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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


捩れた天使の虚像


 それはありきたりなひとつの噂に過ぎない筈だった。
 少女たちの間で囁かれるひそやかな夢物語。
 この街のどこか。捩れた不可思議な道の先でひっそりと建っている捩れた屋敷。
 もしもそこに辿り着き、もしもそこの主に出会えたら、その時は永遠にキレイな姿でいられるようにしてもらえる。
 他愛のない噂。あるいは彼女たちの世界ならばよくある話。幻想と現実の境界線を戯れるだけのお伽噺。
 だが、ほんのヒトカケの真実が時折彼女たちの世界には滑り込んでいる。
 おぞましくも艶やかな闇を纏い、ソレは姿を現すのだ。
「子供でも女でもない、少女という最も貴重で最も輝ける時間を永遠に……」
 彼は言う。
 うっとりとした微笑を浮かべ、そうして彫刻刀を細く白い右手に握る。
 青年はひたすら作業に没頭した。
 望む者たちの姿を石に刻み、魂をも写し取る。
 
 そうして、彼女たちは確かに時を止めてしまった。
 言葉も感情も、そして生命を維持するための機能をほぼ停止して、ただひたすらそこに在るだけのものに変わる。



「紀代子を…助けてもらいたくて……あの…ここなら、きっと何とかしてくれるって聞いて……」
 興信所のソファに身を沈め、少女は思いつめた表情でぽつぽつと溜息のように吐き出していく。
 たどたどしい説明から分かったことは、少女の友人が数日前に突然失踪。そして昨日、何の脈絡もなく唐突に彼女は公園で発見された。ただし、身体のどこにも異常がない代わりに呼吸するだけの生きた人形となり果てて。
 今は病院で点滴を受けているが、いずれそれにも限界が来てしまうだろう。
「あの子、消える前に捩れた家のヒントを見つけたって喜んでて……もしかしたらそのせいかもしれなくて……でも誰もそんなこと信じてくれなくて………」
 次第に嗚咽混じりとなった彼女の言葉を聞きながら、草間はゆっくりと頷いた。
「いいだろう。その依頼、引き受ける」
 友達を助けて欲しいと望み、必死に縋りつく彼女の様子に無碍な対応など出来る訳がなかった。
 結局ソレが怪奇探偵という二つ名を頂戴し、この手の依頼が絶えないという状況を作り出していることは多少なりとも自覚はしているのだが、それでも不用意な一言を洩らすわけにもいかない。
 草間は了承の意思を短い言葉で伝えると、後ろの棚でファイル整理していたシュライン・エマを振り返った。
「シュライン、悪いがちょっと手を貸してくれそうなヤツをリストアップしてくれ」
「分かったわ」
 夕日色のクマのぬいぐるみが座っている書棚には調査員の名簿が並んでいる。
 そこからいくつかのファイルを選び出すと、シュラインは音量調節もままならない古代の家電製品こと黒電話へ向かった。


「へえ……草間君が二つ返事でOKしたんだ?珍しいこともあるものだね」
 本来ならば怪奇の類厳禁と書かれた貼り紙と同様、効果はなくとも自身の本意ではない旨を口にする彼が素直に引き受けた。
 その事実に、城田京一は少なからず驚き、そして物珍しさに思わず笑ってしまった。
 笑いながら、手はたった今火をつけた煙草を彼から取り上げ、無情にも近くの灰皿に押し潰してしまう。
「というわけで今回は無償で調査を引き受けるよ、シュライン君」
 恨みがましく見上げる草間の視線をかわして、嫌煙家の整形外科医はシュラインに笑いかけた。
「有難うございます、城田さん」
 ヘビースモーカーの所長の健康を気遣う事務員は、じつに軽快な笑顔で礼を言い、
「依頼人は吉田あゆみさん。14歳。お友達は笹野紀代子さんで同じく14歳。彼女の方は現在都内の病院で入院加療中。保護されたのは昨日の午前6時45分。状況は以下の通りよ」
 それから短時間でまとめ上げた資料を基に依頼内容の詳細を提示していった。
 だが、そんな中で武田小夜子はよく分からないといった表情で首を傾げる。
「ええと、違いがよく分からないんだけど……紀代子さんってちゃんとまだ生きてるのよね?息もしているし心臓も動いている。助けるといっても何をどうしたらいいのかしら?」
 生者も死者も、小夜子にとってはほとんど変わらない存在だ。それでも、生き返らせて欲しいと望まれるのならまだ分かる。生と死との間には『ルール変更』という名の線引きが為されるから。
 だが、いまだ生者として存在している紀代子に対して一体何をすべきなのか、小夜子には依頼者の意図がいまいち把握しきれない。
「ええと。小夜子だっけ?あんた面白い感性してんだねぇ」
 手持ちのノートパソコンにキーワードを打ち込んで探索を掛けていた藤井百合枝が思わず顔を上げた。
「ふむ。確かに小夜子君の線引きはちょっと興味深いよね。ぜひ一度ゆっくりと話を聞いてみたいねぇ」
「あの…・・・城田さん……それってなんだかナンパしているように聞こえるんですけど?」
「え?何で?ひどいな、シュライン君。そんなふうに見えるかな?」
「まあ、聞きようによってはそうかもね」
 シュラインの何気ない言葉にきょとんとした顔で返す城田。そこに追い討ちをかける百合枝という構図が出来上がり、小夜子は自分の発した疑問に対する周囲の反応がよく分からないまま一歩引いた位置からそれを眺める形となる。
 微妙におかしなコントを披露する方向へ進み始めたところで、百合枝が我に返って小夜子に向き直る。
「ええとさ。つまり、ベッドで眠ったまんまより喋ったり食べたり騒いだり考え込んだり、ただそこにいるだけじゃない、ちゃんとコミュニケーションの持てる存在であって欲しいって思うんじゃない?」
「……少なくとも周囲はそれを願うよ」
 それまでソファの端で資料を眺め、存在の主張すらしていなかった榊遠夜が無表情のままポツリとそれに補足した。
「つまり、動いて喋って漫才が出来るようにしてあげればいいわけね」
「ソレは何となく間違ってはいないけど違うような気がするんだけど」
 ようやく理解できたと頷く彼女へシュラインから軽くツッコミが入る。
 だが、その絶妙なズレを説明するには更に多くの労力と時間が必要とされ、どう答えるべきか思案のしどころである。
「では僕はこれから少々出かけてきます。眠り続けているという少女自身から何か引き出せるかもしれませんから」
 こんな状況下にありながらも、榊は我関せずといった体で立ち上がり、軽く会釈する。
「失礼します」
 捩れた道の先にある捩れた家の捩れた男。辿り着くための手掛かりは少女がこぼした僅かなヒント。
 紀代子の現状で自分の能力がどの程度有効かは分からないが、それでも彼女に会うことで掴めるものがあるのかもしれない。
「あ、それなら私も行く。確かめておきたいことがあるからね」
 百合枝は送信ボタンを押して書き込みを終えるとパソコンの電源を素早く落とし、榊を追って腰を上げる。
「あんたも来る?」
 ふと思いついたように問いかけると、小夜子は少しだけ首を傾げ、黙って百合枝の後に従った。
「城田さんはどうされます?私はこれから依頼人の家にいこうと思っているんですけど」
 興信所から出て行く3人を見送ると、シュラインは城田の方へと振り返る。
「ん?そうだねぇ……私もご一緒させてもらおうかな。何しろ、この手の調査はこんなオジサンひとりじゃ埒が明きそうにない」
 冗談めいた苦笑を浮かべて、城田は肩をすくめた。
 自分の本当の意味での出番はまだ先だ。
「それじゃあ武彦さん、私たちも出かけてくるわ」
「わたし達がいなくなっても煙草は吸わないようにね、草間君?」
 そう言い置いて、カバンを手にしたシュラインより先に城田が興信所の扉を押し開き、そのまま動きを止めてしまった。
「城田さん?どうしたんです?」
「あ〜……いや……」
 訝しげに背後から覗き込むと、視線をやや下へ向けた先には、目の覚めるような牡丹柄の鮮やかな振袖をまとう少女人形がひとり立っていた。
「失礼…いたします。わたくし、四宮灯火と申します……」
 紅を差した唇から作り物めいた声を発し、彼女は深々と頭を下げた。
「あの…こちらに伺えば…あの方に会えるかもしれない…と……あの草間さんでいらっしゃいますか?」
「いや、草間君はそこでわたし達がいなくなったら煙草を吸おうと準備万端整えている青年だよ」
「あの方が草間様……ですか」
「…………武彦さん」
 爽やかな笑顔とともに間違いを訂正して彼女を興信所内へ誘導する城田と、見事な指摘をされて慌てふためき煙草をしまおうとしている草間を、シュラインは些か沈痛な面持ちで溜息をこぼしつつ見守った。

