼らもまた同様に、桜とそして桜鬼の無事を気にかけていた。
「鬼の存在そのものが桜の季節には不可欠なものとして、村の人達に根付いているのかも知れないわね」
ふと、モーリスの歩みが止まった。傍らに立つ桜の樹を眺め、それから幹に触れたり根の張り具合などを確かめる。先程から彼は、あちこちで同じ動作を繰り返していた。
「どう?」
ひょい、と、シュラインも根を覗き込む。
「やはり若い樹が多いですね。どれも充分に元気で、病気や寿命の心配はありませんよ」
丁寧だが、何処か淡々とした口調でシュラインの質問に答えると、モーリスはそのまま周辺の木々を見渡した。桜だけでなく、山桃や栗の樹もあるのが視界に入る。
「実りの多い山なのね」
シュラインは目を細めるが、モーリスの感想は少し違っていた。
「これだけの果樹があるなら、食糧難で鬼が乾涸びてる…なんて事は無さそうですね」
「……え?」
一瞬だけ、場の空気が凍りつく。
「可能性のひとつとして考えてただけですよ。そんな事が本当にあったら、人間臭い鬼ですよね」
人当たりの良さそうな笑顔だけに、尚更ギクリとする発言だ。
「……ちょっと発想がリアル過ぎない?」
深いローズカラーに彩られたシュラインの口元がわずかに引きつる。しかしモーリスはさらりと構えたままだった。わずかに首を傾げただけで、「さあ行きましょう」と歩き出す。
そして再び進み始める皐月の山路。
暫く進むと、曲がりくねった道の先に、小さな石の鳥居が見えてきた。それから鳥居のサイズ相応の、小さな社がひとつ。
「向こうの方が早かったみたいね」
社の前では、みあおと葵が手を振っていた。
■オニノヤシロ
社はこざっぱりと掃除が行き届いてはいたが、それでもかなり古い物らしく、年月の経過に由来する傷みが随所に見て取れた。
「あ、みあおちゃん、このあたりも撮影しておいてもらえるかしら?」
記念撮影と云ってリュックから特製デジカメを取り出したみあおに、シュラインが釘の腐食しかけた壁を指し示す。社の老朽化が桜鬼に影響を及ぼしている可能性も、無いでは無い。
「そうだとしたら、役場に補修工事をお願いしないといけないものね」
「あ、そうかっ。写真はその時の資料にするんだねっ! うん、いいよーっ♪」
元気な返事と共に、みあおは目に付いた破損箇所をカメラに収めてゆく。それから周りの景色や、扉を開けて社の中を覗いている葵とモーリスの姿なども。
「鬼は居ないですね」
「像ならあるけど…これも結構古いみたいだねぇ」
大きな太鼓を脇に抱え、撥を手にした禿姿のあどけない童子の像は、頭のてっぺんに一本のツノを生やしていた。つまり桜鬼を模した像なのだろう。
「ふーん……やっぱり男の子なのか。なんだ」
だから気にする所が違うだろ。
あからさまに落胆し、一瞥だけであっさり像への興味を失ってしまった葵とは対照的に、モーリスはしげしげと像を見詰め続けている。
「村の人の話では、社は室町末期の物だそうです。像も恐らく同じ頃に作られたのでしょうが、屋内に安置されていただけあって、こちらはそれほど傷みはありませんね」
社の破損箇所を確認し、それからようやく像へと視線を向けたシュラインは、しかしその像に微妙な違和感を感じていた。
「……撥?」
違和感の原因は、太鼓と撥だ。
「タイコはバチで叩く物でしょ? 別に変じゃないと思うけど〜?」
しかし太鼓の種類はそれだけではない。
依頼人の話では、春雷に紛れて聞こえたのは「ターン」という、澱みの無い音だったという。もしもそれが桜鬼の太鼓であったなら、やはりこの像はおかしい。
「どういう事です?」
「つまりね、撥で叩く形式の太鼓だったら、ドンドンと太い音がする筈なのよ。しかもこの像が抱えている位の大きさなら、尚更ね。もっと小さな、撥じゃなくて手で打ち鳴らす太鼓の場合は、こう――」
ターン――
直後、やや高めの張りのある音が、社の周囲に響き渡った。太鼓の音だ。
タン タン ターン――
しかしそれは本物の太鼓ではない。音を発したのは太鼓ではなくシュラインであった。
人の口から発せられたとは思えない、知らずに聞けば太鼓その物が奏でたとしか思えぬ音を、彼女の声帯は見事に再現してみせる。
