コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


タンポポさんと悪い人


 桜が散り、新緑の季節……
 いつものように緑色のパーカーに半ズボンの少年が自分の持ち主さんのいるマンションから飛び出した。もうご近所でも彼の名前は知られている。藤井 蘭は今日も玄関前で大きな伸びをした。小さな身体がわずかに伸びる瞬間だ。

 「う〜〜〜ん、今日もいいてんきなの!」

 その動作が終わると小さな足をいつもと同じ方向に向けて鼻歌まじりで歩く。蘭の散歩道はいつも緑があふれる場所ばかりだ。これは彼の好みというよりも性質といった方がいいのだろうか……まぁ、それはともかく腕を大きく振って前に進む蘭の姿は笑顔でいっぱいだ。身長の低い彼はいつも背丈の高い大きな世界を見る。しかし、蘭の散歩はそうでもない。確かに自分より背の高い親切なお兄さんやあいさつしてくれるおばあさんたちと話をすることもある。だが、彼がいつもしていることに比べたら、それはほんの小さな出来事になるのかもしれない。
 蘭はいつも地面に根づく強い植物たちとの交流を楽しんでいる。散歩道にいる名も知られぬままの草花たちと心を通わせることができる蘭はいつものようにあいさつしながら歩く。植物にもさまざまな種類があるのと同じで、さまざまな性格もあった。きれいな花を咲かせるお姉さんはつんとした様子でおすまししているし、威勢のいいおじさんのようないつも元気のいい雑草もいる。まだ子どもの蘭はそんなことなどまったく気にせず、分け隔てなく声をかける。
 彼が好きなもののひとつに、雨の日の後にみんなの身体に水滴のビーズをまとっていてキラキラしているのを見て歩くことがあった。しかし残念ながら、今日は昨日と同じ快晴。まさに小春日和といった時期だとなかなかそんな姿を見ることはできないが、蘭が道を歩いているともう明日の散歩がどうなるかが気になる。明日の天気はどうなるのかな……あごに指を当ててそんなことを考えながら歩く。

 そうこうしているうちに、蘭は『建設予定地』という看板の掲げられた場所にたどり着いた。だが、そこは看板の内容から想像できるものではない。空き地はもう何年も手付かずになっている場所らしく草も花もどんどん伸びる一方。その看板も幾度となく雨に叩かれたせいか、もう錆びてすす汚れたものになっていた。蘭はそこでたくましく生きているみんなに声をかける。

 「みんな、元気〜?」
 『おお、蘭ちゃんかー。みんな元気にしとるともさ。最近は日の光が差しこんでくるようになって、わしゃ助かっとるわい。』
 『ま、ともかくよれよれの爺さんにはやさしい季節になったってこったな。よかったよかった。』
 『なんじゃい若造が! わしもお主のようにたくましく天に向かって伸びとる時期があったわ!』

 この空き地でいつもケンカばかりしている老人と若者の雑草の話を聞いて笑いながら周りを見渡すと……右端の歩道に面したタンポポたちの元気がない。いつも声をかけてくれるはずの親子がなんだか困った顔をしてそこにいた。蘭はそこへトコトコと歩いていくと、以前とはすっかり様子の変わったふたりに話しかけた。前までは白い美しい綿のような帽子をかぶっていたのだが、今では修行僧のようにつるつるの頭になっていた。そのせいか蘭の視線は頭のあたりにあった。

 「こんにちわなの。どうか……したのー?」
 『ああ、蘭ちゃんこんにちわ。』
 「頭のわたぼうしは、もう全部飛んで行っちゃったの〜?」
 『ええそうよ。子どもたちはみんな風に乗ってどこか遠くに行っちゃったの。だけどね、あたしの後ろには甘えんぼさんがいて……今は土の中ですやすや寝てるけど、いつかは親子三代でここにいるわよ。』
 「お母さんの子どもなんだー。だったらまた今度いっしょにあそぼーね!」

 蘭はまだ見ぬ孫タンポポに声をかけた後、ダンマリしている母タンポポの隣に座った。いつもは世話焼きで愛想のいいおばさんなのに、今日はまだ一言も発していない。それがどうしても心配になったのだ。彼は静かに話しかける。

 「おばさーん、元気なさそうだけど……どうしたの? どこか調子がわるいの?」
 『………ううん、身体は大丈夫よ。』
 『ちょっと母さん、蘭くんにも関係あることなんだから話したらどうなの?』
 「僕にも……関係あること?」

 娘の言葉を聞いて首を傾げる蘭。不思議そうな顔をしてふたりの様子を伺っていた。すると娘がそのまま母の代弁をし始めた。

 『実はね、あたしの母さんが夜にお星様を見ながら寝ようとしてた時……』
 「うん。」
 『いけないわよ、そんなこと蘭ちゃんに言ったら……』
 『どうも通り魔を見たらしいの。蘭くん、通り魔って怖い人間さんだから注意しないとダメよ。』

 通り魔という存在をその後も細かに説明していく娘タンポポ。彼は顔がバレないようにマスクをして目立たないように特徴のない服を着ているという。手には怪しく光る刺身包丁……それは蘭や草花の命を奪う恐ろしい武器だ。今までこの閑静な住宅街で見かけることがなかった危険な存在だけに母タンポポの心配は深い。さすがは母の娘だけあって話し方はうまいものだ。その話は蘭にしっかり伝わっていた。

