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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


写真

 ……それは、たった一枚の写真から始まった。
「何これ……気持ち悪い」
 それを指で取り上げたばかりの少女が、耐えられないというように、その写真を床へと、取り落とした。
 漏れる嗚咽。
 身体に震えが、小刻みに伝う。
 少女はおもむろに自らの携帯電話を取った。
 時間が惜しいというように、あせりながらもリダイヤルから、通話を繋げた。
「……」
 次の瞬間、繋がった相手に、即座に少女は告げた。
「私……あの写真を見たの。見ちゃったの……あれは……」
 突然の事実に何もかもが分からぬ、通話の先の相手は戸惑っていた。
「どうしたんだ? 大丈夫、今すぐ行くからそこにいて。だから……」
 少女の言葉の意図する事がまるで分からぬまま、その男はそう言って通話を切った。何かが駆り立てるような尋常ならざるものを感じていた為だったのか。
 直後、少女は自らの命を絶った。
 ―絶ってしまったのだ。
「それが僕の彼女なんです」
 草間武彦の前で、その青年は淡々とそう告げた。
「僕にはどうしても分からないんだ……何故彼女は狂うような真似を……それに彼女が言っていた写真とは……お願いです! どうか、それを……それを探して下さい」


「……あたし、本当に許せないんです」
 中学生の海原・みなも(うなばら・みなも)は、濡れたような艶を放つ髪を揺らしながら、険しい表情で眉を寄せた。
 それは、彼女は心の奥底にある、自分の中の本当の気持ちに、正直になっている証拠だった。真っ直ぐな感情が、今のみなもをただ一直線に向かわせていた……ある問題へ。
「幸せな恋人同志を壊すなんて、個人的に絶対許せませんっ! そんな話! 」
 みなもは眼差しをきつくしながら、目の前の探偵、草間武彦ににじり寄った。
 現在はと言えば、当の武彦の方がその驚異的な圧迫感の余りに、じりじりと背後へ後退りつつあるような状況だ。
「わっ、分かった……! とりあえず、落ち着いてくれ! 」
 みなもの余りある程の、強烈な意志に面食らったらしく、武彦がけんもほろろにそう言った。
 学校帰りにふと立ち寄った、この草間興信所の内部で、彼の少女、海原みなもは怒っていた……そう、かなり怒っていたのだ。
 しかも普通の人間関係の中にわきあがるような、そういう類いの怒りではない上に、尋常ならざるもの。
 みなもは、南洋系列の人魚の末裔だ。
 そこからも充分に窺えるが、何処か神秘的で透明感を漂わせた、長い髪のこの美少女が凄みを効かせると、要するに周囲の人間には、問答無用に恐ろしいものと化す。
 そこにあるのは、本気の意志なのだ。
 一言で言ってそういう事だった……少なくとも、それが自分に対して向けられた感情で無くとも、である。
 更に付け加えるならば、今のみなもにとっては、普段以上に冗談が通じない状況らしい。
 何時も通じない事を差し引いても、それを充分に上回っている。
 だから武彦は自然、逃げ腰になっていた。
 そんなみなもの理不尽な怒りの、根本の原因を作る事になってしまったのは……。
「それで、見つかったんですか? その写真は! 」
 みなもがもう一度、さっき以上に強気な姿勢で、武彦に詰め寄った。
「……まだだ」
 武彦の返答に、みなもは心底愕然としたように、近くにあった机に両手を叩きつけた。
「まだ、そんなぼんやりした事言ってるなんて、信じられない! 直ぐに依頼主の方を呼んで下さい! あたしが聞きます! 聞かなきゃ……こんな不条理なの、許せませんから! 今更原因がわかっても生き返るわけではないですけど、悪夢再びなんてことは防げると思いますから! 」
「わっ……分かったよ! おい、電話してやってくれ、直ぐになっ! 」
 武彦が慌てたように、妹としてここに住むようになった草間零に向けてそう言い放った。
 零はちょうど、この事務所の一番奥の方で片付けものをしていたらしかったが、武彦の呼び声に直ぐに歩み寄ってきた。
 先程からの、少女みなもと武彦の間に起こっていた、事の顛末が余程おかしかったのか、傍観者に徹したような存在である零は、くすくす笑っている。
「分かりました、お兄さん」
 零は頷いて、そう答えた。