 そして、調査員は5名から6名へと変わる。



 捩れた家には捩れた世界と捩れた価値観が棲んでいる。
 『永遠であること』
 そのためだけに、少女は捩れた世界を受け入れる。



 白いベッドの上に横たわる少女は、栄養点滴の管とモニターに繋がれて昏々と眠り続けていた。
 既にヒトであることをやめてしまったかのように微動だにしない。
「何も見えないね……」
 心を覗き込むことで少女の記憶の断片だけでも拾い上げようと思ったのだが、百合枝の視界にはただガランとした闇だけが広がっていた。
 残り火のような残留思念めいたものすらもそこには存在していない。
「……何かの呪術が施された痕跡は残っている」
 少女を取り巻く一切の流れが途切れ、榊の心霊眼を以ってしても、紀代子の中からは何ひとつ感じ取れないでいた。
 規則正しい電子音がモニター画面を通して確かに彼女の心臓が拍動していることを示しているにもかかわらず、2人の目に、彼女は抜け殻としか捉えられなかった。
 呼吸すらも、今の紀代子にとっては機械的で擬似的なものに見える。
 こんな状態で生命活動を維持できているという奇妙さを、普通の人間である医者は気付けない。
 小夜子は彼女を見つめ、そしてふぅっと部屋の外へ視線を向けた。
「……紀代子さんはおそらく『捩れた家』にいるのよね?」
 なら、この子達に頼めるかもしれないと呟くと同時に、小夜子はゆったりと呪を紡ぐ。
 当たり前に存在しているこの空間にまったく別の次元が重なるのを、榊は目で、百合枝は肌で感じていた。
 小夜子の呪は呼び掛けに変わり、命じられるままどこからともなくふつふつと蜂の群れが集い始める。
 混沌とした模様を体表に刻むミツバチを模した異形の蟲ども。
 それらは意思を持って彼女を囲むように纏わりつき、そして外に向けて滑らせた指先の誘導に従って硝子をすり抜け飛び去った。
 流れるような仕草で綴られた一連の幻想的時間。
「今のなに?随分いたようなんだけど」
「武田さん…珍しいものを飼っているね……」
 彼岸と此岸の境にあるもので構成された蟲たちをこんなにも間近で見たのは初めてだった。
「ああ…霊蜂のこと?そんなに珍しいものかしら?」
 小夜子は首を傾げて2人を見上げる。
 気づいた時には既にあれらは自分の傍らにいた。呼びさえすればいつでも集う。だから特別不可思議なものとして捕らえたことはなかったのだが。
「この子達は蜜を探し当てるように、この肉体に入っていたはずの魂だけを感知することが可能なの」
「ふうん」
「響……お前も捩れた家を探しておいで」
 榊の命じるままに、肩で蹲っていた黒猫が軽やかに少女のベッドへ降り立ち、そのままふわりと空間に融けて消えた。
 紀代子から辿り、行き着く先は果たしてどのようなカタチを取るのだろうか。
「そういえばさっきから気になっているんですけど」
「なに?」
「部屋の隅で蹲っている人、気分悪いんだと思います?」
 ふとした疑問を口にする小夜子に、百合枝は再び首を傾げた。
「この部屋には紀代子さんと私達以外いないでしょ?そもそも個室でそんな人がいたら力いっぱい不審者だよ」
「……相手が生きた人間ならね」
 榊の言葉は短いながらも的確なポイントを突いてくる。
「そう……じゃあ、アレは向こう側のヒトだったのね」
「もしかしてあんたには区別がついてないの?」
「そう、みたいね。よく間違えるわ」
「…………それはすごいね」
 感情表現に乏しい2人に挟まれ、たまにはこういうメンバーでの調査も意外と新鮮でいいかもしれないと百合枝はこっそり笑みをこぼした。



 少女が発見された公園は夕暮れという時間のせいか人影もなく寂しさだけが募っている。そんな園内を、城田はぐるりと見回した。
 周囲はひっそりとしており、そしてそこかしこに死角を作る植物が並んでいる。
「ここが紀代子の発見された場所で……」
 あゆみは、詳しい話を聞きたいと家を訪れた調査員たちをこの公園へと案内した。
 家の中よりもここの方がずっとちゃんと説明できるかもしれないという、積極的な申し出だった。
「やれやれ……この時間では人影もないみたいだね」
「駅から紀代子さんの家に向かうのとはまったく正反対の位置なのね」
 地図にチェックを入れながら、シュラインは彼女が倒れていたという白いベンチの裏側、大きな幹の周辺を覗きこむ。
「ええと、あゆみ君?紀代子さんが発見された時、ここまで運んできただろう人物は目撃されていないのかな?そういう話は聞いてない?」
「え?あ、いえ……私には何にも教えてもらえなくて……ごめんなさい」
 桜の時期はとおに過ぎ、地に落ちて薄紅から変色してしまった花びらだけが僅かにその名残を見せていた。
 灯火はその一片を取り上げ、そして葉桜となった木を見上げる。
 ここに立つ桜はあの日、ひどく不可解な人間が2人ここに訪れたと告げた。ひとりはヒトの形をしていたがその中身は空洞になっており、ひとりは身体のどこかにヒトではない何かを纏っていたという。
 だが、光もなく深い眠りに落ち込んでいく真夜中に訪れたその影が一体どういうものなのか判別する事は出来ないのだとも言った。
 『彼ら』の証言をシュラインたちへ伝えながら、灯火はふぅっと視線を彷徨わせる。
「何故…なのでしょう………永遠にきれいな姿……人は何故そのようなものを望むのでしょう?」
 この場に残りゆるゆると立ち上る負の気配に向けて溜息のように問いをこぼす。
「……ヒトは老い……時とともに変化するからこそ…ヒトなのだと思うのです……変わらぬのなら、ソレは……ヒト足りえないのでは…ないでしょうか………?」
 そこにあるのは非難ではなく純粋な疑問。
 人形として生まれ、意思を持った今も人形であり続ける灯火にとって、少女の抱く想いはあまりにも不可解だった。
「ん〜まあ、確かにそうなのよねぇ。ただなんていうか、ね……夢見ちゃうものなのよ。不老不死は人間の憧れってね」
 今まで手掛けてきた翻訳の仕事でも、このテーマを取り扱ったものは数多い。ソレは時代と国を越えて常に示されてきたものだ。
「ただ、私としては捩れて止まってしまった時なら、伸ばして戻してちゃんと動くようにしなくちゃって思うけど」
 そんなふうに答えるシュラインの横で、あゆみは何か言いたげに口を開き、そのまま何も言わず俯き口を噤んだ。
「あ、ねえ、あゆみちゃん?紀代子さんが行方不明になる前に何か気になることってあったかしら?例えばその『捩れた家』に関するものだとか……」
 シュラインの問いに、彼女は俯いたまま頭を振った。
「見つけたって言っただけで、もう後は全然教えてくれなかったんです。いくら聞いても『秘密よ』って笑ってるだけで……せめてもうちょっとくらい聞かせてくれてもよかったのに………」
「あゆみ……ちゃん?」
「あ、でも居なくなるちょっと前の日曜日にあの子ひとりで出かけたみたいで……えと、あ、良かったら紀代子の家に行きましょうか?何かもっといい手掛かりが残っているかも!」
「そう…そうね……」
 やけに率先して張り切る彼女の言動にシュラインは一瞬戸惑いを感じてしまう。
 友人のために何かをしていたい、そうすることで助けられるならどんな協力でも惜しまない。そんな感情の表れと取っていいのだろうか。
 だが、それならば引っ掛かりを覚えるこの僅かな違和感はなんなのだろうか。
「あゆみ君、良かったらわたしと別の現場にいってみないかな?きみ位の歳の子がいてくれると話を聞くにもあまり警戒されなくて助かるんだけど」
 そんな内面の微妙な齟齬を汲み取ったかのように、城田が横から声を掛ける。出来るだけ穏やかに、そして好奇心をくすぐるように、彼はじつに絶妙なタイミングで絶妙な提案を示した。