「――と、こんな感じの音になるのよ」
「その音だったら、依頼人が聞いたっていう音に近いよね」
像への興味は失っていた葵だったが、この指摘の内容にはすっかり感心しているようだった。ぽんと手を打ち、蓬色の頭をうんうんと揺らしてみせる。
指摘の主が女性でなければ、さてここまでの反応を見せたかは大いなる謎だが……
その時、微かに鼻をくすぐる香りがあった。
「……?」
それは花の香り。
本当に微かなものではあったが、それでも確かに嗅ぎ取れる。
「花なんて、咲いてませんよね……?」
ならば何処から漂ってくるのか――四人は互いの顔を見合わせると、それから周囲を見回し始めた。
「あ――」
最初に「それ」を見つけたのは、葵である。
「あそこ、何か居るよ」
彼の指が指し示したのは、鳥居のすぐ脇にある桜の一本。
その影に身を隠すようにしながら、そっとこちらをうかがっている視線があった。
■オニノメニモナミダ
鬼と云われて、人はさてどんな姿を想像するだろうか。
おおよその基本形は似通っていたとしても、細部はそれこそ千差万別だろう。
この時彼らが遭遇したのは、そうした色々バリエーションに富んだ鬼の中でも、かなりユーモラスな方に分類される外見をしていた。
まず、全身が薄紅色をしているのである。恐らくは「桜色」と形容してやるべき色なのだろうが、丸っこい体に更に真ん丸い顔のほぼ三頭身という体型の前では、むしろ「桜餅色」と呼びたくなる。
真ん丸頭のてっぺんには、栗きんとん色をした髪の毛が乗っかっており、更にその上には小豆色の小さな一本のツノ――虎縞の布を腰に巻いているあたりは確かに基本形を外していないが、それでもやはり異色のルックスだ。
人違い…いや、鬼違いだったらいいのかもしれないが、腰に提げた小さな太鼓を見る限りでは、やはりそーいう事なのだろう。
「…桜…鬼?」
唖然と云うか呆然と云うか、そんな響きを伴った呟きが葵の口から漏れて出る。
「おいしそうな、色ですね…」
表情こそ平静を保っているが、モーリスの言葉にも何処か脱力したものが感じられた。
「……微妙に、サギじゃない…?」
社に安置された像と実物を見比べ、シュラインがポツリと呟いたとしても、それは至極当然な感想であろう。
ようやく現われた桜鬼を前に、三人の大人が呆気に取られている状況下でも、みあおだけは全然めげていなかった。
「桜鬼ーっ♪」
むしろ無邪気な歓声を上げながら、小走りでそちらへと駆け寄っていく。
一瞬ビクリと身をすくませた桜鬼だったが、みあおに手を取られると、やがておずおずと桜の根元を離れ、社の前まで進み出てきた。点点の小さな目が四人の顔を見上げ、それから何かを探すようにあたりを見回す。
『タイコの音、何処からしたダ…?』
どうやら先ほどの太鼓の音が気になっているらしい。「あれは太鼓じゃないのよ」と、シュラインが身を屈ませながら説明すると、点目に一本線の大きな口というシンプルすぎる桜鬼の顔に、明らかな落胆の色が浮かび上がった。
『タイコ、無いのカ…』
溜息と共に俯いてしまう。
ふと見ると、桜鬼が提げている太鼓は皮の部分が破れていた。
「村の人に頼まれてキミの様子を見に来たんだけど…その太鼓はどうしたんだい?」
『……壊れタ』
消え入りそうに、小さな声。
『太鼓が無いと、オラ、花呼べなイ…でも、壊れタ…』
――そういう事だったのか。
肩を落とす桜鬼の前で、四人は視線をかわしあった。
桜鬼が持っている太鼓は相当に古そうである。皮が破れたのも、落としたり何かにぶつけたと云うよりは、そもそも寿命だったのだろう。
だが、原因が何であれ、そんな事より太鼓が無いという事実の方が、桜鬼にとっては重要な問題であるらしかった。
『村の人、桜、楽しみにしてル…。なのに……』
ふるふると、薄紅の肩が震えだす。
『オラ…どうしよウ……』
そして、ぽたりと地面に落ちたものがあった。
ぽたぽたぽたとこぼれ落ちるそれは、桜鬼の涙であった。村の人達が楽しみにしている桜を咲かせる事が出来なかった――それに対する責任を、彼は感じているのだろう。一度こぼれ始めた涙は止まらない。
「新しい太鼓を用意する必要がありますね。それも、出来れば早急に」