 依頼主である青年は、予想外という表現を用いる事が可能な程の、短時間の内にこの草間興信所へと姿を現した。青年は鋭い眼差しを宿した、精悍な印象の容貌をしていた。だが、今は余程切羽詰ったものを感じているのだろう。
 その顔は何処かやつれ、青ざめており、そこからは疲労の色がありありと感じられた。
「写真の件……ですね」
 青年は淡々とした口調で、まずそう切り出した。
「あの写真……と言っておられたんですよね? そう訊きました。……という事は、何かご存知なのでは無いのですか? その問題の『写真』について」
 青年と真っ直ぐに向き合った状態で、みなもが丁寧な口調でそう訊いた。
 そんなみなもの背後には、げっそりとして、やれやれようやく開放されたか、と言いたげな表情の武彦と、柔らかな表情の零とが立っていた。
 みなもの言葉に、青年は少し考え込むような表情を見せた。
「……そうですね。考えてみれば、その事も最初に草間さんにお会いした段階で、お伝えしておくべきだったかもしれません。すみません、何分、僕も動転して……あの日には、何を自分が言っていたのかも、今では曖昧なんです」
「ええ、大切な方が亡くなったのですから、それは当たり前だと思います。どうか気になさらないで下さい……それとも、まだこちらからお聞きすると、負担になってしまう事なのでしょうか」
 みなもの問い掛けに、青年はかぶりを振った。
「いえ、それについては結構です。僕自身の問題ですから。僕もあれから既に、何日か経過していますし、自分なりに……もう自分自身を立て直してゆく方向で動かなければならない時にきているのだと、そう感じていましたから……彼女はもういない。それは事実で、僕には毎日の日常が押し寄せてきます。そこで立ち止まってはいられませんから……」
 青年のゆっくりと語る言葉に、みなもはたった一人の、かけがえの無い大切な存在を、ある日突然にして失う事にならなければならなかった人間の痛みを、そのままに感じ取っていた。
「……こんな事をお話するのも、正直言って情けない限りですが、今はまだ、僕は表面上では上手く言いながらも、実際には自分以外の人間と話す事が……その、彼女が死んで以来、どうしても苦痛で……勿論、こんな状況ではいけないと言う事も、充分に自覚してはいるのですが……難しくて。さっき電話を下さった時に、このままではいけない、自分は誰かと話すべきだと感じたので駆けつけたところだったんです。せめて何か変われば……と。僕もあれ以来、何もかもが変わってしまったんです」
 青年は微かに俯きながら、苦しげに眉を寄せ、そう語った。
「……はい」
 答えたみなもの両眼は、微かに潤んでいた。
「それで、すみません、随分話が反れてしまいましたね……その写真の件ですが、実は僕も実際にそれを見た事はありません」
「見た事が無い? 」
 それまで沈黙を守っていた武彦が、青年の言葉を反芻するようにそう言った。
「ええ、ただ話を、死んだ彼女に聞くばかりだったんです……ただ、その写真は死んだ人間がまだ生きている人間の前に現れて呼ぶ、とか。……ただ、そういう噂はあったらしいんです。もっとも僕自身は冗談だと思っていたんですが」
「死者の領域へ呼ぶ……写真か」
 武彦が頷きつつ、そう呟くと、みなもが武彦の方へと振り返った。
「本当にそんなものが存在するんでしょうか。たった一枚の写真なんでしょう……いえ、だからって、心霊写真も実際にありますから、それを疑っている訳ではないのですけど……いきなり飛び降りてしまうような事になるとは思えなくて……」
 少々戸惑ったような、みなもの言葉に青年の肩が僅かにぴくりと震えた。
 それから青年は頷くと、再び口を開いた。
「僕自身も信じてないんですよ。だから、それを探すつもりでいます。本当は彼女にはもっと深い悩みがあったのかもしれない……そう思っているんです。ただ……僕自身がそれに気が付いてあげられなかっただけなのではないか、と」
 青年はそう言うと、膝に載せたままの自身の拳を強く握り締めた。
 それは彼の中に刻まれた、深い悔恨の念をそのままに映し出していた。
「けれど、誓って言える。僕達はあの日まで、本当に普通でした。僕も彼女も……お互いに何処にでもいるだろうと言える程平凡で……でも……それが何処かで歪んでいた」
「よく、分かりました」
 武彦が深く頷いて見せた。
 それを見て、みなもがもう一度口を開く。
「あの……それから、あたし……」
 みなもが言い掛けた言葉を、少し途切れさせた。
 少し自信が無かったのか、みなもは武彦の方をそっと見やった。
 武彦は、任せるから、と言うように、みなもに頷いて見せた。
「……あの、今お話をお聞きしていて思ったのですが、それから……出来るならば、亡くなられたその恋人の方のご家族にお話をお聞きしたいと思っています」
 青年は直ぐに答えを返してきた。
「それは勿論です。僕自身も、そうして頂けるのを望んでいます。彼女の死の本当の原因を知りたがっておられる、気持ちは彼女の家族も同じですから」
「そうですか。ありがとうございます。……それから、その最初からこちらへ依頼された写真ももちろん探すつもりです。それが何処にあるかは……」
「一応、最後に彼女が立っていただろう場所は分かっているのですが、それ以外は……写真も分からないんです」
「最後に立っていた場所……あの亡くなられた場所、ですね? 飛び降りたビルは、俺も何度か行ってみましたが……」
 武彦の言葉が、みなもには初耳だったように、少し驚いた表情を見せた。
「何を驚いてるんだよ、そんな事は当然だろう」
 武彦がひどく心外だとばかりに、そう言った。
「あたしもそこに行きます。それから、今もうひとつ思いついたのですが、携帯などから同級生さんたちにも噂話としてお話を聞きたいのです」
「その事は予め僕も、多少は調べてあります……彼女の携帯電話に残っていたログから、友人のアドレスや番号などをピックアップしてありますから、これを……」
 そう言いながら、青年は自分の鞄から一枚の紙片を取り出した。
 それから暫くみなもの顔を見つめた。
「ど……どうしたんですか? 」
 みなもは戸惑ったようにそう訊いた。
「いえ、さっきから思っていたんですが、あなたは少し死んだ彼女に似ているような気がしていたんです。今は本当に、ここへお願いに来てよかったと思っています」
 微かに微笑んで青年はそう言った。