 「そんな悪い人がいたら、僕も持ち主さんも道を歩けないね〜。」
 『でも見たのは母さんだから……母さんったらそれ以来ずっと元気がなくって。』
 『当たり前じゃない。娘のあなたや他のご近所の皆さんにもなにかあるかと思うと夜も眠れなくて……』

 身体をわずかに揺らす母タンポポを見て、蘭はその細い身体をそっとさする。

 「大丈夫なの! そんな悪い人は『めっ!』なの!」
 『そ、そうだねぇ。それができたら一番いいけどねぇ……』
 『ほら、蘭ちゃんもそう言ってるんだから母さんも安心して。今日からはちゃんと寝ないとダメよ。』
 「ママさんの言う通りなの。今はいっしょにいてあげるから、ちょっとずつでもいいから元気になって。」

 蘭はずっとふたりの側に寄り添って雑談をし始めた。持ち主さんのことや川辺の花壇でファッションショーのように並んでいるパンジーさんのことを話して楽しい時間を過ごした。徐々にではあるが、母も元気を取り戻して話に入ってくることもあった。しかしもっと元気なのは周囲の雑草である。自分の趣味に合う話に割りこんできてはいろんなことを語り出す。空き地はとても賑やかな空間になった。


 今日という日のほとんどを空き地で過ごした蘭は、太陽が沈むと持ち主の家へと戻っていく。いつものようにただいまをしてご飯を食べてビーズクッションを抱きながらテレビを見たりと持ち主とともにいつもの生活をしていたが、どうしてもタンポポのお母さんの不安な気持ちが心の片隅から消えない。目の前で展開する小学生向けのギャグアニメを真顔で見つめる蘭……通り魔という存在は危険は誰の身にも及ぶものだと聞かされた彼もまた不安でいっぱいだった。
 そして持ち主がお風呂に入ったのを確認して、蘭は静かに玄関に駆け寄る。そして鍵を開けて静かに外へ出ていくのだった。

 「持ち主さん、ごめんなさいなの。でも気になって……」

 不安を打ち消すために蘭は闇の中へと走り出す。今回ばかりはいつもの散歩とは違う。蘭は急いであの空き地へと向かった。散歩ではないのであっさりとその場所にはたどり着けた。そして周囲の様子を伺う。確かにここは日の光が差し込む場所かもしれないが、街灯などの設備による光がほとんど差しこまない非常に危険な場所だ。蘭はその暗闇の中に立っただけで気持ちが悪くなってきた。そんな時、母タンポポの声がした。

 『蘭ちゃん、蘭ちゃん……なんでこんなところに来たの。危ないじゃないの。』
 「だって、ママさんが今日も眠れなかったらかわいそうだから……」
 『今度は持ち主さんがおうちからいなくなった蘭ちゃんを心配するでしょ。別に私たちのことは気にせずに早く……』

 そんなやさしい母タンポポの言葉を聞いていた蘭の背後に冷たい殺気が突き刺さった……普段の幸せな生活にはまったく必要のない感情に触れた蘭は逃げるよりも先に怯えてしまった。全身を襲う気持ちの悪い感覚でやっと身を動かすことができるようになった蘭が静かに振り向こうとしたその時、大きく振れた腕に熱い感触が伝わった!

 「い、痛っ! だ、誰なの?!」

 後ろを振り向くと娘が言っていたような姿をした通り魔が立っていた! その男は息を荒くしながら傷をつけた包丁をじっくりと眺め、そして傷ついた蘭の腕を確認した。しかし……少年の腕に傷はなかった。確かに手ごたえはあったのに……通り魔はどこを切ったのかを知るため、舐めるように彼を見た。しかしどこにも傷ついた様子がない。不思議に思う男の目の前で蘭が大きな声で叫んだ!

 「みんなを傷つけるのなんてダメなの! めっ!!」

 蘭が友達の植物に触れると無数の鞭をなり、バシバシと全身を打ちつける。その威力は恐ろしいほど発せられる音と比例していた。あり得ない出来事に混乱した通り魔は武器に包丁を持っていたが、それを一度も使うことなく地面へと落としてしまっていた。もうその後は鞭状になって襲いかかってくる植物たちから身を守るので精一杯だった。

 『じいさん、元気じゃねぇか。冬が越せないなんてウソじゃねぇのか?』
 『よれよれの若造にはまだまだ負けんわ!』
 『言うね〜〜〜。それ、そろそろ縛り上げてやろうぜ!』

 空き地のみんなの力で同時に最後の一撃を食らわせ、ついに通り魔を気絶させた……そして股の先に蘭を切った包丁を置き、彼がどんな人間なのかがすぐにわかるように仕掛けをした。蘭は協力してくれたみんなに感謝を述べ、最後に母タンポポを励ます。

 「これで大丈夫なの。今日からママさんも安心して眠れるの!」
 『ありがとう、蘭ちゃん……あら、お巡りさんの乗ったパトカーの音が聞こえるわ。こんなところにいたら面倒なことになるわよ。持ち主さんも心配するから、早くお帰りなさい。』
 「うんなの。じゃあ、またね!」

 蘭は無様に倒れている通り魔にあっかんべーをして、自分の家へと走っていった……周囲にはパトカーのサイレンがどんどん大きくなってくる。騒がしいのもきっと今のうちだ。それが終わればまた静かで安心できる夜になる。タンポポ母さんの悩みを解決した蘭は家路を急ぐ間はずっと満足げに笑っていた。