 捩れた家の捩れた噂。
 街を歩いてカードに添って、捩れた道を右左。
 永遠にキレイな姿で永遠にキレイな夢を見せてくれる、捩れた家の捩れた主人が使う魔法。



 百合枝はひとりネットカフェの一角で持参したノートパソコンを開くと、先程図書館でコピーしてきた記事の束を手に先程書き込んでおいた掲示板へと繋ぐ。
「うまく掛かってるといいんだけど」
 いわゆる怪奇現象の報告などが綴られたホームページはその真偽のほどはともかくとして、一時期よりも随分と幅をきかせはじめている。
 そして。
 捩れた家の噂は確かに存在しているのだ。
 ただし、ソレはごく限られた狭い範囲でのみ囁かれるものであり、同時に部外者をひどく嫌う性質のものである。大人になってしまった自分では踏み込めない、独自の世界で作られた独自のルールは果たして自分に反応してくれただろうか。
 パスワードを打ち込み、更に目当てのページを開いていく。
 捩れた家へ辿り着くために必要なのは、捩れた男を見つけること。
 招待状がなければ、捩れた道は歩けない。
 スクロールしていくと、噂について検証しているサイトへのリンクも見つかった。
 少女たちは本当にこういった噂を収集することに余念がない。
 ふと懐かしい思いに捕らわれながらもマウスを動かしていた百合枝の手がぴくりと反応し、止まった。
「……これって」
『捩れた家に行くには招待状がいるの。私、ちゃんとそれをもらったわ。辿り着けるかどうか分からないけど、きっと大丈夫』
 それが書き込まれた後、彼女のハンドルネームは掲示板から消え、日記もその他のコンテンツも全てがその日を境に半年以上のも間更新を停止していた。
 百合枝はもう一度手元の新聞に記された日付と掲示板の日付を確認し、携帯電話をバッグから掬い上げる。
 この類の細かい符合の一致を確かめるのならおそらく城田が一番適任だと、自分の勘が告げていた。



 城田はあゆみを連れてふたつ目の現場となった専門学校の裏庭をゆったりと歩く。
「きみ自身は捩れた家の噂をどの程度知ってるのか教えてくれないかな?わたしは小耳に挟んだことすらないんだよ」
「あ、あの……私もあんまり詳しくは聞いたことないんです……部活の先輩からナイショだけどって教えてもらったんですけど」
 もしも捩れた家の捩れた主に出会えたら、永遠の美しさを手に入れられる。
 いつごろから始まったものなのかすらわからない。ただ、中学に入ってから初めて耳にしたことだけは確かだった。
 小学生だった自分には見えなかった世界が不意に開けてしまった感覚をよく覚えているからとあゆみは苦笑めいたものを浮かべた。
「ただ、先輩達も多分そんなに詳しいわけじゃないんだと思います……」
「どうして?」
「だって……都市伝説ってヤツだよねって……本気になんかしないよって、笑ってたし……」
 あの部室では誰も本気になどしていなかった。
 誰も、捩れた家なんて見つけられなかったから。見たことがないのなら、それはやっぱりただの面白おかしい空想ごとでしかないから。
 そんなふうに否定的でありながら、彼女は友人を救って欲しいと興信所の扉を叩いた。
「あの……城田先生はどう思われてますか?」
「ん?」
 隣を歩く少女が、まるで何かを試すように見上げてきた。
 この表情にふと既視感を覚えるのは、おそらく患者が医師である自分へと向けるあの何かを期待する眼差しに酷似しているせいだろう。
 だから城田は診察時における対応と同じようにやんわりと微笑み、そして、
「それは何について意見を求めているのかな?」
 問いで返す。
 あゆみは一瞬困惑を見せ、俯き、それから懸命に言葉を選び出して再度自分を見上げた。
「えと…紀代子のこととか……あの、城田先生はお医者さんなんですよね?お医者さんから見て、永遠にキレイなままでいられるなんてこと、信じられますか?」
 反応を窺うように、彼女は足を止めてやや強めの声で問いかける。
「ん?そうだね、まあ、方法がないわけじゃないと思うよ。あまり真っ当とは言い難いけどね」
 自分は通常の人間が侵すべきではない領域で起こりうる事象というものをこの眼で見てしまった。
 だから、知っている。
 人間は永遠になど生きられない。
 そして、老いることを止められる術を持つということは、すなわち人であることを辞めると言うことだ。
「ただね、わたし達のこれから為すべきことが本当に患者……じゃないか。ええと被害者かもしれない少女、彼女たちの意に添うかどうかは別の問題だと思うんだけどねぇ」
 まあオジサンには関係ない次元の話ではあるんだけど、と付け加えて、城田が苦笑する。
「紀代子が本当に望んでいたら…助けたりしないんですか?」
「助けるという行為は主体がどこにあるかで内容が変わってしまうものだよ、お嬢さん」
 必ずしも一方が相手のためにと望む救いが、望まれた側にとっても救いになるというわけではない。
 誰にとっての救いであり、誰にとっての願いなのか。それを明確にし、かつ常に認識しておかなければ思いがけない事態に陥ることだってあるのだ。
「じゃあ、先生は―――」
「っと、ごめん」
 携帯が内ポケットで無音のまま着信を知らせてきた。
 ディスプレイに表示された名前を確認すると、会話の中断を詫びて彼女から数歩だけ距離を置いて通話を押した。
 数回短い言葉を交わした後、城田は百合枝からの依頼によって次の行き先を変えた。



 紀代子の部屋は明るいトーンで統一され、好きな芸能人のポスターが貼られ、ぬいぐるみが並ぶというごく当たり前な光景だった。
 特別おかしなところは一見して見当たらない。
「……紀代子様がどこで何をしていたのか……これからどうなるのか……わたくし達は知ることが出来るのでしょうか……?」
 この部屋へと案内してくれた母親はひどく憔悴しており、その表情には濃い影が落ちていた。彼女にとって娘が失踪してから現在に至るまで、心休まる瞬間はないのかもしれない。
 いつ目覚めるかも分からず眠る姿を見続ける事は、いつ出会えるかも分からないままにそれを探し続ける事と同じくらい苦しいものなのかもしれないと灯火は思う。
 ひとつの意思を確かめ、それらが発する囁きを拾い集めるように耳を澄ませながら、ふとそんなことを考える。
 だから、自分は草間から話を聞いた瞬間、この捜査に関わりたいと思ったのだ。
 人形の身でありながら、あの人への想いでチカラを宿した自分にも、何か出来ることがあるはずだから。
「……シュライン様……」
 学習机の棚に触れていた灯火の指が止まり、後ろでぬいぐるみや雑誌の間を探している彼女へと、ゆっくりそれを差し出した。

『――虚構と幻想の狭間――』

 手の中に落ちてきたのは明日最終日を迎えるらしい都内のギャラリーを借りた個展の半券だった。
 そこからは、公園に残っていたあの負の気配が残り香のようにふわりと漂っている。
 シュラインと灯火の視線が交わった。
「永遠に美しいままで居られる方法なんてそうそうないわ。だとしたらそれに代わる行為が必要になる。考えられるのは―――」
「……間違い…ありません……紀代子様は…この方の元へ……行かれたのです……」
 捩れた家のヒントを得たと少女は友人に告げた。
 そして彼女は失踪の数日前にひとりで出かけていた。どこに行ったのかは誰も知らされていない。だとすれば、これから辿るべき道はここに記されていることになる。
「現場検証は後回しね。とりあえずこれを扱っている出版社に急ぎましょ」
「はい」
 不安を拭いきれないまま部屋の前に立っていたらしい母親に丁寧な暇を告げて、2人はその足で出版社へ向かうために車を拾った。



