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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


    招かれざる客


 あいつにも、そろそろ助手としての心構えを叩き込まないといけないな。草間武彦は、玄関へ駆け寄る零の華奢な背中を目で追いながら、オリジナルブレンドのコーヒーを口に含む。
 零は淀みのない動作でドアを開け、
「いらっしゃいませ――」
 扉を半開きにして、顔だけをひょいと外に出して客に挨拶する。
 あのへんの仕草は、いまどきの少女と変わりない。もっと丁寧に応対するよう教えないとな――、内心苦笑した草間は、そこでやっと異変に気づいた。
 零は少し前のめりになってドアを開けていたので、前に流れた髪の間からうなじが見えた。
 その白い肌のすぐ上方にうっすらと、何か黒い煙のようなものが漂っている。
 近所で焚き火でもやっているのだろうか――、いや違う。探偵としての直感がそう知らせていた。
 黒い煙が濃度を上げ実体化する。それが零の後頭部の真上で輪郭を確かにし、巨大かつ鋭利な鎌の形を成したのは、まさに一瞬のことだった。
「零!」
 張りつめた声に、少女が視線だけを草間に寄越した。それが合図になった。零の頭上に出現したナイフと呼ぶにはあまりに大きく、鎌と呼ぶにはあまりにいびつなその刃は、確固たる意思を持って落下し、そのまま少女の首を切断した。
 糸の切れた操り人形のように、零の身体がくずれ落ち見えなくなる。かわりにドアの内側にべっとりと貼りつく鮮やかな赤が目に飛び込んできた。
 いつの間に落としたのか、足元でマグカップが割れている。コーヒーの香りが血の匂いと混ざり合い、草間は軽く吐き気を催した。
 カップの破片を拾い集めるような姿勢で、デスクを盾に屈みこむ。物陰からそっと玄関に目をやると、血だまり中、ふたつに分かれた身体が扉に挟まるようにして横たわっている。落ちた零の首は玄関から外廊下へ転がっている。あまつさえ、彼女の切断した鎌は、次の獲物を探し回るように、実体へ、煙へと、形を変えながら滞空している。この状況はまずい、非常にまずい。小うるさい上の階の連中や管理人に見つかったら、どえらい事になる。
「零、無事か?」
 間抜けな問いと分かっていながら、草間はとりあえず声をかけた。
「なんとか大丈夫です」
 零の頭部は気丈にもそう言った。草間のいるところからは彼女の首の切断面しか見えす、表情はうかがい知れないが、いつものように微笑を浮かべているのだろう。
「そりゃなによりだ」
「でも」
「でも、なんだ」
「いちばん大事なところを斬られたので、再生には時間がかかりそうですけど……」
 喉に血が絡むのか、零が声を発するごとに、ゴボ、ゴボと音を立てた。戦力にはならないか。なんとか武器さえ手に入れば……、立ち上がって取りに行きたいのは山々だが、それを手中にするまで、首がなくなっている確率が高い。何よりも、ここで発砲するのはなるべく避けたい。
「あっ……、兄さん」
「……どうした?」
 草間の脳裏にふたがび、探偵稼業で培った予感が働いた。これは悪いニュースだ。カツカツと階段を上る足音が聴こえる。
 唾を飲み込んだ。足音の主は客か管理人か。ついにここ草間興信所も年貢の納め時か。
 ひとり暗澹たる気分の草間を目覚めさせたのは、零の意外な言葉だった。
「みそのさんです、みそのさんがいらっしゃいましたよ」
 ……みそのだと? みそのって、深淵の巫女、あの海原みそのか。
「みそのさんです。わーい」
 零の頭部は無邪気に喜ぶ。身体が繋がっていたら、ブンブンと手を振っているだろう。
「あら……、零様、お取り込み中ですか?」
 足音が止み、玄関の向こうから能天気な声が届く。間違いない、みそのの声だ。
「そうなんです。ちょっと切られちゃって」
「そういうことだ!」
 草間は、まだ姿の見えぬみそのに向かって聴こえるように声を張り上げた。
「君もこうなりたくなかったら、早々に立ち去ったほうがいい」
「ええ……、ですが」
 みそのは、なんだかモジモジした様子だ。
「本日は美味しい桜餅を持って参ったのです。お茶でもご一緒にと思っていたのですが……」
「悪いが、また今度にしてくれ」
「……ですが、本日は関東風、関西風の2種類をお持ちしたのに、せっかくですから……」
「今日はいらんよ! 頼むから帰ってくれ!」
「兄さん、待ってください」