 依頼主が草間興信所を去った後、みなもと武彦は向かい合った姿勢で座っていた。
「その写真……一体何処にあるんでしょうか。写真は普通独りでに歩いたりはしませんからきっと封筒なりで、誰かの手に渡っている事も考えられますよね」
「確かに、それを見つけて行方を知らない事には話にならないだろうな」
 武彦はやれやれと言いたげな様子で、そんな言葉を口にした。
「でも、意外でした」
「は……何が? 」
 みなもの言葉の意味が分からなくなった武彦は、そう訊いた。
「まだ何にも調べて無いと思っていたんです。でも違ったんですね」
「そりゃあな。信憑性が薄いとはいえ、これも仕事だからな」
 煙草に火をつけながら、武彦はそう言った。
「後……出来る事は……そうですね、ネットのオカルト方面の噂話も確認しておきましょうね。サイコ映画系の呪われたものの可能性も否定出来ませんし……」
 みなもの言葉に、武彦も頷いて見せた。


 ―数日後
「ここが、その亡くなった方のご自宅なんですね」
 夜の帳が空を覆い始めた、午後7時過ぎ、みなもと武彦のふたりは、『写真』による不可解な自殺を遂げた少女の自宅に赴いていた。
 出迎えたのは、死亡した少女の姉だった。
「申し訳ありません。両親は今、塞ぎ込んだ状況がひどく、家族でさえ接するのを拒絶しているような状況で……それにわたしの方が、他の家族と比べても妹とは色々な話をしていましたから……」
 リビングに通され、少女の姉はみなも達にそう告げた。
 ―本当に恐ろしいまでに、様々なものを壊してしまったのだ。
 一人の人間の死が引き金となった事へのどこまでも重い現実を、みなもは今、改めてそれを目の当たりにしたような気持ちになっていた。
「妹が何かおかしな写真を見たというのですか……? 写真……そうだわ、一度だけありました。妹が、その話をしたのは、何時だったか……そう、確か、妹が死んだ日数えて、一ヶ月くらい前だったでしょうか……家に帰ってきて、妹はおかしな事を言った事があって……」
「おかしな事ですか……? 」
「その時、妹さんは一体何と……? 」
 みなもに続いて、武彦がずいと身体を前に出しながら、そう訊いた。
 それに対して、少女の姉は神妙な顔で頷いた後
「その……ビルから飛び降りた自殺者が、死ぬ間際を写った写真があるから、それを見せて貰うからって……」
 みなもは驚いたように、顔を上げた。
「『写真』って……そういう写真の事、だったんですか。でも、見せてもらう……と言う事は、知り合いの誰かに、という事ですよね」
 みなもが訊ねると、少女の姉は首を振った。
「いえ……誰かと言うことまでは分かりません。ただ、私はそんな気持ちの悪いもの、おかしなことにでもならないかと心配で、やめておくように注意したんですが……」
「おかしな事というのはその事なんでしょうか? 」
 みなもの言葉に、少女の姉がもう一度首を振って見せた。
「いいえ、違います。おかしな事というのは、その写真の話をした後、暫くしてから、妹は急に、何処か寺に行こうと言い出したんです。それも、本当に強い霊力のようなものを宿した、お札を授けてくれるようなそういう場所が何処か無いかと、しきりに口にしていました」
「お札……? 」
 その時、少女の姉が思い出したように、顔を上げた。
「でも驚いたわ……」
「……? 」
「あの子……付き合ってる人がいるなんて、一言も言っていなかったから、突然電話があって、あなた方の事をに会う事を頼まれたんだけど、意外だったんです。同じ家にずっと住んでいても、お互いの事は本当は知らない事の方が、案外多いのかもしれないと思ったんですよ」
 少女の姉は、そう言って緩やかな息を吐き出した。


 その後、死亡した少女の自宅を訪問した数日後には、草間興信所にも多少の情報は集まり始めていた。
 みなもと武彦は、依頼主である青年が提示した、少女の交友関係を中心に調査を続けた。
 結果、集まった情報を集めると、その『写真』はどうやら実在するものらしいと言う事が、次第に分かってきた。
 みなもの予想が的中し、ネットの噂話でも語られる程のものになっていたのだ。
 しかも……。
「『写真』を見た後、眠るとその写真に写されていた本人が現れる……って、ちょっと信じられないですよね」
「俺はそんなものは信じようとは思わないけどな」
 武彦は興味無さげにそう言った。
「それにどうしてお札なんて必要だったのか、分からないですよね……」
 その時、ふたりの背後の扉が音を立ててて、開きかけた扉の奥に、一人の少女が小さく震えながら立っていた。
「わたし……あ……あの」
 みなもと武彦は、その少女に見覚えがあった。
 自ら命を絶った少女の友人の一人で、数日前に詳しい話を聞いたばかりの相手だったからだ。
 壁にしがみつくように立った少女は、顔色が真っ青で、唇がぶるぶると震えていた。
 みなもが少女に慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですか?! 」
 みなもが少女の元へ辿りつくより、一瞬早く少女の身体がぐらりと傾いた。
「あの子が死んだの……わたしのせいなんです。わたしがあんな『写真』をふざけて見せたから……! 」
 少女は何度も途切れかけながら、ようやくそれだけを口にした。
「あの『写真』は本物だったから。本当に……」
 少女はそう呟くと、そのまま、そこで崩れるようにしゃくりあげて泣き続けた。
「ごめんなさい、この間聞かれた時は、恐ろしくて、本当の事が言えなかったんです」


