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闇風草紙 〜休日編〜
□オープニング□
僕はどうしてここにいるんだ……。
逃げ出せばいい。
自分だけ傷つけばいい。
そう思っていたのに――。
関わってしまった相手に心を許すことが、どんな結果を招くのか僕は知っている。
なのに、胸に流れる穏やかな気配。
僕は、僕はどうすればいいんだろうか?
今はただ、目を閉じて声を聞く。
耳に心地よい、あんたの声を――。
□ケーキと階段と風向きと ――弓槻蒲公英
いそいそと、黒髪の少女が身支度を整えている。
テーブルには昨日作った苺のケーキ。それからオレンジジュースは水筒の中。もう一本の水筒にはお湯を入れて、アールグレイのティーパックとコーヒーをバスケットに入れた。
「……紅茶、他のも…いる……かな?」
そっと呟いて戸棚を探る。出てきたオレンジペコを追加して、いっぱいになった荷物を確認した。忘れ物はない。日頃行動はゆっくりめの蒲公英だが、生活に関することはけっこう迅速にできる。それも一緒に暮らす父親の世話を頑張っているおかげかもしれないと思う。朝帰ってくる父のために食事を用意し、自分は学校に出かけるのだから。
持っていくものが揃ったら、今度は自分の番。足首まで届く長い髪を入念に梳いて、珍しく耳の上で小さく結び手が止まる。リボンの色に迷ったのだ。
「何色が好き……なの…かな?」
思い出されるのは彼の青い瞳。今から逢えると思うと、どうしてもあの瞳の色を思い出す。少し寂しげな青い色を。
「……明るい青色に…しましょう」
箱に綺麗に巻いて仕舞ってあったスカイブルーの細いリボンを取り出した。結んで形を整え、鏡で確認する。
「やけにめかし込んでるな、蒲公英」
「と、とーさま……」
急に鏡に映り込んだ父親に驚いて振り返った。疑惑の視線。蒲公英はどうしようか一瞬考えて、
「……大好きなお友達に逢うんです…」
「ふーん……ま、気をつけて行ってこい」
意味ありげに鼻を鳴らして、父親は蒲公英の背中を押した。
外はすっかり良い天気。まさにお出かけ日和。手にたくさんの荷物を抱え、華奢な体が玄関から外界へと泳ぎ出す。歌を口ずさみながら、歩く道中は距離など感じないほど、楽しいものだった。
未刀様に逢える。そう思うだけで――。
そんな姿を電信柱の影で少年が見ていたことに、心浮かれる蒲公英が気づくはずもないのだった。
+
足音。軽やかな。
響いてくるのを楽しみにしている自分がいる。このままでいいのだろうか……。
何度も繰り返し問う。けれど、毎日地上に向かう長い階段に座る。待つことをやめることができない。胸にあるこの気持ちが何であるか――僕はいづれ知る時がくるのかもしれない。
柔らかな笑顔の前で。
森の奥で、湧き出る水の流れを見つめていた。頭に浮かぶ様々な過去と現実。見上げた空は濃い緑の間で、切り取られた青の折り紙のようだ。
風向きが変わった。途端に甘い香りが鼻腔をつく。
「あ、甘い……」
まだ姿は見えない。けれど彼女が世蒔神社の敷地内に来ていることはすぐに分かった。ここに来る時はいつも何か作ってきてくれる。甘いモノが好きだと知ると、お菓子を持参してくれていたから。
春になり、階段をたくさんの葉が覆っている。緑のトンネル。異界への扉。住む場所が違う僕の元に、蒲公英は来てくれる。おそらくは、そんなことも彼女にとっては関係のないことなのかもしれない。すべてのものに優しい存在。それとも、幼さゆえに拒む理由を持っていないだけなのだろうか……。