「太鼓の材料になりそうな物…ここには無いねぇ」
「村まで戻れば、お祭り用の太鼓とか無いかしら?」
たとえ鬼であろうとも、たとえ女性ではなかろうとも、たとえピンクの雪だるまに手足が生えたようなシンプルな姿でも、やはり誰かが泣いている姿を見るというのはいたたまれないものだ。モーリスと葵とシュラインの三人は、これ以上鬼が泣かずに済むようにと、あれこれ対策を考え始める。
みあおは彼らの足元にしゃがみこみ、背から下ろしたリュックをごそごそと探っていた。
「えへへ♪ 大丈夫だよぉ〜」
何故だか自信たっぷりな声。
「桜鬼、これ使って♪」
リュックから取り出されたのは、真新しい小さな太鼓だった。
■サクラ サクラ サクラ
突然の太鼓の出現に、桜鬼のまだ涙が残る小さな目が、驚きで真ん丸に見開かれた。
「もしかしたら…と思って、楽器屋で買ってきといたんだよ♪」
みあおはにこぱと得意げな笑みを見せる。
「用意周到…ですね」
太鼓と自分の荷物とを見比べて、何故かモーリスは苦笑いを浮かべた。
「他にもあるよぉ〜。ぎっくり腰でタイコが打てなくなったのかなって思ってシップも買って来たんだけど、こっちは必要なかったみたいだねっ」
「女性ならではの気配りだねぇ」
すっかり感服しきっているのが葵だ。
「僕にはそこまで思い付かなかったよ…いやぁ、おみそれしました♪」
仰々しく胸に手を当て、蓬色の頭を深々と下げてみせる。
気配りの主が女性でなければ、ここまでの反応を見せたかは永遠の謎だが……
「大きさや形は似てるみたいね。音も似てるんじゃないかしら?」
それは試さなければわからない。桜鬼を見下ろしそっと微笑を浮かべると、シュラインは彼を促すように、丸いその肩を優しく叩いた。
『……』
薄紅色の小さな手が、おずおずと太鼓へのび、そして受け取る。
「どうですか?」
胴の大きさや皮の張り具合を確かめるように、暫し見詰める。
「使えそうかい?」
左腕でしっかりと胸に抱え、そして右手を持ち上げようとして…つと迷うように動きが止まる。
「音が違ったらまた新しいタイコ持ってきてあげるよっ」
明るい声と、再び肩を叩いた手の優しさに後押しされ、今度こそ桜鬼の手が持ち上がった。
一瞬の間を置いて、振り下ろされる。
ターン――
やや高めの、張りのある音が響いた。
タン タン ターン――
喜びと安堵が一緒くたになったような笑みが、桜鬼の顔に浮かぶ。
四人を見上げてこっくりと頷くと、彼はそのまま太鼓を鳴らしながら踊り始めた。頭を揺らし、くるくると回り、それから飛び跳ねる。ずんぐりとした体型からは意外なほど、軽やかな動きだ。
タン タン ターン――
鳴り響く太鼓の音。
ふと頭上を見上げ、「あ」と声を上げたのはモーリスだった。
「桜が…」
先程まで冬枯れそのものだった筈の桜の枝に、薄紅の蕾が膨らんでいるのだ。見渡せば周辺の全ての桜が、淡い彩りを身に纏い始めている。
ターン――――
ひときわ高く、そして長い余韻を残す音。
直後、それが合図であったかのように、ふわりと蕾が綻んだ。音もなく、しかし一斉に。
「咲いた〜っ♪」
「村の方でも咲いたみたいね」
視線をふもとの方へと下ろしてみれば、薄紅色の綿帽子が一面を覆っている。
『季節外れの花だかラ、長くハ咲かせられないケド…』
舞を止め、満開の桜と村の景色に目を向けた桜鬼が、深い溜息を漏らした。
花を招く事が出来たものの、せっかくの花を楽しむのに充分な時間を与えてやれない事が、彼としては心苦しいのだろう。
『村の皆、がっかりするダ…』
「そんな事無いわ」
肩を落とす桜鬼の言葉を即座に否定すると、シュラインは彼の目の前にしゃがみこんだ。「これを聞いてもらえるかしら」と取り出したのは、小型のテープレコーダー。ここへ来る途中村の人達に対して行った聞き込みの様子が、テープには収録されていた。
――都会に比べりゃ不便な村ですけど、この桜があるだけでも、あたしゃここに生まれて幸せですよ
――子供の頃からずっと聞かされて育ちましたからね、桜と云えば桜鬼。…もうすっかり染み付いてます
――桜が咲くと、あぁ今年も鬼は元気なんだなぁって、何かほっとしますね
――オニさん、いなくなちゃったのかなぁ?