 そのとき、零がゴボゴボと声を上げた。
「ここはひとつ、みそのさんに協力してもらいましょう」
「なに? どうやって……」
「忘れたんですか? みそのさんには『流れ』を操る能力があるんですよ」
 そうだった。海原みそのの万物の『流れ』をコントロールする能力――上手く利用すれば、この窮地を切り抜けられるかもしれない。
「みそのさんお願いします」
「はい、零様と草間様の頼みでしたら」
 零の提案に、みそのは快活な返事で応え、またもカツカツと歩を進める。
「おい、ちょっと待て零――!」
 お前たち、敵の存在を忘れていないか?
 室内をうろついていた黒い影が、みそのの気配を察知し、刃先を玄関に向けながら具現化する。
 ドアの隙間から少女のあどけない顔がのぞくのと、黒い鎌がその隙間めがけて走ったのは、ほぼ同時だった。
「伏せろ!」
 草間にはそう叫ぶのがやっとだった。
 怒号に気圧されるように、みそのは草間のデスクの方向を見た。高速で迫る巨大な刃の姿を捉えた彼女は、反射的に頭を抱えてその場にへたり込んだ。
 草間は我慢できずに腰を上げた。資料棚に隠したリボルバー……あれを使えば、あの鎌を粉砕するのは容易い。『草間武彦』でいるときは極力使いたくなかったが、背に腹は変えられん。
 うずくまる少女の頭上で鎌は止まっている――。みそのの腰まで伸びた髪は円状に広がり、それはさながらコンクリートの上に咲いた漆黒の花のようだった。
 具現化した刃は、なぜかみそのに襲い掛かろうとしない。左右に揺れつつ、少女の出方を待っているのか。ならば、どうして零は一撃で仕留めた? 草間の目には、刃は目標を探して彷徨っているように見えた。
 もしかして、あの鎌にはみそのが見えないのではないか?
 その疑問に行き当たった時点で、視界が一気に開けた。光の中、見えたのは勝機。
「お嬢さん、そのまま聞いて欲しい」
 草間はつとめて声を落ち着かせた。
「すまないが手を貸してもらえないだろうか」
 土下座のような体勢で、みそのがわずかに顔を上げる。少女は桜の花弁の模様が描かれた留袖をまとっていた。
「はいっ、わたくしにできることなら、喜んで」
「まず、四つんばいになって、俺のところまで来てくれ。大丈夫、立ち上がらなければ奴は襲ってこない」
「……はあ」
 少し得心の行かぬ顔で、みそのは草間に言われるまま、室内に入る。途中、血だまりに手のひらと膝と長い黒髪を浸すことになったが、少女は嫌な顔ひとつしなかった。途中、横たわる零の首と軽く笑顔を交わすほどの余裕を見せ、みそのは猫のようにソファの裏を通り、草間のデスクにたどり着く。その間も、例の黒い霧は口惜しそうにみそのの頭の上を浮遊していた。
「次は負んぶだ」
「はあ、負んぶ……でございますか?」
 みそのは首をかしげる。
「このわたくしが、草間様のお身体をを負ぶえるかどうか……。こうなることがわかっていたなら、わたくしも日頃から腕力を鍛えることにやぶさかでなかったのですが……」
「いやいや、違う。俺が君を負んぶするんだ」
「はあ……」そっけない返事をしたみそのだが、その薄桃色の頬に、さらに赤みが差すのを草間は見逃さなかった。
「俺じゃ、イヤかい?」
「いいえ」みそのは、ごく自然に柔らかい笑みを作った。
「喜んでお手伝いさせていただきますわ」
 驚くほど、みそのの身体は軽かった。それが幸いして、草間はパワードプロテクターを装備しているときよりも俊敏に移動することができた。みそのの息遣いは落ち着いていて、心臓の鼓動もきわめて平静だった。長い髪が前にしなだれかかり視界をふさいだが、草間にとってそれは好都合だった。
 書類棚の中――、万が一のためのリボルバーを忍ばせておいた。恨めしげに具現化と抽象化をくり返す鎌にふたりは背を向ける。そして数秒後、ファイルのひとつが乱暴に床に転がり、リボルバーは草間の手の中にあった。
 草間とみそのが振り返った瞬間、黒い影は実体を表し、その鋭い牙をむく。同時にみそのは細い腕をかざし、時間の『流れ』せき止めていた。敵もそれ相応の呪力で応戦したため、完全停止というわけにはいかなかった。だが、草間の目には敵の太刀筋は緩慢に過ぎた。みそのを負ぶったまま、軽やかに身体をひねり、鎌の軌跡の後ろに回りこむ。鎌は棚に激突し、過去の依頼記録を、ケースごと斜めに切り裂いた。
 草間はリボルバーの撃鉄を起こす。
「お嬢さん、隠れてな」
 みそのが両手を離し、草間の背中に隠れる。次の瞬間、鼓膜を震わす銃声が轟き、鋼の粒が四方に吹き飛んだ。