 ほとんど会話のないままに、榊は小夜子とともに、携帯にメールという形で入ってきた城田からの情報元に訪れた病院を後にした。
 医師という立場で手に入る資料にも限界はある。だが、それでも噂話という形で情報のやり取りがひそやかに行われるものだ。
 ここには、抜け殻となってしまった少女がいた。
 彼女は数日間の失踪後に植物状態となって発見されている。
 紀代子と同様の経過を辿り、入院もしくは自宅療養となっている者たちは現在確認できている段階で5名。いずれも期間はこの一年以内に限られている。
 そして、榊の目を通して映る彼女たちには確かに濃い闇の気配が付き纏っていた。
 ふと、病院や自宅で、少女の抜け殻を見つめている家族の姿が不意に浮かぶ。
 そこに重なる記憶。
 眠り続ける少女。
 いつ目覚めるかも分からないまま、待ち続ける自分。
 ふつりと湧き上がる怒りにも似た感傷に、榊はそれと悟られない僅かな変化を表情に乗せた。
 その思考を断ち切るように視線を逸らせると、そこには境界線が曖昧でゆらりゆらりと不安定に揺らぐ水面のような気配がすぐ隣に立っている。
 武田小夜子という女性はどうもこちら側にいながらにしてあちら側の住人のようにしか視えない。
 自分を含むいわゆる特殊能力者とも、初めから人とは異なる種族として生まれた者たちとも違う、どこか非現実的な存在。
「どうかした?」
 視線に気付いたのか、小夜子が振り返る。
「……どうして武田さんは今回の依頼を受けたんだろうと思って」
 口を突いて出たのは、思考からは外れた疑問だった。だが、言葉にしてみると確かに自分はそこにある種の興味を持っていたことに気付く。
 生者と死者の区別もなく、ありのままを受け入れてしまう彼女が何故生き人形と化した少女のために動こうと思ったのか、その理由がふと引っ掛かった。
 だから、自分でも珍しいと自覚しながらも問いかける。
 彼女からの答えはあまり期待していなかった。
「従弟に頼まれたから、ね」
「いとこ?」
「本当は自分で調査したかったみたいだけど、叔父さんのロケに付き合う約束した後だからって私に代役を頼んだのよ」
 シュラインの電話ははじめ従弟に向けられ、ソレは約束という制約を前に小夜子へと渡されたのだという。
「……あの子なら多分詳細を聞いて現状を見たら怒るでしょうね。どうして自分を大事に出来ないんだ、どうして変化していける今の自分を放棄してしまうんだって……それで一通り怒ったら、今度は全員を救いたいって言い出すわね。これは勘だけど」
 あの子はいろんなものを放っておけない性質なのだと、そんなふうに言葉を繋いだ小夜子の表情がふと優しげでやわらかな空気を宿す。
「…………そうなんだ」
「ええ、そうなの………」
 再び2人の間には静寂が戻り、そのまま言葉を交わさず周囲へと気を巡らせ始めた。
 だが、互いに干渉しないための沈黙はポツリとこぼれた小夜子の呟きで緊張感と共にふつりと途切れた。
「……蜂が帰って来れないみたい」
 ほとんど表情の変わらない彼女が僅かに困惑の色を声に乗せる。
 彼女の使役する蜂が帰ってこられないという状況に、榊の表情が僅かに険しくなった。
 響の思考を辿るように、自身もまた呼び掛ける。
 だが、曲がりくねった階段や立ち並ぶ奇怪な彫像の『絵』が跳ね返ってくるだけで、次元を渡る黒猫がこの肩に戻る事はなかった。
「あの子達の見ているものは分かるんだけど……」
「………僕と同じか」
「……とりあえずあの子達は『捩れた家』に辿り着いたということでいいかしら」
 そして、そこはけしてまともな空間ではありえない。
 捩れた家の内部は、捩れた次元で遮断されているに等しいということになる。
「少し、準備がいるかな」
「多分ね」
 無愛想な陰陽師と無表情の占い師はそうして小さく溜息をついた。
 会話が途切れると、2人はまた黙々と歩き出す。
 病院の敷地を抜ければ、もう緑はどこにもなく、ただ灰色の冷たい道だけが続いていた。



 異形の蜂は黒い使い魔と共に捩れた世界に紛れ込み、捩れて張られた匣の中に閉じ込められた。
 捩れた家の捩れた階段の上で、捩れた男はひっそりと笑う。



 普段は戦場のごとく音が飛び交う編集部内も、今日は休日出勤の社員とアルバイト数名の姿がぽつぽつと確認できるのみらしい。
「ええと、この出展してる人の経歴と作品リストよね?ちょっと待って?」
 事前に連絡を入れていたシュラインと灯火を入り口で出迎えてくれた彼女は、いつもよりもずっと穏やかな笑顔を浮かべていた。
 そして、遠慮する2人を簡易応接間へ通すと、自分は資料に積まれたデスクやそこら中に衝立のように並んだ棚からごそごそと何かを探し出し、それらを手に戻ってきた。
「ええとね……この辺がエマさんご希望の作家と作品一覧かな?何ならここだけコピーとって、ついでにパンフレットも出しておきましょっか?」
 どさっという重量感溢れる音と共に机の上に一山築かれてしまった。
「有難う、ごめんなさいね?」
「いいのよ〜エマさんにはいつも翻訳でお世話になってるんだし。この間なんて歴史書の面倒な仕事まで引き受けてもらっちゃったし。これくらいどうってことないわよ」
 ニコニコと笑いながら、彼女は次々と資料を引っ張り出し、コピーを取り、必要なものをどんどんシュラインの前に積み上げていく。
 試しにとその中から拾い上げた活動年表らしき記載に、ふと引っ掛かるものを見つけた。
「この作家さん、数年ほど活動にブランクがあるのね」
「ああ、そうなのよ。それまでは穏やかでそれなりの物をそれなりの評価で作ってた人なんだけどね。なんて言うんだろ?こう……情熱とか気迫とか、こっちに迫ってくるようなものがいまいち感じられなくて」
「……それで一端地下に潜った?」
 確かに過去の作品はどれも手堅く作り上げてはいるが、多くの作家達の中に埋もれてしまうだろう程度の華やかさしか感じられない。
 基本に忠実であるだけではおそらく生き残ってはいけない。それは創作と呼ばれる世界ならばどこででも言えるはずだ。
「そうなの。で、いきなりまた復活したかと思ったらがらりと作風変えちゃって、後はもう一直線。なんか、引っ越したって話も聞いたかな?」
 そこで何かあったのかしらね。いきなりジャンル換えして一躍スターになっちゃったわ。
 そんなふうにくすくすと笑う彼女の横で、灯火とシュラインは無言のまま顔を見合わせる。
 状況を把握するために必要なキーワードが、何気ない彼女の噂話によってまたひとつ増えたことになる。
 捩れた家の噂が広がる時期、『事件』が起きた時期、そして彼の変化が一致するのかを検証していけば、答えはすぐそこだ。
「さてと。ちょっと重くなっちゃったけどしっかり封筒に入れておきますからね、エマさん」
 編集部の名前が印刷された茶封筒に膨大な紙の束を見事な手際で詰め込んで、彼女はどうぞと笑ってそれを手渡してくれた。
「有難う。恩に着るわ」
「どういたしまして。また一緒にオシゴトしてくれたらそれでオッケー。私、エマさんの翻訳センス大好きだから」 
「了解。私も楽しみにしてるわ」
「あの……最後に……再び姿を現したこの方への評価はどのように…変わられたのでしょう……?」
 おずおずと、灯火が彼女に問いを投げ掛ける。
「ん?ん〜……それがね、もうもう信じられないくらいの大絶賛で。口やかましい評論家の類まで黙らせちゃったから」
「待って。本当に誰もいないの?」
「そうよ。見事なまでに誰も。普通ならひとりくらい『あれがダメだ、これがダメだ』って言うものなんだけどね」
 ヒトの手によって生み出されたものは、どれほど優れた芸術作品であってもそれを妬むものやあるいは純粋な好みの範囲によって賞賛と批判の両方に取り巻かれる形となる。
 だが、彼の作品に対してその意見はどこからも出てきていない。
 これもまた彼を疑う材料となりうるだろう。
 再度礼を述べると、シュラインは灯火と共に膨らんだ資料とともに編集部を後にした。
 そしてシュラインは携帯電話を取り出す。
 今現在どれだけの情報が自分たちの下に集まってきたのか、それを確認し、同時に想定される様々な危機的因子の回避を話し合う時間を持つ必要があった。
「さて、そろそろ手持ちのカードを出し合うべきかしらね」
「……はい……」
 全ての情報を繋ぎ合わせ、これからすべき事、すべきではない事をきちんと取り決めておかなくては取り返しのつかないことになりそうだと、これまでに培われた経験が警告を発している。