泣きそうな子供の声もある。
「皆、あなたとあなたの招く桜の花が大好きなのよ。だから、こうして花が咲いてあなたが元気で居る事が証明されて、それでがっかりする筈なんてないじゃない――違う?」
『皆、怒ってないかナ…』
「怒るどころか、今頃きっと安心していますよ。もし申し訳ないと思うなら、その分来年はもっと素晴らしい花を招いて差し上げればいいだけの事です」
今年の花も素晴らしいですけどねと、モーリスがうっすらと微笑んだ。
「そうそう。だから今は踊ろーよっ♪」
みあおに促され、またも涙がにじみ始めていた目をごしごしとこすると、再び桜鬼は太鼓を叩き踊り始めた。
「一緒に踊る〜♪」
このために借り出してきた巫女装束の裾を揺らしながら、みあおが桜鬼の舞を真似し始める。桜鬼も笑顔になり、心なしか太鼓の音も、さっきより明るく高らかになった。
満開の桜の下で舞う少女と、それからずんぐりむっくりの鬼――
「あぁ、凄く可愛いねぇ。うん、微笑ましくていいと思うよ」
ある意味シュールな光景を、ほわんと幸せそうな笑顔で葵は見詰めている。さて彼の視界の中に、桜鬼の姿は入っているのか居ないのか――考えなくても容易に想像がつき、シュラインとモーリスは顔を見合わせ小さく笑った。
「せっかくですし、ここで花見でもしませんか?」
その笑みを口の端に残したまま、モーリスが持参の紙袋からワインボトルを抜き出す。
「ずっと持ってると思ったら…あんたも用意周到ね」
「用意というより、ただの願望で持ってきたんですけどね。無駄にならなくて良かったです」
「紙コップとお菓子だったら、みあおのリュックに入ってるよぉ〜♪ ジュースもあるし、皆どーぞっ」
「何から何まで用意周到――本当に、おみそれしました」
桜の山に鬼が舞い、そして明るい笑い声が響き渡る。
それから四人と一匹の鬼は、遅咲きの桜を存分に楽しんだ。
■エンディング
都心へ戻るバスに乗り込む頃には、陽はすっかり沈みきっていた。
車窓から見える景色は夜の闇に包まれているが、四人の表情は明るく充足感に満ちている。
「桜鬼も村の皆も、これで一安心だねっ」
事情を聞いた依頼人は、新しい太鼓の奉納を約束してくれた。みあおがあげた太鼓もあるが、もうひとつあれば尚安心。まさかのためのスペアの太鼓だ。
「やっぱり用意は周到であるべきですからね」
シュラインが気にしていた社の傷みも、依頼人の方から役場に修繕をかけあってくれるそうである。あの社は桜鬼の住居となっているため、これもまた嬉しい話だ。
もうひとつ、実物とは似ても似つかぬあの像を新しくしてはどうかという提案もあったのだが、それは桜鬼本人が辞退した。たとえ実際とは違っていても、村の人達が自分を思って作ってくれたこの像に、彼は愛着を感じているらしい。
「村の皆の夢を壊さないためにも、あの像はあのまま方がいいかも知れないわね」
シンプルすぎる桜鬼の顔を思い出し苦笑するシュラインの隣では、何故か葵が残念そうな溜息をついていた。
「どうしたの?」
「女の桜鬼に会えなかったのがねぇ…会いたかったなぁ」
まだ、そんな願望を抱いてたのか。
切々と、それこそ悲しげにすら聞こえる響きが、溜息まじりの言葉の中に含まれている。
「桜鬼、隣の山に妹居るって云ってたよぉ〜。お母さんもそこに居るんだって」
すっかり桜鬼と仲良くなったみあおは、何と桜鬼の家族の事まで聞きだしていたようだ。
「本当かい? じゃあ、やっぱり女の桜鬼も居るんだね」
葵の顔にあっさりと笑みが戻った事は、もはや云うまでもあるまい。
「きっと美人なんだろうねぇ…うん、美人に決まってる。何たって花の鬼なんだからね」
「そうだね〜っ♪」
いや、兄の顔を見る限り、その可能性は低いだろ。
思わずツッコミを入れそうになったシュラインとモーリスだったが、オトナの礼儀としてあえて何も云わない事にした。ただ苦笑まじりの視線を見交わし、ひょいと肩をすくめるだけに留めておく。
窓を開けると、うっすらとではあるが花の香り。
来年の春も、そして更にその先の春も、この香りが里山を満たすように……そう願いながらの帰路であった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1072 / 相生・葵 / 黒 / 22 / ホスト】
【1415 / 海原・みあお / 女 / 13 / 小学生】
【2318 / モーリス・ラジアル / 男 / 527 / ガードナー・医師・調和者】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、執筆を担当しましたライターの朝倉経也と申します。
この度はご参加下さり、本当にありがとうございました(ふかぶか)。
少しでも皆さんに楽しんで頂ける物をと努力してみましたが、何分にも初めての依頼で不慣れな点が多く、読みにくい箇所や、皆さんのキャラクターとプレイングを活かしきれなかった部分があるかも知れません。
ご意見やご感想、或いはお気付きの点などがあれば、どうぞお聞かせ下さいませ。
モーリス・ラジアル様
優雅な鬼じゃなくて申し訳ありませんでした(汗)。
「丸書いてチョン」なシンプル顔のこの鬼は、モーリスさんの興味を満たす事は出来たでしょうか?
またお会いできる機会がある事を、心より願っております。
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