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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


- 滾る残滓 -

闇よ、お忘れなきよう。
光が無くてはそれは存在しないことを。
そして闇に打ち克ち、全てを解き放つ力が在ることを。



「うあ…、あぁ……!」

 度々低い悲鳴にも似た或る女の慟哭が聞こえる。
 金髪がそれに合わせて震えるように揺れるのだけれど、金蝉はそれをしっかりと抱きしめてやる。
 普段の自分なら負け犬の遠吠えだと嫌味たっぷりに翼の神経を逆撫でしてやるのだろうけれど、それさえも今は出来なかった。
 出来ないというよりは多くの汗を滝のように流して唸り続けているので自分の声が彼女の耳や心へと届くことがないだろうからしなかっただけだ。

 自分の中の暗闇の根底へと溺れて這い上がってこられない彼女を助ける術は一体誰が持っているのだろうかと罵倒するよりも何よりも思考を凝らす。
 天国の神様はいると信じてもいないので地獄の閻魔大王様にでも頼み込んでみようかとさえ思ってしまう。
 何故か清く白い感じのする神様に救って貰うよりは、どす黒い緋色の服を纏っていそうな閻魔大王様に助けて貰った方がどれだけ良いだろうかと考えてみる。
 そして恐怖の大王にしか縋り付くことができない自分を、鼻を鳴らし笑い飛ばしてやった。
 
「僕は誰だ。」

 突然発された声はAMARAの声のようで、我を失ってしまった翼の声のようでもあった。
 少しだけ上体を起こして顔を上げ、いつもよりずっと低い声を誰へともなく発する。恐らく誰かに答えて欲しい訳でもないのだろうと思った。
 翼は今自分がどんな行動をしてどんな言動をしているか解っていないのだろう。
 我に返ってこんな状態に迄陥ってしまっていたことを覚えていたら、何処まで自分を責めてしまうだろうか。
 これも魘されて見た夢の一つだと錯覚して事実から無意識に目を背けるのだろうか。
 今の彼女なら恐らく後者なのだろうと思う。
 だって金蝉の首へと牙を埋めたことよりも重い事実何て何処にもないのだ。

「……お前、何様のつもりだよ。」

 俺の腕の中に居ながら、と付け加えてさらりと口が動いて悪態も吐ける何て自分は自分を騙して誤魔化すのが巧いと再確認する。
 金蝉を映さない瞳は一体何を映しているのだろうか。
 それに対する答えは翼自身でさえも持ち合わせていないだろうけれど、敢えて訊いてやろうかという精一杯の毒を含んだ優しさが脳裏を掠めた瞬間、再び彼女の口が少しだけ開いた。

「キミは自分が何様なのか解っているのか。」
「……翼。」

 胸倉を掴まれてぐいっと力一杯に引き寄せられて喉が苦しいとまるで人事のように感じた。
 しかし苦しいのは息が出来ないからではなくて、こんな処まで翼が堕ちてしまっていたことを目の当たりにしてしまったからだろう。
 自分の声は彼女に届いていないのだと確信した。
 その確信は酷い哀しみも伴ったので、上体を起こすだけでも精一杯でふらふらの彼女よりも自分の方が倒れてしまいそうだと思う。

「俺は俺だし、お前はお前だ。」

 淡々と呪文のように静かにきっちりと言葉を並べていっても矢張り彼女の耳の奥には響かない自分の声。
 その静寂を呼び起こす言霊は虚空へと乱れるようにして舞いながらふわりと翼の上にいつか落ちていけば良いと思う。
 でも彼女はその舞い降りてくる言の葉を一つ一つ丁寧に斬り裂いていくのだろう。
 胸を鷲掴みされたと思う程に孤独過ぎていっそ潔いと思う。

 正しい答えは知らないけれど、それなりの答えなら幾らだって用意できる。
 それが嘘でもそれが本当に嘘かどうかは誰が決めるというのだ。
 他ならぬ嘘を吐いた自分自身だけではないだろうかと金蝉は考える。

「手は差し伸べてやるよ。」

 そう言って再び思い切り鳩尾へと拳を沈めてやる。
 これが優しさとは呼ぶことが出来ない自分なりのせめてもの優しさであろう。
 ばたりと呆気なく自分の腕の上へと倒れ込んだ翼をぎりぎりと歯が折れる程にきつく強く噛み締めながら見遣る。
 この沸々と込み上げる感情に名前を付けることが出来ない自分が更に腹立たしかった。

「でもその手を取らせやしねぇ。」

 それが自分達のルールだから、優しさを微塵も感じさせない不確かで曖昧な自分を縛る綱を解いてはいけないのだ。
 手を差し伸べられたとしても、それは助ける為や救う為で差し出されたのではない。
 自分で立ち上がれと吐き捨てるように冷めた目をして諭してくれているだけなのだ。

「自力で這い上がって来いよ、翼。」

 嘘を吐かなければならないこともないと思わないか。
 例えば愛するものが朽ち果てようとしている時に、どれだけ助けたくても救いたくても、じっと見守ることしかやってはいけない。
 そうやって自分に嘘を吐き続けるしかないと思わないか。
 嘘を吐くのが罪だとしても、嘘を吐くのは巧く生き抜く術の一つだと思う。