 捩れた男が手に入れた、捩れた家の捩れた約束。
 捩れた道具で、捩れた思いを刻み続ける。



 再び草間興信所を占拠した調査員達は、机の半分を占めて広げた地図を囲み、そこへ、少女達が発見された場所、現在個展が開催されている場所、少女達の住所をそれぞれの仕入れた情報を元に書き込んでいった。
「こうしてみると意外と発見場所自体はそれほど離れていないんだね…むしろ個展の会場に近い……かもしれない?」
「……百合枝さんもそう思う?」
「あんたの予想、当たったね」
 視線がいくつも交差しあう。
 紀代子の部屋に残されたチケット、編集部から貰い受けた彫刻家の軌跡、少女達の噂とその真相。
 そして、榊の黒猫と小夜子の蜂はいまだ召喚に応じられない。
 どこか屋敷の中に閉じ込められている映像だけは伝わるのだと2人は言う。
 薄暗い家の内部。
 そこかしこに立ち並ぶ天使の彫像。
 ステンドグラスの明かり。
 だが、構造を把握しようと辿ってみても、なぜか全体像を捕らえる事は叶わない。
「ふむ。内部の位置把握もいまいちといったところなんだね……ところでその並んでいる彫像と魂が封じられているかもしれない対象の区別はつくかな?」
 地図に視線を落としたまま、城田が小夜子へ問いかける。
「蜂は魂の存在に引かれ、そこに留まるわ」
「なるほど。じゃあ、捩れた家までの道筋は?」
 それに対する答えは否定でしか返せない。
「……紀代子さんたちの魂の所在は分かるけど、見えない壁に阻まれてるわ」
「捩れた道を辿った先というのは、何らかの呪術的要素が介在し、空間そのものが寸断されている可能性があるんです」
 榊からの補足もあり、シュラインが思案するように顎を指でなぞる。
「やっぱり噂どおり、そこへ行くための通行証が必要になってくるのね」
「手っ取り早いのは個展で相手から招待状をもらうって方法だね。ただし、向こうが反応するかどうかは賭けになると思うけど」
 捩れた家にまつわる噂がプリントされたものと、出版社の女性がくれた資料の束を前に、百合枝は頬杖をついて呟いた。
 紀代子が残した数少ない手掛かりは、全てこの男に集約されている。ソレは間違いないのだ。
「まあ、少なくともこんなオジさんじゃ相手にしてもらいないよねぇ」
 今回この調査に関わったメンバーは妙齢の女性3名、壮年の男性1名、十代半ばの少年1名。そして、少女と呼べるものはこの日本人形のみである。
「あの……よろしければ……わたくしが囮になりましょうか?」
 何かあっても自分ならば大丈夫だと、自らを人形と称する彼女がそろりと彼らに申し出た。
 男がどのような方法で少女達から魂だけを奪っているのかは分からない。どれほどの苦痛がそこにあるのかも分からない。
 だがこの身体は血と肉で構成されたものではない。ただ人らしく見せ掛けているだけのこの身ならば一切の痛みに耐えられるだろう。
 淡々とした灯火の提案にそれを気遣う表情が向けられる。
「……必要なら監視をつける。………汕吏」
 榊の腕へとどこからともなく舞い降りてきた鷲は、少年の指によって不可視の糸を括られ、主の命に従うべく彼女の影に融けて消えた。
「榊…様……?」
「………これで招待状を手に出来ない僕達も道を辿れるから……」
「じゃあ、わたしもひととおり準備しようかな。お嬢さんたちを危険な状況から守らないとね」
 何故か嬉しそうに笑う城田になんとも微妙な不安を覚えたが、シュラインはあえてそこには触れず、途中から完全に沈黙し、会話に参加しなくなってしまった小夜子へと視線を向ける。
「小夜子ちゃん?」
 彼女は、いつのまにか淡々とタロットカードを机に並べていた。
「あんた、なにしてるんだい?」
「占い……あの女の子達の……」
 覗きこんできた百合枝の前で、慎重に一枚一枚が展開されていく。
 そして、最後にめくったカードが示した運命は『死神』――少女達の未来は既に閉ざされていると、そうカードは語っていた。
 沈黙が調査員達の上に降りてくる。
「あんたね、これからって時に不吉なカード出すんじゃないよ」
「―――っ!」
 教育的指導と称した軽いデコピンが百合枝から繰り出されて驚く小夜子に、うかつにもシュラインと城田、そして百合枝本人までが吹き出してしまった。
「とにかく行動しないと始まらないし終わりません……そうですよね」
「まあね」
 マイペースで少々ずれた勘のあるこの占い師には、もう笑うしかないとすら思う。
「あともうひとつだけ気になる事があるから確認させてもらいたいんだけど…いいかしら?」
 再度少女たちの個人データを確認し、シュラインは榊たちを見上げた。
 完全に陽は没してしまった午後九時。
 明日のための準備が進められていく。



 塑像とは天使の原型。
 それらは神聖さを伴って偶像となり。
 やがて虚像と成り果てる。



 都心ビルの5階に場を借りて催されている個展は、それ自体がひとつの作品となっていた。
 天使を模した少女像の周囲には白い布やアレンジを加えられた活け花が添えられ、高い天井からは演出効果の高い照明が注がれている。
「少女とは何か。ソレは時が生み出す『美』のひとつなのです」
 輪となった者達の中心で、彼は声高に主張する。
「女でも子供でもない『少女』という時。この貴重にして儚いその瞬間を永遠に封じ込めてしまいたい。そう思うことは罪でしょうか?少女とはまさに―――」
 朗々と歌うように語る青年の言葉が不意に途切れ、その目がひとりの少女へと惹き付けられる。
 鮮赤に染まった牡丹の振袖に身を包む精巧な美の具象化。
 男は周りの人間達をやわらかく押しのけて、少女の方へとゆっくり歩み寄っていく。
「お気に召していただけましたか?」
 出来る限り相手に警戒されないよう気を使った笑みが、青年の口元に浮かぶ。
 彼女はふぅっと硝子玉のような青銅色の大きな瞳で彼を見上げ、誘うようにそっと言葉を紡ぐ。
「……キレイ、ですわね……まるで………永遠の生を、受けたかのようですわ……」
 そして翳りと憂いの混じる溜息とともにゆっくりと彫刻へ視線を移した。
「彼女たちが…羨ましい…ですわ……」
 吸い込まれそうなほどに魅惑的な瞳に見つめられ、青年にはもう彼女以外の姿は見えず、彼女以外の声も聞こえないほどにただ心を奪われていった。
 手を差し伸べ、触れたいと願う衝動を抑えきることなど出来なかった。
「貴女もまた永遠を夢見る資格を有しているのですよ」
 宜しければこれをどうぞ。ただし、誰にも言ってはいけません。秘密ですよ。
 人差し指を唇に当て、悪戯めいた微笑を浮かべながら、男は少女の手の中に小さく硬い何かを握らせる。
 そっと広げてみれば、そこには奇妙な形に捩れた1ペンスのコインが照明を受けてかすかに閃いていた。
「日が暮れたら、月が貴女を導いてくれます」
 ひっそりと笑みを浮かべるその瞳には、深い闇が覗いていた。

 灯火から一定の距離を取って眺める3組の視線。
 ひとつは城田と彼の隣に立ち、ライターとしての取材を装ったシュラインのものである。
 この会場におけるオブジェたちを眺め、そして灯火へと手を差し伸べる彼を観察しながら、彼の芸術性よりもむしろそれを作り上げた感性に興味を引かれていた。
「彼は前衛的だね。じつに素晴らしい」
「城田さん、こういうのも前衛的って表現するんですね」
 少し離れた位置では、榊と小夜子が本人達の自覚とは別に休日のデートで訪れたカップルと思わせる形で立っていた。
 ただし、互いに会話はない。
 そして調査員から更に離れ、より入り口に近く、より死角となる位置で、視線の主は昂揚感と熱を帯びた瞳でじっと灯火と彫刻家を見つめていた。
 その口元には歓喜の色さえ滲んでいる。