 口の中に関西風桜餅の甘みと緑茶の渋みが広がって、草間はやっと人心地がついた。毎日コーヒーだったので、和菓子にお茶もたまには悪くない。
「でも、どうして、みそのさんは狙われなかったんですかね」
 隣のソファに座る零は、そう言って頬をふくらます。まるで自分だけ狙われたのが不公平だと言っているような口ぶりだ。みそのの協力のおかげで身体はすっかり再生している。少女の能力は、霊力が外部へ『流れ』るのを止めることさえ可能なのだ。
「おそらくは……、誰の差し金かは知らんが、アレはヒトの首を切断するようにプログラムされた兵器だ。俺たちの首の位置を『視覚』で判断し、それを瞬時に切り落とすようにな」
 草間は黒い霧が鎌の形を作り、零の首を刎ねた瞬間を思い出していた。彼女が前のめりにドアを開け、髪が流れうなじがのぞいた刹那、鎌は動き出し、目的を果たした。
「簡単な話だ。首を落とされたくなきゃ、首を隠せば良かったんだ」
 零はポンと手を打つ。
「ああ! それで、みそのさんを負んぶしたんですね」
 草間は頷いた。見ての通り、みそののしなやかな髪は、生まれてから切ったことがないという長さだ。負んぶして前かがみに歩けば、草間の首を隠すのには十分なボリュームだった。シャツの襟を立てるよりは確実に、相手の眼を欺ける。
「まあ実際、それだけじゃなかったのかもな……」
 マルボロをくわえ、ポケットのライターを探りながら、草間はつぶやく。
「と、おっしゃいますと?」
 みそのはわずかに身を乗り出す。その様子を見た草間は、口の先に止まったマルボロをリズミカルに揺らす。
「いや、単に……、お嬢さんの髪が美しすぎて、アイツも切るに切れなかったとかさ」
「まあ」みそのが口元をほころばせた。
「草間様ったら、お上手ですわね」
 あながちお世辞ではない。いくら埃や血で汚れようと、みそのの黒髪は、常に凛とした輝きをたたえていたからだ。
 めちゃめちゃに壊れた背後のファイルの山を横目で嘗め、草間は紫煙とともにため息を吐き出した。
「とにかく助かったよ。いずれお礼をしなきゃいけないな」
「では、貸しにしておきますね」
 そう言って、少女は肩をすくめ笑った。


                      おわり


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 1388/海原・みその/女性/013歳/深淵の巫女

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、新人ライターの大地こねこと申します。
 海原みその様、このたびは参加いただきありがとうございました。
 今回は初仕事ということもあり、奇をてらわず直球勝負で書かせていただきました。海原みその様の魅力を少しでも引き出せるよう尽力したつもりです。いかがでしたでしょうか。
 気に入っていただけたら、また次の機会もよろしくお願いします。大地こねこでした。