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嘆きのさくら
今年のさくらの開花は早い。
だが、あやかし荘のさくらの木は、未だにつぼみはかたいままだった。
「あのさくら、全然咲かなさそうよね? どうしてなのかしら」
いつものごとく掃除をしていた因幡恵美は、たまたま隣にいたあやかし荘の住人である朝野時人に向かって訊ねた。
「そういえば……でも、あのさくら、ヘンなんです」
「ヘン、って?」
「夜中になると、枝が風に揺れて音を立てるんですけど、それがまるで泣いてるみたいに聞こえて……」
「それは……なんだか、気味が悪いわ」
「でしょう? それで、僕もよく眠れなくって」
時人が肩を落とした。
「やっぱり、誰かに調査してもらった方がいいのかしら。さくらが咲かないと、寂しいもんね」
ほうきを動かす手を止めて、恵美はつぶやいた。
すると時人が同意するようにうなずく。
「そうですよ、なんだかさくらが咲かないと春って感じもしないしで!」
「じゃあ、誰かにお願いしてみようか?」
恵美はそう言って、時人に微笑みかけたのだった。
一方その頃、時千砌はひとり、夜道を歩いていた。
砌は表では普通の女子高生なのだが、裏では霊退治をやっている。今日は、その帰りだった。
月のきれいな夜だ。満月になるほんの少し前、あとは満ちてゆくばかりの十三夜の月。
「……そういえば」
砌はぽつりとつぶやいた。
全然、関係のない連想なのだが、ふと、砌はさくらのことを思い出していた。
あやかし荘の中にある古いさくらの木で、時期になると満開に花を咲かせる。砌はさくらが好きだった。
さくらはいい、と思う。日本人はみなさくらを愛するが、それもうなずけることだと砌は思っている。
少し遠回りにはなるが、砌はあやかし荘へと足を向けた。
あやかし荘は、ひっそりと静まり返っている。
特に出入りを制限するような措置はされていないため、砌はあっさりとあやかし荘の中へ入ることができた。
さくらの木は、それなりに奥まったところに立っている。砌はそこへ向かって、一直線に歩いていった。
するとまだつぼみすらつけていないさくらの木の下で、小さな子供が泣いているのが目に入った。
黒い髪に白い肌の可愛らしい子供で、桜色の着物を着ている。
「なぜ、泣いている」
砌は子供に向かって優しく語りかけた。
「……鬼が」
子供は小さな声で言う。
「鬼が?」
やわらかく、砌は問い返した。
すると子供は顔を上げる。頬もさくら色の、やはり愛らしい子供だ。
だが、目は真っ赤に腫れていて、それがどうも痛々しい。
「――鬼が、くる」
「鬼がくる?」
どういうことだろうかと、砌は問い返した。
だがそのとき、ごうと、なまぐさい風が吹きつけてくる。
砌は顔を上げ、風の吹いてきた方を見た。
するとそちらの方に、でっぷりと太った赤ら顔の大男がいた。あからさまに、人間とは違うとわかるような、醜い容貌をしている。
「……なんだ、おまえは」
砌は低く問い掛ける。だが、それは答えようとしない。
「鬼だよ」
子供が言う。
「だから、咲かないんだ」
「……ああ」
砌はうなずいた。
詳しい事情はわからないが、どうやら、あの鬼のせいでさくらは咲くことができないらしい。
「おまえか。元凶は」
砌は冷たい声音で言った。
すらりと、愛用の刀を抜く。
月の光を照り返す銀の刃を、砌は無言で鬼へと向けた。
鬼はその刀がただの刀ではないと悟ったのか、不明瞭な声を上げながら後ずさる。
「どうした。逃げるのか」
砌は鼻で笑った。
「少し遊んでやるから、全力でかかっておいで」
言って、ひらひらと挑発的に手を振ってやる。
鬼は叫び声を上げて、地面を蹴る。
単調な攻撃だ。
ただの女ならばひるみもしただろうが、砌はただの女ではなかった。
躍りかかってきた鬼の腹を、ひとなぎに薙ぐ。
鬼の腹から赤黒い血が吹き出した。
「……鬼の血も赤い、か」
返り血を浴びながら、朱にそまった刃を見つめ、砌はぽつりとつぶやく。
手ごたえのない相手だ。
鬼は立ち上がってこようとしてはいるが、動作は先ほどよりもずいぶんと鈍くなっている。
「つまらんな」
砌は刀を軽く振り、血を落としながらつぶやく。
「これで終わりだ。――消えろ」
そして刀を振りかぶって一閃させると、鬼の身体をまっぷたつに切り裂く。
鬼は血と臓物とをぶちまけながら地面へ倒れる。
しばらくはひくりひくりと動いていたその身体は、やがて、まるではじめからそこにはなにもなかったとでもいうかのように消えていく。
砌は懐紙を出して血糊を拭った。
そしてその紙を懐へとしまったそのとき、砌の指にさくらの花びらが触れる。
砌は顔を上げてさくらを見た。
さくらは、まるでビデオの早回しを見ているかのように、つぼみをつけては次々に花開いていく。
「――綺麗だな……」
砌はそっとてのひらをさしだした。
その上に、さくらの花びらが降り積もる。
砌はふと、先ほどまで子供がいた方を見た。
そこには既に、子供の姿はない。
「……よかったな。とても、綺麗な花だ」
砌はまた桜の木へと向き直って、小さく声をかけた。
さくらの枝が、風でざわざわと揺れたような気がした。
砌は笑みを浮かべる。
きっと風のせいではなく、あの子供が返事をしたように思えたから。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2955 / 時千・砌 / 女 / 18 / 女子高生】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、発注ありがとうございます。今回、執筆を担当させていただきました、浅葉里樹と申します。
初の調査依頼への参加だそうなのに、大変お待たせしてしまいました。できるだけご希望に添えるように書かせていただいたつもりなのですが、いかがでしたでしょうか。
今回は砌さんがクールな雰囲気の方でしたから、文体もどちらかといえばそんな感じに書いてみました。お楽しみいただけていれば、大変嬉しく思います。
もしよろしかったら、ご意見・ご感想・リクエストなどがございましたら、お寄せいただけますとありがたく思います。ありがとうございました。
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