僕は森の奥から社の方へと向かった。香りは強くなる。開けた境内に出たが、探している少女の姿はなかった。
「……ここにはいないのか? いや、来て欲しいと思っているから……。幻だったんだろうか」
香りは消えていない。こんな時に限って勘は効かない、内心焦っている自分がいた。先日の天鬼との戦いで守りたいと思った蒲公英をキズつけてしまった現実がある。目を瞑って記憶に鍵をかけるのは簡単。けれど、胸を締め付ける痛みは消えることはない。
僕は蒲公英を探した。いるはずだと信じて。
「……花みたいだ」
風が吹く。春の暖かな風。それにそよぐのは長い黒髪。この社のご神木とも言える巨木の根元で、少女は眠っていた。横には大きなバスケットと水筒。胸にはどこからか飛ばされてきた花びらが乗っていた。
差し込む光が蒲公英の髪の上で踊っている。柔らかな緑の苔と白いワンピースのコントラスト。眩しいほどの光景に僕は、このまま見つめていたいと思った。
――否。願ったのかもしれない。
一際強く吹いた風で髪が白い頬に掛かった。一瞬戸惑った。僅かに震える指先でよけてやる。そっと……。
「う…うん……」
触れた指先が蒲公英を起こしてしまったらしい。両手でこすって、ぼんやりと目を開けた。
夢から覚めた姫君。しばし、虚ろな目で僕を見つめていた。
「未刀…さま?」
「ごめん。起こしてしまった」
「いいえ……。未刀さまをお待ちしている間に…寝てしまったんですわ……ね」
起き上がろうとしている蒲公英に手を差し出した。少女は嬉しそうに微笑むと、僕の手を握りしめた。手をひくと思った以上に軽く、蒲公英の体は僕の胸に飛び込んできた。
触れ合うのは体。そして体温。
けれど、本当に触れ合うのは心。恥ずかしそうに笑った少女の頬が淡く朱に染まっている。胸に宿るのは?
時が止まる気がした。
僕は彼女を運命に巻き込んでしまった。今でもそれでよかったのか問い続けている。なのに、この暖かな笑顔をもう手放したくないと思う自分がいる。辛い過去も、起こした過ちも、すべてから逃げてきた。それももうこれで終わり。
――前を見よう。蒲公英を守るためにも、僕は強くならなればいけない。
笑顔が曇るようなことを二度としちゃいけないんだ。
手が離れる。体温が遠ざかる。
名残惜しいと思う自分が可笑しかった。こんな気持ちになったことなど、生まれて初めてだったから。
「…み、未刀さま…お腹……空いてます…か?」
蒲公英が置いたままになっていたバスケットを見て言った。頷くと彼女は僕の手をひいて、蒲公英は階段へと向かった。
下界の展望。新緑が山々を美しく飾り立て、咲き始めたヤマツツジが色を添える。座った敷き石。長い階段の下から吹き上げてくる風を感じながら、蒲公英が開くバスケットの中身を見ていた。小さく丸いケーキをお皿に乗せて、カップを配っている。
「未刀さまは…飲み物何がお好きです……か?」
「……よく知らないんだ」
「え……いつも何を飲んでらしたの?」
僕は思い出す。父上の元でしていたのは部屋と地下室との往復だけ。剣の稽古。ボロボロになった体だけを引きづってベッドにも入らず、壁に体
を預けて眠る日々。その繰り返し。
食事といえばいつも家政婦の用意した決まりきったメニュー。冷えたそれをだた口に運ぶだけだった。飲み物なんて水くらい。強引に連れて行かれた父上の敬愛している政治家のパーティで、飲めもしない酒に口をつけることを強要された記憶のみ。
「水……。蒲公英の好きなものは何? 僕はそれでいいよ」
「わたくしの好きなもの……じゃあ、オレンジペコをお煎れしますね」
オレンジペコ?
果物が入っているのだろうか?