 死亡した少女の友人は、それから暫く落ち着くまで、この興信所の部屋の奥で過ごし、そうして帰っていった。
 最後に『写真』を所持していたのは間違い無く、死亡した少女だったのだ。そうして今もその行方は分からぬまま……。
 その『写真』は面白半分の学生達の間で、友人から友人へと経由し、その結果少女の元に渡されたらしい。
「あの子……全然信じてなかったんです。夜、本当にそんなものが出てくるなんて……もし、そんな相手に会えたら自分が仲良くなってやる、なんて冗談で言っていました」
 少女の友人は、そう語った。
 それを今更ながらに思い出し、みなもは何とも言えない気持ちになっていた。
「……」
 武彦はみなもの前で黙ったまま、目の前に据えられた調査結果を纏めた紙に一瞥をくれた。
「探すしかないな」
「これが物語っている事は、要するに、誰かが嘘をついているって事だろう」
 武彦の言葉に、みなもが顔を上げた。
「……! 」
「そんな顔をするな。俺も全部を疑っている訳じゃない。もし、俺の予想が当たっているなら、腑に落ちない事も出てくる。だが、こうも誰もが状況を知らないとなると……」
「……」
 武彦の言葉に、みなもは沈黙した。
「いい……とりあえず、自殺現場へ行こう。俺はあそこに何回か行ったが、今はどうしても原点に帰ってみる事が必要な気がする」


 そこは高層ビルの一角だった。
「今は鍵が掛かっているが、当時は開いていて、ここに入り込む人間が余りに多い為に閉鎖になったらしいな……この屋上へ続く道は」
 そう言って前を歩く武彦の背中を、間近で見ながら、みなもは周囲を幾度もきょろきょろと見やった。
 このビルは、階下が個人商店がテナントに入り賑わっており、上階はごくごく一般的な分譲マンションになっていた。
地上から15階……その屋上に手すりは無かった。
 このマンション全体の貯水槽が据えられただけで、アンテナや避雷針が見受けられる以外には、他には特にめぼしいものも無いように見えた。
「ここだ」
 武彦はその屋上の一角で足を止めると、みなもを振り返った。
「警察の現場検証によると、おそらくこの場所から……だったそうだ」
 みなもは怖々、下を見ようと、そこから首を伸ばしてみた。
 視界の中に飛び込んできた景色に眩暈を覚え、みなもはそのまま数歩後ず去った。
 一方、武彦は屋上をうろうろと歩き回り続けていた。
 貯水槽の辺りに姿を消した武彦の声が上がったのは、暫くの事だった。
「……あった」
 その時、武彦の言葉にみなもが反射的に顔を上げた。
「え……! ほんとですか? でも気を付けないと……危ないかもしれないですから! 」
 その時、そう言い掛けたみなもの前に現れた影があった。みなもはその目の前に現れた人物に、思わず大きく目を見開いた。
「ようやく、ここに来てくれたんですね……」
 そう言った声に、みなもは息を呑んだ。
「どうしたんだ、見に来ないのか? 貯水槽の中に隠すなんてな……どうりで見つからない筈だ。ご丁寧に封筒に入れたまま、壁につけて見えない場所にあるなんてな。しかも何だこれは……封筒の中に、変なお札が一緒に入っているが……」
 と言いつつ、再び姿を現した武彦が、みなもの方を見やり足を止めた。
「ようやく僕が探していた『写真』も見つかったようですね。彼女がわざわざ封じて隠していたから、どうしても見つけられなかったが、やはりここにあったんですね」
 ふたりの目の前に現れた青年はそう言った。
 それは、興信所で『写真』を探してくれと、切望したあの青年に他ならなかった。