「……自分が何者か知る為に。」

 ぱらぱらと瞳を閉ざしてしまった翼の上へと言霊を降らせる。
 それに何の意味も無いというのは嫌という程に解っていたのだけれど、そうせずには自分の何かが弾け飛んで壊すか壊れるかしそうだったのだ。
 
 唯、じんと痛む右手が酷く哀しかった。



                 *           *           *     



 何日間か閉ざされていたように思える程酷く重い瞼をやっとの思いで持ち上げて、その視界に飛び込んできたものが色を失っていなかったので、翼は生きているのだと眉間の皺を深くしながら思った。
 反吐が出る程の自分の生命力の凄まじさを自嘲気味に苦く笑う。
 AMARAに体を奪われて自分は消え果ててしまえば良かったのかと問われれば是と即答するだろうし、生きていて良かったのかと問われれば、矢張り間髪なく是と答えるだろう。
 生きるか死ぬかに是非はないと教えてくれたのは掛け替えの無い誰かだったように、まだ皺の多くない脳に記憶している。
 消えても良かった。それでも全く構わなかった。

「目が覚めたか?」

 見慣れた自分の部屋の天井から舞い降りてくるようなその声に思わずベッドから飛び起きる。
 自分は卑劣な微笑みが似合うヴァンパイアハンターと戦ってはいなかったか。
 AMARAに支配され理性を破壊され本能に立ち返っていなかったか。
 愛しい筈の誰かの血を恍惚な笑顔を湛えて吸おうとしなかったか。
 ……嗚呼、全てが夢だったら。

「悪夢から。」

 男は翼の方へと見向きもせず、ベッドの端に座ったまま無感動な言葉を無感情で言う。
 その男の首に赤い斑点を確認してしまった女は悪夢の恐怖から未だ逃れていないかのように、その金髪を微かに震わせた。
 目を背けたいそれに耐えられなかった翼は両手で顔を覆おうとするのだけれど、その両の手にさえ血糊がべったりと張り付いていて何からも目を背けることは許されないようで。

「真実なんざ何処にもない。お前も俺もこうして此処にいる。それが今ある現実で全てだ。」

 ぴしゃりと叩かれるようにして言葉を放つ男は、矢張り翼の方へと見向きもしない。
 翼は何かしらの謝罪の言葉を発したつもりでいたけれど、それは自分に耳にさえ届かない程余りにか細かった。
 許されることは決してないと心の何処かで割り切って受け容れている筈なのにぐるぐると謝罪の言葉だけが頭の中を駆け巡る。
 それはそっとあちらこちらに赤い血の出ない無数の傷を作りながら何かを狂わせていった。
 
「でも、でも僕がぁ……っ!」

 この両の手が己を制御し切れていたら。
 吸血鬼何かではなかったら。

 涙声と言うよりは悲鳴のような叫び声と同時に、自分の無力な手を布団や壁に打ち付けて暴れ出す。
 錯乱した彼女の手首を捕まえてしっかりと握り、それでも暴れ狂う翼をそのままベッドへと押し倒すことで動きを制御しようとした。

「もしも何て馬鹿らしい事だと1番良く解かっているのはお前だろう?後悔なんざ愚か者の暇つぶしにすぎん。」

 迷いの無い言葉は淡々と綴られていく呪文のようだ。
 しかしその言の葉を散らす男の首には、自分の牙が刺さった痕がしっかりと残っていることを否めることは決して出来ない。
 
「……めっ!」

 繰り返される懺悔の言葉、謝罪の言葉は果たして声となって伝わったか。
 歪んだ視界しか映さない瞳からは透明な血が何の有り難みもなく流れ落ちていた。
 金蝉はじっとしてろ、と翼の暴れることを止めない体を抑え、白い指で愛おしそうにその涙を掬い上げてから黙ることを知らない口を自分の口で塞いだ。
 余りのことに声が出なかった翼は咄嗟に抵抗しようと金蝉の首をその怪力で絞め殺そうとし、力を徐々に加えていこうと思った瞬間。

「お前に俺は殺せねぇよ。」
「へぇ、自信満々だな。その理由は言えるのか?」

 然程力も加えられていない翼の手を自分の首から剥ぎ取り、その手の平を舐めてやる。
 自分の血と翼の血が混ざって少し苦かったが、それに顔を歪めることもなく、いつも通りの迷いの無い漆黒の瞳をぎらりと光らせながら言霊を放つ。

「理由は要らないから、答えもねぇよ。」

 翼はその言葉にポツリと落とすように困ったような、それでいて幸せそうな微笑みを零し、それ切り双眸から瞳を覗かせることはなく深い眠りへと堕ちていった。
 金蝉は涙の跡を指でなぞり、少しばかり頭を傾けて自嘲の笑みを落とすかのように口の端を上げながら、それでさえも満足そうにもう1度翼の涙の跡を掻き消すようにそこへと唇を落とした。


闇よ、ご記憶下さいますよう。
心を潰す、塗り潰す闇は一筋の光で掻き消されることを。
闇を消す光は心の中に在ることを。

そう、光はいつも此処に。