見ていると袋に入った黒い葉をお湯に浸している。お茶の一種らしい。
「えっ? まだ何か入れるのか?」
「お砂糖ですわ……あの…未刀さまは甘い方がお好きでしたか?」
頷く。なんだか気恥ずかしい。家を出て仕事についたとき、甘いモノを好んで食べていたら笑われた記憶がある。
「……よかった。ケーキお嫌いだったらどうしようかと思っていたんですもの」
「ケーキは好きだ」
僕の言葉に微笑む蒲公英。彼女がいつもは甘さの低いお菓子を持ってきていたことを思い出した。彼女なりに気遣ってくれていたことを知る。
ケーキを食べながら、僕は彼女の話を聞いていた。学校で花を育てていること。音楽の授業が一番好きなこと。歩くのがゆっくりなので、朝がたいへんだということなど――。
知る度に遠い存在だと感じてしまう。そして、僕がどんなに常識という部分からかけ離れているのかを。
思考を巡らし返事をするのが遅れた。
「どうか…されましたか……?」
「いや、食べよう」
そう言ったときだった。階段の下から叫び声が聞こえた。
「な、な、な、なんでお前がいるだよーーーーーー!!」
それは以前、蒲公英が学校にきていないことを教えてくれた少年だった。何やら、激しく憤怒してる様子だ。僕と蒲公英は互いに顔を見合わせ、首を傾げた。一気に駆けあがってくると切れぎれの息で僕を睨んだ。
「家の前を通ったらいないから……や、だからって、気になったんじゃないからな! もしかしてと思ってここにきたら、なんで二人でケーキ食べてるんだよ! ハァハァッ」
「あの…建太郎くん、わたくしが作ったケーキを……未刀様に食べてもらっていたんですわ」
蒲公英は一瞬僕を見て、赤くなった。
「な、な手作りぃ! なんでそこで照れるぅ〜!」
少年は更に怒った様子で、残っていたケーキを食べ散らかし、もう一度僕を睨んだ。
無言の視線。
「あの…僕が何か――」
僕の言葉が終わらないうちに、少年は来た時と同じ速度で階段をかけ下りた。意味の分からない叫びを残して。
再び、蒲公英と視線を交わし、吹き出すように笑ったのだった。
+
夕暮れ。二人肩を並べて、僕は蒲公英の家に向かってアスファルトの道を歩いていた。街灯がすでに点灯している。
「本当にいいのか……父上がいるんじゃ」
「お仕事ですわ…たぶん」
だから大丈夫だと、少し寂しそうに言った。おそらく父親がいない方が僕が行くにはいいのだろうけれど、蒲公英には家に帰って父親がいないことは寂しいことなのかもしれない。僕も母を失った。僕を生むために、仁船に恨まれてもしかたないのだろう。自分を心配してくれる肉親を失う辛さ。
仁船の失った母の重さが今なら分かる。
蒲公英を失いたくないと思うから。
「こぉら! 蒲公英、おそぉーーーーい!」
「と、とーさま……お仕事じゃないの…ですか!?」
ドアを開ける前に中から開いた。立っていたのは蒲公英の父親だった。スーツ姿が父を思い出させた。しかし、その表情は違う。彼女を思っている優しい顔。それが怒っている顔であっても、芯には心配があるからこその表情なのだ。
「休んだ」
「あ、あの…この方は、わたくしを助けてくれた方で…その、今……ええと……」
口篭りつつ、蒲公英が言い訳を呟いている。
「ふん…。お前か――まあ、いい。とくにかく入れ」
「僕は――」
「名前なんか知らなくていいんだ! 入れ!」
「あ、ああ」
玄関に入ると、奥へと向かう背中と僕の袖をひっぱる蒲公英の顔。交互に見て、僕は笑った。
こんな幸せを感じていいのだろうか。
きっと語ろう。彼女に。
大好きな父親に嘘をついてまで、僕をここに連れてきてくれた蒲公英に。
春風が閉まったドアといっしょに僕の頬を撫ぜた。
□END□
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
+ 1992 / 弓槻・蒲公英(ゆづき・たんぽぽ) / 女 / 6 / 小学生
+ NPC / 衣蒼・未刀( いそう・みたち) / 男 / 17 / 封魔屋(逃亡中)
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■ ライター通信 ■
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かなりスランプだった杜野です。今回も遅れてしまい申し訳ありません。
蒲公英ちゃんのしどろもどろなところがキュートでした。自分で書いたんですが、ちょっと未刀が暴走気味(思考が)ですね。
眠っている蒲公英ちゃんは本当に春の精のようでしょうね♪
では次回も逢えることを楽しみにしております。
ゲームノベルでお待ちしていますが、現在かなりゆっくりな活動になっています。ご了承下さい。
ありがとうございました!
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