 ―あの時。
「離すんだ……離せ」
 目の前の少女に、その青年はきつい口調でそう言い放った。
「いや……! お願いやめて……やめて! 」
 少女の声には、悲痛な感情が込められていた。
 青年の手の中にあったのは、一本のハサミだった。そうして、青年は一枚の写真を取り上げると、それに自らハサミの刃を向けた。
「いや! 」
 少女が精一杯の力で、泣きすがった。それは、絶叫にも似た叫びだった。
「泣かないでくれ、お願いだから……僕は自分自身の指では裂けない……だから何か、間接的な媒介を通せば切れるだろう……だから……」
 少女の腕を振り解こうとした際、誤って青年の手から離れたハサミが軽い音を立てて、床に転がった。
 ハサミを手放した青年は、そのまま少女をきつく抱き締めた。
「もうやめなければいけないんだ」
 その時の青年の声は、搾り出すような、震えたものだった。
 少女の両眼から、後から後から止めど無く涙が流れ出していった。
「何も残さないようにするんだ……全てを」
 青年はそうして、膝をつくと再びハサミを拾い上げようと試みた。
「……僕はこうするしかないんだ。こうすべきだった……最初から」
「もう一度死ぬことを選ばないで……わたし……あなたと同じものになりたい……この身体、全部」
 写真から抜け出てきた、実体無き存在。
 それは青年の姿を成しながら、一人の少女の心を捕らえてしまったのだ。
「好き……好きだから……」
 少女はうわごとのように、何度も何度もそう繰り返した。
「こんな事……」
 みなもはその光景を見ながら、ただ言葉を失っていた。
 目の前にあるのは、今ではない過去。
 決して取り戻せはしない、時間の記憶。
 人ならぬ青年の中に、繰り返される映像群。
 青年が自らの力を駆使して、みなもと武彦に見せた、本当の過去だった。
 相手を大切に思えば思う程に、未来を選べない、たった一人の『人間』の思い。
 気が付いた時、みなもの目の前には、あの青年の顔があった。
 お互いの息がかかりそうな程の距離で、みなもは青年の眼差しを、真っ直ぐに見つめ返した。
「……本当に好きだったんですね」
 みなもの呟きに、青年の眼差しがやわらいだ。
「好きだった……僕はもうこの写真の中でしか生きられない身体なのに、それでも彼女はこの僕が好きだと言ったんだ。僕は最初から全部、拒絶すべきだった……受け入れてはいけない事も当然で……でも出来なかった。僕達が普通だったと前に言っただろう……それこそが一番の嘘だ。それは僕の希望……僕達は普通に出会いたかった。どれだけそれを望んだだろう、叶わないのを分かっていて……結局、彼女を止める事が出来なかった」
 青年は自嘲したように、唇を歪めた。
「僕がここから飛び降りた時、偶然それを撮った人間がいた。その『写真』に僕は一部分……自分の自我だけが閉じ込められたんだ。勿論、既に実体は無い。だが、奇妙な状況で意志が残り続けた。それでも時間を経る事に、僕は生きている人間にそっくりに現れる事が出来るようにまでなっていたんだ。僕は上手かっただろう? あなたがたも気が付いていなかったようだったし……何故そんな努力をしなければならなかったか分かるかい? 」
「……」
 みなもは沈黙したまま、青年の言葉を聞いていた。青年はそんなみなもの前で、更に言葉を続けた。