 依頼人は望んだ。友人を助けて欲しいと。捩れた家に行き、人形となって戻ってきた彼女を救って欲しいと。
 そして依頼人は―――姿を消した。



 夢見る資格があるものは、捩れたコインで捩れた道の先にある捩れた家にご案内。
 捩れたコインを持っていなければ、捩れた天使がお出迎え。



 文字通り捩れた道を辿っていけば、行き止まりには大きな家が佇んでいる。
 門の左右に据えられまるで番人のように訪問者を見下ろすのは、冷たい石膏の天使だった。
 灯火はじっとそれらを見つめ、内に潜む声に耳を傾ける。
 作家の手によって想いを刻まれたはずのそれらからは言葉にならないほどに断片的で壊れた何かが抑揚もないままに垂れ流されていた。
「……あの方の心は…もう……手掛けた作品の中にすら…正常な形では留まっていられないのですね……」
 これは哀しいという感情なのだと思う。
 黒ずんだ木製の床を軋ませ、赤い絨毯が敷かれた階段をのぼり、窓のない廊下を歩く。
 青年から手渡され、今はそっと握っているだけのコインが、捩れた空間で進むべき道を知らせてくれる。
 外側からはけして見えない、歪んだ次元のその先に、ただひとつ自分を待っている扉が存在している。
 目を自身が落とす影に凝らしてみると、不可視の糸が外側へと伸びているのが感じられた。
 おそらく他の者たちもこの屋敷へと辿り着けるだろう。
 灯火はゆっくりとその扉を押し開いた。
「ようこそ。永遠の夢を叶える家へ」
 自分を迎え入れるものは、既にこの世の理を侵してしまった存在――――



 捩れた世界は捩れた規律で捩れた想いを抱いている。
 永遠の器に入れられた捩れた想いは、捩れたままで男の手の中。



「ここで間違いないようです」
 短い榊の言葉と共に、一向はゆっくりと月明かりの元に佇む青白い建物を見上げる。
「一見捩れているようには見えないね」
 シュラインのすぐ後ろで、城田はのんびりと薄手のコートのポケットに両手を突っ込み、そんな感想を洩らした。
 捩れた道の先に構えた門の両脇では、彫像が濃い影を揺らめかせて頭上から招かれざる客を冷たく出迎える。
 それでも、コインを握る少女から伸びた細い糸が結界の綻びとなり、ソレを使役する榊によって門はあっけなく開け放たれ、巨大な鋼鉄の扉もまた、諾々と客人を自身の内部へと呑み込んだ。

 踏み込んだ瞬間から、肌が奇妙な違和感を訴えて掛けてくる。

 外観からは想像も出来ないほどに広がる玄関ホールには幾体もの彫刻が並び、その視線が一斉に侵入者へと注がれた。
 無言のまま威圧する純白の像たちに嵌め込まれた硝子球には明確な殺意すら閃いている。
 一番最後に屋敷の内側へと入り込んだ城田の背後で、ギシリと扉が閉ざされた。
 反射的に振り返っても、もうそこに扉はなく、ただのっぺりとした壁だけが延々と続いていた。
「なるほど。捩れた家というのも間違いではないね」
「空間を歪ませて捩れを作っているみたいね」
 城田とシュラインの言葉を受けて、百合枝が能力者2人へ視線を向ける。
「遠夜、小夜子……あんた達、この捩れをどうみてる?」
 陰陽師は緩やかに目を閉ざした。
 言いようのない違和感に神経を苛まれながらも、感覚を研ぎ澄ませ、そしてゆっくりと更に空気を探っていく。
 耳を澄ませば吐息が聴覚を掠める。
 遠く近く拍動する気配には、響の存在も、そして汕吏や灯火のものも混じりこんでいる。
 だが、それらは全て触れたと思えばすぐに別のものへと置き換わり、歪みの場所すら特定できない。
 時間も空間もありとあらゆる存在が正常な形を失ってしまっている。
「戻さないと、おそらく辿り着けないわね。この家はいろんなものが重なりすぎてる」
 この世の存在ではないはずの蜂が、小夜子の召喚命令にも拘らずいまだ戻ってきていない。次元を渡るはずの榊の黒猫もまた、ここへ踏み込んだ後の呼びかけには応じられないでいるらしい。
 たとえ灯火と不可視の糸で繋がっていようとも、この状況を改善しない限り無駄に時間が過ぎるだけだ。
「捩られてはぐれてしまった次元をもう一度繋ぎ合わせなくてはいけない。まずそこからだよ。でなければ捩れた空間を延々と彷徨うはめになる」
「……で、あんたはソレが出来るんだね?」
 確信を持って問いかける百合枝の瞳を見つめ返し、榊はゆっくりと無言で頷いた。
「じゃあ、あんたに―――」
 そこで台詞は打ち切られた。
 何かのスイッチに触れたのか。
 それまでただ見つめるだけの石膏像たちが、意思を持ち、その硬質な翼を大きく広げ、凶悪な爪と咆哮を上げて襲い掛かってきた。
 だが、悲鳴や術の発動よりも先に、空気を引き裂く重い銃声が鳴り響く。
 飛翔するそれらはまるで玩具のように宙で破裂し、一撃も与えられないうちから残骸となり床に崩れ落ちて行った。
「やれやれ。随分な歓迎の仕方だね」
「城田さん!?」
「シュライン君、きみは少し下がっていた方がいいと思うな。跳弾して当たっちゃうとかなり痛い思いをするからね」
 戦闘能力を有しないシュラインたちの前に立ちはだかり、城田はその口元に笑みのようなものを浮かべた。
 彼の手の中には、この日本では早々お目には掛かれないショットガンが構えられている。
 辺りに硝煙の匂いが漂うが、それは途切れる間もなく、また弾丸を吐き出し、芸術と呼ばれる作品たちをたんなる石膏の塊へと変えていく。
「さて、榊君。邪魔モノはわたしが排除しよう。きみはこの面倒な家をしっかり叩き直してくれたまえ。そうすれば後は好きに動けるはずだ」
「この先は私が露払いするよ」
「お願いします」
 霊刀を抜き、百合枝が城田の拓いた道を榊と共に走り抜ける。
 動くものへの反射のごとく、石膏の天使の数体がその冷たい羽根を広げ、2人を目掛け滑降を開始した。
 だが、伸ばされた手は獲物を捕らえる寸前で銃弾に弾き飛ばされる。
 次々と砕かれしっつ死ていく店死蔵を見つめるシュラインの肩に、小夜子の手がそっと置かれる。
「大丈夫よ。あの人はちゃんと選んでいるわ。ちゃんと目印に気付いてくれている」
「え」
 一瞬脳裏に過ぎった自分の不安を、小夜子が否定した。
「あの子達の魂はこの中には入ってない。大丈夫……」
 動揺の欠片もなく平然とした言葉が彼女から返ってくる。
 選別すべきものが何かシュラインにはよく見えていない。
 だが、小夜子の操る蟲が狙撃手の城田の目になって彼の補佐へと回っているのだと彼女は説明してくれた。
「きみ達の相手はわたしだよ。最近身体が鈍りがちでね。そろそろ少し運動が必要になっていたところなんだけど、もちろん付き合ってくれるよね?」
 穏やかな笑みを浮かべていたはずの整形外科医は、透き通る薄青の瞳に狩猟者の光を宿し、凍りついた無表情でショットガンを構えなおした。



