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<東京怪談ノベル(シングル)>


さくらの季節



 燦々と降りそそぐ太陽。
 気温はどんどんあがり、東京の街は春たけなわだ。
 生きている限り季節は巡るのだから、べつに春が到来したからといって喜ぶには値しない。
 それはたしかにその通りではあるが、人間の精神というのはそうそう機械的にはできているものではなく、季節の移り変わりに情緒とか風流とかを感じたりするのだ。
「ま、この街に季節なんてものがあればの話だけどな」
 シニカルなことを呟いて肩をすくめる守崎啓斗。
 大昔の演歌ではないが、東京に暮らしていると季節など感じなくなってしまう。
 あらゆる意味で、自然からはかけ離れた生活をしているから。
「このくらいが唯一、季節のものか‥‥」
 緑の瞳から放たれた視線。
 やや黄味がかった薄紅の花弁に注がれる。
 桜。
 満開の。
 日本人にとっては特別な意味を持つ花。
 だが、少年はあまりこの木が好きではない。
 いろいろあったのだ。
 すっと目をそらし、歩き出す。


「暇そうだな」
「第一声が、いきなりそれか」
 草間武彦が苦笑を浮かべた。
 新宿区の片隅。古ぼけたビルの四階に入っている草間興信所。
 その名の通り草間が所長で、その細君と義妹が業務を手伝っている。
 まあ、どこにでもありそうな小さな家族経営の探偵事務所である。
 しかし、この小さな探偵事務所はアンダーグラウンドにおいてけっこう有名だったりする。
 数々の不可思議な事件が持ち込まれることで。
 警察などの常識的な組織では解決できない事件を手がけることで。
 ついたあだ名は怪奇探偵。
 もちろん草間はまったくその異名を喜んでいない。
 ただ、彼が怪奇探偵でなかったら、啓斗をはじめとした多くの仲間たちとの出会いもまた無かっただろう。
 その意味では、割と啓斗は感謝している。
 口に出したりは絶対にしないが。
「で、今日は何の用だ?」
 短くなった煙草を灰皿に押しつけ、草間が訪ねた。
 山のように堆く積まれた吸い殻。ぽろぽろと幾本かが転げ落ちる。
 相変わらず灰色の巨塔だ。
「義兄さん」
 南極で食べるかき氷みたいな声が響く。
「自分で片づけさせていただきます。ハイ」
 卑屈に頭をさげた怪奇探偵がスーパーマーケットのビニール袋を取り出し、吸い殻を放り込み始めた。
「二つばかり訊いていいか? 草間」
「なんだよ?」
「なんでアンタのデスクの引き出しにスーパーの袋が入ってるんだ?」
「秘密だ」
「しかも、どうしてその袋は三角に折りたたまれてるんだ?」
「‥‥秘密だ」
「‥‥そうか」
 なにか答えたくない事情があるのかもしれない。啓斗は追求する気を失った。
 だいたい、お世辞にもきれい好きとはいえない草間がゴミ袋を用意しているだけで、充分に推察できる。
 細君なり義妹なりに強制されたのだ。
 ハードボイルド路線を歩みたい探偵が、三角折りした袋。
「‥‥‥‥」
 ぽむぽむと肩を叩いてやる啓斗。
 無言で見つめ返す草間。
 女になど判るまい。
 男には自分の世界があるのだ。
 たとえるなら、空を駆けるひとすじの流れ星というやつだ。
「バカですね」
「むしろタコでしょ」
 義妹と細君が小声で言葉を交わす。
 ほとんど正解をかすめているが、むろん草間の耳にも啓斗の耳にも届かなかった。
 それが幸福の第一歩であろう。
「んで、結局なんのようなんだ?」
「呼ばれたんだ」
「俺は呼んでないぞ?」
「草間に呼ばれたんじゃなくて」
 ちらりと視線を上に向ける啓斗。
 怪奇探偵が肩をすくめた。
 ビルの屋上で待ち合わせをしている、というわけだ。
 それならそれでさっさと行けば良さそうなものだが、
「まだ時間までだいぶあるから」
 先回りして答える。
「よーするにウチは暇つぶしの場所かよ」
「いいじゃないか。暇で困っていたんだろ?」
「しどいね‥‥おまえ‥‥」
 捨てられた女のように、しくしくと探偵が泣き崩れる。どうでもいいが彼は三〇過ぎである。
「そういえば、ここにくる途中、桜をみた」
「へぇ」
「こないだは緑の花だったのに、今日みたら黄色がかったピンクだった」
「それで?」
「珍しい花だなと思っただけだ」
「そう、そいつはレインボーチェリーといって、世界でも数本しかない桜なんだ。開花してから散るまでの間に何度か色を変えるんだよ」
 笑いながら解説する探偵だったが、当然のように感銘は誘わなかった。
 まあ嘘なのだから仕方がない。
「‥‥‥‥」
 むっつりと黙り込む少年。
 ここで気の利いた切り返しでもできると良いのだが、口舌の徒ではない彼にはなかなか難しい。
 じっと見つめられ、というより睨まれ、草間があっけなく白旗を掲げた。
「鬱金桜だよ。黄桜ともいわれるな。世界に数本ってのは嘘だが、珍しいのと色が変わるのはホントだ」
「そうなのか‥‥」
「緑から黄色、そしてピンクにな。咲いてる期間もけっこう長いぞ」
 今度こそちゃんと説明する探偵だったが、少年は興味なさげに軽く頷いただけだった。
 幽霊の正体みたり枯れ尾花。
 謎など、解けてしまえば、たいして難しい話でも不思議な話でもない。
「ほとんどの事件がそうなんだよな‥‥」
 なんとはなしに呟く。
「怪奇現象の九割は人間が作ってるのさ。誤認、錯覚、そして期待ってのもある」
 見透かしたように笑う草間。
「じゃあ残りの一割はなんだよ?」
 同意見に近かったが黙っているのもしゃくなので、啓斗は訪ねてみた。
「さあな」
「‥‥‥‥」
 具体的なことを、探偵は答えなかった。
 もちろん啓斗も問いつめたりしなかった。
 突き詰めて考えるべき事ではないような気が、ふたりにはしていたから。
 あるいはこれも共感のようなものなのかもしれない。
「ところで」
「なんだ?」
「誰と待ち合わせなんだ?」
 草間が人の悪い笑みを浮かべた。
 いつしか陽は傾き、事務所にオレンジの光を投げかけている。
「‥‥‥‥」
「あの子か?」
「‥‥アンタには関係ないだろ」
 ちらりと腕時計に目をやる少年。
 むっとした表情のまま、踵を返す。
「行くのか?」
「ああ。邪魔したな」
「店賃を払ってるのは俺なんだからな。あんまり騒ぐなよ。屋上で」
 煙草の先に火をつける。
 ゆらゆらと立ち上る紫煙。
 煙の中の啓斗が軽く手を挙げて応じた。
 振り向きもせず。


  エピローグ

 赤く赤く。
 紅に染まる街。
 黄昏時の魔術。昼と夜の境目。
「‥‥待ったか?」
 口を開く啓斗。
 驚いたように影が振りかえった。
 セミロングの黒髪が、落日の最後の余光を孕み、踊る。














                       おわり