「ネガを消す為だったんだ。全てを抹消する為に……僕が消した。例え生きている人間そっくりにいられたとしても、僕は死者だった。誤算だったのは、その写真だ。興味本位な連中の手に渡ったおかげで、次から次へと人間の移動してゆくんで、行方を追っていたんだが……誰も気持ち悪がって長い間所持しない事に、随分手間をかけさせられたな……しかも中途半端に霊体としても変化してしまったおかげで、その写真自体と繋がっていた糸のようなものすら追えなくなりかけていた」
 青年はそこで一旦言葉を区切ると、顔を上げた。
 みなもは青年の口調が、最初に会ったあの時と、確実に変化している事に気が付いていた。その事が、みなもにとっては、嘘をつき続ける必要がなくなり、本当のものが姿をあらわしてきた事の証拠のように思えた。
「僕がここに来た理由はひとつだけだ。僕を消滅させてほしい……もう、楽になりたい、あなた方の手で『写真』を焼いてくれ、それで僕は消える……それで僕の罪が消えるとは思わない……だが、もう疲れたんだ」
「あれは……」
 そう言った武彦の声が、みなもの耳にも届いた。
 そうしてその時、みなもは青年の肩越しに、信じられないものを見たように、大きく目を見開いた。
「……! 」
 そこで立っていたのは、一人の少女だった。
 肩より少し長く伸ばした艶やかな黒髪が、僅かに揺れていた。それはみなもは、これまでに一度も見た事もない少女だったが、それが誰であるのかを直ぐに理解していた。
 目の前の青年が、口にした言葉がみなもの中に、今、ありありと蘇る。
 ―彼女は少しあなたと似ていたから……。
 次の瞬間、みなもの頬に一筋の涙がつぅっと伝っていった。
 そんな、みなもの表情の変化に気が付いた青年が、まるで導かれたように、ゆっくりと自身の背後を振り返った。
 その先で、青年が目にした光景は……。
「嘘だ……」
 そうして、青年の口から漏れた呆然とした呟き。息を呑んだような言葉。
 現れた黒い両眼を穏やかに見開いたままの少女は、そこでただ立っていた。
「……」
 青年の肩が僅かに震えている。
「迎えに来たよ」
 少女が微笑んで、たった一言だけそう言った。
 青年は瞬間的に、何かに突き動かされるかのように、少女の方へと歩き出した。
「どうして……他のものも全部犠牲にしたのに、どうしてそんなに笑っていられるんだ。こんな世界を望んだわけではなかっただろう」
 青年が少女に問う。
 少女は何も言わず、ただ首を横に振って見せた。
 その時、少女の方へ向けていた、青年の歩みがぴたりと止まった。二人の距離は縮まらない。
 直後、そこにあった沈黙を破った声があった。
「行ってやれよ」
 武彦がそう言い放ったのだ。
 それから煙草をくゆらせながら、武彦は更に言葉を続けた。
 白い煙が一筋、揺れながら、武彦と青年の間に、細く立ち上ってゆく。
「もう迷うな……あの子はもう選んでんだろ? 」
 武彦の言葉に青年が、一瞬戸惑うような表情を見せた。
 その直後、青年は顔を上げて、ゆっくりと深く頷いた。
 それから、彼はみなもの方を一度だけ振り返った。
 何も口にする事無く、青年はみなもに、微かな微笑を見せたのだ。
「……」
 だが、みなもは何もいう事が出来ぬまま、少女の方へと再び歩き出した、青年の背中を見送った。