 まるで巨大な迷路のように入り組んだ通路のいくつめかの曲がり角を越え、いくつめか分からない扉を潜り抜けた末、ようやく百合枝はひとつのがらんとした窓のない部屋に辿り着いた。
 ここならば、一方向からの攻撃だけを警戒すればいい。
「じゃ、頼んだよ、遠夜」
 正面から襲い掛かる面倒な邪魔者たちを霊刀で薙ぎ払い、打ち落とす百合枝の背後で、榊は静かに呪を唱える。
 高く低く緩やかに言霊を乗せて符に力を注ぎ込めば、合わせた両の手の平に光が生まれる。
 光は波紋となって屋敷に広がっていく。
 呪を乗せた光に触れた先から天井も窓も扉も壁も、全てが一度溶け合い、混沌とした色彩になり、それまで目にしてきたものとはまったく別の景色へと置き換わる。
 粒子となった力の波動が、捩れて歪んだ世界を作り変えていく。
 時折パソコン画面で見るCG画像のようだと頭の片隅で考えながら、百合枝は呪術的な範囲に落ち込んだが故にごとりと床に転がり、そのまま動かなくなってしまった石膏像を眺めた。
「響……おいで」
 ようやく召喚に応じることの出来たらしい黒猫が、ふわりと少年の肩に降り立った。
「……お疲れ様……次は城田さんのところへ。そのあと病院へ……」
 手を伸ばして喉元を優しく撫でさすると、猫は額を主の指にすりよせ、再び空間を跳んで消えた。
「じゃあ、次は人質奪回と行きましょうか。そこの階段の上でいいんだよね、遠夜?」
 今ならば百合枝にもこの家の中心が視える。
 狂気に彩られ、この屋敷全体を覆い支配する捩れた男の病んで歪んだ赤黒い炎。
 そこに重なる少女たちの悲痛な叫び。
 階段の先で待つ灯火へと続く長く短いその道を、2人はゆっくりと辿り始めた。


 結界解除の光の波が幾重にも折り重なって捩れていた結界を砕き壊し、延々と螺旋を描く空間は正常な世界へと立ち戻った。
 コインを持たない者たちにも、永遠の夢が生まれる部屋への通路が開かれる。


 小夜子の誘導を受けながら、部屋の隅や天井、扉の内側から飛び出してくる無数の天使の群れを撃墜していた城田の動きがぴたりと止まった。
 トラップ作動によって襲い掛かる自動人形の天使たちが、不意に糸の切れた操り人形のごとく動力を失って次々と失墜していく。
 銃の残響が引いた後には、もう、一切の音が消え、ただ硝煙と砕けた石膏の残骸だけが足元に転がっていた。
「ふむ。随分と廊下がすっきりしたね」
 物理的な法則を無視したかのように曲がりくねり複雑に入り組んでいたはずの内部構造が唐突に直線の多いありきたりなものへと変わり、よく見慣れた病院の廊下を髣髴とさせる光景となった。
「2人とも頑張ってくれたみたいね」
 銃声と破壊音からようやく解放されたシュラインが、ほっとしたように溜息をついた。
「でも異質な捩れはまだ残ってるわ」
 小夜子の蜂が二重世界の場所を知らせる。
 榊の能力にも干渉されずに残る不協和音。
「……多分、そこにあの人たちもいると思う……」
 小夜子の白い指が、まっすぐにそれまで隠されていた三階へと続く階段を指差す。
 視るものだけが視えるほのかな軌跡を頼りに、3人は歪みの中心へと向かった。



 空気の質が変わっていく様を、灯火は屋敷の発する声で感じていた。
 自分を模したものが既に出来上がりつつある。
 細く白い手に握られた刃は、石からヒトを削りだしていく。
 彼は『永遠を得るための儀式』だと微笑んだ。
 この部屋には長く閉じ込められ腐敗した空気が満ち、禍々しく歪んだ欲望が澱のように床に沈んでいる。
 ここにあるもの全てが『異質』だった。
 いまだ眠り続ける少女を模した天使の像。それを取り巻く異界の蜂。床に散らばる捩れたコイン。何かを望み、潜む少女の想い。それらに囲まれ自身を写した彫像が出来上がる過程を見つめる人形の自分。
 奇妙な構図である。
「……ひとつ…お聞きしても宜しいでしょうか?」
 何かに憑かれたようにひたすら彫刻刀を振るう男へと、灯火は椅子に腰掛けたまま問いを向ける。
 彼からの返事はない。
 それでも灯火は言葉を掛ける。
「何故……あなた様はここでこのようなことを…なさるのでしょう……?」
 ザワザワと何かが語りかけてくる。
 聞き慣れた人の言語も、崩壊してしまえばただの音の羅列と成り下がる。
 人として刻まれる感情の何ひとつを取ってもこの身体は反応しない。だが、天使たちの怯える声と僅かな悲鳴が訴えかける意味は知っている。
 人形であるこの身にはけして測れない、人であるが故の感情の発露。
 シュラインは不老不死を求めるのもまた人の性なのだと言った。そして同時に、限りある時間だからこそ人は生きていることを実感できるのだとも。
「何故……ヒトの魂を…この器に封じられたのですか……」
「君が僕に問うのかい?あの天使たちを美しいといい、そして僕からコインを受けた、そんな君が何故と問うのかい?」
 うっとりと夢見るように、彼は灯火に手を差し伸べ、その硬質な白い腕をそっと撫でる。
「この家と出会った僕に……もう…誰も何も言えない……僕を蔑むものたちなどもういない……少女たちの美しい時を、僕は芸術として残していくんだ……」
 歪みの中心はここにいる。
 彼を狂わせたのは、この家の軋み―――
「―――っ!?」
 突然、何かが2人のすぐ横を突き抜け、次の瞬間、紀代子によく似た少女の像の一部を弾き飛ばした。
「邪魔するよ、彫刻家君」
 ショットガンから愛用のH&KUSPカスタムに持ち替えた城田が、天使像を標的として捕らえたまま佇んでいる。
「城田様……皆様も……」
 その背後には、シュラインと小夜子。
 そしてやや遅れた形で別の扉から榊と百合枝が現れる。
 全ての通路に繋がる4つの扉を有したこの部屋に、招かれざる客人は辿り着いてしまった。
「一体どうやってここまで」
 自身の領域を侵された不快感に眉をひそめて青年は彼らへと問いかけるが、それには構わず、城田は榊へと言葉を向ける。
「……榊君、紀代子君の状態は?症状は改善されたかい?」
「……いえ」
 榊はゆっくりと首を横に振った。
 彫像の髪が砕かれた瞬間、ベッドに横たわる少女の髪もまた消失してしまったのだと病院の窓辺より監視している響の視覚が告げている。
「そうか」
「……やっぱり、壊すことで中の魂を解放することは出来ないのね」
 あらゆる状況を想定し、一連の行動をあらかじめ確認していたシュラインは、複雑な表情でそう呟きを洩らした。
「当然だよ。僕はこれに彼女たちの『魂』そのものを定着させたんだ。この天使は少女のための像。少女自身。けして朽ちることなく留まり続ける美の象徴」
 凶器を孕んだ瞳で自らの手によって生み出した『作品』のひとつひとつを愛しげに眺め、青年は最後にゆっくりとシュラインたちの方へと振り向いた。
「これが壊れた瞬間、彼女たちの永遠の夢も終わる」
 にぃっと歪んだ笑みを浮かべて、完成された芸術に自ら賞賛の声を上げる。
「―――なら天使像でなくあんた自身に干渉すれば、彼女達は解放されるって解釈してもいいんだね?」
 百合枝が霊刀を差し向ける。
「なるほど、試してみる価値はあるだろうね」
 城田が銃の照準を像から彫刻家へと移す。
「僕は、永遠の美を得たいと願うその想いに答えただけですよ」
 青年は緩やかに笑みを浮かべ、
「ねえ、お嬢さん?あなたもその為にここへいらしたんですよね?僕のコインを握り締めて」
 既に閉ざされた扉のすぐ横に佇む彫像へと向けられた。
「――――あゆみ君……」
「あゆみちゃん!?」
 そこには少女がいた。
 友人を助けて欲しいと願い興信所の扉を叩いたあの少女が、震えながらもゆっくりと姿を現す。
「わ、私……私も……紀代子が羨ましくて……でも紀代子は見つけたのに…私には見つけられなかったし、だから……だから私――っ」
 罪を暴かれた背徳者のように怯え、視線を床にさまよわせながら、彼女は見知らぬ少女を模った像にしがみ付く。
 コトリとコインが手の中から滑り落ち、床で弾けて小さく反響した。
「あゆみ君……なら、自分のその目で見なさい。アレが永遠を望んだものの末路だ」
 城田が指し示すのは、魂を封じられ動くことのない石膏の身体を屋敷の中に置くだけの存在だ。
「……声が……聞こえますでしょうか……?この方たちの……哀しい…悲鳴が……」
 灯火の指が彫刻に触れる。血の通わない白磁の肌が作りモノの石の肌をなぞり、そして自身を通して彼女たちの声を具現化させていく。
 人形よりも無機的で硬質な彫像たちは彩を持ち、そうして閉じ込められていた感情を一斉に吐き出した。

 助けてイヤダしてこんなのはいやこんなはずじゃなかったのココハこんなとこはいやクライ出してコワイコワイたすけテ―――――

 いまだあどけなさの残る少女達が、こんなはずではなかったのだと、こんなふうになりたかったわけではないのだと泣き叫び、助けを請う。
 夢を見たはずだった。
 老いることなく、永遠にキレイなままでいられるならと願った。
 だがソレは、食べることも話すことも触れることも出来ず、何も感じることも出来ない冷たい石に成り果てることではない。
「………あ、ああ……」
 ずるずると、あゆみの身体が床に崩れ落ちる。震える自分の肩を抱きしめた指先はもう血が通わないほどに白くなっていた。
 シュラインは静かに彼女の傍へ歩み寄り、そうして宥め諭すように彼女の手に自分のそれを重ね、抱き寄せた。
「確かに、彼女たちの声を聞いてしまったら望んだことじゃないって分かるわよね。ねえ、芸術家さん?」
 だが、シュラインが非難と共に向けた強い視線にも、彼はただ笑っている。
 少女たちの声を聞いてなお、そこには一切の後悔も躊躇もなく、罪悪感というものなど微塵も存在していない。
「何故、理解しようとしないのだろう……あの類稀にして脆く儚く散っていく少女という生き物達が持つ美しさを、何故彼女たちまでが否定するのだろう――――」
 百合枝の目に、青年の心の炎が揺れて見える。
 芸術家に時折見られる高純度の闇は病んだ深淵の表れでもあるのかもしれない。
 永遠に美しい姿で、永遠に美しい夢を見る―――それはとても甘美な誘惑。
 けれど、それは捩れた世界の捩れたお伽噺にすぎないのだ。
 ヒトの理から外れてしまえば、ソレはもうヒトではありえない異形の存在。
「私は彼女たちが望んでこうなったんなら仕方がないと思う。願いを叶える行為をわざわざやめさせる必要なんてないと思うわ」
 城田の背後から一歩を踏み出し、小夜子は少女たちの声に視線を投げ掛ける。
 子供の浅はかな行為が招いた結果だとしても、それが当然の罰と言えるほど彼女達が犯した罪は重くないはずなのだ。
「でも――この世に生きるならこの世のルールは守らなくちゃいけない」
 冷然と言い放つ彼女の周りに蜂の群れが集い、臨戦態勢を取ったそれらは、主の感情と共に無数の羽音を威圧的なまでに高めていく。
「僕を攻撃するのですか?もしかしたら魔法が解けて、ここにいる天使たちももろともに堕ちてしまうかもしれないというのに?」
 右手に握られた刃が冷たく閃き、男の狂気をそのまま映し出す。
 作品を生み出すはずのソレが凶刃へと変わる瞬間。
「あら、そんな心配はいらないわ」
「そう、必要ない」
 小夜子の隣で榊が印を組む。
「強気ですね。自らこの領域に踏み込んでいながら、この僕に叶うはずがないのに!」
 彼は魂ある者たちを閉じ込めるために彫刻刀をかざす。
「僕の芸術を糾弾するモノどもめ!全員わが芸術の贄となれ!!」
「――――っ!」
 嘲った哄笑を上げて彼がヒトとしての境界を踏み越えた瞬間、銃弾と、霊蜂、そして符術によって生み出された稲妻が男に向かって放たれた。
 シュラインと百合枝があゆみを庇って床に伏せる。
 榊が汕吏の名を叫び、少女像を守護する結界を発動させる。
 城田が男の凶器を狙い、両の引き金を引く。
 灯火の両手は天井へと掲げられ、
 そして、
 小夜子の蜂が、その身に仕込んだ針を一斉に打ち出し――――

 衝撃、爆発音、ありとあらゆるものが弾け、閃光が視界を覆った。

 天使たちが結界の庇護下に置かれて一切の攻撃からその身を守られる。
 彫刻刀は男の手から弾かれ、それに続く銃弾であっけなく粉砕された。
 狂乱の断末魔のごとく降り注ぐ瓦礫の山が白い両手によって別の空間へ転送される。
 男の周囲に生まれた次元の歪みが蜂によって弾け飛び、彼の心も、捉えていた鎖も、閉じ込めていた匣も、全てが粉々に打ち砕かれ、虚無の世界へと落ちていく。
 捩れ綻びた世界に秩序が戻るその瞬間を、彼らは『捩れた家の主』から今や『ただの狂人』と成り果てた男と共に見つめていた。


「……僕の…世界が……僕の愛しい天使たちが……」
 

 捩れた家に残っていた最後の捩れた部屋は砕け散り、ただの廃屋へと姿を変えた。
 そして、捩れた天使の虚像は永遠の牢獄から消滅し、そうしてあるべき実像へと戻っていく。



 絶望と共に床に伏した男をそのままに、調査員達はあゆみをつれて現実世界へと踏み出した。
「そういえば、結局あんたの占い外れたね」
 どこか安堵を込めて見やる百合枝につられ、全員の視線が小夜子へと集まる。
 一瞬足を止めた彼女はほんの僅か目を細め、
「言い忘れてたけど……私の占いは当たらないの、絶対に」
 何気ない調子でさらりと告げたその後に、彼女の口元が笑みの形にゆっくり引き上げられる。
 その言葉の意味を察するのにタイムラグが数秒。
 それからくすくすと気の抜けた笑いがあゆみやシュラインたちの間から洩れ始める。
「なるほど。それはある意味すごい確率だね」
 感心したように城田が頷く横で、榊もまた口元にひそかな笑みを浮かべ、そして自分達が去っていく屋敷をゆっくりと振り返る。
 捩れた家の捩れた男はまっすぐな世界に引き戻された。
 狂気と理想に彩られた永遠の夢はもうそこにはない。
 囚われの少女達はまもなく長く深い眠りから目を覚ますだろう。
 いつか……いつか自分の妹もまた夢の世界からこちら側へと戻ってくるだろうか。

 朝焼けが世界を染めていく―――――



『夢を叶えて差し上げましょう―――そう、少女という硝子細工のように透明で美しく儚い時を止めて、永遠という名の捩れた世界の住人となりましょう―――現世のすべてと引き換えに』




And that’s all…?

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0642/榊・遠夜(さかき・とおや)/男/16/高校生・陰陽師】
【1873/藤井・百合枝(ふじい・ゆりえ)/女/25/派遣社員】
【2585/城田・京一(しろた・きょういち)/男/44/医師】
【2716/武田・小夜子(たけだ・さよこ)/女/21/大学生・占い師】
【3041/四宮・灯火(しのみや・とうか)/女/1/人形】

【NPC/吉田・あゆみ(よしだ・あゆみ)/女/14/中学生】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、こんにちは。最近めっきり深夜のバラエティ番組(ローカル含む)と仲良しさんになってしまっている夜行性ライター・高槻ひかるです。……朝日がとても眩しいです。
 さて、相変わらずの遅筆っぷりを露呈しているわけですが、ようやくようやく皆様のもとへ、調査依頼14タイトル中1〜2を争う質量となった『捩れた天使の虚像』をお届けいたします!
 今回『捩れた家の主』や『紀代子』に対してそれぞれのスタンス(考え方)をプレイングにて提示してくださる方が多かっため、そこからPC様の内面に触れてみたいという衝動が生まれ、このような物語が紡がれました。
 いろいろな試みも取り混ぜたこの依頼、力いっぱいお待たせした分も含めて少しでも楽しんでいただければ幸いです……(ドキドキドキ)

 なお、今回シナリオの分岐はありません。全て共通となっております。


<シュライン・エマPL様
 11度目のご参加有難うございます。そして、先日はシチュノベご指名を本当に有難うございました!!
 あんまり嬉しくて今回冒頭に小道具をひとつ仕込んでしまいました。
 そして、相変わらずの洞察力にはただただ感動……
 なのですが、最近、司令塔であると同時にツッコミ役でありながら微妙に参加メンバーの年齢関係なく保護者的な色が出始めているような気がしています。
 いつかシュライン様の家庭的な面(料理とか)も描写してみたいとひそかな野望を抱いている事は秘密です(笑)

 それではまた別の事件でお会いできますように。