エピローグ
「で……あれから、『写真』をどうしたんですか? 」
 あの日から一週間後、草間興信所に現れたみなもは、真っ先にそう訊いた。
 武彦はひどくだるそうな様子で、何時も通りに、煙草をふかして欠伸をして見せた。
「ああ、持っていってやったよ」
「持っていった……? 」
 みなもの言葉に、武彦は欠伸混じりに頷いて見せた。
「あの死んだ女の子のお骨が収めてある寺にな……二人が同じ場所なら、『写真』にも、もうおかしな事は起こらないだろうからな」
 武彦の言葉に、みなもは安堵の表情を見せた。
「そうだったんですか……本当によかった」
 その時、事務所の中に電話の音が鳴り響いた。
 みなもはその音に、振り返る。
 零が電話を受けると、何かを書き留めつつ、通話先の相手と話し込み始めた。
 どうやらそれは、新しい依頼主からの電話らしい。
 みなもは一人で、そっと興信所の奥にある、窓の方へと近づいていった。
 その先には、街路樹の緑が映った。
 空が見える……突き抜けるような青だった。
 何時もの街の人々の雑踏が、今日もまたみなもの耳に届いていた。

 おわり



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1252 / 海原・みなも  / 女性 / 13歳 / 中学生】



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■         ライター通信          ■
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初めまして、桔京双葉と申します。
この度は、お申し込み頂きまして本当にありがとうございました。
可愛くて優しく、真の強い真っ直ぐな女の子……みなもさんと出会えて、私も本当に嬉しかったです。本当に本当にありがとうございました。